カワルミライ   作:れーるがん

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拒絶は無く、彼女だけは彼を否定する。

 戸塚が奉仕部を訪れた翌日の昼休み。

 今日から早速練習に付き合うことになっているので、俺は速やかに飯を食い、ジャージに着替えてテニスコートへと向かっていた。

 しかし、周りがみんな制服を着てる中で一人ジャージ姿と言うのは目立つ。さっきから俺のステルス能力が発動していない。

 

「比企谷」

 

 そのせいかは分からないが、背後から声を掛けられる。

 振り向いた先に居たのは平塚先生だった。相変わらず歩く姿がカッコよすぎる。

 

「今から戸塚の練習に付き合うのかね?」

「ええ。て言うか先生知ってたんですね」

「雪ノ下がテニスコートの使用許可を取りに来たからな。その際に報告を受けた」

 

 廊下のど真ん中で立ち話と言うのも周りの邪魔になってしまうので、窓際まで寄る。

 平塚先生は胸ポケットへと手を伸ばすが、ここが廊下で喫煙出来ない事を思い出したのか、寸前でタバコを取り出すのを辞める。

 この人ニコチン中毒とかにならないか心配だな。

 

「奉仕部での活動はどうだね?」

「まぁぼちぼちって所です」

 

 活動って言っても基本は本読んで紅茶飲んでお喋りしてるだけだし。

 

「ふむ......君から見て雪ノ下雪乃はどう映る?」

「まぁ、いい奴なんじゃないですかね。結構な頻度で俺に罵倒を浴びせて来ますけど」

「いい奴、か。何を基準にしてそう思う?」

「俺なんかに優しく出来る時点でそりゃいい奴でしょ。ま、そこが信用しきれない所でもあるんですが」

 

 優しさの裏に悪意が潜んでいることなんて珍しくもなんとも無い。

 俺は雪ノ下雪乃を信じてみようと思った訳だが、そう簡単に信じられるなら俺はここまで捻くれた性格になってないだろう。

 いや、雪ノ下の場合はあの優しさの裏に、確かに別の想いがある。それは時折見せる苦しげな表情や淋しそうな表情から見て取れる。

 最初は俺や由比ヶ浜を通して別の誰かを見ているのかと思って居たが、そんな事もない。あの二つの強い瞳は、しっかりと俺たちを映している。

 

「それに、自分の正しいと思った事を貫けるだけの強さも持ってるでしょ、あいつは。そこんところは素直に憧れますよ」

「なるほど。随分と雪ノ下を高く評価しているんだな」

「事実ですから」

「確かに彼女は優しい子だ。優しくて往往にして正しい。だが、世界が優しくなくて正しくないからなぁ。さぞ生き辛かろう」

 

 その言葉には全面的に同意せざるを得ない。

 雪ノ下雪乃は確かに強く、優しく、正しい女の子だ。だが、その優しさや正しさを、世界は、周囲の人間は素直に受け取らない。

 もしくは雪ノ下のその猪突猛進ぶりも原因の一端を担っているかもしれないが。

 それに、ここ数日で知った事だが、雪ノ下は不器用だ。だから彼女の苛烈なまでの優しさは人にはわかり難いのかもしれない。

 

「比企谷、せめて君達だけでも、あいつを信じてやってくれ」

「......うっす」

「さて、私は昼飯を食いに行くとするか。君はせいぜい部活動に勤しんでこい」

 

 バシン、と俺の背中を叩いてから平塚先生は去っていった。

 て言うか背中痛い。強く叩きすぎでしょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 テニスコートには雪ノ下と由比ヶ浜が既に到着していた。どうやらここで弁当を食ってたらしい。

 俺とほぼ同じタイミングで、別方向から戸塚もやってきた。

 

「ふむ、仲間のために己を磨かんとする心意気、天晴れだ!」

「いや、なんでお前いんの?」

 

 そして何故か材木座もいた。

 マジで何しに来たこいつ。

 

「漸く来たわね。......比企谷くん、練習に無駄なものは持ち込んで欲しくないのだけれど」

「俺が持って来たわけじゃねぇよ。いつの間にかくっ付いてきたんだ」

「あれー、我、モノ扱い?」

「やはり類は友を呼ぶ、と言うのは間違いじゃないじゃない」

「おい待て、こいつと俺を一括りにするな。それだけは止めろ」

 

