希望に歩いて、絶望に躓いて、理想に挫かれて、隣の誰かに支えてもらって。
そんな泥だらけの二人の、始まりの話。
Boy meets girl
――――――彼は、息をする前に。産声をあげる以前に、世界を記憶していた。
それは、この世ならざる記憶だった。明らかに現状とはずれ込んだ、とてもかっこ悪い自分の記憶だ。
俗に言う『転生者』という者であるとも言えなくもないし、赤子への『憑依者』と言うことも出来なくはない。
実際はどちらだとか、そんなことはどうだって良い。
――――彼の母親は小学生の三年生、それぐらいで病気で死んだ。彼は悲しいことながらそんな薄れていく二人目の母親の記憶をもう殆ど持っていない。その冷たい事実が、今でも彼の心に歪に突き刺さっている。
それまでは、いつも周りから正体を誤魔化しながら生きてきた彼だったが――――死ぬ以前、ターミナルケアの一環でサナトリウムに居た頃、彼の母親が言っていた言葉を幾つか、妙にハッキリと覚えている。
『ありがとう、私の子供で居ようとしてくれて』
しゃらん、と風鈴でも鳴りそうな美しい声が彼の心に強く残響した。
案外大人になったつもりで、自分なんて子供だな。見抜かれていたのを、彼は後悔した。
――――――何故もっと上手く誤魔化せなかったのか。何故彼女を子供として愛せなかったのか、何故――――そんな事を言ってしまえる人の子供になってしまったのか。
彼は今なら許されるだろう、そう思って彼女の元でひたすら咽び泣いた。
彼女はその間、ずっと彼の手を握ってやった。
『どうして貴方が私達のもとにやってきたのかは分からないけど――――そうしてもらえて、幸せだった』
からんからん。本当に飾られていた、美しい硝子細工の風鈴が鳴った。
死を目前にした人間に、そんな事だけは言われたくなかった。彼はいっそ責めてもらった方がまだマシに思えた。
だから涙はどんどんと溢れてきて、いっそ人生を放り投げたくなった。彼女のような人間に感謝された自分を、許せそうになかった。
だって彼は何も出来ていない。いたずらに彼女に見え透いた嘘をついただけだ。
【ごめんなさい、貴方を上手く愛せなくて。子供になれなくて】
そう何度も彼女のベッドの中に向かって叫んだ。いつもは無かった筈の騙すことへの罪悪感が、今までのツケのように押し寄せてきた。
――――まだ、彼女は優しかった。
『私はもう大丈夫だから――――――辛い目に遭っている人を助けられる人になって欲しい、かな』
『望んでいることなんて、それだけ』
その後、彼女は笑って付け加える。
――――それが彼にとって、どんな呪いになるかも知ることもなく。善い人間は、正しい人間を作り出していく。
『後は大事な女の子を、出来るだけ大事にできる子に育ってくれれば――――って言ったら、我儘かしら?』
そんな事だけ言って、手を伸ばす彼を置いて彼女はこの世から背を向けた。
――――――彼女を最期まで子供として愛せなかったことを悔やみ続ける彼は、だから約束くらいは。そんな風に、彼女に心の何処かで謝りながら生きていくことになる。
彼の母親は長い黒髪が美しく、いつも淡く綺麗な笑顔を浮かべていた人だった。
彼の父親は研究馬鹿で、母親が死んでからは悪化した。彼はそんな父親を哀れに思いつつ、深くは触れないまま成長していき、高校生になった。
――――接し方が分からなかった。他人事のように慰める事もできなければ、家族として一緒に痛みを背負ってやることも出来ない。
彼は中途半端だったから、そういう事ができなかった。好きな父親ではなかったのだが、それでもそれに後悔した。そんな自分に嫌気が差した。
彼の父親は研究にのめり込んで、とうとう家に帰ってくることもなくなった。気づけば彼を呼ぶときには、『クソ親父』と呼ぶようになった。
身勝手さに、もっと自分に憤るようになった。
