特に因縁などはありません。
アマゾネスの女王、ペンテレイシアにはどうしても許せないことがある。
1つは数人のギリシャ英雄。愛すべき姉妹を拐かし、アマゾネスの国を荒らしたヘラクレスやテセウスなどだ。
そして、そんな彼女が許せないもう1つは――。
「ビューティホー」
そのどうしても許せない言葉を聞いた。
黒く反転した凶眼で声がした方向睨みつける。白皙の美貌を怒りに歪ませ、むき出しにされた犬歯がぎりしと軋んだ。
雪のごとき白い肌、さらりとしたきめの細かい髪、万人が美しいと感じる整った顔立ち。
それらの美しい要素は、彼女にとって煩わしくてしょうがない、恥の証であった。
であるゆえに、
「―――■■■■ッッ」
そこに触れるのであれば、彼女は
「おっと、なにかの地雷だったのかい? そりゃすまねぇ。しなやかで美しい筋肉だったから思わず褒めちまったが、気に障っちまったようだ」
「――――………。私の容姿に対していったのではないか?」
「ん? いや、見た目も美人だが、それ以上に筋肉だな。そのしなやかに引き締まった筋肉、さぞや強い戦士とみたが、どうだ?」
「ふむ……、なるほど、戦士としての評価であったか。ならば許そう」
頷き、怒気を解くペンテレイシア。双眼は元の金瞳に戻り、凛々しく強い意志を宿したものへと戻る。
その瞳が目の前の男を捕える。それは野性味あふれる男であった。
明らかな背丈の差、頭2つ分は違いがあるが、ペンテレイシアは堂々としたたたずまいでその男と相対する。小柄な彼女であるが、何を恐れる必要はあるだろうか、と言わんばかりに背筋を伸し、凛とした姿勢である。
「して、貴様はなんという。まさか、褒めるためだけに声をかけたのではないだろう?」
「あーいや……」
バツが悪そうに男、ベオウルフが頭を掻く。
盛り上がった胸板、太い腕――上半身が裸体であるため、それらの均整がとれつつもがっつりとついた筋肉が惜しげもなくさらされている。両肩から上腕、二の腕にかけて入れ墨がはいっており、顔や胸板には獣からつけられたであろう爪の傷痕が明確に残っていた。
それらすべてが見事に合わさり、粗野ながらも伊達男という一見矛盾したものが見事になりたっているのが、この男、ベオウルフの印象であった。
「ぶっちゃけ、見掛けたからつい声にでちまっただけなんだよなぁ……」
「なんだ、それは……。まぁいい、女王は寛大だ。戦士としての賛辞であるなら構わん。しかし、用がないならもう行くぞ」
「いや、待て。用は今できた」
「ほう? なんだ」
「あんた、やるんだろ?」
ベオウルフが拳を握り、前に突き出す。
金の腕輪の先、細かい傷が幾多にも入った拳。
指は太く、肉厚で、酷使されたのが見て取れた。
使い込んでいるのだろう、拳骨の部分は尖り、突き出ていた。
「なるほど」
その様を見て、ペンテレイシアは面白そうに微笑み。
「――もちろんだ」
そして、ベオウルフと自らの拳を付き合わせた。
骨と骨があたる硬い感触、かんっと乾いた音が鳴る。
ベオウルフに比べると小さく拳。二回り以上も小さいそれははたから見ると子供と大人のようだ。肌色が白いせいもあるのだろう、見た目以上に細く、しなやかな指はとても殴ることに向いているようには見えない。
これは戦神アレスが彼女にもたらした祝福――ある種の呪い――である、黄金律(体)も深くかかわっているのだろう。神のもたらした祝福は彼女に完璧ともいえる美を約束し、そう育たないことを許さない。その美しさゆえに、最後の戦いに信じられない屈辱をもたらされた彼女は、その時の年齢で召喚されることを拒み、それよりも幼い時分で召喚された。
故に、まだまだ未熟な時の拳なのだ。
しかし、それでも、この男に遅れを取るつもりはなかった。
†
人理保証機関フィフス・カルデア。
魔術では観測できず、科学では測定できない世界を観測し、人類の決定的な破滅を防ぐために各国共同で作られた特務機関である。
ペンテレイシア、ベオウルフの両名は、そこに召喚された英霊の現身――すなわちサーヴァントであった。
サーヴァントは英霊の座という本体に登録された英霊たちにサーヴァントとしての制限と仮の身体を与えてこの世で活動できるようにした存在である。
二人が与えられたのはバーサーカーとしての体である。
バーサーカー、“狂化”という理性と引き換えに身体的を強化するクラスである。
故に、一度、闘志に火がつくと自分では抗えない衝動に身を焦がされ、周囲を殲滅する暴虐の化身へと変貌するクラス――なのだが、二人ともその狂化の仕方が特殊であった。
