1話
「頼む大将! 今日の掃除当番代わってくれねぇか!」
パンと両手を合わせ頭を下げる梅原。
今は四限終了後の昼休みで、自分はいつも通り彼と二人で食事を取っていた。そんな中、なぜだかそわそわと落ち着きのない彼に何かあったのかと尋ねたところ、真剣な表情で今のように懇願されるに至った。
「ん? ん〜……その心は?」
もしゃりと焼きそばパンに齧り付きながらそう尋ねる。
今食べているパンは購買で購入した戦利品だ。柔らかいパンに少し濃いめの味付けの焼きそばがしっかりと絡んで味を引き立てている。別に飛び抜けて美味いというわけでもないのだが、手軽に取れる昼食でなおかつ腹持ちが良いということでお気に入りの一品だ。
「実はだな……」
「おう」
自分の質問に対してなぜか梅原は口ごもる。
別に急いでいるわけでもないので急かしはしない。パンを咀嚼しながら無表情で彼が口を開くのを待つ。
少々間が空いた。彼は顔を上げると、意を決したように言葉を発してきた。
「あー……その、実は今日、引退した3年生たちが部活の様子を見に来るらしいんだ」
「それで部活に出たいと?」
「まあ……そういうことだな」
今の発言から自分に頼みごとをした彼の真意は理解できた。
しかし、口の中のパンを咀嚼しきれていないためすぐには口を開かない。そんな自分の姿を、梅原は顔色を伺うように見つめている。
少しして咀嚼物を飲み込み、パックのココアを啜って一息ついた自分はゆっくりと口を開いた。
「お前さぁ、まだ諦めてなかったのかよ」
「うっぐ……」
梅原の意中の人である剣道部の先輩は、7月の大会を終えて部を引退していた。彼は告白こそできていなかったが引退当日の部活で彼女と色々話をしたらしく、そこでどうやら脈はないということを悟ったらしい。そういうことで夏休み直前はひどく落ち込んでいた梅原であったが、なんだかんだで立ち直り、先輩のことについても割り切ったと聞かされていた。
だからこそ、未練がましい彼の言葉に冷ややかな視線を投げかけてしまう。
「いや、違うんだ橘! そういうのじゃねぇんだよ!」
「きめぇから落ち着けや」
「お前俺の扱いひどくねぇか!?」
身を乗り出して顔を近づけてくる方が悪い。それ以外にも男が叶わない恋愛についてうじうじ悩んでいるという姿も。
一年生の頃からずっと先輩についての愚痴を聞かされ続け、最近になってやっと踏ん切りがついたと安心していたのにこれだ。扱いが悪くなっても責められはしないだろう。
ただまあ、思った以上に効いてしまったのか梅原は目に見えて落ち込んでいる。このままじゃ話も進まなさそうなので、会話の続きを催促する。
「んで、何が違うわけ?」
「いやよ、引きずってるとかじゃねぇんだ……」
「じゃあ何なんだよ」
「その……先輩ももうすぐ受験だしよぉ、もしかしたらここで会えるのが最後になるかもしれねぇと思うと、どうにも落ち着かねぇんだ……」
それは引きずってるのと何が違うのだろうか。
そもそも同じ学校なのだから恋愛感情を割り切ったなら、いくらでも挨拶をしに行く機会は自分で作れるだろう。それなのに受動的な態度で機会を伺うのは如何なものかと思わなくはない。そもそも、彼が先輩と一向に距離を近づけられずにいたのは、そういったところが原因だったはずだ。
「幽霊決め込んで相変わらずど下手くそなお前が部活に出たところで、カッコ悪いところを見せるだけなんじゃね?」
「だから違ぇんだって……俺はただ、先輩の姿を一目見たいだけなんだよ……」
「乙女かよ。気持ち悪りぃ」
自分の言葉で梅原はさらに落ち込む。その様子は、このまま机にめり込んでしまうのではないかと思わせるほどだ。
大きくため息を吐く。
彼の煮え切らない態度に思うところがないわけではないのだが、仕方がない。しばらくの間幽霊部員でおそらく他の部員からも歓迎はされないであろう状況にもかかわらず、そういった決心をした彼の意を今回だけは汲んでやろう。
「しゃーねーな。行ってこいよ、部活」
「た、橘……」
「代わるだけだからな。次の俺の当番の時はお前がやれよ」
「あ、ああ! もちろんだ! ありがとよ大将!」
伏せていた顔を上げ、表情を明るくして梅原は返答した。
相変わらずのオーバーリアクションだ。その様子が面白くて、思わず口元が上がってしまう。彼は意図してそういう動作をしているわけではないのだろう。どうやら、本当に先輩に会えるのが嬉しいらしい。
数少ない付き合いの長い友人の頼みだ。これだけ喜んでくれたのなら、深いことを考えるのをやめて承諾してやって良かったと思う。
