「止まない雨は、無い」
時雨時の鎮守府のとある一日。
(創作提督一応注意)
■渋とマルチ

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時雨ちゃん熱にあてられたんだ


その名の示す通り

 しとしとと降り注ぐ糸雨。今日は潮の香に混じり、土の名残が鼻腔を擽ってくる。

 大規模作戦を犠牲者出すことなく見事に成功させたこの鎮守府は、数日間の任務免除を確約され、艦娘たちは戦火を一時的に忘れ、穏やかな休日を心から歓迎していた。

 しかし休暇初日は生憎の悪天候。大事を取って野外訓練は中止、代わりに座学を集中して行うこととしており、鬱憤を晴らしきれない駆逐艦たちが廊下を走り回る足音と、工廠から響く数多のクレーンの駆動音のみが、鎮守府が動いていると認識させてくれている。

 勿論、世界は戦時下であるので休みと言っても全艦娘が集結しているわけではなく、第三部隊が人員輸送作戦に従事する遠征に出向いてはいる。あくまでも護衛、しかも接敵しない時もあるぐらいの安全海域なので、数隻待機こそしていたが、緊急事態の発生は現実的でなかった。

 そうは言っても責任者がゆったりできるとは限らないのが忌々しいところ。昼間から日本酒を煽りまくる呑兵衛をよそに、提督はせっせと今回の作戦の報告書を大至急まとめ上げなければならないわけで。

 

 雨粒が窓を撫でる音が、改装前より少し跳ねるようになった髪や、白露型の制服に染みわたっていく感覚。ガラスに一筋水滴が垂れると、こちらの心拍数も緩やかになっていくような錯覚を覚える。耳を冴えわたらせ、提督の名前を反芻しながら気分を落ち着かせていく。いくら特別な想いを抱えていようと、提督にみっともない姿を見せまいとそう決意して、秘書艦時雨は手作りの料理が詰まった弁当箱を抱えて気持ち早足で提督の執務室に向かっていた。

 他の駆逐艦や、一部の戦艦らと鉢合わせることなく執務室のドアの前に立てたことは幸運だったのかもしれない。騒がしいのは嫌いではないし、かつての敵国の船にだって思うところがないというのは嘘になるが、今は同じ提督の元に集う仲間として共に過ごす時間だって悪くはないと思う。ただ、それよりもほんの少しばかり、提督の横顔を想起する一瞬の方が大切なだけだ。

 

「失礼するよ」

 

 時刻は12時を少し回ったところ。数回ノックをして、返事を待たず入室する。書類整理をする時の提督は非常回線の呼び出し以外に反応することが少ない。集中すると耳が遠くなるというのは提督の談だ。鎮守府が稼働したての頃は寂しく思ったりしたこともあったが、数年も時間を共有すると流石に慣れが勝った。こうして食事を持ってくるのも、他事に目を向けなさ過ぎて自分の胃袋の調子すら気づかなそうな提督を気遣い、時雨が独断で持ち込んだだけのことなのだ。

 提督はやはりというべきか、山積みになった紙束と対峙し、腱鞘炎を危惧するレベルで報告をまとめていた。今日中に終わらせてしまい、少しでも多く時雨たちとの時間を作る為なのだろう。

 わずかにしかめられた表情すら愛おしく、口元が緩くなるのを必死に我慢して、書類に占拠されていない執務机の一角に弁当箱を置き、隣接した給湯室に入る。

 提督お気に入りの緑茶を二人分、少し熱めに淹れて、提督の傍に戻ってきた、

 変わらず執務を執り行う提督の斜め前に陣取り、微笑みながらその姿を見守る。

 提督の佇まいは見飽きることがない。こうして執務室で雑務に取り組む姿も、工廠にて大声で指示をする姿も、指令室で進路を海図に示す姿も、何もかも。特に雨の日は、格別だ。

 

「お疲れさま、提督」

 

 数分して区切りがついたと思しきタイミングで湯呑を提督の前に置き、やや強引に割り込む。こうでもしないと提督は止まらないのだ。仕事の邪魔をされたからと言って不機嫌になるタイプでもないので、安心して待ったをかけられるのは救いか。

 

「なんだ、居たのか」

「なんだはちょっと酷いんじゃない?」

 

 ちょっと頬を膨らませるだけで提督はすまんすまんと腰を低くし、苦笑いしながら時雨の用意した緑茶に口をつけた。

 

「うん、今日もうまいな、ありがとう」

「お世辞がうまいね」

「本心さ」

 

 時雨は小躍りの衝動に駆られるも、鋼の精神で必死にこらえた。何のために遠方から取り寄せ、提督が火傷しないよう温度まで調節したというのか。

 提督が椅子の背もたれに身体を預けどっと一息つき、視線を落として時雨の持ち込んだ弁当箱に気が付いた。これはと提督の問いに「どうせお昼ご飯のことなんか抜け落ちてるだろうと思ったからね」と澄ました顔で時雨が答える。提督は得心が言った風に何度も頷き、箱の包みを剥いでいく。

