いつも分からない。傍に居たって、その姿を後ろから見つめたって――――未だに分からない。
もう出来ることなら、傷付かないでくれれば良いのに。
「この娘を俺にくれ」
彼の言葉が耳に飛び込んだのは、それが最初だった。それは違和感のせいか、怪訝のせいかはともかくとして、久方振りに人の言葉に耳を傾けた。
――――それまで聞こえてきた言葉はどれも、色彩に欠けていた。
【反応がないな、やはり感情が極端に希薄だ】
無機質に言い放たれた。
【これでは兵器としての価値がまるで無いじゃないか! あの男め、後に活かせるとはいえ無駄に過ぎるぞ!】
誰かが詰った。
――――それら誰もが、私がかつて守ろうとした「誰か」を守ろうとする、同じ志の誰かだと知っていた。
正しいことをしていて、それで誰かは助かるのだ。
だからその言葉を甘んじて受けた。
勝利を強いられて誰かを守ってきたのがあの時の仕事ならば、その心無い言葉に、それに揺れ動かない感情に耐えるのが今の私にとっての仕事だった。
いつだって無機質に遂行してきた。例え目の前で姉が死のうと、妹が消えていくのを眺めようと。だってそれが人の望みだったから。
私がそうすることで、しなかったよりかは誰かが幸せに近づいているのが見えたから。
――――そう言って嘘をつき続けた。自分の心にも満たなかった何かは気づけばボロボロで、錆びついて動かなくなっていた。
中途半端に心なんてもらってしまっても、錆びついていた其れが露呈するだけだった。「幸運艦」の正体が他の生命を啜るだけの悪性であり、その中身は空虚だと判明していくだけだった。
【しかし肉体の完成度は高い。其処だけは今後に活かす――――それだけに尽力しろ】
そんな風に切り捨てられた。
――――でも構わなかった。それで、私一人の犠牲で何かが救われれば、それは何より。
何より、彼等自身も少なからず思う所は有るはずで、私一人が苦しい目に遭っているわけでもない。
現状に目を背けることは出来ても、目を塞いで知らないフリは出来ない。
だって私も其れは、同じだったから。目は背けたと言っても、何も思わなかったなんて私は嘯くことは出来ない。
そう思っていた、言い聞かせていた、自分を押さえつけていた。
嫌だ、嫌だとも。誰が好き好んで与えられた生を捨てるものか。感情が有る以上、其処に在るのはまず最初に生への渇望だ。
仕方ない、仕方ない。私は失敗作だから。誰かの為に生まれてきたのだから――――――私を尊んでいたかもしれない『彼』は、とうに居ないのだから。
――――――必死で誤魔化してきた。
だというのに。灰色の世界に色が垂らされた。
「うるせえ! 感情の作り方も分からなくなっちまったのかよ、この頭でっかちの馬鹿野郎共がっ!」
まず怒りが目に写った。心が静かに、小さく――――呼応していたのが今では分かる。
――――この人は何故怒っているんだろうか、最初は疑問だった。
モノなんてモノなのに。心を持っても借り物で、結局中身なんて空っぽなのに。
「『生まれた直後に感情がないから廃棄』って馬鹿じゃないのか!?」
だけど、次に彼の顔を少し眺めた。怒りとも憎悪とも取れない酷い感情に振り回されていたが、それでもその眼はあくまで正しく光り続けている。
――――この感情を理解することは今しばらく無さそうだが、その姿を何か尊いもののように思った。
初めて特定の誰かを「守るべき」と感じた。誰かではなくて、その人を守るべきだと。
「お前らの誰か一人でも彼女達に向き合ったのか!? 生きる事を教えてやって、尋ねられた事に偶に一緒に悩んで答えてやって、あるべき人同士の在り方を教えてやるような――――親代わりをした奴は居たか!?」
次に自分の複雑さに色が生まれる。単色だった私に、彼は色を落とし続ける。
――――守るべき、と同時に「そうしたい」、と思った。全く別の観点からそんな感情が湧いてきた。初めての事で、動かし慣れていない表情筋が僅かに歪んだ。
彼の何処がそう思わせるのだろう――――――悩んでも答えは出なくて。
気づけば私の眼は彼だけに向いていた。
「二つ! たかだか動くまでの過程を設計して、元が軍艦だからと言って――――『生命』を侮るな! お前らが思うよりよっぽど命は強い、傲るんじゃねえ!」
「意志がない――――そんな訳があるか! お前らは艦の歴史を正しく見つめた上で話してるか!? 塞ぎ込む理由はないか! 感情を希薄にせざるを得ない歴史はなかったか!?」
「どうせ考えてもいないだろ、何せ彼女達に俺達と同じ記憶があるって認めたら『人間と大差ない』事が浮き彫りになるもんなぁ! えぇ!?」
次に部屋に色合いが見えてきた。
ただ有るだけだと思っていた世界の全てが――――更に言えば人間がいつもより、美しく写った。
光は眩しいなあ、とか。人の肌はとても暖かい色をしているなあ、とか。抑えつけていた感情が押し寄せてきた。
――――ここまで私達の為に動ける人が居たのか、心の中でそんな言葉が響いた。
「最後だ! 挑戦をしろ、前例がないから出来ねえとか考えてんじゃねえ! 今までの阿呆が駄目でも、俺がソイツラよりよっぽど論理の破綻した理屈をこねてるとしても――――出来る可能性は本当に無いのか!? 一ミリもないか!?」
「分からねえだろうが! 考慮もせずに即刻却下してんじゃねえド阿呆が!」
最後に彼の怒号が、私の眼を変えてしまった。きっとまだ知らないことが沢山あると、本当の意味で理解した。
