容赦はしません。
苦手な人は無理しないように。
私はこんなシチュが見たいんだ!!
あらすじ読んどいてね。
『響・』と書かれた瓶が見える。
大切なものとして見せ付けるように棚の上段に置いてたそれを手にとった。瓶にはラベルが張ってあり、ぐるりと回せば『響・』の続きが目に入る。
『響・右腕』
瓶のなかには満遍なく閉じ込めた液体と、それにどっぷりと浸かる少女の右腕。防腐処理の効果によって綺麗なままのそれには、思わず美しさすら覚えてしまう。
薄桃色の爪。陶磁器みたいな白く細長い五本指。頼りない肉付きの細い腕。
多分、ひんやりと冷たい。
肘まで残った、女の身体。
まだこの右腕に神経が通ってた頃が酷く懐かしい。こんな小さな身体で僕を支えてくれてたんだと思うと、過去への感謝の念が込み上げてくる。
秘書艦としての書類整理に飽きたらず、戦闘でも多くの活躍をした。更には僕の不甲斐なさを同情してか、料理や洗濯なんかもやってくれた。これはそういう腕なんだ。
子供っぽいが彼女は聡明で優秀な性格をしている。だから一見頼りない腕に見えても実は違うのだと、僕は知っている。
噫、懐かしい。
あの頃の毎日が蘇る。
それと同時にハッとした。
僕は愚鈍故に記憶が曖昧で頼りなく、どうして今まで職務をこなせていたのかも思い出せないくらい堕落した人間なのに。過去を忘却しては置いていって、その場繋ぎで食って生きるだけの性格をしてるのに。
響との日々は次々と思い起こされている。
こうして眺めていると、普段白濁とした記憶が巡回しては正常に機能していくものだと気が付いた。
まるでこの白い指が怠惰で淡白な脳裏を撫で触るように、僕の思い出を釣り上げていくではないか。
もしかして。
──まだ生きているのでは?
この腕は瓶に浸かってる間は寝ているだけで、封を開き取り出し外気に触れれば、まだ動くのではないのかと。
僕の手を愛らしい五本指が再び絡めてくるのではないのかと。
そんな想像をした。
でもいつまで経とうが響の腕と僕の手を隔てるガラス瓶は変わろうとしてこない。冷たいままだ。当たり前であった。目の前にある思い出を保管する障害は、死ぬまで付きまとう呪いでもあるのだから。
理解はしている。
理解はしてるつもりだが。
でも。
衝動的に瓶を持つ指に力が入る。
勿論割らないよう加減はしてるが、それでも丁重な扱いとは言い難い。僕は響と違って感情にブレーキを掛けられるほど賢くないし、寧ろ愚かなほうだと自覚さえしている。
現に今もこうして右腕を眺めながらも情けない顔を晒し、あまつさえ泣きそうになっているのだ。
「司令官。また私の身体で泣いているのかい」
鈴の音のように透き通る声が聞こえた。
まだ寝ているとばかりに思っていたが、どうやらもう起きたらしい。まさかと思い時計を見れば、そろそろ夕刻を越えて、完全な夜になるなと気が付いた。
僕は響を気遣い、涙を拭いとって返事をする。
「……あ、ああ。悪い、夕食はもう少し待ってくれ」
彼女の前で感傷に浸るのは止すべきだろう。
そんなことを頭に浮かべ、『響・右腕』とラベルの貼られた瓶を元に戻す。
隣には同じ形状と大きさの瓶が三つ列び、各々にも似たようなラベルが施されていた。
もう二度と欠けてはいけない大切な物だ。
右腕入りの瓶に思い出があるように、他の三つにも僕と響との記憶が込められた一部が入っている。
「ねえ司令官。夕食も良いけど、今日はちょっとお話がしたい気分なんだ。起き上がるのに手を貸してくれないかな?」
響はそう言いながら身動ぎをする。
彼女の下に敷かれたシーツと肌の擦れる音がした。
「ああそうだな。今行くよ」
僕は平凡な返事をする。
別に断る理由もないので指示通りに彼女の下へと向かい、持ち上げるべく柔らかな肌に指を当てた。
相変わらずの餅肌で、思わず抱き締めて寝たくなるほどに柔らかい感触。
「よいっ、しょっと」
苦労もせずに、ふわりと浮かんだ。年齢の割りに合わないくらいとても軽い身体であった。
響の顔を見て、可愛らしいままだと安心する。最近では呼吸をする仕草すらも愛しくなってきたところだ。
不思議だ。
何故だか僕のなかで彼女の魅力が増えていく。
まるで足りないものを補うように。
元駆逐艦──元秘書艦──元艦娘──の響。
彼女には本来あるべき四肢が、一つ残らず欠けているのだ。
永遠とも呼ばれた深海棲艦との戦いの末に、名誉の負傷としては大きすぎる代償を響は支払うことになった。今はもう肘から先を失い、油分の溜まった腕をぷらぷらと揺らしては退屈な毎日を送っている。