 絶対零度の視線で材木座を見る雪ノ下の声は冷え切っていた。

 いや、別にいいじゃん材木座くらい。いてもいなくても変わんないし。ちょっと煩いだけだし。あ、ダメだわ。煩くてウザいから邪魔だったわ。

 

「ゆきのーん!さいちゃんも来たことだし早速始めようよ!」

「そうね。では戸塚くん、準備はいいかしら?」

「は、はい!よろしくお願いします!」

 

 ラケットをギュッと握り締めて丁寧にお辞儀をする戸塚。その顔には少し緊張の色が見て取れる。

 

「どんな練習するの?」

「先ずは筋トレからね。戸塚くんはあまり体格には恵まれていない方だから、幾ら技術が向上しても相手に力押しされてしまっては意味がないもの」

 

 ふむ、まぁ妥当な所か。

 雪ノ下の言い分はなにもテニスだけに当て嵌まることでもない。野球のピッチャーだって幾ら制球力が良くても球速が出ていなければ意味がないだろうし、バスケだって背が高いからと言ってボールをうまく扱えなければ意味がない。

 技術とフィジカル、両方が合わさらないとスポーツと言うものは上手くならないのだ。

 

「では手始めに腕立て25回3セット、スクワット30回3セット、腹筋20回3セットを繰り返していきましょう」

「な、なんか多くない?」

「そんな事ないわ。筋肉と言うのは傷付ければ傷つけるほどにより強靭になって行くの。これを超回復というわ。基礎代謝を上げて行くにも必要な事なの」

「きそたいしゃ?」

「何も活動しなくても必要になるエネルギー、消費して行くカロリーの事よ」

「カロリー......消費......つまり、痩せる?」

「まぁそう言うことになるわね」

「なら私もやる!」

 

 なんか凄い頭の悪い思考の末に由比ヶ浜も戸塚の筋トレに参加することとなった。

 

「では先ずは腕立てふせから」

「うん、分かった」

「よーし、痩せるぞー!」

 

 雪ノ下の指示通り、地面に手をついて腕立て伏せを始める二人。

 しかし、筋力の低い二人には腕立て一回でもしんどいらしく

 

「ん......くぅっ......ふっ、はぁ」

「んん...うぅん......」

 

 顔を真っ赤にして、なんだか随分と艶のある息を口から吐いていた。

 何ともない普通の筋トレの筈なのに、何故か見てはいけないものを見ている気分になる。

 

「八幡、何故だろうな。我は今とても心が穏やかだ」

「奇遇だな材木座。俺もだ」

「あなた達も筋トレでその煩悩を払拭して来たらどうかしら」

 

 穏やかな笑顔の筈なのに何故か背筋がゾクッとした。怖いからそれやめて。

 つか煩悩ってバレてんじゃねぇかよ......。

 

 

 

 

 

 

 それから数日間、戸塚はラケットを一切握らず、ひたすら筋トレと走り込みを繰り返した。

 俺と由比ヶ浜と材木座は、雪ノ下のそのスパルタ振りに早々にダウン。だが、戸塚だけは最後までやり切り、今日はいよいよラケットとボールを使った練習だ。

 

 由比ヶ浜がボールをコートのギリギリ端っこに投げ込み、戸塚がそれを打ち返し、雪ノ下がフォームなどに対して指摘して、俺はさらに隅っこでアリと戯れ、材木座にそのアリを殺される。

 許すまじ材木座。

 

「ヒッキー、腕疲れたから変わってー」

「お前まだそんなに投げてねぇだろ」

「由比ヶ浜さん、あなた自分から言いだした事なのだから最後まで頑張りなさい」

「うぅ......、ゆきのんが言うなら......」

 

 雪ノ下には従順な由比ヶ浜であった。

 戸塚もそのやり取りを見て苦笑している。

 じゃあ行くよー、と言う由比ヶ浜の掛け声と共に投げられるボールは、今までよりも更に際どいラインへと投げ込まれる。

 戸塚はなんとかそれに食らいついて打ち返すも、勢い余って思い切り地面にコケてしまった。

 

「さいちゃん大丈夫⁉︎」

 

 ワラワラと戸塚の周りに集まる四人。

 どうやら膝を擦りむいて、その上足を捻ってしまったらしい。

 心配そうな目を向けられるも、それでも戸塚はまだ続けてくれと頼む。

 