そして諦めるのは早計だということを教えられてしまった。
だから彼のことを知りたくなった。もっと前に踏み出して、人が美しいということを理解したくなった。
――――今まで見てきた人々も正しくて、側面から見れば善い人々だというのは知っていた。
だけど。彼の正しさはそういうものではない。
彼等が歪な美しさを持っていたように、きっと彼もそれはそれは――――良い色を見せるのだと思った。
だから、私は手を取ってもらえた時から。きっと感情は人並みに持ち合わせていた。
そうしてもらえた事が何処かで嬉しく思えていて、理性とせめぎ合うようにはなっていた。戻らなくてはいけないけれど、彼から離れたくないと思ってしまっていた。
人間らしい、「ジレンマ」というものを既に持ち合わせていた。
――――知らない筈の自分の為に怒って、怒鳴って、手を取ってくれた彼の手を振り払おうだなんて、到底思えなくなっていた。
気づけば酷く我儘な、唯の少女になったような錯覚をしていた。
――――もしかしたら。偶に思うのだが、これが人の言う――――――――いや、良い。
そんな事は、有り得ない。
それに、そうだとしても報われないのは間違いない――――私自身が、報われたいだなんて思わない以上は。
なら、誤魔化してしまう方がきっと良い。それが誠実ではなくとも――――彼に迷惑はかけられない。
――――そんな風にまた懲りずに諦めては、誰かの為に自分に嘘をついてしまった。彼にはよく悪い癖だと怒られたものだ。
諦めたって、彼は結局無理やりに其れを引き出してくる人だ。分かっていただろうに。
そんな人だったからこそ、今の私が居る事に気づいていた筈なのに。
――――また逃げて、結局私は弱いままだった。
――――――最近、指揮官がおかしい。
おかしくない方が少ない、いや正しくは可笑しくない方が少ない。
とはいえだ。普段の奇行というよりは、何か隠し事が有るような気がしていた。
別に害が有るものでもないだろうから、大して気にすることはない。無いのだが――――。
「どうして、気になるんだ………………」
つい、サンドウィッチを口に運んでいた手が止まる。溜息が漏れてきて、続くように心中に暗雲らしきものが立ち込め始めた。
周りの艦のざわ付きが遠くなっていくような感覚。疎外感というのだろうか、浮遊感というのか――――そんなものに飲み込まれる。
――――彼が私に隠し事をしたのなんて殆ど無いからだろうか。
今まではそんな事をする必要性がなかったのだろう、今はそうする必要が有るだけ――――ダメだ。合理的な結論では納得が得られない。
感情なんて言うものはやはり不便だと思ってしまう。制御が上手く取れない、ダメージコントロールの方が幾ら楽なことか。
(だが、彼が私に与えたかったものの一つだからな…………)
ならば仕方在るまい。面倒なりに向き合うしか無い。
――――これで彼にとっては、何より価値があると思えたものだったのだろう。
だから、その価値を私は見定めるべきだろう。どうせそう簡単に捨てられるものでもないのだし、何より彼が価値があると思うものについては私だって興味が有る。
「ああ――――グレイゴースト!?」
黒ずんできていた感情に、彼女の声が響いてきた。
「ああ…………見つかったようだ」
瑞鶴がこちらをキッと見据えて歩いてくる。いつもの事ながら、ご丁寧にランチらしきカレーまで手に持っている。
――――何だかんだと構って欲しいのだろうか。そう言ってくれればそうするのに、変な娘だ。
だん、と少し荒っぽい手つきで瑞鶴は皿を置いて私の向かいに座る。
「こんな良い正午に随分と機嫌が悪いものだ。笑顔に欠くと可愛さが半減するぞ?」
せっかく日差しも良い。
夏のこんな日には眩しい笑顔が映える、いつの時代もそう決まっているだろうに。
「うわ、何よその歯の浮くような台詞。そりゃ彼氏面言われるわ」
瑞鶴は目を細めながら平然と言ってのける。
「それは勘弁してくれ、流石にダメージコントロール班が悲鳴を上げている…………」
口に入れたサンドウィッチが何処と無く綿でも食べているように錯覚されてくる。知らず知らずに表情が固まってしまう。
――――ユージンに其れを言われてからは半ばトラウマになってしまった。元々自分でも若干は気にしていたと言うのに、彼女は容赦なく抉ってくるからな…………。
「というか、私じゃなくて翔鶴の所へ行ったらどうだ?」
トレーを持って昼食を受け取る翔鶴を指差す。
――――何せ瑞鶴はいつも不機嫌だ。どうせなら彼女と食べている方が彼女自身、幾分かマシな気分で食事が進むと思うのだが。
と言っている内に、翔鶴がニコニコとしながらこちらに歩いてくる。
「
「私は今日も享楽に溺れて生きてるけど、そっちはどうだい! 兄弟」
誰が兄弟だ、せめて姉妹だろうに。それにサムズアップしようが良い笑顔で言おうが、やっていることは鬼畜の其れだからな。
当然のように翔鶴は私の隣にトレーを置いた。
知らぬ内に溜息も混ざって、申し訳程度のサムズアップととても陽気とはいえない返しをする。
「ストーカーと享楽ジャンキーに絡まれて散々だよ、ブラザー」
「誰がストーカーだっての!」
瑞鶴が眉間に皺を寄せながらこちらに噛み付いてくる。まるで狂犬である。
――――まあチワワに噛まれた所でどうという所は無いのだが。
「何だ、熱狂的な私のファンじゃなかったのか」
「んな訳あるか!」
まあ無いな。