『私はもう大丈夫だから――――――辛い目に遭っている人を助けられる人になって欲しい、かな』
その言葉が彼にどんどんと、深く突き刺さっていく。
此処で一つ、失敗した。
――――彼は元々、平々凡々と生きていくことが一番の願いだ。
しかし高校生になって、少し過ぎた頃に――――――『艦』についての話を耳にし始めた。
「やっとセイレーンへの対抗策が見つかったんだってな…………」
「どんな兵器なのかしらね――――!」
「きっと俺達の希望になってくれる――――!」
彼は喫茶店でそんな言葉を聞いた時に、彼の脳が奇妙な一致を覚えた。
しかし彼は政治的なものだとか、現在の世界が直面してる危機だとかに興味のない男だった。無責任ながら、二回目の人生がどうなろうとどうでも良くなってしまっていたのだ。
だからそれは有り得ない、彼女達はそういう『危機』に対する対抗策であるからだ。
――――本来関係ない『今生ではない記憶』から、それら言葉の羅列が繋がっていったのだ。それも克明に、しかも整合性を持ちながら。
今まではこの時の為に有ったのではないかと彼が錯覚するほどに、記憶を探れば探る程、綺麗に現在の情勢がリンクした。
ユニオン、ロイヤル――――『艦』を作る企業というのは少なかったが、彼は全て聞き覚えが有った。
そしてアズールレーンという同盟の名称、『艦』が生体兵器であるらしきこと――――そう、彼はそんな【ゲーム】を知っていた。
もう前世の記憶を他人事に済ませようとしていた彼だったが、一つ断言できることは有った。
『アレが生体兵器…………コイツラは馬鹿か――――!?』
事実を理解した頃から、彼は『間違った人間』が嫌いになった。
――――彼の記憶の【ゲーム】とこの世界の状況が噛み合うとするならば――――『艦』と呼ばれる物、いや者は。
少女だった。いや、僅かながらテレビで放映されていた彼女達の映像を見てもその事実は明らかだった。
『皆俺ぐらいの若い女の子だぞ――――追い詰められすぎて感覚が狂っちまったのかよ…………ッ!』
勿論その事実を殆どの民衆は知っていた。だが、彼女達をあろうことか民衆の半数は『兵器』と呼んだ。
彼はたまらなく癪に障った。ムカつくという感情を久しぶりにハッキリと心の中に感じ取った。
――――そして、あの人との約束を思い出す。
【辛い目に遭っている人を助けられる人になって欲しい】
からんからん。喫茶店のドアベルが、わざとらしく古い音色で鳴った。
酷く残響をしていく其れが、彼の全てとなった。
――――前世の自分はとてもかっこ悪い男だった。冴えないし、芯もないし、強くもない。特技もなくて、精々家でダラダラとゲームをすることばかりが楽しみだった、つまらない男だ。
だから今回こそは。そんな決意が彼女の言葉とともに、その歪な生涯を支えることとなる。
彼は決して正義感が強いのではない。二度目ともなって薄れた人生の実感に、元々不可抗力に抗えない自分が嫌いだった前世、そして母親への罪悪感――――全て重なって、不運が重なってそうなっただけだ。
例えば貴方は海の中、一つの板を見つけたとする。貴方ともう一人知らない誰かが海に漂っているのだが、しかし板には一人しか乗れそうにない。
――――多くが「それを譲れるだろうか」、少なからず思うことだろう。譲るという人間も居るのかもしれないが、大半は死ぬ間際まで強い人間であることは出来ない。
ともかく、この状況に近い感覚を民衆は持っていた。皆、断崖絶壁の前で右往左往していた。
【本当は間違っているけど、だって私達は死にたくないから仕方ない】
こういう感覚だ。この直感的判断を拒否するのは生命を否定することであり、否定してはならない。
――――だから、前世の記憶なんて持ってしまった彼が、中途半端にこの人生に重みを感じられなかったからその気持ばかり強まったというだけだ。