「ちょっと膝を擦りむいちゃっただけだから。大丈夫だよ、続けよう」

 

 戸塚自身がそう言いつつも、膝からは血が出ているし、本人は気にしていないつもりかもしれないが立ち上がった時の動きもどこかぎこちない。足首を捻ってしまったせいだろう。

 雪ノ下がしゃがみ込んで戸塚の捻った方の足に手を当てて状態を確認している。強めに手を当てたのか、戸塚は痛ッ、と声をあげた。

 

「いえ、先ずは処置をしましょう。軽い捻挫のようだし、無理に練習を続けて悪化させてしまっては元も子もないわ。由比ヶ浜さん、保健室に行って救急箱を取って来てくれるかしら」

「うん!すぐに取ってくるね!」

「比企谷くんはそこのベンチまで戸塚くんに肩を貸してあげて」

「おう。ほら、歩けるか?」

「うん、ありがとう比企谷くん」

 

 お、おぉう......。戸塚の顔がこんなに近くにある......。なんだこの胸の高鳴りは?もしかして、これが恋⁉︎

 

「比企谷くん。同性相手に鼻の下を伸ばしてないで早く運んであげて」

「ゴメンナサイ」

 

 氷の女王に睨まれたので、戸塚の足を気にしながらもさっさとベンチまで二人三脚のように歩く。

 

 雪ノ下の采配は流石としか言いようが無かった。瞬時に戸塚の状態を把握し、その場にいる人間に的確な指示を飛ばす。俺と由比ヶ浜と材木座だけでは終始あたふたして終わりだっただろう。

 

「さて、残る問題は......」

 

 え、まだ何か残ってるのん?もしかして材木座の処理とかかしら。なら俺も手伝うけど。

 雪ノ下がテニスコートの入り口の方に振り返ると同時、やけにデカイ声が聞こえて来た。

 

「テニスしてんじゃーん!」

 

 雪ノ下が警戒態勢に入る。即ち、このテニスコートが氷の世界へと様変わりする。

 果たしてその声の主は、俺と由比ヶ浜と戸塚の所属するクラス、二年F組の三浦優美子とその御一行だった。

 

「ねぇ戸塚ー、あーしらもここで遊んでいい?」

「み、三浦さん。別に僕たちは遊んでるわけじゃ......」

「えー?聞こえないんですけどー」

 

 威圧するような態度。聞こえないのではなく聞く気が無いんじゃないのかこいつ。

 戸塚の怯えた表情は可愛くて庇護欲をそそられるので抱き締めてあげたいが、今はその時ではない。て言うかその時は一生来ない。

 面倒だが色々と説明しなきゃならんかと思い、俺は口を開きかけるが

 

「部外者は出て行ってくれないかしら」

 

 雪ノ下は俺を片手で制し、ずんと一歩前に出て毅然と言った。

 

「ここはテニス部と奉仕部が許可を取って使用しているの。そうでないあなた達にここを使うことは出来ないわ」

「は?つーか、テニス部の戸塚はわかんだけど、あんた達関係なくない?」

「私達奉仕部は、テニス部員の戸塚彩加くんから正式に依頼を受理して彼の練習を手伝っているの。遊んでるわけではないわ」

「そーなん戸塚?」

「う、うん。僕一人じゃ昼練にも限界があったから、雪ノ下さん達にお手伝いをお願いしたんだ」

「ならこう言うのはどうかな?」

 

 三浦の後ろから、金髪の爽やかイケメンが爽やかに口を挟んで来た。

 爽やかに口を挟むってなんだよ。

 だが、この男が、葉山隼人がこのタイミングで場を執り持つ様に出しゃばってくるのは、何故か俺の中では確信に近いものがあった。

 

「雪ノ下さん達と俺たちでテニス勝負をして、勝った方がテニスコートを使う。戸塚も上手い方に教えてもらったほうがいいだろう?」

「馬鹿馬鹿しい理論ね。そもそもの問題としてあなた達はここを使用できる資格を持っていないのよ?まずその勝負をするための前提条件がクリアされていないわ」

 

 葉山の言い分はこの場を丸く収めるための最適解なのだろう。みんなが納得するためにはどうすればいいか。だが、雪ノ下雪乃にそれは通用しない。

 雪ノ下の言う通り、その勝負をするためにはテニスコートの使用許可が必要で、彼らはそれを持っていない。つまり勝負をする事なんてはなから不可能なのだ。葉山のやつも、それもそうか、なんて言って黙ってしまった。

 

「え、なに?雪ノ下さんもしかして自信ないとか?まぁそーだよねー。あーしに負けるくらいなら最初っから勝負なんてしないか」

 

 あ、おいばか三浦。そんな挑発するような態度取ったら.........