「冗談だ、カルシウムが足りていないんじゃないか?」
「何か今日のアンタ、指揮官みたいで普通に腹立つわね…………!」
こう毎度が如く絡まれれば、誰だって対応が大雑把になってくるというものだろう。
――――多少は遊ばせてもらわないと割に合わない。
「そろそろ瑞鶴の扱いは慣れてきたかしら?」
ずいっとこちらに体を寄せて翔鶴が尋ねる。
相変わらずこの世のものとは思えない容貌だ。首元に届く吐息は、同性ながら少し動揺させられる。
誰も彼もがこれだと感覚が麻痺するように思うかもしれないが、案外そうではない。
個人個人の特色については他よりも目を向けるようになる――――ぐらいの変化は起きるだろうが、それ以上の変化はない。
例えるならポツンと飾られた名画を、美術館に置き直した所で大した違いを感じないようなものだ。
違いを感じると言われたとしても、私は感じないとしか答えられない。
まあ、だからどうなんだ? という話だが。
「相変わらず扱いにくい娘だな。何で私の元にはこう厄介な艦ばかり…………」
肩を竦めてお手上げだと主張してみる。彼女含め、ホーネット、ユージン――――私が絡む面子は少し濃すぎるし扱いづらい。
妹ですら反抗期気味だ。私は女性に大別出来るはずなのに、自分自身に女難の相を疑い始めたぐらいである。
「まあそれは指揮官の方が…………下を見るというのも悪くないな」
「あ、今黒い顔した♪」
してないぞ、多分。というか彼が別格過ぎて、比較にもならなかったか。
――――ふと湧いてきた疑問を、そのまま口から溢れさせる。
「しかし指揮官というのはどうしてああ万人受けしているんだろうな、私にはさっぱり分からないが」
少なくとも誰もが好む性格ではない。曲がってるし、猪突猛進気味だし、其れに――――――。
続ける前に、彼女が話題を切った。
「あら、一番その理由を分かってるのはエンタープライズだと思っていたのだけど」
「え?」
何を言っているんだ、翔鶴は。
――――食べ終えた無味乾燥なサンドウィッチの皿を前に出しながら外を眺める。
雲は少しだけ浮いてはいたが、やはり酷く太陽が自己主張をする良い空だ。今日みたいな日は星空がさぞ良く見えることだろう。
「――――――星空は良いぞ、二人共」
思いついたように言っておく。これは万人受けする話題だろう、この空気を誤魔化すのに最適だ。
我ながら、迷案だな。本当に、これは血迷った案だ。
――――しかし何が良いと言われるなら、まずは綺麗だ。そして壮大で。ついで最後、飽きが来ない。
こんなものは私にとっては星空ぐらいのものだ。
「何よ急に。気持ち悪い」
瑞鶴がブツブツと言いながら、食べている途中でスプーンを皿に当てた。行儀が悪いわ、なんて翔鶴が少し叱りつけている。
「さて、指揮官。少し問い詰めて構わないか?」
「構わなくねえな、迫ってくるだけなら大歓迎だが」
相変わらず思ってもない冗談が好きな人だ。
――――というか必死で執務机の上で手を組んで神妙な顔つきをしているが、背中が汗だくなのは見れば分かる。
サングラスなんてかけて、非常に似合わないのが滑稽を通り越して少し哀れだ。
「あまり遠回しなやり方は嫌いだ。だから指揮官も早めに吐いて欲しい、どうせ根負けする訳だからな」
「最初の頃はもっと素直で可愛かったのになあ…………オジサン悲しいよ」
彼がやれやれ、と嘆かわしそうに首を振る。
「む、昔の話は辞めてくれ」
「ええやん、可愛かったんだし」
というか、今も昔も私は大きく変わっていないと思うのだが。
喋り方、仕草、そんな細かいものは多少変わったのは事実だが――――――根本はブレた覚えがない。
私の言いたいことが何となく分かったのか、指揮官は先にこちらの思考を封じる様に手を組み直す。
「いやいや、プライズちゃんは前よりずっと強くなったさ――――もう、俺なんかに縛られるべきじゃない」
何か名残惜しそうに、サングラスを外しながら私の目を見つめてくる。
日陰になっている表情は、尚更暗く映る。
――――だが。それは勘違いだ。
「私はあなたより前に来れたことなんて無いし、強くなんか無い」
「結局あなたの隣は未だに無人で、私はあなたに使われる以上の存在にはなれていない」
これこそ本当に滑稽なのだが、未だに私はあなたが崩れていくのを眺めることしか出来ない。
――――どれだけ敵を落とそうと、不敗を世界に謳われようともそれだけは全く変わらなかった。私はあの時から成長なんて殆ど出来ていない。
だって彼は――――今もまだ、独りぼっちだ。
『あなたが崩れてしまいそうな時に、挫けてしまいそうな時に、例え何が起きても――――――隣に立って、支えられる誰かにさせて下さい』
あんな大見得を切ったくせに、私はそんな所に全く到達できていない。
――――だから私の強さなんて、本質的には空っぽだ。無数の勝利を手にした所で、その先には何も――――――無い。
いつもこれが結論だった。力を持っても、心に不備が残っていた。ただ道具として完璧であるまでは可能なのかもしれないが、隣に並び立つものとしては全く及ばない。
武器として理想であっても、それ以上に届かない。
そんな『壊す強さ』なんていうのは兵器の領分で、私達は――――『護る強さ』が必要なのに。
私が後何隻沈めたって、あなたは全く救えない。
『私はあと何隻沈めればいい?』
彼に尋ね、自分に問いかけ続けた。
――――答えなんて分かりきっていて
『沈めるだけでは何も変わらない』
