それぞれの間違えがあった。
これはだだのその『結果』。
あぁ、失敗した。
風呂に浸かり湯気が立ち上る天井を眺める私は、心の中でそう呟いた。
思い出すのは、今日の放課後での出来事。
それは友人たちと人狼ゲームをして、私が負けたことが始まりだった。
自分で言うのもあれだし、わざわざ自ら口に出すことはないが、私は美少女だ。自己分析は得意なのだ。誇張でも何でもない。
目鼻立ちの整った綺麗な顔、艶のあるセミロングの黒髪、少々控え目ながら理想的な体型と身長。
凡人より遥かに優れた身体能力、テスト勉強無しで常に学年3位以内の成績をキープする学力。
唯一の欠点があるとすれば、会話が少々苦手なことだが、ある程度親しくなれば苦もなく会話出来るので、問題はないだろう。
長々と語ってしまったが、要するに私は才色兼備なのだ。
そんな私は、ごく稀におちょくられる事がある。
人狼ゲームで負けた私は、友人である女子からどんな罰ゲームが下されるのかと幾つか予想を立てた。しかし、彼女が示した罰ゲームは、予想したものとはまったく違った物だった。
「あいつに告白して、OKが出たら1週間彼女になってよ」
指差されたのは、いつもクラスの端っこにいる地味な男子。私以上のコミュ障の男。
余りにも予想外。余りにも唐突。私の思考は停止した。
聴くところ、彼女の幼馴染らしく、高校に入る以前はもっと活発な性格だったらしい。自信をなくしたか知らないが、急に陰気になり、見かねた彼女は私に夢を見させてほしいらしい。
「そんな……私には無理だよっ!」
「お願い!少しでいいの!以前のあいつが見たいの!!」
「でもっ……!」
頭を下げ懇願され、押しきられる形で私は彼に嘘の告白をしたのだ。結果は当然の如く、OK。
良心が痛んだが、他でもない親友筆頭候補のお願いだ。それに悪意ではなく善意からきた行為だ。褒められたことではないが、無下にすることはできない。
「……はぁ」
漏れた溜め息がお湯の水面を僅かに揺らした。
これから一体どうすればいいのだろうか。賽は投げられた。もう後戻りはできない。
……そう言えば、私の告白を了承した時の彼の顔が、どこか印象に残った。あれは、どういった感情が込められた表情なのだろうか。
「……うじうじしててもしょうがない!」
私は勢いよく立ち上った。ザバッと音を立てて水面が大きく揺れた。
……因みにちょっと立ち眩みがしたのは秘密だ。
△▼△
俺は、かつて世界を救った。
救ったのは異世界。その異世界の神に懇願され、仕方なく了承したことが、事の始まりだった。
異世界の勇者。よく小説で見る称号で、正直憧れていた。だからこそ、事を軽々しく見ていたところもあった。
異世界に召喚され、最初は勇者だともてはやされた。しかしそれも、訓練が始まってからすぐになくなった。
まともに戦うことが出来なかったのだ。
まずは肩慣らしにと戦ったのはゴブリン。ゲームでよく出るモンスター相手に、俺は武器を盗られたあげく、ボコボコにされたのだ。
それも当然。こちらは平和な日本育ち。武器を手に戦ったこともなく、命をかけたこともなかったのだ。
待っていたのは、苦しい修行の日々。
何度も死にかけた。何度も心が折れかけた。何度も後悔した。
そんな俺が世界を救えたのは、ひとえに俺と同じ境遇の女の子が居たからだ。
彼女は俺の幼馴染の一人だった。俺と同じく勇者としての資質をもつ勇者候補だった。
彼女は俺を何度も励ました。語り合った。共に夢を共有した。彼女は俺を救おうとしていたのだ。
いや、俺だけじゃない。救おうとしていたのは、世界を生きる全ての人たち。救えない命を見て泣いて苦しむ。そんな人間だった。
救われたのだ、俺は。彼女のその在りかたに、夢に、存在に憧れ、そして恋をしたのだ。
そんな彼女のお陰もあって、死すら生温く思える修行の末に。眠っていた勇者の素質を目覚めさせることに成功したのだ。
それからは、激流のごとく月日が流れた。
最初はゴブリンすら倒せなかった。倒せるようになった。
オークを倒せなかった。倒せるようになった。
人の依頼を満足に達成出来なかった。達成出来るようになった。
何も救えなかった。救えるものが増えていった。
彼女に思いを伝えることが出来なかった。
……伝えることが、出来た。
しかし、それは余りにも遅すぎた。
魔神との直接対決。人類の、生命の、世界の命運をかけた、最終決戦。
魔神は想定を遥かに越える強さだった。
修行の努力は無駄では無かった。しかし、魔神と同じ、人外の土俵に足を踏み入れることができただけ。
魔神は絶対的だった。
勇者と共に歩んできた仲間たちが死に逝く中、彼女は魔神に隙を作るために、自らを犠牲にした。
一瞬だった。
彼女は捨て身で魔神の動きを僅かに遅らせた。その隙に、俺は彼女ごと魔神を切り裂いた。
魔神は俺に呆気なく切り伏せられ、絶命した。
こうして世界は救われたのだ。愛する人の命と引き換えにして。
致命傷を受け、血の海に沈む彼女を前にして、俺はようやく己の心を彼女にさらけ出したのだ。
君が好きだ。君と一緒に生きていきたい。どうか、死なないでくれ!