 中身は五目御飯と鳳翔直伝の煮物、そして瑞鳳と何度も練習した卵焼きだ。成人男性の食べる量にしてはやや少ない。それでも提督は何も言わなかった。どうせ夕方には金剛が強引にも連れ出してお茶会に出席する羽目になるだろうし、夜には海外艦も交えた酒盛りに駆り出されるだろうことを予期していたからであり、そのお決まりのパターンに時雨が配慮してのことだと長年の付き合いで察していたからだった。

 いただきますの一言の後、提督は黙々と時雨の料理を口に運んでいく。感想を口に出すこともなく、ただひたすらに。味の可否の自信は無いわけではないし、提督もああ見えて喜んでいることを時雨は知っている。それでも一言ぐらいあってもいいんじゃないかと思うことも彼女にはしばしばある。だが、それを口に出すことはせず。

 地表を撫でるような小糠雨の、優しい響きが充満する。あゝ、これこそ至福、人の身を受け取った意義の最たる瞬間、血潮の巡りが時雨の胸を温める。

 

 そろそろ食べ終わる頃かな、と彼女が立ち上がった時、提督の口から思わぬ一言が飛び出した。

 

「最後の一口、食べさせてくれるか?」

 

 

 

 硬直。

 

「……えっ?」

 

 二つほど遅れたテンポ。

 今提督はなんと言ったか。食べさせて、たべさせて、TABESASETE。

 ……あの提督が?

「そ、それは何かの比喩かな?」

「いや、そのままだが」

 

 まるで出来の悪いロボットダンスの様な動作を始める時雨に対し、提督はあっけらかんとした態度を崩さなかった。

 いやいやそんな馬鹿な。ありえない、あの提督が、そんな茶目っ気のある行為をする以前にそもそもそんなセリフを吐くなど明日は46センチ三連装砲弾の雨が降るのではないか。

 冷静に考えてみてほしい。これまでの提督のとの会話の中に、そんな甘酸っぱい要素を微塵でも感じられる要素があっただろうか。精々何段階かすっ飛ばした雰囲気だなぁであるとか、武骨な軍人と健気な駆逐艦だなぁとか、精々その程度の筈である。それが何故、この急展開なのか。時雨の思考は空回りしていく。

 

「これ食ったら書類整理再開するから、早く」

「あ、うん」

 

 提督の無慈悲な催促が乙女の困惑を打ち破り、時雨は慌てて提督の傍に駆け寄った。

 残っていたのは煮物に入っていた里芋一つ、これを提督の口に運べばいいらしい。

 いまだに時雨にも提督の意図は掴めていないが、提督の執務を遅れさせることがあってはならない。……これが必要のある事なのであれば彼女も何も言わずこなすのだが。

 里芋が逃げないように箸先に刺し、提督の口元に運ぶ。これが終われば提督は執務に意識を集中して、余分な事は何も起こらないはず。これは提督の気紛れ、確か彼が書類と格闘するのはこれで二日目なので、なるほど執務ですり減った精神を回復させるために柄にもないことをしたに違いない。そう彼女は自分に言い聞かせながら、提督が口を開くのを見つめる。

 出撃していても、遠征に出かけてもいつ何時でも思い出せるほど見慣れた、提督の正面。これほど近づいたのも初めてではない。が、一度意識し始めると邪念というものはぬぐい切ることができるわけではなく。

 あくまで時雨と提督は上司と部下、将官と秘書艦である。もう一歩踏み込むなんてこと、何かの間違いがあってならやぶさかでもないが、現状の距離感に満足しているのも事実。それが急に、こんな恋人同士がやることなど……恋人……

 

 

 

 頬が熱を持っていくのが、時雨は自分でもわかった。

 

 提督は硬直する時雨を置いて煮物を頬張ると、彫像の様な秘書官の手から箸をもぎ取り、そそくさと弁当箱を片付けて無理やり押し付ける。

 

「また作ってくれ」

 

 そう言って提督は時雨を視界から外し、紙に印刷された大量の文字との格闘を再開した。

 対する秘書艦の方はそうはいかない。コントロールできないほどの血流が心臓に集まっていくのを感じ、詰まっていた息が肺を猛火の如く勢いで圧迫し始めた。

 退室の挨拶もほどほどに執務室を飛び出し、暇そうに廊下を歩く天龍を追い抜き、苛立たし気に同志を探すガングートのマントを翻らせながら廊下を駆け抜ける。龍驤の甲高い注意にわき目もふらず自室に戻り、ドアを閉めるとへたり込んだ。

 もはやこの動悸は疾走によるものか、それとも提督によるものなのか、識別は不可能に近かったが、提督の声がリフレインされると無意識のうちに「はぁぁ……」と息が漏れてしまう。

 ベッドに倒れ込み、火照る体を抱きかかえるように丸まると、シーツに頭を擦りつける。

 

「提督……」

 

 雨だれは耳朶をなおも打ち続ける。

 潤んだ瞳、震える吐息、弁当箱に口づけしながら時雨は呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうすぐ、か」

 

 筆を走らせる手を止め、切れ間垣間見える雨雲を仰ぐ。その手には掌に収まる程度の小箱が。

 そう、秘書艦の錬度はもうすぐ上限を迎える。

『止まない雨は無い。』と彼女がいつか言った通り、雨はもう少しで止みそうだった。

 




時雨ちゃんとの触れ合いの時間が好き
尚筆者の嫁艦は木曾とビスマルクなので作中の提督との関連は一切ございません故

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