落し物には奇妙な魅力がある。
それは、万人に共感してもらえるような事柄では無いのだろうが、しかし、誰からも理解が得られないということはないはずだ。
明らかにボロボロの傘や片耳だけのイヤリング、紐が切れたストラップ、知らないカードゲームのハズレカード。それらはただのゴミであっても、目の前に落ちていればなんとなく手にとってみたいという衝動に駆られることがある。
少なくとも自分は落ちているものには少なからず興味を向けるような人間だった。ガチャガチャのハズレやコンビニのお茶のおまけなど、比較的どうでもいいものであってもとりあえず手に取り、飽きるまで持ち運んで適当に捨てるような事が多かった。
それらの行動原理を考えてみると、子供の頃からプレイしていたゲームや、読んでいた漫画に起因しているのかもしれない。
ファンタジーもののRPGで落ちている道具は有用なものが多い。漫画で有名なのはノートだろう。良い方も悪い方も。
そういった物語に憧れて人は落し物に対して何かを妄想し、拾ってから再び捨てるまでの間それらを楽しむのかもしれない。
それは、宝クジの楽しみ方に近い。または、神社にお参りする際の願い事か。
何も起こらないのはわかっている。しかし、何かが起こることを完全に否定するは悪魔の証明に繋がる。だからこそ、僅かの期待を胸に想像を膨らませ、その行為自体を楽しむことができるのだろう。
さて、ここまでの話を通して自分が何を伝えたかったかというと、それは一つ。
落ちているものをとりあえず拾ってしまうという癖は、決して卑しいものではないということだ。
♢♦︎♢
金曜日、この日は6限が担任である高橋先生が持つ日本史の授業であり、大抵は授業終了と同時にホームルームが行われる。それは今日にも当てはまり、休み時間を挟まずホームルームに入ったため、他のクラスよりも早めに解散となった。
ただ、自分はクラスの皆のように直ぐに帰宅というわけにはいかなかった。荷物をまとめたところで高橋先生に声をかけられたからだ。
話の内容は頼まれごとであり、授業で使った教材を職員室まで運んで欲しいということと、次の授業で使うビデオテープを資料室から探しておいて欲しいという内容だった。
今年度の委員会決めで日本史係に就任していた自分には断るという選択肢はなく、また、大した用事もなかったので問題なくそれらを引き受けた。
教材を抱えて職員室まで運んだ後、鍵を借りて資料室まで出向いたのだが、ここからの作業が結構な手間であった。というのも、資料室は各教科のビデオ教材を保管してある部屋なのだが、授業にそれらを使用すること自体が稀であり、それ故にほとんど部屋の掃除がされていないということと、棚の整頓も不十分であったためだ。
埃をかぶりながらそこら中に転がるダンボールをひっくり返し、目当てのビデオを見つけた時には、ホームルーム終了から40分は経っていた。
そうして、やっとの思いで見つけたそれを高橋先生の元へと届け、いくつか小言を言ってから荷物を取りに教室へと戻ったのであったが、扉を開けて中へと入った瞬間、床に黒い手帳が落ちていることに気がついた。
「…………」
落ちていたそれを拾い、観察してみる。
黒い革張りの手帳には丁寧に文字が箔押しされており、手に伝わるずっしりとした重さと、カバーの皮の手触りから安物ではないということがわかる。
それを手にした自分の頭に一番最初に浮かんだのは、持ち帰ってしまおうかということだった。
しかし、瞬時に考えを改める。それは良心が咎めたからではなく、11月に今年の手帳を手に入れたところでなんの意味もなさないということと、そもそも自分は手帳を使うような几帳面な性格ではないということに気がついたからだ。
それでは手に持つ手帳をどのように扱うかというと、持ち主を探すしかない。幸いなことにそれは自教室の中に落ちていた。よって、持ち主は限られている。
と言っても、恐らく11ヶ月間使用された手帳だ。仮に名前などが記されていなくても、書かれた予定や筆跡などで大体の検討はつくはずだ。
そう思い立ったところで、それの表紙をめくり、見返しに目を通す。