民衆は間違いを許容し、彼は許容できなかった。良い悪いなんて、ここには無い。
きっと、誰もが正しさを持っていた。完璧では、無かっただけ。
そして彼は今まででは信じられないほどに勉強をした。前世だって、したことないぐらい。
――――テレビはまるで見なくなっていたが、『艦』の特番だけは全て録画した。彼女達の人権について論じる評論家を見ながら、彼は内心
(もっと言ってやれ)
とだけ思うようになった。
それで彼は海軍に入った。決して彼は勉学に向いたような頭の男ではなかったが、まさに死に物狂いで上り詰めた。
其処での「指揮官の才能に関する適性試験」にも全く問題が出なかった辺り、元々こうなる天命だったのかもしれない。
そしてある提督の下で補佐として働くまでに出世を重ねていった。
『私は駄目な人間でね。今の彼女達の扱いが間違っているのは分かっているんだが――――どうにかすることを、もう諦めてしまったんだ』
薄ら笑いで自分をごまかす、悲しい女性だったとその提督を彼は記憶する。いつもニコニコとしていたが、何処か無力感に打ちひしがれている陰りを持っていたのが印象的な人だ。
――――そんな彼女は夢を託した。
『君の野望みたいなのは、私では果たせないと思う。だから――――西のちっぽけな鎮守府になるが、提督に君を推薦しておいた。実績は有るから、多分行けるはずさ』
彼女なりのエールを送って、彼を送り出した。また彼の枷を、誰かが意図せずに増やした。
――――そうして此処に至るまで、既に二桁に入るか、どうか。それ程の年月が過ぎていた。
しかし現実とは何処までも理想から遠いのが世の常だ。彼にとっての地獄は此処からとなる。
『こ、これは…………?』
まず一つの地獄。それは彼が着任直後に、まだ艦も居ない準備段階だった頃に企業で『艦』についての説明を受けた時のことだ。
彼は主席ではなくとも、海軍将校ではかなり優秀な成績で卒業したエリートに属する部類であり、今更説明など不要だと――――思っていた。紙の上の情報と、現実の五感の情報のズレを舐めていたのだ。
――――彼がその説明の傍ら、企業が指揮官に公開していた領域。そこで見つけたのは――――尋常ではない数の『投棄された艦』だった。
吐き気すら彼は催す。
あそこで、誰かに無機質に見つめられた錯覚。
何かが自分を監視しているような嫌悪感。それを未だに彼は忘れられない。
「ああ、失敗作だよ。小野も知っているだろう?――――『艦』は未だ建造の成功率が安定していないんだ」
そう説明する研究員は彼がコネクトを目的として表面上は懇意にしていた人物だった。名をユガミと言い、奥の見通しにくい眼鏡が特徴的な男だ。
出会ったのは以前の研修の時。彼は歩いているだけだったユガミに話しかけ、それから偶に話したりする仲になっていた。
素性は誤魔化してきてくるものだから追求はしなかったが、そこそこ年上のようだった。
しかし彼としてはユガミはそういう事を気にしない性格のように見えていて、そういう意味では彼は嫌いではなかった。
そんなユガミが、その言葉をあっけらかんと言い放った――――しかし彼からすればその全てがさながら暗号か、発音の羅列のように思えた。認識することが出来なかった。
――――だって其れは、彼から見れば。人間がゴミとして捨てられているのと感覚としては同じだったのだから。
「どうした? お前は『艦』についての知識はそこら辺の阿呆学者よりは知っていると思っていたんだが」
ユガミが不思議そうに尋ねるのを見た時、彼はじとりとへばりつく汗を体からひたり、ひたりと流していった。
――――これを許容するしか無い今の世界も。許容できてしまう大衆も恐ろしくなった。
もう人間を、彼は以前と同じように見れなくなった。
次の絶望、戦死者の数。
『何だよコレ…………?』
