カワルミライ   作:れーるがん

7 / 52
今回から二巻の内容となります。


2
やがて、彼女もその部屋へ。


「職場見学の場所は自宅を希望する、か」

 

 職員室の奥にはパーテーションで区切られた応対用の一角がある。

 そこにある黒革のソファに座って、生徒指導である平塚先生は俺の職場見学希望調査票を読み上げた。

 働く事の無意味さを滔々と語ってあったわけだが、どうやら先生にはご理解いただけなかったご様子で。

 ヒラヒラと、平塚先生の手を離れたプリントはテーブルの上に落ち、その上に平塚先生のピンヒールがドン!と置かれた。

 

「なぁ比企谷。お前は私を怒らせたいのか?」

 

 こめかみに血管が浮いてるあたり、マジでお怒りになっているらしい。

 

「や、やだなぁ先生!あんまりイライラすると小皺が増えるって言うから俺は出来る限り先生を怒らせまいと」

「衝撃のォ!ファースト・ブリッドォォォォォ!!」

 

 ゴスッと鈍い音が鳴った。

 俺の腹に先生の拳が突き刺さった音だった。

 

「撃滅のセカンド・ブリッドを喰らいたくなければそこから先は言うな」

「は、はい」

「で?これはどう言う事だ比企谷」

 

 未だ痛みで腹を抑えながら蹲っている俺など見向きもせず、平塚先生は話を進める。

 ちょっと待って、微妙に鳩尾に入って上手く呼吸出来ないから。

 

「あのですね、昨今は男女雇用均等法なんかも出来て、女性が社会の表舞台に出る機会が増えているわけじゃないですか」

「ふむ。続けろ」

「しかし現状としては働いているのは男性の方が多いわけだ。この総武高校の教職員を見てもそれは明らかでしょう?

 なら、俺が働かないことによって少しでも男女のバランスを取るようにと思ってですね」

「はぁ......相変わらず屁理屈がお得意のようだな」

「いや別に屁理屈って訳じゃ」

「屁理屈だろうが。全く、奉仕部での活動は君に何か影響を与えなかったものなのかね」

 

 影響って言ってもなぁ。あそこ、簡単に言っちゃえば問題児を一纏めにしておくサナトリウムみたいなものだし。

 だが奉仕部で、と言えば一つだけ。

 

「まぁ、一つだけ気になることが無いとも言えないですけど」

「ほお?言ってみたまえ」

「その、部室にいる時なんすけど、なんか胸が痛いんですよね」

「は?」

 

 平塚先生は何言ってんだこいつと言わんばかりの呆け顔をしてみせた。失礼な表情だな。

 

「それは私への当てつけか?」

「いや、なんで先生への当てつけになるんすか」

 

 こっちは割と真剣に悩んでるのに。

 奉仕部にいる時、具体的には雪ノ下雪乃が絡んでいるあれやこれやを考えたりする時だ。そう言う時、何故か胸の奥が痛いと言うか、苦しいと言うか、モヤモヤする。

 色々と考えてみたが全くもって原因が分からない。

 

「本当に理解していないのか?」

「分かってたんなら先生に相談してたりしませんよ」

「そうか......。奉仕部以外では?」

「夜にメールしてる時とか、ですかね」

「差し支えなければメールの相手を教えてもらっても?」

「雪ノ下です。俺あいつに呪われてるんですかね」

「成る程......」

 

 いや、分かったような顔しないで教えてくれませんかね。じゃないと今後雪ノ下が丑の刻参りしてる疑惑をかけなければならなくなる。

 平塚先生は一つ頷いて、諭すように言った。

 

「まぁ、ある意味君のそれは呪いだろうな。それもとても厄介なものだ」

「え、やっぱ俺雪ノ下に呪われてんの?あいつに嫌われるようなことした覚えないんだけどな......」

「雪ノ下に嫌われるのは嫌か?」

「そりゃ、まぁ。同じ部活に所属してる以上は嫌われないに越したことはないでしょ」

 

