幻想郷。それは
人間も、妖怪も、あまつさえ神すらもその楽園へと集うのだ。
その楽園の鍵はただ一つ。「忘れられる事」である。今の世の中にいらない、不要だと破棄されたその末節。それこそが、楽園への鍵となる。
それは、自然現象とて例外ではない。今や超高層ビルが建ち並び、人々はかつての信仰の対象であった神を忘れ、科学という新しい宗教を信じるに至った。
かまいたちに、人魂。いままで自然の一部であった妖怪たちは科学現象に置き換えられ、人々はこう信じる様になったのだ。
「妖怪」「迷信」なんてもう時代遅れ。だと。
そんな現代の鏡合わせとも言えるような、幻想郷。
そこでは、紅葉が色づき始め、川のせせらぎが心なしか穏やかになり始める。夏の暑さを忘れてしまうような、肌寒さを感じる秋が訪れていたのであった。
さて、幻想郷には妖怪の山というものがあるのをご存知だろうか? その名の通り天狗、河童を始めとした、皆も一度は耳にしたことがあるような妖怪達が跋扈する霊山である。
そんな妖怪の山も、秋の影響を色濃く受けている。人の手など入らない原初の山。その山は夏の息吹をしっかりと受けて、青々としていた木々たちが立ち並んでいたのだ。しかし、気温が変わるに連れて、いつの間にかぽつり、ぽつりと色を変え始めた。俗に言う、紅葉である。
紅葉と言えば、木々が冬を越える為に、落葉させるための活動を行う。その過程で葉に栄養素が行かなくなり、葉で生成されたグルコースと呼ばれる栄養素が、アントシアニンという赤色の色素に変化するとされている。
しかし、そんな事は幻想郷では関係ない。紅葉と言えば神々が起こす奇跡であり、秋姉妹と呼ばれる神の姉妹が起こしたものとされている。
その秋姉妹。姉を、「秋 静葉」。妹を「秋 穣子」と呼ぶ。それぞれ、紅葉を司どり、豊穣を約束する神である。
今回覗くのは、そんな姉妹の日常。
どたどたと、妖怪の山の麓近くにある小さな祠に足音が響く。葡萄の飾りを付けたドアノブカバーのような帽子を左右に揺らしながら少女は騒がしく走っていた。
髪色は、畑一面の麦を彷彿とさせるような穏やかな金髪。その短くもウェーブした髪が肩口で跳ねる。秋の姉妹だと主張するような真っ赤な召し物が目に輝かしい。
その少女こそ、豊穣を司る「豊かさと稔りの象徴」秋穣子である。
妹神は、ある一室の目の前に立つと、障子を勢い良くガラッと開け放つ。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん。ねぇねぇ、お姉ちゃん!」
「なになに穣子、なにかしら?」
そう応じたのは、紅葉の髪飾りを揺らす、穣子とよく似た特徴をもつ神様。穣子のウェーブした髪に対し、こちらはストレート気味。その髪色が一緒ながらも髪の特徴が異なり、必然的にどこか落ち着いた印象を受けるこの少女。この少女こそ、紅葉を司る神である「寂しさと終焉の象徴」秋静葉である。
くるっと振り向いた表情は笑顔。こちらもなんだかワクワクとしている印象を受ける。
さてその二人、実に楽しそうな表情で話始める。
「来たね! ついに来たね!」
「来たね、ついに来てしまったわ!」
「せーの!」
「「秋だーー!!」」
二人してバンザイ。実にテンションの高い二人であった。
「おねーちゃん、秋と言えば? 秋と言っちゃえば?」
「うふふ、いっぱいあるわよね。読書に運動、それに食べ物だって美味しいわ」
「うんうん!」
「けれど、やっぱり……」
「やっぱり……やっぱりアレだよね!」
「そうね、やっぱりアレしかないわ」
「では、どうぞー」
「労働の秋」
「……え?」
とたんに死んだ目になる静葉。流石に、この豹変っぷりには驚きを隠せない、穣子。困惑した状態で問いかける。
「え? 労働? 紅葉じゃなくて? 実りじゃなくて?」
「……穣子、よく考えなさい? 普段姉がやっている事は何かしら?」
「葉っぱの色付け……あ」
何か思いついたように、口を開ける穣子。そう、幻想郷では、紅葉は色素の生成された姿などでは無く、この姉こと、秋静葉が一枚一枚色を付けている事になっている。そのため、黄色であったり、緑の葉が残っているムラが発生すると信じられている。
一本の木にして、おおよそ十万枚程の葉が繁っており、その一枚一枚を職人の技のごとき繊細さでペタペタと塗っていくのだ。夏から秋に切り替わるその僅かな時期に行われるその早業。まさしく神業と言う他ないだろう。