それはおよそ一日に十二隻は死んでいる計算となった。これは戦況が悪いとマスコミに吹聴して煽られないために、一般公開はされていない数字だが――――酷いものだった。
――――とある世界では一秒間に人は四・二人生まれ、一秒間に一・八人死んでいる事を考えると大したことのないように思えるかもしれないが、『艦』の人数というのは六十億の、一体何万分の一だろうか。
それを考えれば、戦死者としては酷い量だ。
『これから人類の大半が目を背けてるってか――――?』
彼は世界が自分の予想以上に残酷だということを、止めにもう一つの現状で理解する。
「君もあの娘達が目的で入ったのかね?」
もう二度と会うこともないある男の、第一声だった。脂をてからせた、少し太った男だ。そこそこ高い階級だったとぼんやりと彼は記憶している。
――――明言が躊躇われる惨状を察した。彼女達はやはり多くはモノ扱いだった、そう扱わない人間も居たが――――こう書かなくてはならない時点で、彼の絶望は十分に深くなっていた。
身近で触れている軍人なら――――彼のそんな期待も、ボロボロと古びた建築のように瓦解させられた。
元々薄まっていた世界の色彩がとうとう尽きて、彼には世界が灰色にしか見えなくなった。
――――この日は7月16日、予報は曇り後晴れだった。
だが雲は何処か厚く見えて、陽は点々と差してくる。頼りない日光に、早朝の廊下は気分が変わるようにコロコロと光彩が変わって今日の其処は大忙しだ。
そんな廊下にしては忙しなく明滅しているような日に、彼は辛うじて明るい廊下を歩きながら考え事をしていた。
こういう時は彼はいつも猫背になる癖があって、見るものが見れば何か考え込んでいるのはすぐに分かった。
一定距離の床の点線を眺めているだけの彼の顔からは何も読み取れそうにはない。敢えて言うなら心ここにあらず、ということだけは分かるかもしれないが。
彼の顔立ちはそれで平々凡々に整っている、という風体の其れなのだが――――こういう時だけは誰もが枯れ果てた老人に錯覚してしまう。
遠すぎて、その顔が読めなくなるのだ。
「どうしたもんか…………」
彼は心ごと口から吐き出しているような、重い溜息をついた。
――――彼の思案しているのは
それはどうやら去年、とうとう失踪したという彼の父親の最後の『成果』らしい。
建造というのは個人企業が技術を独占している。正確には「キューブ」の活用法を見つけた幾つかの企業が独占した。
人類を救えるであろう技術を独占するなど、本来許されない暴挙ではあったが――――「キューブ」から生み出された生体兵器、『艦』はそんな暴挙を押し通る力を彼等に与えた。
彼女達を使って「企業」の中でも、最初にユニオンが国と対等な立場で政治に乱入した。
他にも重桜、ロイヤルなどが同じ手口で参入し――――彼等企業が結んだ同盟こそが、諸君らのよく知る「アズールレーン」となる。
「ユニオンは何を思って最高傑作なんて…………」
ここで立ち返ろう、彼が悩みの種としているのはユニオンの『艦』の話だ。
――――決して彼等「企業」は何か人類に悪意でも有って独占市場を保ったりしているのではない。
セイレーンが現れて、人類の存続が脅かされ、海が敵となり、世界規模のパニックにさえ陥った最中――――だからこそ金というのは必要になった。
彼等は努力によってその金を手にする方法を勝ち取っただけ。今の世界では、当然の事だ。
実際に彼等は、独占市場でありながら価格を吊り上げたりはしない。
彼等だって「自分達が安心するために努力に見合った金が欲しい」というだけであり、国との対抗状態も生まれはしたけれど――――人類を脅かそう、とは微塵も思っていないのだ。
――――さて、ユニオンはその中でも元アメリカ合衆国内での『艦』建造を担う企業だ。
「企業」達には暗黙の了解として、自分達の大元の有った国の軍艦をベースに『艦』を創り出すというのが有る。