ペンテレイシアは、普段は理性を保っており、特定条件下――前述の自らが許せないもの――とかかわったときに狂化が発動する仕様である。
対するベオウルフは老いても冷静に竜を退治した逸話から狂化がほとんど機能しておらず、自ら保有する別スキルを使用した時のみ、狂化のスキルが飛躍的に強化される特殊な仕様だ。
しかし―――、
「爆ぜよ―――ッ!」
乾いた音が響く。ペンテレイシアの拳がベオウルフの頬に突き刺さる。
小柄な少女とは思えないほど体重の乗った打撃。ベオウルフの顔が勢いよく横を向いた。
しかし、彼にひるむ様子はなく、僅かに笑みすら浮かべ、容赦なく反撃する。
眼前にまで引いた拳をためらいもなく突き出し、自らと同じくペンテレイシアの頬を殴りとばした。がじりと唇が切れる。
しかし、負けじと、彼女もベオウルフの足先を踏みつけると、殴りつけた腕に爪をたて握り、踏み込みながら肘を口へと叩き込んだ。
さしものタフガイも顔がのけぞり、前歯が砕け飛んだ。
これを好機とばかりに、股間を膝で蹴り上げると、両肩を掴み、数度の頭突きを顔に突き出した。
「――――ッッ!!」
めしゃりという音と共に鼻がつぶれ、ぼたりぼたりと血が床へと落ちる。
このまま勝負が決まってしまうかと思われた矢先、ベオウルフは口角を吊り上げながら、同じく頭突きをやり返す。鈍く固いものが互いにぶつかり合う音を響かせ、二人の動きが一瞬止まった。
額を付き合わせながら、二人は互いに見つめ合う。ペンテレイシアは目の前に戦士を睨みつけ、ベオウルフは目の前の戦士を見つめ笑った。
そして、ペンテレイシアの脇下に腕を突っ込むと、抱きしめるような形で全身、自ら事壁へとたたきつける。反動で二人が後退した隙を狙い、髪を掴むと、その幾度も拳で殴りつけた。
うっすらと腹筋が浮いた腹に幾度も拳が突き刺さり、仄かに赤く染まっていく、それをペンテレイシアは歯を食いしばって耐えながら顔の十字防御は解かない。腹は囮―――否、腹でダウンするならそれでより、腹の攻撃に耐えかねて防御を解いた瞬間に顔を殴りつけるのがベオウルフの狙いであろう。だから、顔の前で交差した腕を――
解いた。
そこに狙ったようにベオウルフの拳が顔面に突き刺さる。均整の取れた鼻が上へと折れ曲がり、まるで豚の様に醜悪となる。
しかし、同時に殴りつける隙を狙った
「ハッ―――!!」
「フッ―――!!」
――しかし、いまはそれは関係がない。
あの狂化によりもたらされる熱狂的な戦意も、目の前の物を壊さずにはいられない凶暴性も、今は関係がない。
目の前にいる戦士は強い。互いに一目でそれはわかった。
そして、己には拳があった。ならば、どちらが強いのか?
その疑問を晴らすために――否。
否、否、否。
強いのは自分に決まっている。そんな|自負<エゴ>に突き動かされて――
―――いや、それすらも余計だ。
そう、ただ。
ただ、純粋に。
“こいつと殴り会ったらどうなるかやってみたい”
そう、二人が拳を振り上げた理由はそんな些細な物であった。
「オラァ、どうしたぁ!」
「ッッ、――ゥゥゥゥ、ァァァアアアッッ!」
ベオウルフが力任せにペンテレイシアの髪を引っ張り、無理やり地面へと転がす。
彼女の柔らかな腹に膝を乗せ、殴りかかる。狙いは顔。
白い頬が殴り飛ばされ、切れた唇から血が滲み、赤く染まっていく。
幾度か間違えて地面を殴りつけてしまったが気にしない。今は勢いで押すタイミングだ。
ペンテレイシアが何度か腕を掴もうとし、失敗したが、ついにベオウルフの腕をつかみ、引っ張り、折れた歯を気にせずに噛みついた。
「ゥゥゥゥウウウッ!!」
「グッ…‥ッ!」
ベオウルフの顔に苦悶の表情が浮かび、ペンテレイシアの歯が彼の肉に突き刺さり、そのまま彼の前腕をかみちぎった。皮膚が千切れ、肉が露出し、じわりと浮き出た赤い血が、やがてどくりどくりと流れ出ていく。
ベオウルフが痛みに顔をしかめた瞬間、ペンテレイシアの脚が弾けるように動き、腕の内側に絡みつくと、そのまま、ベオウルフの腕を引っ掻け、外側とへ引っ張った。慌てて、ベオウルフが掴んでいた髪を離し、腕を引き抜き、その場から離脱した。
二人の間に距離が大きく空く。
「―――ゥ」
ペンテレイシアが唸る。一際強い魔力の発露。明らかに空気が変わった。
目が黒く塗りつぶされる。金眼が爛々と輝く。
宝具が来る、ベオウルフはそう直感する。
「――ウゥゥゥ、アァァァァ―――」
サーヴァントとして呼ばれる英霊とは生前なにか偉大なる業績を立て、死後にその功績が認められ英霊の座に登録された英雄である。
彼らはその人生を象徴する武装や必殺技を持つ。それを宝具と呼ぶ。