日常生活もままならない響に対して、四肢を失う前に仮にとは言えケッコンしていた僕は、このように世話をする形で暮らしている。
四肢を保管したのは僕の意思であった。
右腕を眺めればかつての毎日が思い起こされるように、左腕も、右足も、左足も、過去の記憶が蓄積されている大切な身体の一部なんだと、当時の医者にわざわざ告げたのだ。
始めから捨てるなんて考えもしなかったが。
「これで良いか。どうだ響?」
「うん、問題ないよ。腰回りも痛くないし違和感も特にないね」
響を肘掛けのついた、足の長い子供用の椅子に座らせる。
僕は足を失ってる立場ではないから分からないが、どうにも座る際に腰回りが変に圧迫されたり、それで痛んだりと彼女なりの苦労があるそうだ。
「それにしても司令官、大分私を座らせるの上手くなったよね。一年前はかなり苦労をかけたのに」
「まあそこは日々の練習の賜物だよ。人形を使って何度か座らせたりと、僕なりの方法でコツを掴んだんだ」
「そっか……うん。それは嬉しいな」
響はにやけるように笑みを浮かべる。
不意を突かれたせいなのか、どうにも照れくさく感じてしまった。
いつもの流れだ。こうなるとお互いに沈黙が生まれてしまう。つい口走って、相手がそれを飲み込んで、恥ずかしさが先行してしまい動けなくなる。
再び響へと顔を向けた。よく見ると銀髪のロングヘアーが部屋の照明を乱反射するように美しく垂れ下がっている。唇はぷっくりと健康的な艶を帯びていた。
ふと、目線が会う。
多分時間にすれば十秒もなかった筈だが、先程までの恥じらいが残っていて、長い間彼女を見ているようであった。
そんな気がしてしまい、耐えられない。
何か話して打破しようと思ったところで、響から僕に喋りかけてきた。
「一つ聞きたいんだけど、いつも司令官は私の肢体を眺めて何を思ってるの?」
思わぬ質問に、これまた不意を突かれてしまう。
何を思っているのか。
迷うことない。響との思い出だ。
ただ内容は様々だ。彼女にまだ四肢があった頃。悩んでた僕の手助けをしてもらったこと。出撃でMVPを取って褒め称えたこと。思い返せばどれもが幸福だろう。
一つだけ、彼女が四肢を失った日を除けば。
あれだけは保管した身体を見なくとも、ハッキリと脳裏に浮かぶ記憶の一つなんだ。
当時は泣いた。
喚いたし、絶望もした。
そして後悔した。
「もしかして司令官は、悔いているのかい?」
私の無回答を察してか、響はそう訪ねてくる。
今度は年相応に子供らしく不安そうな表情を浮かべていた。
「ごめん……。悔いていない、とは言い切れないんだ」
これだけは嘘を吐けなかった。
本当は悔いていないと、そう安心させたい。でもそれを言い切ってしまえば自分は過去を破棄する外道のようで、本当に救えないなと。
きっと今度こそ心が死んでしまう。
「そっか……。司令官、悪いけど私にもあの瓶を見せてくれないかな」
「おい、それは本気で言ってるのか?」
「勿論本気さ。司令官が私の四肢を見て何かを思うように、私にも自分の身体としての思いがあるんだよ」
思うことがあるのだろうか。
僕の場合はかなり特殊な例である。そもそも誰かの四肢を見て記憶を掘り下げる行為こそ、世間から見れば異常でイカれてる考えだと言えてしまう。
ここは本人とは言え断るものなのだろうか。
いや、断るべきなのだろう。
でも僕は響の真摯な表情に負けてしまった。
棚に置かれていた右腕と、左腕を抱えて目の前に置く。
ゴトリと瓶が固いテーブルに当たる音がした。
瓶には満遍なく閉じ込められた液体と、女の腕。
ひんやりと冷たそうな、死んだ腕である。
「ふふ、懐かしいなあ」
響はそう言うと笑ったのだ。
ジロジロと瓶に詰めた腕を眺めたと思えば、今度は僕のほうへと顔を向ける。
「ほら司令官、見てみてよ」
先のない右肩を動かして彼女が指したのは、右腕の入った瓶である。
「この人指し指の火傷跡、懐かしいと思わないかな。これってケッコンした後に、司令官が食事を作る練習を手伝ったときに出来た火傷だよ」
確かに右腕の人指し指を見ると、小さな火傷跡が変に目立っていた。
そこでようやく僕も思い出す。
「そう言われれば、あの時は僕の不注意を君がフォローしたんだっけか。料理もロクにしてこなかった身だから随分と面倒を見てもらったね」
「別に嫌じゃなかったさ。それに今の司令官は、私の教えた料理をちゃんと作れてるじゃないか」
ああそうだ。
どうして今まで、多くの日々を思い出すなかで忘れていたのだろうか。