だからユニオンはアメリカの軍艦を『艦』としてリメイクする企業というわけだ。
そして彼等が最高傑作というのは、勿論技術も関係するのだろうが――――ベースにする軍艦に大きなウェイトが存在する。
つまり今まで一番良いベース――――武勲艦などが当たるか。それを使ったということだろう。
一から作ることは出来ないのか、というと出来るのだが――――何故しないのかは、人格に何が必要かを考えれば、容易にわかるはずだ。
彼女達には人格が必要だった。出来れば強い感情を持つことが好ましく、実際はそれが研究者にとっての一番の課題であった。
「『失敗作』――――か」
彼は憎悪すら混じった舌打ちをした。
――――とうに擦り切れた心が、その言葉を否定した。見たくない現実だったのに、反射的に
『とりあえず、見に行っていいか』
と言ってしまった。無意味な行為で自分自身を傷つけるだけになる、彼は内心後悔をした。
――――だが言ってしまったものはどうしようもなかった。
(現実を冷めた眼で眺める練習も必要か。)
なんて、白々しく彼は自分を合理化した。
――――次に自分の元に来る誰かの為に、その娘をより大事にできるように、後ろの死体を眺める必要もあるように彼は思い込んできていた。
だから言ってしまった、と後悔するのも段々と彼は馬鹿馬鹿しくなってくる。
「よし――――行こうか」
だから踏み出した。
――――何せ最高傑作なんて奴らが言い切ったのだ。
その姿はさぞ精巧な人形のように美しいんだろうな、なんて彼は心を誤魔化した。
――――だがその期待もあっさりと敗れ去る。良い意味だったのか、悪い意味だったのかと言えば、後々を鑑みるならば良い意味で、だ。
「という訳で、彼女だ。返答に対する脳の反応も薄い、肉体の性能はともかくこれではな――――小野?」
ユガミの溜息混じりの言葉など、彼の耳には全く入ってくる気配がなかった。
――――真っ白い部屋の中、ベッドに座らされた少女の姿は――――精巧な人形など、それすら表現として不適切なものだった。彼女だけが、色を持っていたのだ。
その膝にまで届く白い髪は、彼にはまるで美しい絹のようで目線が自然と吸い寄せられていく。
顔立ちは表情こそ無かったが、まるで古代の高名な彫刻家が自分の為に用意したようにすら思えてしまう。眉目秀麗、容姿端麗――――言葉で彼は形容できそうにない。その鋼鉄の瞳も、少しだけ朱を挟んだ陶磁のような白い肌も、彼にとって美しい女性像の理想条件に近かった。
緩く曲線を描く体の線までもが芸術のように見えるはずなのに、その表情はないはずなのに――――その少女はまさしく生きている、強く確信させる。
心が無いなんて嘘か勘違いだ、彼はすぐにそう思い込んでしまう。
彼女が人造物であるというのなら、作者は彼女を『生きた芸術』とするために、『完成された少女』とする為に設計したに違いないと思った。
それほど、ただその姿だけでさえ生命と意志を持っていると彼は直感できた。
――――――いや、本当はそれが本当の理由なんかではないのだ。それも思ったが、それは建前。
彼女は――――後にエンタープライズとして世界に名を知らしめる彼女は。
【もう戻ってこねえよ、馬鹿】
彼は心の中で今は無き男を詰った。
――――だが、心の何処かで。そんな酔狂な父に、感謝した。
「…………おい、ユガミ。お前はこの娘が投棄されると思うか?」
彼はその姿から目を逸らしながらユガミに尋ねた。じっと見ていると、彼の心さえ吸い込んでしまわれそうだった。
話が耳に入らなくなるところだった。
――――その様子にユガミは頓着する様子もなく、逡巡の後に答える。
「いや、感情さえ有れば彼女は最強の艦となりうるからな。となると、肉体は以降に活かす為に、報告書でも書くために使うだろう」