残念ながらそこには持ち主を特定するような要素は見つけられず、なし崩しにページをめくっていく。
「うっわ……」
思わず口から声が漏れてしまう。
各月の予定欄には小さく丁寧な字で予定がびっしりと記されており、とても持ち主が同年代の学生だとは思えない。
しかし、書かれている行事の内容から、この手帳は教師のものではなくクラスメイトのものであると認めざるを得なかった。
スケジュールのページをパラパラとめくりながら、軽く目を通していく。
部活動についての内容は見られず、中々持ち主を特定できなかったのだが、ページが11月に差し掛かったところで、ある文字が目についた。
『クリスマス委員』
このクラスでそれに所属している生徒は一人しかいない。と、なると必然的に持ち主は特定される。
どうやらこの手帳は絢辻の持ち物のようだ。そう思って中を見返して見ると、字の丁寧さや、節々から感じ取れる持ち主の几帳面さなど、彼女の性格と合致する点が多々見られる。
そこまで思いついたところで、本当ならば手帳を閉じるべきだった。そもそも、スケジュール帳というものはプライバシーの塊だ。まあ、小学生の時のアレのように突き詰めた個人情報などは載っていないだろうが、予定だけでも人に見られることには多少の抵抗を覚えるはずだ。
それでも、周りに人がいないという状況と、多少の好奇心。それから、落し物を拾ってあげたという事実を免罪符として受け止めることができたため、ページをめくる手を止めることができなかった。
読み流していたスケジュール欄を再び開き、何か面白いことが書かれていないかと目を通していく。
残念ながらそこには彼女の事務的な予定しか記されておらず、そのままページをめくっていくとメモ欄へと至った。
本来白紙のページが続くその章も、かなり使い込まれているようだった。
内容に意識を向けると、そこには特定の日付の詳細な予定が書き込まれてある。『その日の何時から何をする。その後……』と言ったように。
しかし、そこにはそのような予定だけでなく、一言付け加える風に彼女の心境のようなものが書かれてあった。
『夕食後にケーキ。カロリー取りすぎ! 注意!』
『気になっていた参考書を購入。……今日は出費が多かった』
スケジュール欄とは違い、気張らないで書かれたであろうことが、字の丁寧さや言葉遣いから感じ取れる。
それはまるで、普段は見られない彼女の心の中を覗いているようで、奇妙な背徳感と高揚感が気持ちを昂らせる。
自分は、なんだかんだで絢辻のことをあまり知らない。それなりに仲が良いとは言っても、やはり男女の壁というものがある。それに、彼女は性格的にあまり自分語りをするような人ではない。
なので、たかが2、3行の文章だとしても、彼女の素を見るのは新鮮だった。
ここまでくると、手帳を閉じるという選択肢は頭から消え去っていた。やっていることが少し過ぎているという自覚はあるのだが、自分の知らない絢辻の姿に対する好奇心を止めることができなかった。
胸が高鳴り、肩から上にかけての体温が高まる。このような感覚は久しぶりだ。
例えば、未成年飲酒や喫煙。教師からの三者面談の通告。親の私物を誤って壊してしまうこと。普通の子供であれば心が揺れ動くようなことが起こっても、背徳感というものを味わう機会は少なかった。それは前世の記憶があるが故に、物事において何がどうなろうとも成るように成るということを理解していたからだ。
よって、自分が行なっている行為に熱中してしまい、冷静さを欠いてしまっていたのだろう。荷物を取りに教室に入ったため、扉は開けっぱなしであったし、時間帯的に手帳の持ち主がそれを取りに戻ってきてもおかしくなかった。なので、まず初めに場所を移すべきだったのだが、そのことが頭からすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
ドタバタと誰かが走る足音が、静まり返ったフロアに突如響き渡る。
手帳を読む行為に没頭してしまっていたために、階段を上がる小さな音は聞こえなかったのだろう。気がついた時にはその足音は随分と近くまで迫っていた。
