早霜と不知火を巡る眼鏡越しの小話。

1 / 1
色眼鏡とはやぬい話

 人が多くなれば気の合うもの合わないもの、よく顔を合わせるもの滅多に合わせないもの、つるむもの逸れるもの、つまるところ人間関係というものが生まれてくる。

 深海棲艦と戦うべく生まれてきた艦娘達もまた、人間のように思いを巡らせ言葉を交わす以上、やはり艦娘関係というものが生まれてくる。

 大抵の場合、艦娘は同じ艦隊のものとまず親しくなる。ともすれば命を賭けることとなるいくさばを共にするのだから、そこに好き嫌いと言った感情によらない絆が生まれるのは妥当だった。

 次に来るのは純粋に親しみや馴染みからくる関係性で、人間で言う家族に近い、同じ艦級のものと親しくなる。同型ともなれば似てくるし、話も合う。同じ型なのだという親近感も湧く。こうした姉妹の仲というものは、艦娘の中にグループを作るのに十分なカテゴリだ。

 そうしてまた艦種が同じものも同じような理屈で、つまりは似通った所があり話も合うことから親しくなりやすい。あるいは競争意識のようなものが働いて活発な精神活動の源ともなる。

 純粋に兵器として見たならばこのような不安定な感情による繋がりは作戦に不要であるばかりか害をもたらしかねないと言えるかもしれなかったが、同じ姿をして同じように言葉を交わす艦娘をただ兵器と見ることの出来る者はこのご時世においてはそうそう多くはなかった。

 ああ素晴らしきかな麗しき友情!

 と、沖波はそのようにして現実逃避していたが、生憎現実の方では憐れな沖波の事など知ったことではないようだった。

「沖? 沖ちーん? お姉ちゃんを置いて現実逃避しないでほしいんだけど沖ちーん? おいこの眼鏡ー?」

「はっ!? 眼鏡は無事です!」

「頭がアウトかー」

 藤波の遠慮のない後頭部殴打によって再起動を果たしたものの、それはつらい現実を改めて直視することに他ならなかった。

 沖波は眼鏡を外してそっと、そして丁寧に拭きながら現実の再インストールを始めた。極めてデリケートな沖波のハートは順序立てて物事を考えないとすぐに現実から逃げはじめるのだ。

 非番が重なった夕雲型の三人、つまり沖波と、藤波と、そして早霜で鎮守府中庭を散歩していたのがそもそもの始まりだった。昼にはまだ早く、何をするにも半端な時間だった。夏が終わり秋の彩りへと変化しつつある中庭の木々や草花に、少し寂しく、しかし素晴らしい自然の美を感じ取りながら、沖波は秋の新眼鏡について思いを馳せていた。秋の眼鏡を通してみる景色はどんなに美しいことだろうかと。沖波の現実は人と少しずれていた。眼鏡の度数が左右で少しずれているように、ほんの僅か、しかし致命的に。他の二人もそれぞれ好き勝手に自分の世界に思いを巡らせていたのだからそんなことは些細な問題だが。

 大きな問題はちょうど向かいからやってきた陽炎型の二人だった。如何にも胡散臭い関西弁で五分後には頭の中から消えていそうなお喋りを続ける黒潮と、お前の顔面チタンで出来てんのと三回ほど提督に言われている不知火だった。

 陽炎型と夕雲型は性能的に似通った部分が多いが、同じではない。秋雲の様にどちらでもいいと嘯くものもいるが、本人たちとしてはやはり姉妹というほど近くはない。しかし赤の他人という程遠くもない。あるいは親戚くらいの感覚が丁度良いのかもしれない。つまり仲の良いものは仲がいいが、そんなに付き合いのないものも多いと言う位の、道で会ったら挨拶はするけど友達っていう程でもと言ったくらいの、その様な微妙さだった。

 沖波としてもこの二人に別段の興味はなかったし、なにより不知火の三人くらい殺してそうな目付きが怖かったので、適当に挨拶を交わして通り過ぎようとした。藤波もそれに続くつもりだった。問題は早霜だった。

