「今日も平和だな…………」
提督が空を見て呟く。海鴨の鳴き声が響くと、そういえばここは海だった、なんて事をぼんやりと思い出す。
――――書類仕事ばかり続いている。相変わらず机に乱雑に積まれた書類は、ものによっては提督の目線を覆わんばかりに積まれている。誰が言い出したか『書類の摩天楼』である。この鎮守府の観光名所()であるが、彼にとっては過労死名物となっている。
逃避行にトリップ気味の提督をエンタープライズが時計を見ながら諌める。
「後数十分で昼休憩だ、もう少しだけ頑張るんだ」
「そんな感じのことを言われ続けて早数時間――――」
それはどちらかと言えば提督の根気のなさと飽き性に原因を感じなくもない。
――――普通に計算すると大体9時か10時辺りからこんな感じということになる。文句を言う権利は果たしてこの男に有るのだろうか?
しかし、道理が通っていようがいまいが動かないものは動かないわけである。体を垂らして停止する提督に、エンタープライズは困ったように帽子をしきりに触る。
「…………どうしたものか」
固まった空気が執務室に充満する。提督は萎えてしまうとてこでも動かないのだ、意思を貫く方向性の間違いには悲しみを禁じ得ない所である。
――――しかしそんな地獄絵図の矢先に扉が勢い良く開く。
「指揮官、三笠大先輩が帰ってきたって――――!」
瑞鶴だ。緊急ということで走ってきたのだろう、息切れしながらも尚報告を続ける。
「え、三笠ちゃんが!?」
酷い呼び方に息絶え絶えのはずの瑞鶴が一瞬だけ彼を見た。
提督は彼女を三笠ちゃんと呼ぶ。仮にも大先輩なので尊称をつけるべきなのだが、彼の『天は人の上に人を作らず』精神は自分の年上にも及ぶらしく、特に年上に扱っている様子はない。
実は赤城に敬語なのは相手が敬語だからということらしく、要は相手と対等の立場で喋るのが大抵の場合の基本原則のようだ。
――――取り敢えず、と机に置かれていた帽子をかぶり直して提督は早足に歩く。
「よし、行こうか」
「――――言っても聞かないか。仕方ない、休憩に入るとしよう」
エンタープライズはひっそりと溜息を付いた後、提督についていく。
「人多いなあ…………」
何時になく食堂が人に溢れかえっていた。いつもは時間をずらして食堂に足を運んでいる艦も集まっているのだろう。
三笠というと生きる伝説のようなイメージがついているらしく、よってくる野次馬はハリウッド俳優に黄色い声援をするそれと同類というわけだ。
提督はそんな気持ち黄色めの人混みをかき分けながら進んでいく。
「三笠ちゃ~ん!」
提督が手を振りながら名前を呼ぶと、何故か怒ったような返事が返ってくる。
「誰が三笠ちゃんだ!」
うえ、と提督は自分のミスを後悔をしながら人混みを何とか抜ける。
三笠としてはその呼ばれ方は不本意なのだ。内心そう呼ばれたいとは思っているようだが、例外を認めては他の艦に立つ瀬がないのだろう。
「ふぇー、相変わらずの大人気だなぁ」
人混みから這い出てきた提督の顔を見て三笠は目を丸くした後、諦めたように溜息をつく。
「ああ、お主か。一体どんな艦かと顔を拝んでやろうと思っていたのだが…………」
しかし言っても全く辞めないのが彼のしつこい所で、注意はするけどもとうに改善は望んでいない感じであった。
「おかえりなさい、三笠ちゃん」
挨拶をする提督をよそに三笠はつらつらと説教を始めようとする。
「しつこい奴だな、お主も――――」
「お・か・え・り!」
どうやらちゃんと返事をしないのが不満らしく、提督はもう一度ゆっくりと大きな声で言った。
――――残念ながら、彼の強情な態度には三笠ですらも敵わない。
「――――――ただいま」
言い慣れてないのか、顔を逸らしながら無愛想に返事をした。
それに満足したのか、提督は満足そうに肯いて三笠の隣に座る。
「はい、おかえりなさい。挨拶は大事だよ、三笠ちゃん」
彼が満足そうなのが余計に気に食わないのか、口を尖らせながら三笠はカレーを口に運んだ。
「全く、私の方が年上のはずなんだけどな…………」
「幾ら大先輩でも礼儀は必要だよ」