咄嗟のことに何かを考える余裕もなく、慌てて読んでいた手帳を閉じてそれを片手で体の後ろに隠した。そして、体の向きを教室の入り口へと向ける。その動作が完了するのとほぼ同時に、こちらへとこちらに近づいてきた人物は姿を現した。
「っ、橘くん!」
こちらの姿を視認した絢辻は、一瞬怯んだものの、すぐさま気を取り直して口を開いた。
彼女の顔は上気しており、呼吸は荒く、額からは汗が流れている。季節はとっくに冬へと突入し、気温も下がりつつあることから、彼女のその様子は相当焦って行動したからによるものなのだろう。
「あ、絢辻? どうかした?」
「はぁ……はぁ……ちょっと、忘れもの、しちゃって」
ドキリと心臓が脈打つ。彼女のいう忘れ物とは、間違いなく背中に隠している手帳のことのはずだ。
絢辻は乱れた呼吸を整えながらブレザーのポケットから取り出したハンカチで汗を拭う。それから少しして体の調子は取り戻した彼女は、しかし、表情は未だ険しいまま口を開いた。
「橘くん、黒い手帳見なかった? 革のカバーの厚めのやつ」
「えっ? いや、見てない……けど……」
しまった、と思った。その言葉を口に出したのはほとんど無意識で、気が動転していたが故に咄嗟に誤魔化そうとしてしまった。
それに気がついた時には手遅れだった。こちらの明らかな不自然な体勢。片手だけを後ろに回している状態で、さらに動揺も表に出てしまっていたのだろう。こちらの言葉を聞いた絢辻は、先ほどとは打って変わり、酷く落ち着いた、それでいてどこか冷酷さを感じさせる声で話しかけてきた。
「ふーん……じゃあ、その背中に隠しているものはなあに?」
「あ、その……」
「な、あ、に?」
なんとか場をやり過ごす方法を考えようとしたが、語気を荒げた絢辻の有無を言わさないといった雰囲気から、それを諦めて手帳を彼女に差し出す。
「あはは……ごめん……」
「…………」
「あの、俺もさっき教室に戻ったばっかでさ、いきなりのことでビックリしちゃって。それで、つい……」
口の中が乾いて舌が上手く回らない。自分が何を喋っているかも把握できずに、とにかく口を噤んで重苦しい空気を発している絢辻に弁解をしなければと意思のもと、がむしゃらに言葉を発する。
しかし、言い訳もすぐに尽きてしまった。苦笑いを浮かべるしかなくなり、場の重圧に耐えきれず視線を外す。10秒か、1分か。プレッシャーによって時間の感覚が麻痺しており、どれだけ沈黙が続いたかはわからないが、不意に絢辻が口を開いた。
「中、見たの?」
慌てて顔を上げると、絢辻の冷たい視線が顔に突き刺さる。
「あ、絢辻ってさ! やっぱ字、綺麗なんだね!」
長く続いた沈黙は、自分の置かれている状況を客観視させるには十分な時間であった。冷静に考えれば。自分は特に悪いことをしたわけではない。いや、したと言えばしたのだが、少なくともこの場の空気に見合うほどの重罪ではないはずだ。
だからこその明るい言葉だ。自分はあくまで手帳を拾っただけ。開き直って明るく接し、中を見たことは謝って飲み物でも奢ればいい。
しかし、それに対する絢辻の反応は期待していたものよりもずっと冷たく、むしろ今のが決定打となり、彼女の頭の中で何か結論を出させてしまったのだろう。
絢辻は、依然重苦しい空気を放ったまま、ふと緊張を解くと、大きくため息を吐いてから、どこか呆れたような、それでいて攻撃的な表情を浮かべてから口を開いた。
「あ〜あ、マズったなぁ。まさか落とすなんて思いもしなかったわ」
「えっ」
自分自身に対して悪態を吐く絢辻は、自分の知る彼女の姿からは大きく外れ、まるでそこにいるのが別人のように錯覚させた。
絢辻の突然の変わりように先ほどとはまた違った戸惑いが生まれるが、彼女はこちらのことは気にせず、ズカズカと近寄ってくると、素早く左手でネクタイを掴み、右肩を内に入れることで顔と顔の距離を近づけた。しかし、自分と彼女にはそれなりの身長差があり、その行為は結果的に自分の鼻を彼女の頭頂部に埋めるような体勢へと至らせた。