こうだ。だから彼の言う『強さ』は形ばかりで、無意味な力が私を置いて膨らんできていただけの話だった。
本当に欲しいものに届いたことは、本当に一度もない。
滑稽と言ってみたが、客観的に見ると自分は溺れているようで、いっそ哀れにすら思えてくる。
「――――大丈夫。もう十分支えてもらってる」
彼は作り笑いとはとても思えない、穏やかな笑みを浮かべて嘯く。
――――その姿はいつもの何処か掴めなくて、欠点が多くて、人間らしい彼の面影は無い。
くたびれた老人のような、枯れた笑顔だった。陽に照らされて尚、生命力が何処か欠けた――――けれど温かい。不思議な風体だ。
でも。やはりそれは少し寂しげで、否応なく彼に足りないものを突き付けられてしまう。
自分では埋められていないことを、心に突き付けられる。
「無理はしなくて良い。俺は独りよがりにガムシャラなだけだった頃より――――エンタープライズが居てくれて、怪我はずっと軽くなったんだ」
エンタープライズ、彼が二人きりの時に私をそう呼んだのは出会ったあの日以来だった。あの日を境に、ずっとプライズちゃん、なんてしか呼ばなくなってしまっていた。
――――何となく、それには理由があるのだというのは分かっていた。
だから多くは言ってはこなかったのだが、今になってどういう風の吹き回しなのだろうか。
「成功を、失敗を、苦悩を、名案を、希望を、絶望を――――今まで全部、お前は分かち合ってくれた。それだけで、十分過ぎる」
その言葉に思わず目を見開いた。
「だけど、あなたは傷ついたままだ――――!」
この数年間、ずっと一緒だった。
結局本当の意味で理解もされない理想に振り回されて、人以上に苦悩を強いられて、それをどうにもしきれない彼ばかりを見てきた。それこそ、すぐ後ろでずっと見てきた。
それは寄り添っただけではどうにも出来ない、彼を救うには圧倒的に足りなかった。
分かち合う? 駄目だ。
与える? それも違う。
中途半端な同情如きで彼が助かっているのなら、私は幾らだってそうしているのだから。
彼は静かに首を横に振った。
「違う、俺達は他人なんて誰一人救えない」
「知った事か! それでは――――あなたはどうすればいい」
「死ぬまで人間も自分も好きになれないまま、それでも私達の為に心を擦り減らすだけか!? そんな事が有って良いはずがない!」
だってそうだ。
――――彼は結局自分の為に戦えない人だった。
ただ私達だけを見て、それ以外の全てから目を逸らして――――そうやって此処まで歩いてきた。
とっくに人が背負うには重すぎるものが彼にのしかかっていた。なのにまだ――――ただ前に進もうとばかりする。
見ていて辛い。止めたいし、それが駄目なら代わりにその道を歩いてあげたい。
でもそれでは彼は満足しない。止めた所で、彼の憤りは収まらない。私が歩けば、私を歩かせた自分を恨む。
だからといって、何故大事な人が苦しみへ進んでいるのを眺めなくてはいけない? 止めてはいけない?
「どうして自分を大切に…………してくれないんだ?」
それでは私は、幸せではない。
――――自分を救い出してくれた人は、たった一人なのに。目の前に居て、何も隔てるものなんて無い。
手を伸ばせば届く。だけど、何もしてあげることは出来ない。
そんな恩人一人も助けられない私に、何の価値が有るんだ。それでは、モノ以下じゃないのか――――?
後何をすれば、あなたは変わってくれる?
苦しんでいるあなたを見るのは、
「…………うーん、それは答えかねるな」
彼は立ち上がって、私の前に立ち直す。
――――相変わらず、彼は少し上を見なくては顔が見えない。
気づけば顔は逆光ではっきりと見えなくなっていた。
「だって俺がこんな馬鹿な事を始めたのだって、実のところ俺にだって理由がわからないんだ」
「有り得るなら――――俺の予想通りに事が運んで、お前達が大事にされたなら………………俺は人とか、自分とかを嫌いじゃなくなるのかもな」
あの時とはまるで違う表情で、彼は困ったように笑う。重なったあの日の光景はあまりの差異に、重なると同時進行気味に霧散していった。
――――以前よりその笑顔は軋んでいて、見ているだけで現実に心を擦り切られていくようだ。
やっぱり、何も変えれてない。私は成長などしていないのだと見せつけられる。
「あのさ、エンタープライズ。お前が言っていることは殆ど正しいんだけど、多分一つ思い違いが有るだろうから言っておくぞ?」
霞む視界を、眼をジャケットで擦って誤魔化す。
もう彼のハンカチなんて要らなかった。自分の涙くらい、自分で拭くものだから。
「――――何だ」
「お前は、
面白いことなんか何一つ言ってない癖に、彼は心から楽しそうにはにかむ。
そんなあなたが嫌いだ。その笑顔が私にどういう感情を与えているのか、本当の意味で分かっていない。
「理不尽にはよくぶつかるベテランだからよ、分かるけど――――俺みたいな馬鹿は、一生馬鹿だぜ?」
「俺はもう沢山貰った。お前にここまで愛想つかされなかったことを、誇りに思って馬鹿でいられる」
馬鹿で居ても良いこと無いけどな、なんて彼はさも笑いどころのようにそう言って笑う。
嫌いだ、嫌いだ。こんな時だけ本気で笑うあなたなんか。
「俺みたいに何かに押し潰されたりしないでくれ、お前は――――お前自身のしたいことをすればいい」
かちり。何かが繋がった。
………………そういう事か。涙が少し枯れた。