「おねーちゃん、今年も大変だったんだね……」
「えぇ、そうね……でも」
「でも?」
「それも終わったわ! わーい」
「やったね、おねーちゃん! わーい」
「さぁ、穣子。秋をエンジョイするわよ!」
「あ、ごめん。私、信者さんにお祭り呼ばれてるから」
「……えぇ?」
しれっと態度を翻す、妹神。稔子の方は豊穣の神。当然だが紅葉か、豊穣かと言われたら人々は豊穣を優先する。花より団子である。
悲しいかな、姉よりも妹の方が人々の間では人気なのだ。頑張れ静葉。
「え? 私呼ばれてない……」
「そりゃだって、収穫祭だもん。私だけのお呼ばれだよ」
「酷くない?」
「酷くない」
「お土産は」
「ない」
「私の時代は?」
「来ない」
「奇跡的に呼ばれるとか?」
「奇跡を起こす方がなんか言ってる」
「うぅぅ」
膝を抱えてうずくまる姉。一仕事終えて帰ってきたら妹は出かけ、家には誰もいないという仕事に疲れた20代みたいな事実にうちひしがれる。
そんな姉の様子を見て、くすりと笑う妹神。
「まぁ、まだ先のことなんだけどね」
「え? いいの? 私ここにいていいの?」
「うんうん、いいんだよお姉ちゃん。そんなに卑屈にならなくても」
「そっかぁ、良かった。私いらない子じゃないんだね!」
「うんうんそーだね。収穫祭に呼ばれてるのは本当だけどねー」
「うん?」
「うん」
「……ぐすっ」
涙目な姉神。そんな様子を見て、ちょっとゾクゾクする妹。
これは、毎年恒例の流れであり、彼女達もそれを楽しみつつ行う。ある意味これもまた神事なのかもしれない。
当然神が流す涙。普通の人間とは違い、気象レベルでの変化がある。静葉の涙は、やがて雲になり、俗に言う秋雨前線となるのだ。
さて、ひとしきり秋雨を楽しんだ姉妹達。お次は、とばかりに穣子は話し出す。
「さて、毎年恒例のおねーちゃんを涙目選手権も終わったところで!」
「うん、そんな大会があることに身震いしたわ。おっそろしいね、主催者に抗議しなきゃ」
「主催者、私。実行、私。その他もろもろ私」
「うん、俗にいう実行犯だね。姉妹の確執が見え隠れしてるよ」
「うんうん、それも秋だね。でねでね、おねーちゃん」
「うんうん、なになに?」
「何処かに遊びに行かない?」
「えぇ、良いわよ。何処にする?」
「畑or畑」
「聞いた意味ってなんなのかしら……しかも畑」
「労働力は、大切なおねーちゃんなんだよ!」
「逆ね、逆。せめてそこは気を使って頂戴」
「あ、ごめん、わざと」
「わざとかぁ……」
遠い目になる姉に、しれっと楽しむ妹。実に楽しく会話は進む。
「ふむふむ、で。今年は何をしたらいいのかしら?」
「うむうむ、おねーちゃん。今回はさつまいも掘りだよ」
「はいはい、妹様」
「なになに、おねーちゃん?」
「それは食べていいということで?」
「それは正解ということで」
「ということは?」
「ということは、だよ。おねーちゃん!」
「せーの」
「「焼き芋だ!!」」
さて、そんな声が妖怪の山に響き渡り、紅葉した木々が笑った様に揺れた後。姉妹in畑。
「さてさて、おねーちゃん」
「なんなん、いもうと」
「この光景は何でしょうか」
「ロサンゼルス?」
「ロサンゼルスかぁ……お芋の葉っぱとか揺れるこの光景ロサンゼルスかぁ……」
「うんうん、姉レーダーがそんな感じな確信を──」
「おねーちゃんが壊れた!」
「扱いひどい!」
「ひどくないよ、妹として当然の義務を果たしたんだよ」
「義務って?」
「一つ、おねーちゃんをいじめていい権利」
「うん、その時点でおかしいね。私悲しいね」
「そーかな?」
「そーだよ」
「ふむふむ」
「うむうむ」
お互いに頷きあい、えへへと笑顔。お互い、この程度のじゃれつきは日常茶飯事。愉快に言い合いするのもまた楽しいひと時なのである。
姉妹が畑に入り、色々みて回る。
「そうそう、おねーちゃん」
「へいへい、穣子」
「……やっぱり辞めた」
「やっぱり辞めないで」
「いいの? 本当に聞きたいの? 真理の向こう側を見る勇気は?」
「そんなに覚悟必要なことなの!?」
「ううん? この季節収穫してる人もちらほらいるねって話」
「うん、いるね。真理とか分かんないけどいるね」
「真理? おねーちゃん大丈夫?」
「私は穣子の将来が心配だよ」
「大丈夫、全部無農薬だからね。当然私も」
「無農薬なら安心だね!」
「うんうん、安心安心」
そのようにじゃれあいつつも、二柱は畑に入り、手慣れた手つきで収穫を始める。