ネクタイが引っ張られたことにより首が締まり、不快な感覚が喉を襲う。しかし、鼻腔をくすぐる甘いシャンプーの香りと、喉元に吹きかかる彼女の吐息、それから僅かに触れ合う部分から伝わる他人の体温が思考を麻痺させ、彼女を突き飛ばすことができず、その場に固まってしまった。
「見たんでしょ?」
動くことができない自分に対し、絢辻は囁くように話しかける。しかし、その内容は上手く頭に入らない。それはすぐ近くに感じる異性の気配に神経が集中してしまっているからだ。客観的に見ればあまりにもその場に不釣り合いなその思考ではあったが、初めて感じるその生々しい感覚から、気をそらすことができなかった。
しかしそんな頭のお花畑は、いつまでたっても反応を返さないこちらに痺れを切らした絢辻の言葉によってすぐに打ち消されることとなる。
「答えなさい」
先ほどとは違い語尾を強めて発せられたその言葉は、その場を支配するかのような冷酷さを含んでいた。
それによって我に返ることができのだが、冷静になったらなったで、今度は今の状況を把握することができずに困惑する。
「えっ、うっ……あの……」
言葉にならない声が口から漏れる。なぜ自分はここまで真剣に絢辻に問い詰められているのだろうか。その理由がわからないが故に返答の言葉が見つけられないからだ。
手帳の中は確かに覗いてしまった。それが悪いことだという自覚はある。しかし、それらの行為は、どちらかというと軽蔑に値するものであり、今の彼女の反応とはベクトルが違う気がする。
と言ってもいつまでも黙ったままでいるわけにはいかない。何がどうであれ、自分が責められているというのは理解できる。だとすれば、とりあえず謝罪の言葉を述べるべきなのだろう。
「ご、ごめん、えっと、名前とか書いてないかと思って……」
「あはははっ、もう何を言っても遅いわよ」
「はあ!?」
突然、フィクションのヒールのような笑い声を上げた絢辻は、囁くような声でそう語りかけてきた。しかし、その言葉はこちらの想定する経緯と噛み合わず、大きく動揺してしまう。
絢辻は、そんな困惑するこちらの様子を気にかけることもなく、畳み掛けるように言葉を発してくる。
「酷いことになるの……分かる?」
「あたしの秘密、見ちゃったんだもん。仕方ないよね〜」
「そんな顔しても無駄よ」
「この状況なら誰でも言うでしょ? 『何も見てない』って」
「ふふっ、橘くんって隠し事下手だね」
意味がわからない。わからないのだが、とにかく彼女が何か勘違いをしているということはわかる。
どう考えても自分が覗いた手帳の中身と彼女の反応は釣り合っていない。プライベートを覗かれてキレるというのはわからなくはないが、それが『秘密』や『酷いこと』に繋がるはずがない。
「あ、あのさ、絢辻? その……」
とにかく誤解を解く必要がある。なるべく落ち着いた、彼女をなだめるような声を出して話しかけようとした。
しかし、絢辻は話の途中で突然掴んでいたネクタイを話すと、サッとこちらから距離を取り、周りを気にするようなそぶりを見せてからこちらの話を遮って話しかけてきた。
「待って。ここじゃ誰かに見られちゃうかも……」
「マジかよ」
急に冷静になるなよ。思わず口に出かけた言葉を慌てて飲み込む。というか、今更そこを気にするのか。
少しの間考えるそぶりを見せた絢辻は、顔を上げるとにこやかな表情で口を開いた。
「橘くん、この後ヒマよね?」
「い、いや、そうでもなかったり……」
「ヒ・マ・で・しょ!」
「っすね! はい……」
彼女の口ぶり的に、誰かに見られたらマズイようなことが今から起こるのだろう。そればっかりはごめん被りたかったのだが、すぐさま向けられた鋭い視線と、有無を言わせないような口調から、逃げられないことを悟る。
「じゃあ、ちょっと付き合ってくれるかな」
「どこにっすか……?」
「いいから! さ、行きましょ!」
こちらの質問には答えずに、絢辻はカバンを持つと教室の外へと出て行った。こちらの視界からは消えたのだが、足音が聞こえないことから廊下で待っているのだろう。
頭の熱はとっくに冷えていた。だからこそ疑問から意識をそらすことができずにいる。