そうして自分は、気を取り直した梅原と二人で食事を再開するのであった。
♢♦︎♢
帰りのホームルーム終了から30分後。教室から人が居なくなるまで適当に時間を潰していた自分は、頃合いを見計らってクラスへと戻り掃き掃除を開始した。
恐らく、高校生のクラスでの掃除当番といえば2パターンあるだろう。一つはクラスをいくつかの班に分けてのローテーション。もう一つは個人でのローテーションだ。輝日東高校では後者を採用しており、だいたい一月半に一回程度の割合で当番が回ってくる。
当番の仕事は簡単で、掃き掃除でゴミを集めるだけだ。机を動かすかどうかなどは生徒個人の自由であり、キチンと掃除を終わらせられれば何も文句は言われない。その代わり次の日の朝に行われる担任のチェックに引っかかるとそれなりのペナルティーを与えられるため、あまり適当なことはできないのだが。
左の列から順番に、掃く箇所の机を軽くどかしてゴミを集めていく。30人以上の生徒が在籍しているクラスだ。掃き掃除のみだとはいえ、それなりに手間のかかる作業になる。
だが、そういった単調な作業でも苦ではない。
自分は誰もいない教室という非日常的な空間が好きなのだ。しかし、何もしないで教室にいるだけでは飽きてしまうため、こうやって何か作業をすることがあれば都合がいい。疲れない程度に頭と体を動かしながら放課後の教室で時間を過ごせるというのであれば、嫌だと感じることもない。
まあ、だからと言って掃除が好きだというわけでもないのだが。あくまで嫌いじゃないというだけだ。
そうやって特に何も考えることもなく無心で箒を振っていたのだが、突然廊下から声をかけられた。
「あれ? 橘くん?」
教室の扉は開けっぱなしだったため、向こうは外からでも自分の存在に気づいたのだろう。一方、自分はそれなりに掃除に熱中していたようで、彼女が近づいてくる足音には気がつかなかった。
彼女は手に何もものを持っていない。わざわざこの時間に教室を訪れた理由を推測するとすれば、図書室で勉強をしていて、その過程で必要になった教科書を取りに来たといったところか。
こちらの顔を確認した絢辻は、言葉を発しながら近づいて来た。
「今日って、橘くんが掃除当番だったっけ」
「ううん。梅原と代わったんだ」
「梅原くんと? どうして?」
絢辻は不可解な面持ちでこちらに疑問を投げかける。
そんな彼女に、自分はざっとこれまでの経緯を説明した。梅原が剣道部の先輩に憧れていたこと。彼女が久しぶりに今日の部活に顔を見せるということ。三年生は卒業も近く会えるチャンスが限られているということ。
もちろん、具体的な人名については濁したが。
「そっか……」
事情は一通り話終えたのだが、なぜだか絢辻の曇った表情は晴れない。どうやら何か考え事をしているようだ。気まずい空気が流れ始め、少々その場に居たたまれなくなる。彼女は思考に耽っているようなので声をかけるわけにもいかない。
何か変なことを言ってしまっただろうか。彼女の発する妙にシリアスなオーラからつい不安になってしまう。だが、そんなことはないはずだ。自分はただ、なぜ梅原が掃除を頼んできたかの経緯を説明しただけだ。
少しして顔を上げた絢辻は、なぜか呆れたような表情を浮かべながら話しかけてきた。
「橘くんって変わってるわよね」
「ん?」
彼女の発した言葉の意味が理解できず困惑する。今の会話の内容から、どうしてそのような評価を下されたのだろうか。全く見当がつかない。
疑問を表情に出す自分であったが、絢辻は構わず話を続ける。
「あなたって、思ったことは口に出すタイプでしょ?」
「……まあ、相手は選ぶけど」
「それに面倒ごとも嫌うタイプ。なのに、掃除を頼んできた梅原くんには文句も言わず引き受けるだなんて、なんだかおかしくない?」
どうにも腑に落ちない。そりゃ彼女の話を紙に書き出して第三者に見せつければ矛盾していると答えるしかないのだろうが。しかし、事情がある友達からの頼まれごとを引き受けたことに対して、そこまで色々考える必要があるのだろうか。
「んー、そこまで深く考えてなかったわ」
「あはは……橘くんって、結構お人好し?」
「さあ? 違うと思うけど」
そう答えたところで絢辻の顔色を伺う。どうやら納得できていないようだ。