それはその通りであるから、三笠も横目で見るだけで反論はできなかった。
――――それで、と区切りを入れた途端に提督は神妙な顔つきになる。
「――――――それで、飛行機については理解できました?」
「うむ!」
彼女はいい返事をした。
「全く分からなんだ!」
だがこの有様である。
全くなんだ、と提督は苦笑いをする。
――――しかし彼女の分からないとは戦略に活かせないという意味だろう。決して構造、存在が理解できないような人物ではない。
「しかし視野の広さ、というのは確かに重要だな。ヒコウキそのものはともかく、着眼点は理解したつもりだぞ?」
「それは何よりです」
正直提督としてはそれだけ分かってくれれば御の字であった。つい一週間前の彼女を見れば、それだけでも大きな成長と言える。
――――と言っても、三笠がこの鎮守府に来てそう短くはない。
ただ数週間前に、唐突に
『そろそろ新しい物にもついていかなくてはならない』
と言い出して外出を申し出てきた時は提督も目を丸くしたものだ。
――――彼女の『特異性』を考えれば、それをわざわざ知る必要など無い。だが、提督は本人たっての希望を無碍にするような男でもない。
ついでに提督が何故他の鎮守府を見てくるのかと聞いた所、今回の一連の流れが全て『新たな知見を得る』というざっくばらんな目標に基づいているからだとのことらしい。
老いて益々盛んと言っては怒られるだろうが、その行動力には時々提督も目を剥いてしまうものが有る。
「空母の運用というものも見てみたのだが、後輩は難しいことをやってのけているのだな。我にはとても真似が出来そうにもない、アレは」
具体的には発着艦の事を言っているのだろうか、と提督は類推する。
――――確かに高い練度の空母が行う其れは、一朝一夕で身につくような業ではないだろう。計算だけでは辿り着けない境地に到達した艦というのも極少数ながら間違いなく存在している。
「ははは。まあ三笠ちゃんは三笠ちゃんにしか出来ないことが有るわけだし、それで大丈夫だって」
彼は励ますつもりでも何でも無く、そのままにそう言った。
基本方針の一つだ。「得意なことで戦え」、どうしても苦手なことを持ち出して勝負するのは彼にとっては愚策なのだ。
――――三笠が彼に続いて出てきたエンタープライズと目を合わせる。
「相変わらずご健勝のようだ、ミス三笠」
はにかんで礼をするエンタープライズに三笠も笑い返す。
「そちらも随分と演習で暴れていると他の鎮守府でももっぱらの評判であったぞ、エンタープライズ」
「そこまで暴れているだろうか…………?」
首を傾げるエンタープライズを見て、提督は溜息をつく。
「エンタープライズで暴れてるの範疇じゃなかったら、うちの鎮守府が魔境とか呼ばれないと思うぞ。なあ、三笠ちゃん」
三笠はそうだな、とカレーを口に運んだ。所謂生返事に相当する其れに、提督は苦笑いをした。
「まあ皆積もる話も有るだろうし、俺は明日の秘書艦になってもらった時にゆっくりと話をするとするかな」
そう言って提督は席を立った。
――――実際は、三笠が食事を始めると生返事しか返って来ないのが理由だったのは分かるはずだ。
彼女はいつもこうで、一つに専念する性格とでも言うべきだろうか。そういう人物だった。
「というわけで、お話しよう」
ペンを速攻で投げ出す提督を見て、三笠は溜息をつく。
「石の上にも三年とは言うが――――三週間ごときでお主のサボり癖は治る気配なし、か」
「身についた人間性は一朝一夕じゃ治らないでしょ」
それはそうだがな、と三笠は言い知れない感情に口ごもる。
彼女が困っているのは、どちらかと言えば其れに反省の色を見せない彼の態度に有るのかもしれない。
「全く。これでいて実績は出しているのだから、お主はさながら織田信長だな。鳴かぬホトトギスはどうするのだ?」
「迷いなくお腹をくすぐる。合法で鳥のお腹触れるんでしょ?」
「迷案だな」
三笠はじとーっと提督を見る。本人は至って真面目に冗談を言ったつもりらしい、まさにうつけ者。
しかしうつけは要らない蛇足をするからうつけなのだろう。