突如悪役ロールプレイのような話し方に変化した絢辻と、手帳に記されていたのであろう彼女の秘密。拗れに拗れた結果浮かび上がったそれらの謎が、頭の大半を占拠してしまい他に何かを考える余裕が無くなってしまった。廊下の外からは催促の声が聞こえる。このまま流されて良いのだろうか。そのような戸惑いは残るが、だからといって他に選択肢は思い浮かばない。とにかく最優先は絢辻の誤解を解くことなのだ。だとしたら話し合いを行うためにも彼女についていくしかないのだろうか。
思考がまとまらず、考えれば考えるほど混乱の渦に飲み込まれてしまう。そうやってその場を動けずにいると、二度目ということで先ほどよりも苛立ちを含んだ絢辻の声が廊下から聞こえてきた。
反射的に体が動いたことがきっかけとなり、頭の靄を振り払うように思考を止める。色々納得するためには、とりあえずは絢辻と話をするしかない。だとしたら今ここで何かを考えるよりも、彼女に従って話し合いの場に移動するのが先決なのだろう。
そう思い立った自分は、荷物を手に取ると、絢辻に連れられて学校を後にするのであった。
♢♦︎♢
無言のまま足を進めた自分たちがやってきたのは、学校から少し離れたところにある寂れた神社であった。
長い石畳の階段を登った先にあるその神社は雑草と木に囲まれており、滅多に人が訪れることもなく、そして奥へと進んでしまえば人目につくことはまずない。
小さな本堂の横へと周り、縁側にカバンを置く。絢辻は少し先を歩いていたので常にその背中を眺め続けていたのだが、目的地についたことでこちらを振り返り、やっと顔を合わせることとなる。
両腕を組んだ彼女は、挑発的な目をこちらに向け口を開いた。
「じゃあ、早速本題。あなた、どこまで見たの?」
絢辻のその発言によって、疑念は確信へと変化した。やはり、あの手帳の自分がまだ見ていないページに、彼女が人に見られることを恐れるような内容が書かれていたのだろう。
「……俺が見たのはスケジュールんとことメモんとこ」
「メモ欄も見たのね?」
「まあ……あのさ、絢辻。お前多分勘違いしてんぞ」
恐怖も焦りも感じさせないような単調な口調で絢辻に話しかける。彼女は返答はせずに無言で顎をしゃくり続きを促した。
それに従って話を続ける。
「確かに中は見たんだけどさ、そんなヤベーことが書いてあったとは思えないんだよ」
「なにそれ。フォローしてるつもり?」
「ちげーって! 俺が見たのはその日の予定とか……つーか、メモ欄も予定のとこ。塾の時間とか、デザートになにを食うとか。それくらいしか見てないんだって」
少し語気を荒げてしまったが、言い終わったところで軽く深呼吸をして冷静さを取り戻す。そして、そのまま絢辻が口を開くのを待った。彼女は目線をこちらに向けたまま、何かを考えているようだった。少しの間沈黙が続く。11月の乾いた風が周りの木々を揺らし、葉が擦れる音がやけに際立って聞こえた。それに音をかき消してもらうように、口に溜まった唾を飲み込む。後ろめたさは感じていないはずなのだが、なぜだか緊張感が高まり続けていた。
「そんなの、簡単に信じられる訳ないじゃない」
「違いねぇ」
「っ、あなたねぇ! もう少し真面目に話をしてくれない!?」
絢辻の言葉に即答したところ、それを不誠実な態度として取られたのだろう。彼女は声を荒げてそれに対して文句を口にした。
自分としては別にふざけているつもりはない。状況的に、彼女がこちらの言葉を信じられないというのは当然のことだ。だからこそ、このままでは見た見てないの押し問答を続けることになってしまうと思っての言葉だった。
「真剣だって。いま必死に話の落としどころを考えてんだよ」
「ふーん。で? 橘くんは一体何を提案してくれるのかしら」
絢辻は目を細めながら、どこか挑発的な口調で尋ねてきた。
それに対して一瞬目線を外して考え込むが、すぐに顔を彼女の方へと戻し、返答する。
「なんも思いつかねぇ」
「オーケー、それが遺言でいいのね?」
不穏な笑みを浮かべながらジリジリとこちらに近づいてくる絢辻を両手を前に突き出して止める。
「待って、待ってください、ほんと、続きがあるから」