 

「......いいじゃない。そこまで言うならこの私が直々に叩き潰してあげるわ。後悔しても知らないわよ?」

 

 こいつの負けず嫌いが発動しちゃうだろうがよ......。

 

 

 

 

 

 

 

 そして始まったテニスの試合。

 何故か混合ダブルスで、俺と雪ノ下vs葉山と三浦。

 どこからか話を聞きつけて来たのか、いつの間にか観客も増えている。

 特に葉山信者が多いようで

「HA・YA・TO!フゥ!HA・YA・TO!フゥ!」

 謎のコールとか

「葉山せんぱ〜い、頑張ってくださーい!」

 黄色い声援というか甘ったらしいあざとい声とかが聞こえて来たりする。

 うーん、これ完全にアウェーですね。

 だがぼっちに取ってはいつもどこでも完全アウェー。俺と雪ノ下には慣れたものだ。

 

「比企谷くん。あなたは前で構えているだけでいいわ」

「は?いや、そうは言ってもだな......」

 

 タブルスなのだから、なんとか二人で協力しあわなければならないだろう。

 雪ノ下にそう言おうと思って振り返ると、ビュッ、と顔の横を黄色い何かが高速で通っていった。

 

「え?」

 

 それは誰のあげた声だったか。

 俺だったかもしれないし、三浦か葉山だったかもしれないし、野次馬どもの誰かだったかもしれない。

 何にせよ、俺の頬を掠めたそのボールは、相手に反応することすら許さずフェンスへと突き刺さった。

 

「三浦さん。彼女は確か中学の時、それなりのテニスプレイヤーだったそうね」

「そ、それがどうかしたのか?」

「いえ、そのプライドをこれから圧し折ってやれると思うと、楽しくなって来ただけよ」

 

 こ、怖ぇ......。

 このドS、目がマジだよ。ドSのん発動しちゃってるよ!

 

 続けて放たれる雪ノ下のサーブ。

 今度は三浦がなんとかそれに食らいついたようで、こちらもまた強烈なボールを打ってくる。しかもコースも雪ノ下が立っている位置とは真逆。

 それでも、雪ノ下はなんの苦もなくそのボールを打ち返し得点を捥ぎ取る。

 それなりにラリーが続く時があれども、あちらさんの隙を見て雪ノ下の強烈なスマッシュが炸裂するので殆どワンサイドゲームのようなものだ。

 

「お前、よく三浦の球返せるな......」

 

 雪ノ下の活躍がヤバイが、三浦の方も負けてはいないのだ。単純なパワーだけなら三浦の方が上だろう。しかもコントロールも悪くないのでかなり絶妙なラインを攻めてくる。

 

「だって彼女、私に嫌がらせをする女子と同じ表情をしているもの。その手の輩の考えてる事なんて手に取るように分かるわ」

「頼もしいなおい。ならその調子でチャチャッと決めちゃってくれよ」

「悪いのだけれど、それは無理な相談ね」

「は?」

 

 俺が振り返って雪ノ下の方を向いたのと、三浦がサーブを打ったのは同時だった。

 しかし雪ノ下はボールに反応する事はなく、あろうことかその場にへたり込んでしまった。

 

「お、おい雪ノ下、大丈夫か⁉︎」

「ねえ比企谷くん。私ね、テニスだけに限らず大抵のことは、三日もあれば習得する事が出来たの」

「いきなり何、自慢?」

 

 心配になったので雪ノ下の方に駆け寄って手を差し出す。

 その手を取ってくれた雪ノ下は、自嘲気味に話を続けた。

 

「だからかしらね、継続して何かに打ち込むと言うことが無かったから、体力が致命的に欠けているのよ」

「致命的に欠けてるって、テニス一試合持たないのは流石に......」

「聞こえてんですけどー?」

 