僕は響と料理をした。生まれながらの不器用さを直すように、最後まで彼女は付き添って居てくれた。
今となってはもう懐かしい記憶であった。
思い出に浸っていると、再び響が僕を呼ぶ。
「司令官は私の爪を綺麗だって、よく褒めてくれたよね。だから最後の出撃前も手入れは欠かさなかったんだよ」
響の爪は確かに女性らしく整っていた。
ふと酔った勢いで彼女のそれをベタ褒めしたこともある。あの時は頭が回らず響の表情も上手く読み取れなかったし、普通爪なんか褒められて何が嬉しいんだと、後々思っていたのだ。
瓶のなかの両手の爪は動いてた頃と同じように、不思議と綺麗なままである。
そうだったのか。
それを聞けて、嬉しかった。
「まさか僕のために意識してくれてたとはね」
「驚いたかな。司令官のため、なんだよ」
「ああ、もっと好きになれた」
「そう言われると……流石に照れるね」
頬を赤らめながらも、響はじいっと腕を見つめている。
まだ何かあるのだろうか。
いや単に僕が忘れているだけで、彼女はしっかりと記憶しているのだろう。
その証拠に再び響の口が開かれた。
「左腕の手首を見てると、ケッコンした初夜のときに司令官が握ってくれたのを思い出すよ」
「あー、そんなこともあったね。確か僕は君の左腕を掴んで、密着せるよう抱き寄せたんだよな」
「うん。体温を感じて、二人して肢体を絡ませて。私はその日初めて抱かれたんだ」
響は幸せな表情でそう告げた。
勿論初夜の日は覚えている。
寒い冬の頃だったから、僕が響を抱く前に密着させて暖めあったのだ。その後は互いに手や足を交互に絡ませ、口付けを交わして。
──響を抱いたのだ。
それにしてもだ。まさか左手首を引っ張ったことまで覚えているとは、やはり僕の記憶は宛にならないほど脆弱である。
そして当の本人と来たら未だに瓶詰めの自分の腕を見つめて、過去の残映を楽しんでいるのだろう。
例えるなら卒業アルバムやホームビデオを見返すような、そんな微笑ましい顔をしているのだから。
僕にはそれが何だか可笑しく思えてしまい、笑った。
大きく笑ってしまった。
すると響は不思議そうな目を向けてくる。
「急に笑いだしてどうしたんだい? 何か変なものでも食べたのかな」
「まさか。違うよ、違うんだ。これは悪い意味の笑いじゃなくてね」
「悪い意味じゃなくて?」
「ただ何となく、今の君を見てると僕と似ているなって。そう思えたんだ」
「司令官と、似ているか」
「もし気に障ったのならすまない。この話は止めにするよ」
「ううん。気にしてないさ。それよりも司令官、ちょっと近付いてくれないかな」
「えっまあ、構わないけど」
今度は僕が不思議の物を見るような表情で、響へと距離を縮める。テーブルに置いた瓶や、それに入った腕を無視した上での、本人にだ。
響との目線がしっかり会うように、少し屈んで頭の高さを合わせる。
近付いて改めて見ると、氷細工みたいな髪とキャンパスボードのように真っ白な肌が綺麗だと思わせた。
「司令官は私を守ってくれるかい?」
唐突にそんなことを告げられた。
悩むことなどない。答えは決まっている。
「守るよ。君と一緒に暮らすし、離れようともしない。ケッコンしたときに決めたことじゃないか」
「……スパシーバ。安心したよ」
響の安堵した表情が、先程まで漂ってた緊張感を柔らかくほぐした。
心に隙が生まれた。
僕は途端に弱くなっていった。
きっと聡明な彼女は、それを見逃さなかったのだろう。
響の、四肢のないその身体が、僕のほうへと倒れていく。自然的に体勢崩したとか、不意の事故が起きたとか、決してそんな動作ではない。彼女自身が胴体の筋力を駆使し、勢いつけて倒れてきたのだ。
本当に。
本当に不意であった。
僕は慌てて手を伸ばすが、愚鈍故に上手く支えられようにもない。
響は倒れ際に少しだけ顔を斜めにし、僕の上へと覆い被さってきた。
五感が活性化するようだ。
鼻をくすぐる髪の香り
柔らかい頬の感触。
そして唇。
まるで狙い通りと言わんばかりに、僕は彼女とキスする形になったのだ。
「んっ……ぷはっ……司令官」
元の位置に戻そうと、一旦引き剥がしたところで響は呼吸を再開する。小刻みに行われる吐息の音が妙に卑しかった。
僕の心臓はバクバクと鳴っている。突然のことで訳が分からず、言葉が上手く紡がれない。
何が起きた。
響が倒れて。
唇が合わさって、キスをした。
どう言うことだ?
どう言うことだ?!
パニックしたまま上を見上げると。
響は笑っていた。
幸せそうな顔で。
「司令官、大好きだよ」