 そうなっちゃったら本格的に学校での居場所が無くなっちゃうまである。

 

「そこを奉仕部抜きに考えてみたまえ。私から言えるのはこれくらいだ。さて、迎えが来たようだぞ」

 

 平塚先生に促される形で背後に振り向くと、俺の所属している奉仕部の部長である雪ノ下雪乃と、部員である由比ヶ浜結衣がいた。

 

「ヒッキーやっと見つけた!探したんだからね!」

「比企谷を探しにきたのか」

「いつまで経っても部室に来ないので、由比ヶ浜さんが探しに行こうと言って聞かなかったんです。電話にも出ないし......」

 

 え、マジで?雪ノ下から電話きてたのん?

 ポケットのスマホを確認すると、確かに着信が一件入っている。これは悪いことをしたな。

 

「あー、悪い。全然気がつかなかった」

「みんなに聞いて回っても『比企谷?誰それ?』みたいな反応ばっかりだし」

「おい由比ヶ浜、今その情報はいらなかっただろ」

 

 いや分かってたけどね?俺のことなんて知ってるやつ、この学校に殆どいないって。なんならクラスの奴らからも名前をちゃんと覚えてもらってないし。誰だよヒキタニくん。

 

「だ、だからさ......連絡先交換、しよ?」

「は?いや、そんな業務連絡程度だったら別にいいだろ。雪ノ下のアドレス知ってるし」

「観念して教えてあげたらどうかしら。私以外の女子のアドレスなんて貴重よ?どうせ私以外とは女子とメールのやり取りなんてしたことないでしょうし」

「ばか、ばっかお前。俺レベルとなると中学の時バリバリ女子とメールしてたっての」

「嘘......」

 

 俺の言葉に驚いたのか、由比ヶ浜がその手から携帯を取りこぼした。

 ちょっと、その反応結構酷いものだって分かってます?

 

「しかもその相手の子もめっちゃ健康的なこだったんだぞ。なんせ夜の七時にメールをしたら翌朝に『ごめーん、寝ちゃってて気づかなかったー』って返ってくるくらいだからな」

「うっ......、ヒッキーそれは......」

「比企谷くん、辛いのは分かるけど現実を見なさい。それは寝ていたのではなくてあなたとメールのやり取りをしたくなかっただけよ」

「言われなくても分かってるよ!」

 

 なんでこいつは態々俺の古傷をクリティカルに抉ってくるのかな。やっぱり俺呪われてるんじゃね?

 

「ま、アドレスくらい別に教えてやっても良いけどな。減るもんでもないし」

「あ、うん。ありがと。って、私が打つんだ......」

 

 そう言って由比ヶ浜に自分のスマホを手渡す。いや、だって赤外線とか無いし。別に見られて困るようなものも無いし。

 

「比企谷、辛かったな......。よし、私のアドレスも登録しておいてやろう!」

 

 やめて!先生のそれは息子を哀れに思った母ちゃんの気遣い的なそれを感じるから!

 

「ああそうだ、三人とも。あとで部室に依頼人を連れて行くから、向こうで待っていたまえ」

「また仕事ですか......」

「諦めなさい比企谷くん。あなたはどうせ嫌よ嫌よと言いながらやってしまう人間よ」

 

 はぁ、自分の社畜根性が恨めしいぜ......。

 

 

 

 

 

 

 奉仕部の部室に戻り、いつものように雪ノ下の淹れた紅茶を飲みながら、読書をしたり携帯を弄ったりと、それぞれが思い思いに過ごしていた。

 俺は案外この時間が嫌いでは無い。

 心地の良い静寂。

 リア充どもに良くある、喋らないといけないと強迫観念に突き動かされる訳でもない。

 だと言うのに、俺の心の中は酷く煩かった。

 チラリと雪ノ下の方を盗み見る。たったそれだけの行為でも何故か胸の奥に言葉にできないモヤモヤチクチクしたものが広がる気がする。

 あまり考えすぎても仕方がないかと、視線を雪ノ下から眼下のラノベに移そうとした時、由比ヶ浜のうへぇ、と言った表情が視界に移った。

 

「どしたのお前?」

「え?あー、ちょっとね。クラスに回ってるメールがあってさ。って、なんかごめんね。ヒッキーに言っても仕方ないよね」

「おい、俺も立派なクラスメイトだぞ」

 

 名前覚えられてないけどね!