生まれて初めて、誰かのために涙を流した。
知ったのだ。他人の哀しみを、自分の哀しみよりも大きいと感じることができる、その貴さを。
だが、彼女は死ぬ。その事を、俺はどうしようもなく悟っていた。
血が流れ、冷たくなっていく身体で。彼女は笑顔で泣きながら俺に言った。
「__ご、めん、ね……」
瞼は閉じられた。支えていた彼女の身体がズシリと重たくなった。
彼女の命が、消えたことを、俺は__。
気が付けば。
俺は召喚された場所と時間に戻っていた。
ただし、召喚されたとき、隣にあった温もりは、ない。
高校に入って。俺はもう一人の幼馴染、死んだ彼女の親友だった人にあった。そいつは、彼女を忘れていた。
もしかしたら、誰かが彼女のことを覚えてくれていることを期待していたのかもしれない。
しかし、真実はどこまでも残酷だった。
彼女に関する記録の一切が消されていた。
彼女に関する記憶はなくなり。
彼女の妹は一人っ子になり。
彼女の部屋は物置部屋になり。
彼女の物は全て消え去り。
俺は、全てを諦めた。
放課後、屋上に続く階段を上がる。辿り着いた屋上は、夕日で赤く染まっていた。
柵に手をかけ、眼下を眺める。
待ち受けるのは、黒くて固いアスファルト。
大丈夫。帰ってきてから調べたが、能力や身体機能はこの世界の身体に戻っている。首から落ちれば問題なく死ねるだろう。
その時、屋上の扉が開く音が聞こえた。
そちらを見ると、一人の綺麗な女の子が居た。確か、同じクラスの……。
思い出している内に、その娘はこちらに歩いてきた。どうやら俺に用があるらしい。
こうも見られては、こちらもちゃんとした対応をしなければなるまい。柵から手を離し、その娘と向き合う。
その娘は緊張で揺れる瞳で、その逡巡を振り払い。
「____わっ、私と、付き合ってくれませんか?」
瞬間、俺は落胆した。絶望したと言ってもいい。
俺にはわかった。この娘は嘘をついている。異世界で培われたのは外面的な力だけではないのだ。
返事を待っていたので、とりあえず黙って頷いておく。こうすれば、この娘はすぐに立ち去るだろう。
その予想は間違うことなく、娘は立ち去った。
「……はぁ。こんな嘘ばかりの世界は、もうこりごりなんだ」
今度こそ俺は柵に手をかける。身を乗り出す。
仮に彼女が本気で俺に告白したのであれば。
それを生きる理由に出来たのかも知れない。
しかしそれは可能性の話であり、傲慢な願いであり、もうあり得ない話だ。
「__今、行くよ」
幸いにも今日は部活もなく、殆どの生徒が居ない。学校に残る生徒も、俺が死ぬであろう場所を通るであろうことから、俺の死体が発見されるのは、明日の朝か?
「……次は、ちゃんと恋をしたいなぁ」
そうして俺は。
一切の躊躇なく身を宙に投げ出し。
そのまま無抵抗に落下し。
猛烈な勢いで迫るアスファルトに目を閉じ。
「さよなら」
____死んだ。
それぞれの人達に。
それぞれの間違えがあった。
ただそれだけ。