「え、鳥のお腹触りたくない?」
あまりにも的はずれな質問に三笠が少し怒る。
「私が言ってるのはそこじゃない!」
そこじゃないのかー、と提督は何も考えてなさ気に肩を落とす。
つい素が出てしまった、と三笠は咳払いをする。
「――――それはさておき。ヒコウキというのは凄いのだな。考えたのは、ら――――らい」
「ライト兄弟?」
「そうそれだ。そのライト兄弟とやらの発想には天晴だな」
三笠が頷く。
――――提督は少し考え込む仕草をした後、何処からともなく紙を取り出して紙飛行機を織り始める。
「まあコレを鉄とかで作るなんて、俺もあの時代の人間だったら思いつかないな。その発想自体が凄いというか」
「全くだ。成功例の無いものを一から作るのは何であれ難しいものだからな」
出来た紙飛行機を、提督が手に持って隅々を眺める。
「でも実は――――日本人って、もうちょい前に飛行機作ってるんだ」
「何? そうなのか」
少し驚いた表情で尋ねる三笠に提督が肯く。
「ああ、二宮忠八。誰よりも速く有人飛行の理論を生み出して、なのに先を越された不思議な人だ」
提督は紙飛行機に何か違うものでも見ているようにじっと見つめる。
「ならば世界に広まっていておかしくはないだろう、何故ライト兄弟が有名なのだ?」
三笠の疑問にちらりと提督が彼女の方を向く。
良い質問だ、とその視線が言外に彼女に告げる。
「簡単だ、作らなかった――――違った、
その設計図は玉虫型飛行機と呼ばれており、設計図そのものは少なくとも10年前には存在したという。
「当時の上司に言っても言われたんだそうだ――――『戦時中である』。結果必死で自力で金を貯めたらしいが、まあ限界だわな。先を越された」
「――――――それで、その二宮忠八はどうしたのだ」
三笠はへばり付くような汗をうなじから流しながら尋ねた。
「あくまで一説だが、必死で作ってきた機材を――――全ッ部ぶっ壊したらしい」
提督は紙飛行機を扉に向かって飛ばした。
――――丁度開いていた扉の、少し前で止まる。何とも縁起の悪そうな幕切れとなった。
「三笠ちゃんはどう思う? 二宮忠八は何を考えながら機材をぶっ壊していったのか――――――俺には想像もつかん」
「…………分かるものか。その無念は他人に理解できてはならないだろう」
かもな、と言って提督は椅子から立ち上がって、ゆっくりとした足取りで飛行機を拾った。
着地が良くなかったのか、先端が少しだけ折れている。
「――――――ま、その後色々吹っ切れて神社とか建てたそうだ。後々設計図通りに作って飛んだ時は、突っぱねた上司も個人的に頭を下げに行ったらしい」
重い空気を跳ね飛ばすように笑いながら、紙飛行機の先端を直した。
「これ聞いてからは、取り敢えず人の意見は聞いてみて判断するようになったもんだ」
「――――お主」
三笠が紙飛行機を指差す。
「それは、もしかせずとも書類だな?」
「あ、バレた」
提督は手を上げて降参のポーズ。すぐ折れるならやるなという話だ。
「全く、全くだな! 良い話かと思えば何をしているのだ!」
三笠は怒りながら提督の耳を引っ張る。
――――さすがに耳は痛いのか、提督は涙を浮かべながら手を叩いて退けようと試みる。
「ごめん、ごめんて。ちゃんとやるから~」
「さては仕事をサボる為に喋りだしたなんて言わないだろうな。だとしたら我はがっかりだ! 本当にがっかりだぞ!」
それは違います、と引っ張られながら席について提督は弁明する。
確かにそういう事をするイメージは三笠にもなかったのだろう、少し考え込んだ後に何か得心の行ったような表情を見せる。
「――――――もう! 後でお土産あげるから、頑張りなさい」
「うぃっす…………」
次が終わったらまたのほほんとします。
何か提督がフランクすぎるというかだいぶ変わり者にしてるせいか軽い。三笠とは姉と弟みたいな距離感になった。
そのせいで若干口調外れやすくなってるのはちょっと原作とずれちゃったかな? と若干不安です。
二宮忠八の話は結構好きです。漫画みたいなホントの話ってやつですね。