 

「チェーンメール、と言うやつかしら?」

「うん。なんか最近こう言うの多いんだ」

 

 それ以上見るのは嫌になったのか、パタンと閉じて携帯をポケットに仕舞う由比ヶ浜。

 て言うかお前のその携帯なんでそんなにキーホルダーとかついてるの?キーホルダーなんだからキーに付けろよ。

 暇潰しの道具がなくなったからか、由比ヶ浜は暇そうにしているが、そんな時になんの前触れもなく部室の扉が開かれた。

 

「邪魔するぞー」

「平塚先生、入るときはノックをと......」

「悪い悪い。さっき言ってた依頼人を連れて来たんだ」

 

 全く悪びれもせずに話を進める平塚先生。

 俺が来た時もこんな感じだったなぁ。普通はノックくらいするのがマナーってもんでしょうに。そんなんだから結婚できないのでは?

 閑話休題

 平塚先生の入って良いぞ、と言う言葉に促されて部室の扉を潜ったのは、亜麻色の髪をした一年の女子だ。因みに学年は上履きの色で判別出来る。

 はて、この女子生徒、どこかで見た覚えがあるような......。

 

「え?」

 

 その声は誰が発したものなのか。

 声の元を辿って目をやると、雪ノ下が酷く驚いた顔をしていた。

 

「一色、さん......?」

「なんだ、雪ノ下と知り合いだったのか?」

「あ、いえ、私が一方的に知っているだけです。少し、知る機会があったので」

 

 そうは言うが、雪ノ下の表情からは未だに驚愕と困惑の二つの色が見て取れる。

 その一方で、隣に座る由比ヶ浜はと言うと

 

「あ、いろはちゃんだ!やっはろー!」

「こんにちはです結衣先輩」

 

 どうやら由比ヶ浜とは本当に知り合いらしい。

 

「由比ヶ浜とは知り合いだったか。なら丁度良かった。こいつの相談はちょっとばかりややこしくてな。まぁ話を聞いてやってくれ。それじゃ後は任せた」

 

 んー、いつも通りこっちに全部投げますか。

 ややこしい依頼って聞いただけでやる気がなくなって来てるんですがどうしましょうか。

 

「一色いろはさんね。取り敢えず、座ってくれるかしら」

 

 言われて依頼人の席に座る一色いろは。

 なんと言うか、その行動にどこか引っかかるものを感じた。俺の長年培って来たぼっちセンサーに反応がある。なにその悲しいセンサー。

 

「それで、依頼というのは?」

「あのですね、私、今はサッカー部のマネやってるんですけどー、次の生徒会選挙で生徒会長やってみたいなーって思いましてー」

 

 無駄に間延びされたキャピキャピと甘ったらしい声色。

 今ので完璧に分かったね。こいつあざとい。

 周囲に自分を可愛く見せようとしている。仮面を被り、男どもを手玉にとって弄ぶ。

 詰まる所、俺の敵。

 

「生徒会長って、いろはちゃんそう言うのやるんだ」

「つーか、会長やるにしてもまずはそのあざといのなんとかしろ。そんな事してたらお前、女子の大半は敵になるぞ」

 

 俺の言葉に、一色は一瞬ボケーとバカみたいな顔を晒していたが、次の瞬間には元に戻っていた。

 

「あざといってなんですかー?私よく分かんないんですけど?」

「そう言うのだよ。そうやって自分は可愛いですよーってアピールして、男の庇護欲を掻き立てられるような言動。他のバカどもなら兎も角、俺には通じんぞ」

 

 頬が引き攣る一色。残念だったな、俺のこの腐った目には貴様の事なんて丸っとお見通しだわ!