「はいはい、稔子様」
「誤字ってるよ、おねーちゃん」
「誤字ってなんの事?」
「神主さんが間違えることかな?」
「ふーん?」
「うーん」
「でねでね、妹様」
「はいはい、姉様」
「毎年、畑仕事手伝ってるじゃない?」
「うんうん」
「来年から、私の仕事手伝うとか……」
「ヤダ」
「駄目?」
「うん」
「どうしても?」
「私には出来ないよ、アレ」
「そっかぁ」
「そうだよ」
何となくしんみりする姉妹。されど手は止めない。ほいほいとさつまいもを引き抜いていく。
さくさくと時間は進み、日も傾き始めた頃、穣子が土に塗れた手で汗をぬぐう。
「そろそろかな?」
「そろそろだね」
「じゃあ、おねーちゃんかまど」
「はいはい」
作業を切り上げ、一旦帰宅。その後テキパキと二人は別の作業に取り掛かる。
因みに、江戸初期に入って来たとされる、このさつまいも。メジャーな調理方法はやはり焼き芋であろう。しかし、江戸時代頃の焼き芋は現在とはまた違うものである。大勢が想像するような、パチパチと燃える焚き火にさつまいもを突っ込むのではない。
まず軒下などに、土でかまどを拵える。その上にほうろくと呼ばれる蒸し焼き用の鍋を載せ、さつまいもを並べ、重い蓋で栓をする。早い話が蒸し焼きである。
また、焼き方にも二種類ある。我々が想像しやすい方の、姿のまま焼く丸焼きに、はす切りにして焼く切り焼きの二種類だ。
粋な物を好んだ江戸っ子は姿のままかぶりつくのを良しとし、丸焼きを好んだらしい。当時の看板も〇焼きと記されていたものもある。また、表記と言えば、十三里なんて表現もされた。これは九里(栗)四里(より)うまいさつまいもという洒落から来るものである。
さらにそれ以前には八里半と呼ばれたりもしている。これは、栗に近い味という意味を持っており、当時から良く親しまれていた味という事が分かるだろう。
さて、そんな長々とした解説をしているうちに姉妹は色々と完了し、ホクホクの焼き芋を手で遊ばせつつも縁側へ移動。
「さぁ、おねーちゃん」
「えぇ。穣子」
「「いただきまーす」」
かぷりと、黄金色をした芋にかじりつく二人。その表情はとても至福に満ち満ちている。秋特有の肌寒い気候も、夕焼けに映える紅葉樹も、夏の栄養をしっかり含んだ食べ物も、全てが秋の贈り物であると言えよう。
「うむうむ」
「どーですかね、おねーちゃん?」
「控えめに言って」
「控えめに言って?」
「さいこーだね」
「いぇい。愛してるよおねーちゃん」
「私も愛してるよ穣子!」
「あ、そういうのいいんで」
「酷くない?」
「酷くない」
「うーん、さつまいもがしょっぱい」
「うんうん、今年も我ながらいい出来だね!」
「おねーちゃん寂しいんだが?」
「その寂しさ堪えて一人前なんだよ?」
「えー」
「でね、おねーちゃん」
「はいはい?」
「……ここから眺める紅葉も、最高だよ」
「ふふ、ありがとう」
夕陽が沈みかけ一日が去っていく。秋の期間はとても短い。夏の隆盛が終わり、厳しい冬に向けた準備期間。どんな生命も等しく冬に向けてせっかちに行動する。その輝きを放つ瞬間がこの秋なのだ。
だからこそ、それを見守る姉妹も秋を全力で楽しむのだ。
出回り始めた温かい物を飲む、食べる。松ぼっくりやら、どんぐり。次の世代に託した木々たちの声を聞く。冬に備え、準備をする自然を静かに見守る。収穫を密かに見守りつつ、人間たちが冬を越せる手伝いをする。
そんな、一瞬だが、どんな生命にとっても、非常に重要な時期を司る姉妹。秋 静葉、秋 穣子。
二柱は、世界を穏やかに見つめる。
「秋っていいね」
「秋っていいよね」
そんな言葉で日常は締め括られる。赤に染まった世界はもうすぐ終わりなのだ。
現代において、秋という季節は然程重要でもないのかもしれない。食物は安定的に供給され、部屋の温度はいつだって調整可能だ。
しかしながら、ふと木を見上げた時、食べものを選ぶとき、ちょっとだけ足を止めて欲しい。そこには、秋の欠片が転がっているかもしれない。そんな時は、忘れられてしまった彼女達を思い出すのも手の一つだ。
秋には神秘的な魅力が存在する。冬でもなく、夏でもない、そんな中間の時期。ごく僅かな時間に、世界はがらっと色を変化させる。
赤、緑、黄色、青。色とりどりの彼女達が見守っている景色。
どうか、そんな一瞬を見逃さないで欲しい。
何故なら秋は美しいのだから。
(農)「秋だぁぁぁぁぁ」