その言葉に彼は人類は愚かである、という言葉だけを頭に思い浮かべた。
――――それは神の設計した物を解明せんとすることに変わりない。彼女は二度と再現など出来ないし、この姿以上に完成は有り得ない、そしてこれを再現することなど不可能だ。
そんな彼女という完成に対しての冒涜を、彼は見過ごすことができなかった。
「――――感情さえ、有れば良いのか?」
「…………まあ、そうなる。だが感情が出来るのは確率論的には低いものでな、彼女レベルの肉体で強い感情を持った『艦』なんて何時出来ることやら――――」
ユガミの言葉を途中までしか聞かないまま彼は強い語調で
「この娘を俺にくれ」
とだけ言った。
――――ユガミは目を丸くして固まった後に、堰を切ったように早口で捲し立てる。
「馬鹿か小野!? 彼女は軍には利用価値は無いし、俺達には完成度を模倣するための資料として最適なサンプルなんだぞ! 俺とお前の独断で譲渡するなんてそんな馬鹿みたいなこと出来るわけない――――」
「うるせえ! 感情の作り方も分からなくなっちまったのかよ、この頭でっかちの馬鹿野郎共がっ!」
彼の怒号を聞いたのは初めてで、ユガミは少し後ずさる。
――――少しの間だけその部屋が凍りつく。ただ白かったはずの色落ちしていた世界が、彼の中で急激に色彩を取り戻していく。
眩しい。光が強くて、目の前の男の顔はとても辛気臭いことに気づいた。
「…………あのな、ユガミ。俺は一度しか忠告はしない、よく聞けよ?」
殺意すら感じる目つきで睨めつけながら彼が狂気的な様相で怒鳴り始める。
さながら何かの宗教の狂信者のように血走った眼だった。
「まず一つ! 『生まれた直後に感情がないから廃棄』って馬鹿じゃないのか!? お前らは生まれた時から感情を持ってるのか、えぇ!?」
ユガミはその言葉にたじろぐ。反論のしようはなかった。
――――確かに其処が根本的な勘違いだったのだ。幾ら『艦』の人格形成の軍艦の記憶を使うにしたって、人格にはコアとなる何かが必要だ。
それを形成するのは決して科学などではない。人間だ。
「感情が後天的に生まれた例なんて無いんだぞ…………!」
ユガミが後ずさりながら反論するのを、彼は頭を振って言葉をかぶせる。
「お前らの誰か一人でも彼女達に向き合ったのか!? 生きる事を教えてやって、尋ねられた事に偶に一緒に悩んで答えてやって、あるべき人同士の在り方を教えてやるような――――親代わりをした奴は居たか!?」
彼は自分でも驚く程、歯止めが効かなくなっていた。完全に気圧されるばかりのユガミに罵倒を重ねていく。
――――実際に彼は現状をある程度理解した上でこんな罵倒をしているわけで、確かに研究者達の中で『艦』を「少女」と認識し、扱う研究者なんて殆ど居なかった。
「二つ! たかだか動くまでの過程を設計して、元が軍艦だからと言って――――『生命』を侮るな! お前らが思うよりよっぽど命は強い、傲るんじゃねえ!」
「意志がない――――そんな訳があるか! お前らは艦の歴史を正しく見つめた上で話してるか!? 塞ぎ込む理由はないか! 感情を希薄にせざるを得ない歴史はなかったか!?」
「どうせ考えてもいないだろ、何せ彼女達に俺達と同じ記憶があるって認めたら『人間と大差ない』事が浮き彫りになるもんなぁ! えぇ!?」
息が荒くなるのに未だに言葉は止めどなく漏れる。まるで口を閉ざしてきた今までの其れが全て溢れたかのようだった。
――――件の彼女は其れをぼんやりと眺めるばかり、反応はなかった。ただその瞳は、怒鳴り散らす感情の塊のような彼に向けられている。
「最後だ! 挑戦をしろ、前例がないから出来ねえとか考えてんじゃねえ! 今までの阿呆が駄目でも、俺がソイツラよりよっぽど論理の破綻した理屈をこねてるとしても――――出来る可能性は本当に無いのか!? 一ミリもないか!?」