 

「で?なんでまた一年から会長なんてやりたいとか思ったんだよ」

「あー、えっと、私にもよく分からないんですけど、入学してからなんか途端にやらなきゃー、みたいな感じに思っちゃいまして......」

 

 随分とふわふわした動機だな。

 中学の頃にもやってたからって訳でも無ければ、野心があってとかでもない。

 ただやりたくなったから。

 志望動機としては弱すぎる。

 

「んで俺たちにどうしろと?」

「平塚先生に聞いたんですけど、この部活って生徒のお悩み相談とかしてるんですよね?なら私もそれを手伝って、今のうちに名前を売っておく、みたいな?」

 

 うーん、打算的だなー。あざといどころか良い性格をしてらっしゃるご様子で。

 聞けば、平塚先生の伝手で生徒会にも顔を出したは手伝いをしたりと、それなりに本格的に動いているらしい。正直そっちだけでも十分だとは思うんだけどな。

 

「どうする雪ノ下。........雪ノ下?」

「ゆきのん?」

「え?あ、ごめんなさい。少し考え事をしていたわ」

 

 珍しい事もあるもんだ。依頼人そっちのけで考え事とは。いや、そう言えるだけこいつと依頼をこなして来た訳でもないんだが。

 先ほどまでの表情は完全に抜け落ち、いつもの凜とした表情に戻ってはいるが、なんだかまだ本調子ではないような気がした。

 

「つまり、一色さんは奉仕部に入部したい、と言う事で良いのかしら?」

「入部とかじゃないんですけど、先輩方のお手伝いが出来ればなーって。それに......」

「どうかしたのいろはちゃん?」

「い、いえ。何でもないです。兎に角、私は選挙に向けて顔を売ることができて、先輩方は依頼をこなす人員が増える。これでwin-winじゃないですか?」

「まぁ、それもそうだけどよ......」

 

 俺としては人手が増える事で俺に割り当てられる仕事の量も減るからそれで良いんだが。

 でも、しかし。彼女が、一色いろはが今この場にいる事が、酷くおかしな事に思えて仕方がない。

 

「一色さんの依頼は、生徒会長になる為のサポート、と言う事でいいのかしら?」

「はい。だいたいそー言う感じです」

「分かりました。では、生徒会の手伝いやサッカー部の方もあるだろうし、来れる時に来てくれたらいいわ」

「りょーかいです!」

 

 手を上げて敬礼のポーズをしてみせる一色。なんだよそれあざといな。

 

「でも、依頼来ない時って大体暇だよねー」

「ま、大概はお茶飲んだり本読んだり携帯弄ったりしてるだけだしな」

「依頼人も今の所四人しか来ていない訳だしね」

「四人?私も合わせて三人じゃない?」

「平塚先生からその男の更生も依頼されてるのよ」

「え、先輩何かやらかしたんですか?」

「別になんもやらかしてねぇよ。変な作文書いた罰で強制的に部活動に勤しんでるだけだ」

「それってどんな作文?」

「あら、丁度いい機会じゃない。比企谷くん渾身の作文をここで読み上げてみたら?」

 

 三人の視線が俺に集中する。や、やめろ、そんな目で俺を見るな!そんなキラキラした目で見られたって読まないからね!て言うか一々書いた内容とか覚えてないし!

 どうやってこの場を切り抜けようかと考えていると、部室の扉がノックされた。

 ふぅ、どうやら依頼人に助けられたらしいぜ。

 俺を辱めるチャンスを逃したからか、雪ノ下は気持ち落ち込んだ様子でどうぞ、と返した。

 

「よかったな一色。早速初仕事だぞ」

「私的にはもう帰る予定だったんですけどねー」

 

 開かれる部室の扉。失礼します、と言って入って来たのは金髪にピンパーマを当てた爽やか野郎、葉山隼人だった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。