 獲物を見つけた肉食獣のように、獰猛な笑みを浮かべる三浦。

 マズイな。次のサーブはこちらからで、俺たちはあと二ポイント取らなければならない。

 一応時間的な問題から五ポイント先取のデュースは無しと決めているが、雪ノ下が動けない以上、俺一人で二ポイント取る必要がある。

 あの三浦と葉山相手に俺一人で?無理ゲーにも程がある。

 

「なんかしゃしゃってくれたけどさぁ、流石にもう終わりっしょ」

「あら、そうかしら?」

 

 雪ノ下の言葉に、その場にいる全員が耳を傾ける中、こいつはとんでも無いことを口にした。

 

「その男が勝負を着けるから、黙って敗北してなさい」

 

 ギャラリーも、三浦と葉山も、戸塚も、いつの間にか戻って来ていた由比ヶ浜も、勿論俺も。

 全員が全員耳を疑う。

 俺が?勝負を着ける?

 

「比企谷くん」

「......あんだよ」

「私を嘘つきにしないでね」

 

 そう言われて仕舞えば、信頼に応えるしか無くなる。

 雪ノ下からボールを受け取り、サーブの位置につく。

 いつもならベストプレイスで心地いい風を浴びつつ飯を食い終わってる頃合いか。

 

 さてと、ああ言われたからには勝つしかなくなったわけだが。

 俺の打った球は、ポーンと力なく弧を描きコートの向こう側へと放たれる。

 

「よっしゃ、貰い!」

 

 前衛の三浦が落下予想地点まで走る。

 しかし三浦、お前は知らない。臨海部に位置するここで、この時間に吹く心地いい風の事を。

 風に攫われたボールは、三浦の向かった先とは正反対に落ち、バウンドしてもう一度宙に舞う。

 それを追いかける後衛の葉山。

 そして葉山、お前も知らない。その風が吹くのは一度では無い事を。

 再び風の影響を受けたボールは、またしても葉山の予想していた地点とは違う場所に落ちる。

 誰もがその一連の流れを見て、口を噤み、目を見開いていた。

 

「そう言えば聞いたことがある......!風を意のままに操りし伝説の技!『風を継ぐもの・風精悪戯(オイレンシルフィード)』!!」

 

 空気を読まない材木座だけが大声を張り上げた。

 なんだよその名前ちょっとかっこいいな。

 

「ありえないし......」

 

 三浦が驚愕のあまり呟く。

 俺の前方に位置する雪ノ下は勝気な笑みを浮かべる。いやなんでお前がそんなドヤ顔なんですかね。

 ギャラリー達も口々に「風精悪戯......?」「風精悪戯......!」と声を上げる。いや、受け入れちゃダメだろ。

 

「やられた。まさしく『魔球』だな」

「......なぁ葉山。お前さ、小さい頃野球ってやったか?」

「ああ、良くやったよ」

 

 ネット越しにボールを渡してくれる葉山は、まるで十年来の友人のような笑みを携えていた。

 こう言う時は本当反応に困る。だから、なんの脈絡もない話をしてしまった。

 

「何人でやった?」

「普通は十八人だろ?」

「だよな。でも、俺はよく一人でやってたぜ」

 

 要領を得ない俺の答えに、葉山は困惑する一方だ。

 

 葉山隼人、きっと、お前は昔から人に好かれていたのだろう。そして色んな人に信頼を寄せられたことだろう。

 だからこそ、お前には分からない。

 周囲に信頼出来るような人間がおらず、何もかもを一人でこなして来た俺のような人間が。

 だからこそ、お前には理解されたくない。

 周囲に俺を信頼してくれるような人間がおらず、何もかもを自分のためだけにこなして来た俺のような人間を。

 そんな俺を、初めて信頼してくれる他人が出来たんだ。ちょっとくらいカッコつけて本気出してもバチは当たらないよな。

 

 感情のままにサーブを打つ体勢に入った。

 体を半身にして弓のように引き絞る。そして、ボールを高く放り投げた。グリップを両手で握り直し、首の後ろへと寝かす。

 さぁ、青春を楽しむ奴らへ俺が鉄槌を下してやろうではないか。

 

「っ!セイシュンのバカヤローーーーーーーーーーー!!!!!!!」

 