「おはよう、不知火さん。調子はどう、かしら」

「おはようございます、早霜。大変結構です」

 ドーモ、と凄みのある挨拶を交わすや、立ち止まって話し始めてしまったのである。

 おや、と沖波は眼鏡を軽く持ち上げた。見れば黒潮もまた意外そうな顔をしている。振り向けば藤波はむしろ引き攣った顔である。やっちまったとでもいうようなそんな。

 はてどんな関係だっただろうかと沖波は少し悩んだ。きっちり整えた制服にきらり光る眼鏡と如何にも真面目で知的そうな見た目と裏腹に、沖波は少々記憶力が悪かった。より正確に言うならおつむが悪かった。なんだっけ、とぼけらったと小首を傾げていると、答えは当事者たちの口から出てきた。

「今朝は座礁していないようですね*1」

「今にも艦首が落ちそうだわ*2」

 ひぃ、と細い悲鳴が藤波の喉から漏れた。そうだった。この二人には、そして藤波と沖波には、因縁があるのだった。

 かつて、彼女たちの元であった軍艦のころ。駆逐艦早霜は敵の攻撃に大きなダメージを受け、航行さえ困難な状態に陥った。沖波は何とか燃料を補給してやろうとしたのだが敵の攻撃激しく断念。その後セミララ島の浅瀬に自ら乗り上げなんとか沈没を免れたものの、敵の追撃は執拗。救助に向かった不知火は真っ二つに引き裂かれ轟沈。その後藤波も救助に向かったが、こちらも撃沈され、前日救助していた鳥海の乗員諸共全滅してしまうという悲惨な目に遭っている。

 藤波はそれを乗り越えた。確かに悲惨な目に遭ったが、助けようという意志に誤りなどなかった。艦娘としての生を受けたいま、新たな生に感謝して妹に向きあう事に否やはなかった。

 しかし不知火とはそもそも艦級も違えば、艦隊も違う。接する機会が少ない。沖波の知る限りこの二人がはちあう事などなかったのだ。

 今更ながらにまずいのではと見遣れば、かたや妹たる早霜は、長い髪の間からねっとりと粘着質な笑みを浮かべて見上げる様はまるで般若の面。かたや不知火は、歯並びの良い犬歯を見せつけるように口角を上げて見下ろす様はまるで悪鬼羅刹のよう。黒潮はそれを見るなり三秒前まで存在しなかった用事を思い出して戦略的撤退。藤波は判断を保留という名の前後不覚。

 そして沖波は眼鏡越しに見る世界の美しさに現実逃避した。

 そしていま、現実を再インストールした沖波は、向き合う般若と悪鬼が過去の出来事を突っつきあうような陰湿な会話を交わす現実に耐えきれる精神をアップデートする必要に迫られていた。

「不知火もいっそ沈没したいものです*3」

「一緒に沈んでしまいましょうか……?*4」

「簡単には不知火は沈まないわ*5」

「いい浅瀬を知っているの*6」

 ますます会話が不穏さを増していくにつれて、いよいよ藤波の顔色が悪くなってきた。乗り越えただのなんだの言った所で、大惨事だったのは忘れようもない。思い出すだけで体が強張り、頭の中が恐怖で埋め尽くされるのだ。見ていただけの沖波でさえぞっとするようなあの地獄を、いま藤波は思い出しているのだ。沖波が、沖波がどうにかしなければならない。

 沖波は決意した。

 そしてこういう場合、大抵その決意は間違ってる。

 

 

 

 

 

 

 ヒトヒトマルマル。

 黒潮の通報によって駆けつけた提督と秘書艦は、座り込んで泣いている藤波と呆然とたたずんでいる沖波、そして倒れ伏す不知火と早霜を発見した。

 秘書艦はすぐに二人を入渠させ、提督は沖波に事情を尋ねた。

 沖波の釈明するところは全くもって支離滅裂で、眼鏡がどうとか眼鏡越しの世界がとか意味不明極まりないものだったが、提督はこれを許し、沖波を解放した。二人の血が付いた煉瓦をまだ握りしめたままだったからだ。

 入渠中に意識を取り戻した二人にも事情を尋ねたが、かえって何か落ち度でもと言わんばかりに小首を傾げられるばかりであった。

 曰く、こうである。

 

 お昼寝しようと、お話していただけなのだけれど。

 

 

 

*1「涼しくなってきましたがお寝坊はしませんでしたか?」

*2「実はまだ眠くて今にも寝落ちしそうだわ」

*3「不知火も正直寝落ちしたいです」

*4「一緒にお昼寝でもしましょうか?」

*5「不知火は寝つきがあまり良くなくて……」

*6「良いお昼寝ポイントがあるわ」



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。