一体何がそんなに彼女を悩ませてしまったのだろうか。自分が掃除を引き受けたこと?しかし、日常的に頼まれごとを引き受けている絢辻がそんなことに一々疑問を持つとは思えない。それとも彼女の発言通り、自分が梅原に文句を言わなかったことが解せないのだろうか。だとしたらショックだ。そこまで器の小さい人間だと思われていたとは。
絢辻は相変わらず黙ったままだ。彼女の真意はわからないのだが、仕方がないので当てをつけ、彼女を満足させるための言葉を探して口を開く。
「まあ、梅原は友達だから。友達相手にそこまで利害とか考えたりしなくない?」
「……そうなのかな?」
「いや、わかんないけど。少なくとも俺はそう思ってるかな」
もちろん程度にもよるが。しかし掃除当番を代わる程度のことならば、キチンと事情を話してもらえれば問題なく引き受けるだろう。それをお人好しというのかどうかはわからない。だが、仮に関わりのない人物から同じことを頼まれたとすれば、恐らく断るはずだ。
相変わらず空気は冷めている。絢辻は口を開く様子はなく、自分は気を紛らわすために無言で箒を振る。
自分はあまりこういう状況で気を使うような人間ではないのだが、流石に気まずさを感じ始めてきた。場の雰囲気的に世間話を振るわけにもいかないので、無理やり口を開いて言葉を発する。
「あー……それにしてもさ、絢辻って頭がいいんだね」
「えっ?」
「違和感を感じるってことは、それだけ普段から色々考えてるってことでしょ? さっきも言ったけど、俺はそこまで頭使って行動してないからさ」
少しでも場の空気を明るくしようと思っての発言だ。明るい表情で彼女を褒めたつもりだった。しかし、絢辻はさらに物思いに沈んでしまった。
さらに沈黙が続く。何か地雷を踏んでしまったか。不安になって直前の会話を頭の中で反芻する。
もしかして嫌味っぽく聞こえてしまったのだろうか。タイミング的にありえない話ではない。だとしたら急いで訂正しなければ。
「えっと……あの、皮肉じゃないからね? 俺は純粋にそう感じただけだから」
これ以上の失言は致命的だ。慎重に言葉を選んで話しかける。
それに対して顔を上げた絢辻は少しばかり口ごもったが、すぐに表情を明るくして返答してきた。
「あはは、わかってるわよ。ごめんね? 空気を悪くして」
その雰囲気はいつもの彼女のものだった。
重くなった場の空気が消え去り、ほっと胸をなでおろす。もしかしたら彼女の中にはまだ疑問が残っているのかもしれないが、とりあえずこちらに悪意が無かったことは伝わったようだ。
ただ、それでもこの流れで楽しくおしゃべりすることはできないはずだ。自分も彼女も互いに気を使ってしまうだろうし、今日はもうここで別れるのが無難だろう。だが、自分はこのまま掃除を続ける必要があるため去るわけにはいかない。
そう思った自分は、絢辻に教室へやってきた目的を尋ねようとした。しかし、こちらが口を開くよりも先に彼女の方が言葉を発してきた。
「ねぇ、橘くん。掃除、手伝おうか?」
予想外の言葉に思わずしどろもどろになってしまう。今の会話の流れでどうしてこちらを手伝うという考えに至ったのだろうか。それが気になって、感謝の言葉も断りの言葉も出てこない。
そんな様子を眺めた絢辻は、クスクスと笑いながら話しかけてきた。
「なあにその顔? 私、そんなに変なこと言った?」
「その……まあ、今の話の流れ的には……」
「ふふっ、だったら何もおかしくないじゃない」
困惑する自分に対し、絢辻は微笑みながら言葉を発する。
「友達に手を貸すのに、理由を考える必要はないんでしょ?」
「うっ……」
それは自分の発言を指しての言葉だったのだろう。反論しようにも上手い言葉が出てこない。
そんな自分を尻目に絢辻は掃除用具入れへと向かうと、箒を取り出してからこちらを振り向いた。
「それじゃ、橘くん。さっさと終わらせてしまいましょうよ」
「いや……あの……」
「ほら、ぼーっとしない! そっちは終わってるのね? なら、私は右から掃いていくから」
絢辻はすぐに手を動かし始めた。そのまま動かずにいるわけにもいかないので、仕方なくこちらも掃除に取り掛かる。
ここまでの彼女の言動の真意は未だ呑み込めていない。しかし、どうやらこの場では考える時間は与えられないようだ。なんだか今日は絢辻に振り回されっぱなしだ。
それからは自分は、妙にテンションが高くなった絢辻とともに掃除を終わらせにかかるのであった。
アマガミのヒロインでは絢辻さんが一番好きです。
アニメアマガミ1期を見直したんですけど、やっぱりめちゃくちゃ面白いですね。
個人的には紗江ちゃんの話が好きです。