彼は何か私と話が食い違うと思った。あの日から、彼の言動には何処か一つだけ引っかかっていた。
いつも話が通じ合うようで擦れ違っていて、分かりあったつもりで誤解している――――それは『感情を持つ者同士の必然』だ、勝手に思い込んでいた。
――――そういう事だったか。
「指揮官、あなたも何か勘違いしている」
「ん?」
穏やかにこちらの顔を見つめる。
――――そうか。彼は私のこれが義務か何かだと思っていたわけか。
思ったことをそのまま言うというのはつまり常に交じる、雑念も伝えることになる。彼は本来、あまりにも普通だったから――――私の言葉の要点を取り違えた。
「私が此処に立っているのは義務感ではない」
無かったとは言う気はない。
恩義を感じていたし、それは返すべきものだという認識は少なからず有ったろう。
「助けられたから、それは有った。だが、それだけじゃない――――――ただ心を持った『艦』として」
「あなたの為に生きてみせると決めた。決して義務も、虚栄も無く――――――私は私の願いを果たす為に、あなたと歩こうと思ったんだ」
そうか、それを彼は義務感に縛られたものだと思っていたのか。
確かにそれは見ているだけで辛いものだな、何よりも私が知っている。
――――でも、私はそんな良いモノではない。本当はとても我儘で、執着心が強くて、きっと依存心は強くて、届かないものばかり求めるとても醜い感情を持っている。
「私はあなたが言う、馬鹿の一人だよ」
決して高尚な存在じゃない――――あくまで彼と、私は同類だった。
今のところ、誰かの為に生きることが幸せの『イカれた野郎』のご同輩ということだ。
――――それを聞いた彼は、目を丸くして刹那。がたがたと喉を張り裂かんばかりに大笑いをする。
「ははははははっ! 何だ、お前も馬鹿だったか」
「馬鹿ばっかりだな、この世界は」
本当に楽しそうに笑うものだから、私も笑えてきてしまう。
いつもこの人の表情にだけは釣られてしまう。
何でだろうな。それこそ馬鹿だから、かもしれない。
「いや、辛気臭い顔して悪かったな! じゃあ――――もう離したりしない」
彼はいつも通りの、飄々とした様子に戻る。やはりこんな彼が一番だ、虚栄を張っている彼はそれで一番美しく映えている。
本当はそう思えない自分も居たが、今の彼の、一番良い表情と言えばこれなのは事実だった。
さっきのような姿では、此処の皆にも示しもつかないだろうしな。
「俺は阿呆に変わりないし、容赦なくお前を巻き込む。辛いことも無理矢理にだって分かち合わせてやる」
「だからその分――――できるだけ、楽しいことも沢山やるよ」
にやりとする。どんな事をするのか、想像がついた。
きっと可笑しくて、可笑しくて仕方無い事だろう。
「今はそれで我慢してくれるか?」
その瞳はさっきまでの迷いも、哀愁も持ち合わせていなかった。
――――ただ強烈なまでに、未来を思ういつもの眼だ。当然のように人を巻き込んでいるときの、子供のようなあの目。
そうでなくては、やっぱり辛気臭い顔はあなたに似合わない。無遠慮で、失礼で、きっと正しいはずのあなたでなくては。
「ああ――――今更だよ。今までだって、そうだった」
「はっ! 言えてるな、今更だよ」
彼は顔を手で覆って笑いが止まらんとばかりに腹を捩らせる。
「まさか俺はそんな間抜けな勘違いをこの数年間ずっとしてたってのか? 馬鹿だなあ、やっぱ一生馬鹿だな俺!」
そうだな、一生馬鹿だ。きっと死ぬまでこんな風に、私達は訳の分からないことに悩んで、訳の分からないことに笑って生きていくのだろう。
だけど、だからと言って大した使い道も思いつかない人生だ。精々隣で一緒に悩んで、笑うぐらいのことは幾らだって出来る。
――――――漸く、その隣に立った気がした。
「そうか――――ま、良いや。それじゃこっちも用事が有ったから良いか?」
「ああ、構わないよ」
元の用事は、もう忘れてしまった。
彼はそう答えると、めくりもしないカレンダーを持ってきて、今日の日付まで破り捨てていく。
――――――7月16日。
そうか、だから様子が変だったんだな。
「
本当に子供に戻ったように、何の陰り無く彼は笑う。
丁度、彼が私を誘拐なんてしてきて5年か。思えば遠いものだ。
――――気付けば世界で評価なんて受ける身になった。ただ言われるまでに連れてこられただけだった私が、今日までにこんな遠くに辿り着いたらしい。
だから、やはり諦め時はまだ遠いと思う。このペースで歩けば、その内彼にも追いつけるかもしれない。
そうでもないかもしれないが、やってみる価値も有るだろう。
「夜の七時辺りから誕生日プレゼント用意してるからよ、ちょっと待っててくれよ!」
「ああ、楽しみにしておくよ」
そう答えると、彼は何が楽しいのか執務室から走り去っていった。
夕食を終えた辺り、実は内心そわそわしていることに漸く気づいた。
――――柄でもなく、楽しみらしい。てっきりそういう感情は薄いと思っていたが、私にも全然有るらしい。
何処か浮足立って仕方ない。毎年プレゼントなんてもらっていたはずなのに、年を経るごとにこの浮ついた感覚は強くなる。
今来ているジャケットだって、彼がある人からもらったという物だ。貰い物を渡すのは彼自身が嫌がったが、あの日の私にはこれがとても価値のある物に見えたから――――無理に一回目の誕生日プレゼントとしてもらった。
――――いや、価値は今でも変わらないか。