 アッパースイングでラケットの最も硬い部分、フレームにジャストミートしたボールは青い空へと吸い込まれていく。

 

「あ、あれは......『空駆けし破壊神・隕鉄滅殺(メテオストライク)』!!」

 

 メテオストライク......、と観客の唖然とした声が。だから、受け入れちゃダメだろ。

 それにあれはそんな大層なもんではない。ただのキャッチャーフライだ。

 リア充どもが群れをなしている間も、一人で黙々と打ち上げた俺の青春の象徴。奴らに下す最強の一撃。

 

「なにそれ......意味わかんないし......」

「優美子、下がれ!」

 

 落下して来たボールはワンバウンドした所でそのエネルギーを爆発させる。

 再び舞うボール。それを追いかける三浦。

 ってやべ、あのままじゃ三浦がフェンスにぶつかる。

 

「っ!優美子!」

「え?きゃぁ!」

 

 ラケットを捨てて走る葉山。

 砂煙に二人の姿が隠される。

 間に合ったか?間に合ったのか⁉︎

 誰もが固唾を飲み、一言も発さず静寂に包まれる中、晴れた砂煙から出て来たのは、フェンスに背をぶつけた葉山と、その胸元に抱きかかえられた三浦だった。

 ドッと湧く歓声。

 先ほどまでの静寂が嘘かのような葉山コール。ファンファーレの代わりにチャイムが鳴る。

 わっしょいわっしょいと胴上げをしながら、彼らはテニスコートを出て行った。

 FIN。

 なにこれ。

 

 

 

 

 

 

「ヒッキー!ゆきのーん!」

 

 試合の途中で戻って来ていた由比ヶ浜が雪ノ下に駆け寄る。

 どうやら試合中に戸塚の怪我の処置はしてくれていたらしい。

 

「もう、びっくりしたよ!戻って来たらなんか優美子達と試合してたもん!」

「私も最初はそんなつもりは無かったのだけれどね」

「いや、喧嘩ふっかけて来たのは向こうだけどそれに乗ったのはお前だろ......」

 

 あの負けず嫌いは直した方がいいんじゃなかろうか。いつか痛い目に遭いそうで八幡心配ですよ。

 

「それにしても......」

「ん、なに?」

「いえ、何でもないわ。由比ヶ浜さん、念の為戸塚くんを保健室に連れて行ってあげてくれるかしら?」

「うん、分かった!」

 

 ベンチに座る戸塚の方に走る由比ヶ浜。あいつ元気だな。

 その後戸塚は俺たちに礼を言い、由比ヶ浜と材木座に連れ添われて保健室へと向かって行った。材木座別にいらなくない?あいつ早く教室戻れよ。

 

「過程は違っても、結果は同じなのね......」

「なんか言ったか?」

「いえ、試合に勝って勝負に負けた、と言ったのよ」

 

 小さい声で呟いた雪ノ下の言葉は上手く聞き取れなかった。多分、全く別のことを呟いていたのだろうが、詮索する必要もない。

 

「そもそも俺とあいつらとじゃ勝負にすらなってねぇよ。あいつらにとっちゃ試合も勝負もどーでも良かったんだろ」

 

 どうせこの試合に勝っても負けても、彼ら彼女らはこれを青春の一ページとして刻むのみ。どうせ深い意味なんてありはしない。

 

「でも、何かを成したのにそれを誰にも見てもらえないと言うのは、悲しい事だわ」

「何の話だよ」

「あなたの話よ」

 

 別に、そんなんじゃない。

 俺は雪ノ下の信頼に応えて試合に勝った。その結果として勝負に負けた。ただそれだけだ。誰にも見られていない、誰にも評価されないなんてのはぼっちである俺にとっては日常茶飯事。悲しい事でもなんでもない。

 

「だから、私が見ていてあげるわ」

 

 であるはずなのに。

 雪ノ下のその言葉は、俺の心に酷く響いた。

 

「今後やってくる依頼を、あなたがどのように解決するのか、否定も反対もしてあげるわ」

「......ちょっとは肯定してくれませんかね」

「それでは意味ないじゃない。あなたのやり方、嫌いだもの」

 

 ふふ、と悪戯な笑みでそう言った雪ノ下。

 口をついてるのはいつもの罵倒である筈なのに、その笑みについ心を奪われそうになってしまった。

 




これにて原作一巻分終わりです。

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