「分からねえだろうが! 考慮もせずに即刻却下してんじゃねえド阿呆が!」
――――漸く彼の怒号は止んだ。気づかぬ内に彼の呼吸は荒々しく連続していて、過呼吸寸前になっていた。
エゴばかりの言葉を重ねて、彼は自分の言葉ながら呆れ果てた。そして、とんでもないことをしたなと遅まきに後悔し始めた。
――――真っ白な部屋が再び凍りついて…………それはユガミによって破られた。
「…………はは」
「はははははははははは! ははは――――かふっ、はははっ!」
狂ったようにユガミが笑って、笑って、笑って――――その内其れは落ち着いた。
「お前、俺とは表面上の付き合いだったわけだな! いや全く、お前が今まで何を目的に指揮官なんて目指してたのかはっきりした、むしろ好感が持てたぞ馬鹿野郎が!」
ユガミは不敵に笑って、彼に言い切る。
「俺はお前の言う通り阿呆だ、だが学ぶことは出来るものでな――――良い、持ってけ!」
「――――――は?」
今度は彼が目を丸くしたのを、ユガミは再び喝を入れる。
――――その姿はいつもの其れとは別人のようで、まるで手品でも見ているような気分に彼の頭が混乱する。
「連れてってやれ! もしかしたら迎えが来るかもしれんが、精々弁明してやる」
ほら、とユガミは乱雑に歩いて彼女の手を無理に取らせる。
仄かに暖かくて華奢な手に、彼は少し握ることを気後れしてしまう。
「――――俺達を此処まで罵倒したんだ、結果で俺達の研究の間違いを証明しろ。そしてお前みたいなやつが案外正しいって、俺に見せつけてくれよ」
「研究者としても、一人の人間としても――――お前の推論、大いに興味があるってことだ!」
ほらほら、と先程までの神経質そうな雰囲気の面影もない動作でユガミは二人を部屋の外へ押し出して、次いで出て来る。
「お、おい! 怒ったりしないのかよ――――?」
彼は少なからず、研究者が持っているプライドのようなものも傷つけたつもりだったから、困惑はより深くなった。
「はあ? 俺は俺が正しいと納得すれば罵倒だろうが何だろうが聞き入れるんだよ」
ユガミは呆れたような顔で彼に言い捨てる。
「お前は前々からつまらん嘘ばかりつくと思っていたが――――いや、荒削りだが筋が通ってるじゃねえか」
何となく気づいていたがな、とユガミは悪ガキのようにニッと笑う。
初めて彼は、表面的な付き合いばかりだったことを少しだけ、後悔した。
「後で調べとけ、コレ――――いや悪い、『この娘』の名前はエンタープライズ! お前みたいな時代錯誤の勇者よろしくの馬鹿にお似合いの『艦』だろうよ!」
そのまま彼は言われるがままに彼女を外に連れ出した。
不思議な話と言えばそれまでだが、ユガミが教えた道のどれもが人が通っておらず、どうやらマスターキーらしきものを持っているのを彼は目にした。
――――その後ユガミがどうなったのかというのは、彼はメールのやり取りでしか詳しくは窺い知ることは出来ない。
会いに行こうとは思うのだが、何故か行こうとしてもすぐに気乗りしなくなってしまうらしい。
どうやら生きてはいるようだし、結局彼女の迎えなんて来ることもなかったのだから、まあ元気にはやっているのだろう――――程度に思っている。
偶に休日に会いに行っているエンタープライズ曰く
『あなたが思っているよりはあの人は立派な人だったようだぞ? 人としても、身分としても』
との事だった。彼は未だ確認できずじまいである。
イメージソング「君の神様になりたい。」です。
シリアスってやつです、正しくは切ないストーリー。タグには「非戦闘モノ」しか書いてないですからね。
一回これ出すのが怖くなってリメイク開始報告してやりそうになりました。世に出せたことを褒めて下さい。
タグ詐欺、すいません。でも進行上どーしても無理でした。
運営から圧力来たらさすがにつけますけど、それまではご勘弁下さい。