彼のプレゼントというのは、考えるだけで何となく温かい気持ちになる。何故だろうな。
同様に、浮つく理由は目下のところ、不明だ。
「なんか機嫌いいわね」
向かい合っていた瑞鶴が呟く。かくいう彼女も、何だか忙しなく体を動かしていた。
足を組み直し、腕を組み直し――――私と同じようなものだったか。可笑しいな。
――――とっくに食べ終えた後なのに、私達は二人共席を立たなかった。
何故か立ってはいけないような気がして気後れするのだ。
「そうだろうか、瑞鶴にもそう見えるか?」
「そうね、何か怖いわ」
何が怖いんだろうか。表情で伝わったのか、彼女は聞くまでもなく返した。
「アンタから私の前に座ってくるのはびっくりしたわよ」
そんなこと、していただろうか。よく思い出せない。
――――そうして、言葉にならない重い空気でただぼんやりと、時間が過ぎるのを待っていると。
「――――――よし!」
彼女が決意したように息を吐いて、私の目を何時になくキッと見つめてくる。
――――――また決闘とか言い出さないだろうな。夜だぞ、私は経験が有るからともかく瑞鶴に不利だろうに。
自分が有利な勝負は嫌いだ。
「アンタ、今日が誕生日なんだって?」
しかし質問は意表をついてきた。
「――――? そうだが、一体急に――――――」
言い切る前に彼女は足元から何かを机に置いた。
――――大仰な包装ばかりで中身が分からないが、大きさから見てもそう安いものではあるまい。
「ほら、あげる」
彼女はぶっきらぼうに言った後、頬杖をついて外を眺める。
――――耳が真っ赤になっているのが面白くて、笑いを抑えきれない。
「…………ふふ。有難う」
「勘違いするなよ、翔鶴姉が渡せって煩いから渡しただけで――――」
「嘘は良くないわね、瑞鶴♪」
いつも通り、気づけば翔鶴が隣に立っている。
――――頬杖を付く瑞鶴を眺めながら、翔鶴はニコニコとする。
「急に『グレイゴーストが欲しそうな物って分かる?』とか聞くからびっくりしちゃった」
「ちょ、翔鶴姉ぇ!?」
瑞鶴が身を乗り出して抗議を試みる。彼女が言わなくても何となく分かっていたのだが。
――――だって、本当に嫌いならわざわざ向かい側に座りに来たり、そんな酔狂なことするわけないしな。私だってそれくらい分かる。
「もうノリノリで手伝ってあげたのよ? 瑞鶴ったら店毎に数十分ぐらい迷ったりして――――――」
「ああ――――勘弁してって! もう!」
瑞鶴がわたわたとしながら走り去ってしまう。今日は走るのが流行っているのか?
――――食堂を出る直前に呼び止める。
「なあ、瑞鶴! 私は君が思っているよりは、君の事を好きだぞ!」
「なっ――――そういうのが彼氏面って言うのよ! この阿呆! 馬鹿、アメリ艦――――ッ!」
今度こそ瑞鶴は食堂さえ走り去っていった。
――――翔鶴がいつもより楽しそうに笑う。
「ごめんね、手の掛かる妹で?」
全然申し訳無さそうな顔はしていないが――――別に私も迷惑というほどでもない。
「良いじゃないか、手が掛かる程可愛く見える――――そうだろう?」
「あら、その通りよ」
口を開きながら驚いた表情で翔鶴は頷いた。
――――一応、妹も居るからな。気持ちは少しだけ分かる。
「あ、そうだ。私もあげるわ」
彼女は袖から小さな袋を取り出す。袖の下という奴か?
まあ多分違うのだろうが。
――――そのシンプルな小袋に入っているのはクッキーだった。よく出来ているが――――。
「翔鶴、お菓子も作れるのか?」
「趣味だけどね」
瑞鶴にせがまれてテンプラを焼いているのはそれほど腐る程見たが。瑞鶴の方が上手いのにな。
確かに翔鶴は料理が上手いが、テンプラだけで見るなら瑞鶴にはかなうまい。アレは最早職人技だ。
「今度私にも教えてくれ」
「え? 構わないけど…………意外と家庭的なのね」
そうだな、と少し生返事気味になりながら前に置かれた大仰な包装を解いていく。
――――予想通り、中は裁縫セットだ。
「取り敢えずやってみるんだ、何でもな」
性に合うかどうかなんて、出来るようになってから考えれば良い。
――――――目の前の裁縫セットの値段なんて想像しながらまた呆然としていると、突然放送のスイッチが入る音が鳴り響く。
【はい、鎮守府の諸君! こんばんわ! そして――――外に出給え!】
彼の声だった。相変わらず変なテンションだったが、時刻は――――ビンゴ。7時半だ。
――――実はプレゼントというのも、予想はついていたのだ。
【我らが鎮守府の看板娘こと、エンタープライズの誕生日サプライズをしま―す! はい拍手だぞ皆!】
名前を呼ばないで欲しいな、恥ずかしい。
皆こっちを一斉に向いてきたぞ? 拍手は確かに来たが、それも何処か不思議そうな表情が目立つ。
【具体的には花火をします――――ほら加賀さん、何か言えって】
どうやら加賀も放送に加わっているらしい。
彼女の事だから喋る気なんて全く無かったのに、無理やり引っ張り出したのだろう。彼はとりあえず誰かを巻き込む、というのが大好きな人だ。
【急なフリだな――――ふぅ………………】
少しもみ合っているようなやり取りの後、彼女がやっと喋り始めた。
仕方無しと、小さな溜息の後――――。
【――――――このクソッタレな職場で働くッ、素晴らしき労働者である諸君らに告ぐッ!】
「…………誰だ、君は」
誰か分からないような怒号じみた力強い声を出す。全く、私達の中で偶にいるやたらと声域の広い艦は何者なんだ?