そして、アマゾネスの女王、ペンテレイシアの宝具は――。
「―――殺す、……殺す、殺す……ッ!!」
唸り声が雄たけびへと変貌する。
腕をだらりと下げる。体が一瞬縮む。
肉食獣が飛び掛かる様を連想させる姿勢。
自らに流れる戦神アレスの血が励起され、
「
ペンテレイシアには決して許せないものがある。
彼女が死することとなった、トロイア戦争におけるアキレウスとの一騎打ち。その戦いにおいて敗北した彼女に待ち受けていた最大の屈辱。
好奇心によりペンテレイシアの兜を剥いだアキレウスは彼女を見て“美しい”といったのだ。
その瞬間、彼女は激怒し、英霊の座に登録された後も決して忘れない屈辱を味わった。
もし、死力を尽くした相手を打ち倒せたなら、まず来るのは安堵、そして恐怖のはずだ。
倒れ伏した相手に対して『もう起きあがるな』『頼むからそのまま死んでくれ』『死なずにすんでよかった』、そのような感情のはずだ。
しかし、よりによってもやつは『美しい』といった。
ペンテレイシアが死力を尽くした戦いにおいて、奴は最後に彼女を戦士としてではなく女として扱ったのだ。
それがアマゾネスの女王であり、戦士としての誇りを重視するペンテレイシアにとってどれほどの屈辱であったか。
故に、彼女の宝具はアキレウスに対する復讐心が具現化したものだ。
激情が彼女を支配し、その気持ちが彼女に眠る戦神の血を励起させ、彼女の力を増幅する。そして、その破壊衝動そのままに敵に襲い掛かる対アキレウス用究極殺害戦技。
「――――
上半身を前傾させ、膝を曲げ、姿勢を低くする。
敵の攻撃を避けることなど考えない、突進力だけを重視した構え。
ペンテレイシアの脚の筋肉が膨張し、力強く地面を踏み抜いた。
数mはあった距離が一瞬でつぶされる。
白い弾丸と化したペンテレイシアは一息でベオウルフの目前に迫る。
それに対して、ベオウルフは『へっ』と笑うと。
自らの宝具を展開する。
双方の手にそれぞれ剣が出現する。
左手に出現した細い剣は
右手に出現した棍棒のように太い鉄の塊は
ともに魔剣である。前者はありとあらゆる武器が利かず、霧に紛れて兵士を連れ去る|魔物<グレンデル>退治に使われた一品であった。
後者は竜退治において、竜の頭蓋にたたきつけられた一品である。
怪物退治、それこそがベオウルフの物語といえる。
現在のデンマーク近辺の王。無辜の人々を苦しめる怪物を退治し、王となった後も私利私欲に走らず、よく国を治め、そして襲い掛かってきた竜と相討ちとなり果てる。
ベオウルフという英雄を象徴するならやはり、怪物を退治する逸話であろう。
この2つの武具はそれらの怪物と戦う際に使われた業物であった。
そして、人知を超えた怪物との戦いによる経験からベオウルフは、ペンテレイシアの攻撃が自らに致命的な傷を与えることを直感する。これを捌ききれなければ、屠られるのはベオウルフだ。
であるゆえに。
彼は獰猛に笑い。
自らの宝具、2つの武具を。
握り潰した。
†
自らの宝具が砕け、欠片が地面へと落ちる。
「はっ、つまり」
実際の所、怪物退治こそがベオウルフの話の主流を示すが、べオウルの宝具はそれらを成し得てはいない。なぜなら、フルンディングはグレンデルの体に意味をなさずに折れ、ネイリングは竜の頭蓋に阻まれ砕けてしまったからだ。
しかし、ベオウルフは人知を超えた怪物の退治に成功した。
「殴って蹴って立っていた方の勝ちってヤツよ!」
それはなぜか。
ベオウルフの拳が握られる。彼の浅黒い肌が黒く変色し、赤い闘気を纏う。
そう、彼が怪物を退治した決めてはいつもその拳である。
グレンデルはその腕を引きちぎり、火竜はその首を絞めあげ倒した。
その異常なまでの膂力。それこそがベオウルフの最大の武器である。
「
その生前の膂力を一時的に再現する。それこそが彼の宝具であった。
†
決着は瞬く間についた。
奇しくも二人の宝具の性質は似ている。
即ち、制限を外した状態での、または、自らを強化した状態での乱打だ。
一撃入れば、返礼とばかりに数撃、殴り返す。
互いに防御を忘れ、ただ、互いに攻撃に没頭する。
嵐のような乱打の果て、ペンテレイシアがベオウルフの喉元を食い千切り、同時に、ベオウルフの拳がペンテレイシアの腹部を貫いた。
ベオウルフが喉元を抑える。動脈ごと噛みちぎられたようで、鮮やかな血が抑えた手の間から溢れ、彼の身体を伝い、地面へと広がっていく。
ペンテレイシアは苦しそうに息を吐いた後、意地でも倒れる姿は見せない、というように背を壁にもたれ、浅い息を断続的に続けた。
二人は噛みしめるように薄く笑い、そして、同時に倒れたのだった。