他の艦も予想外な彼女の発声に固まって放送を待つばかりになる。
【今から行われる花火はこの阿呆の全額負担の無駄に本気のお巫山戯である!】
【無駄遣いを存分に見て、笑ってやるのが我々清き労働者の彼への最大の返礼と心得よッ!】
しかし、所狭しと彼への罵倒が紛れている事こそ否定できないが、その言葉は飾りのない正面からの言葉だった。
これは加賀の心からの言葉には違いなく。
荒削りだが、それだけは胸に届いた。これで彼を評価した言葉のつもりなのだろう。
――――――私もこれぐらい、普段から出来れば良いのだがな。
【再び告げるッ! これは阿呆の公私混同甚だしき馬鹿騒ぎである!】
【日頃阿呆でないものこそ阿呆であれ! メリハリを付けるというのは、この鎮守府の七十七か条が中でも一桁目に類する重要項目であるッ!】
彼女の怒号とも似た言葉は鎮守府中を震わせる。罵倒は廊下を走り、命令は誰もの脳内を這いずり回る。この放送を例えるなら濁流、氾濫――――そういう暴力的な力を持ったものだ。
だが暴力的であっても、悪影響は無い辺り、ある意味素晴らしい放送かもしれない。
――――一同がざわめきながら動き始める。
そんなものが有ったのか、と翔鶴は目を丸くしてこちらを見る。七十七か条の話だろう。
――――私が来た頃に思いつきで彼が書き連ねたものだ。
番号の若い順に優先度が振られていて、意外とこの鎮守府では色んな場所で一部が抜粋されて紙が貼られていたりする。
食堂の入り口にも――――ほら。
『その四、食事は満足するまで。何事を成すにも鉄則である』
妙に堅い口調なのがまた変なんだよ、これは。
『777は無理だけど77でもまあまあ縁起いいんじゃないか!?』
そうからからと笑ってペンを走らせていく彼が瞼の裏に浮かぶ。
『ほら、プライズちゃんも何か考えてくれ! 俺だけじゃ77も思いつかねえよ!』
――――――懐かしいな。
私は何を書いたのだったか。
「エンタープライズ、笑ってる。何か良いことでも思い出した?」
翔鶴が不思議そうにこちらを覗き込んできた。
「さあな。些細な事だ」
【そして最後に三度告げるッ!】
【騒がぬものは、見るに無残な我らが指揮官殿の財布を愚弄するものと心得よ!】
【良いか、貴様らはこの愚か者の財布から羽を生やして飛び立った福沢諭吉の分だけ笑うことが義務であり、優先事項である!】
【以上ッ! 諸君らの作業に取り掛かり給えッ!】
ぷつり、放送は切れた。加賀が切ったような気がする。
――――大方、今の熱演をしている内に本当に熱が入ってしまっただとか、そんなオチだろう。
しかしやはり意外だな。彼女はもっと穏やかな喋り方のほうが向いていると思うのだが――――。
「まあ、指揮官殿のご命令だからな」
少し頑張ったりしたのだろう。
さて、行こうか。
――――彼が全額負担というではないか。
これは一目見て彼の前で笑ってやらないと気が済まない。
――――ガヤガヤと砂浜に艦がひしめき合っている。いつもの悪い癖で、良い位置なんて諦めて人混みから少し距離を取って、木陰の下で眺めていた。
何処であれ良いものなら、良く見えるものだからな。
――――星空も美しい。今日のような日には天体観測が洒落ている、と以前の彼はよく私に教えてくれたものだ。
(――――――まあ、今は花火の方か)
少し木の葉が景色を邪魔しているつもりのようだが、溢れるように垣間見える光はそれとして美しかった。
妨害しているつもりで味を出している。
――――物事なんて見方次第だ。
「…………やはり、予想通り」
空に放たれる青、赤、緑、黄――――――浮かんでは消えるその色彩は美しい。記憶の余白に綴じたくなるような良いものだ。
――――独特な上昇音とともに、短い栄華を主張し続ける花火玉が好きだった。短い生涯に全力であろうとする在り方が好きだった。
勝てるかではなくて、晴れ渡る星空と共に輝ける彼等が好きだった。
今の私では中々出来なくて、尊敬している所もある。
「…………どうだ?」
いつの間にか隣にいた。いつもみたいに変に存在感を出してくれればいいのに、こういう時ばかり気配だって気取らせてくれない。
――――意地の悪い人だ。今も、昔も、多分これからも。
「綺麗だ、予想通りなんて言うのも失礼なくらいに」
笑顔で見つめ返してやる。加賀はそうするのが義務だ、そう言っていたからな。
――――――彼は帽子のつばを強く下に引きながら顔を逸らす。
「反則」
「どうした?」
「何も無いよ、何にもな」
問い質そうとするまでもなく、まともに返してくれそうな気はしなかった。
――――しばらく、二人でただ眺めていた。生まれて輝いて、消えるだけの彼等を眺め続ける。鮮やかな色彩を眼に焼き付けながら、きっと忘れまいと努力してみる。
忘れるし、美化されるのは分かっている。でも、そうしようとすることに意味が有るのだと私は思うから、辞める気は全くない。
「…………なあ、指揮官」
「何だよ」
「あの時から言い損ねていたが――――――あなたの事が、私は好きだ」
「そうかい」
何だ、反応の薄い。勘違いしてくれても良いじゃないか。
勘違い、か。脳裏で自分の面白くもない冗談を反芻した。
――――彼は顔を伏せたままだった。表情はイマイチ読めない。
「私達は愚かなんだったか?」
「そうだぞ、超大馬鹿者だ」
そうか、と言ったのに笑ってしまう。納得できるような、できないような感覚にくすぐったい気分になる。
「じゃあ大馬鹿者らしい質問をしていいか?」
「良いぞ、バカみたいな返しを期待しとけ」
それは気が効いていて良いな。
今は阿呆になりたい気分だ。
「天の光は全て星、海の光は全て敵。なら地の光は――――何だと思う?」
彼ならおかしな答えをくれるだろう、私には『人間』以上の答えが出てこなかった。そもそも、それを答えることに恐らく意味はなかった。
――――しかし帽子をあげた彼の顔は真剣そのものだった。いつものギリギリで言葉をかわすような、飄々としたそれは鳴りを潜めている。
「くだらない人工照明、って前は言ったかもな」
彼がこちらに向いて、緩んだ口を更に大きく開く。
――――話の流れを汲んでやろう、少し興味が出てきた。
「じゃあ今はどう答える?」
「希望だ」
思わぬ切り返しに、目を見開いてしまう。
「――――――ってかこれ、お前が俺に教えてくれたんだよ」
そんな洒落た返しを私は考えてみたこともなかったのだが、何時教えたのだろうか。
――――私が訝しんでいるのに気づいたのだろうか、彼は急いで手を振って言葉を挟み込む。
「ああ、言葉に出しちゃいないよ――――――でもな」
「お前が俺にそう思わせてくれた。俺は人に関しちゃ未だ全然好きになれそうにもないが――――」
「今は、人の可能性だけは。何とか信じられるんだよ、実はさ」
――――今日は涙脆くて困るな。何時からこんなに私は弱くなったのだろう。
いや、今までずっと弱かったな。
止まらない――――本当なら、それ程報われたことなんてきっと無い。
「そうか――――私はただ、敵を倒してきただけだ」
「でも、お前はどんな所まで来たって俺を、人を信じ続けてくれた」
色々有っただろう、と彼は付け加えた。
――――確かに色々有ったな。思い出せたり、そうでもなかったりする様々な記憶が頭の中で明滅していく。
それこそ花火みたいで――――やっぱり、それも美しい。
「だから俺も、お前がそこまで信じた人の――――――まあ可能性ぐらいなら信じられるよ。今は」
そうだな、それは私が知る限り人の中でも最も輝きを放つ物の一つだ。
――――良かった。
「それなら、案内ぐらいはこれからも果たせそうだ」
「頼むぜ、お前は俺にとっては星なんだから。指標がブレたりしないでくれよ?」
――――ああ。
そうとだけ言って、笑って見せる。星は何時だって、輝かなくてはな。
――――そして、星は落ちない。
見つめるのが彼である限りは。
「――――――馬鹿だ」
初めてそんな言葉が、自然と漏れた。今回は涙も流れたけれど、多分笑えているのは自分でも分かった。
「ああ、大馬鹿さ俺は」
私のような性格で、何かを誤魔化すことはさっぱり向いていないのだろうな。改めて再認識するいい機会となったようだ。
「本当に大馬鹿だぞ。私を泣かせるなんて、中々に度のいった大馬鹿だ」
嘘は良くない。今更過ぎる、真理だった。
誤魔化すのは良い、逃げるのも間違いではない――――――だが、嘘はついてはいけない。
――――誠実であれ。其れは私自身に科した、数少ない人生の指針だった筈だ。
そんなことすら忘れていたのだろうか――――いや、違うな。これも誤魔化しだろう。
「知ってる」
逃げるのはもう辞めだ。
徒に自傷行為に走ってしまえば、また彼が哀しんでしまうことだろう。苦しいのは自分が一番知っている。
「お詫び代わりに、というと何だが。後で、久しぶりに星を見に行くのに付き合ってくれ」
曝け出すのが苦手なのは彼の方だと思いこんでいた。それは私の方も、だったに違い在るまい。
だから今日ぐらいは、せっかく祝われた誕生日くらいは素直に言葉にしてみよう。
――――――もう少し、彼にも素直になってもらいたい心残りも在るが、それは今は忘れておこう。
「ああ、良いよ」
「あの時はあなたが星座を教えてくれたから、今回は私が教えるよ――――――」
あの時みたいに森の中の寂れた廃校舎で、互いに望遠鏡を見合って、妙にはっきりと見える星座とか、そうでもないけど綺麗だった一等星だとか――――――
――――――私が見つけてきた輝く物とか、大事な人だとか、信じてきたものだとか、全部。
全部笑いながら、教えてやろうと思う。
【あなたが何時か、本当に世界を好きになれるように】
彼は約束通り、倒れそうだった私に肩を貸してくれた。
礼は返そう――――――それは私に出来る事で言えば、誠実に気持ちを伝えるぐらいのことだ。
【あなたにもう、嘘をつかなくて良いように】
【――――――君も、そうするべきだと思うだろう?】
かつての正直なだけだった自分を見つめては見た。
当たり前だと笑わないで欲しいのだが。無垢な過去の亡霊に答えを求めても、やはり無駄なようだった。
次回、今夜の其れで漸く最終回。
別名または終幕。要らない蛇足。有って欲しい夢の終わり。
タイトルは『天体観測』としました。
彼は今も
彼女も今、
貴方は追いかけてる何か、有りますか?