そう言ったところで彼女は思いとどまってくれたようだが、無表情でこちらを見つめており、次にふざけたことを抜かすと容赦はしないと目で語っている。
「あのさ、絢辻は最終的にはどうしたいわけ?」
「どうって何よ」
「いや、だからその……お前はさ、手帳の中を他の人に知られないように口止めしたいっていう認識でオーケー?」
「……そうね。できれば中を見た人間はこの世から消し去りたいところだけど、その辺りが妥協点かしら?」
ナチュラルに物騒なことを呟く絢辻。あの手帳には一体何が記されていたのだろうか、今更ながら気になって仕方がないが、なんとかそこから意識をそらして話を続ける。
「いや……俺としては冤罪で消されるのは勘弁して欲しいんで……とりあえず、こっからは仮に俺が中を見ていたとしても、それを口外しないための方法を探すってことでいい?」
「ええ」
「ん。で、どうすっかね」
と、一応そこで考え込む仕草はしたものの、どうすれば絢辻に納得してもらえるかは全く思いつかないので、彼女が自分から口にするのを待つ。
しばらくして顔を上げた絢辻は、多少躊躇いながら言葉を発してきた。
「……あなたの秘密を教えてもらうとか」
「俺の秘密ねぇ……」
自分の秘密と言われても、そんな大層なものはほとんど持ち合わせてはいない。流石に『実はぼく、並行世界の前世の記憶があるんです』なんて言うのは無理があるというか、最悪ふざけていると取られ、せっかくなだめた彼女の機嫌を悪化させてしまうかもしれない。
「絢辻のそれに見合うって、どれくらいの秘密を言えばいいのさ」
「……そうね。見られたら学校にいられなくなるような事かしら?」
「お前、そんなこと手帳に書くなよ……」
心からの叫びだった。全く想像がつかないのだが、あの絢辻自身にそこまで言わしめるような内容を、他の人の目につく可能性のあるものに書かないで欲しかった。
「うるさいわね! 誰かに見られるわけじゃないしいいでしょ!」
「思っクソ見られてんじゃねぇか! いや! 見てないけど!」
「あー、もう! そんなことより、あなたにはあるの!? 私のに見合うような秘密!」
会話が熱を帯び始めたところで、強引に話題を変えられた。正直ツッコミどころが多すぎて色々言い返したかったのだが、有無を言わさないような雰囲気で睨まれたため、仕方なく引き下がる。
「んー……ヘビィな秘密ねぇ……」
「人に言えないことの一つや二つくらいあるでしょ」
「人に言えない……かはわかんねぇけど、俺と親父の血が繋がってないとかは?」
家庭の事情としてはそれなりに気を使わせるような内容である気がする。案の定、絢辻はなんとも言えないような表情を浮かべてこちらを見つめてきた。
「……それを聞かれたとして、あなたは学校にいられなくなるの?」
「いや、別に」
「じゃあ釣り合ってないじゃない……!」
即答すると、絢辻はぷるぷると震えながらこちらを睨んできた。
一応自分のようなちっぽけな個人が持つ秘密の中では、それなりに上位に上がるような内容を述べたつもりだったので、これで釣り合わないとなればどうにもならないだろう。
代案が浮かばずしばらくの間思考に耽っていたのだが、ふと、大きな溜息を吐いた絢辻は、どこか脱力したような声で話かけてきた。
「はぁ……もういいわ。これ以上あなたに何かを求めても無駄だろうし」
「ん?」
先ほどまでとはかけ離れた絢辻の態度に、躊躇いながらも顔を上げる。彼女はこちらを気にせず荷物を手に取ると、改めて顔を合わせてから口を開いた。
「じゃ、あたし帰るから。手帳の中を見てたなら、絶対に人には言わないように。もし口外したならそれなりの報復をさせてもらうから」
「えっ? ちょ、ちょい! 待てよ!」
それだけ言うと絢辻はその場を立ち去ろうと歩き始め、それを慌てて止めにかかる。
肩に手をかけられた彼女は鬱陶しそうに振り返ると、こちらを睨みつけてきた。
「まだなにか?」
「なにかじゃねぇだろ! お前ほんとに納得したのかよ!?」
「もういいって言ってるでしょ。ここまでの会話で、あなたがアレを見てないだろうってのは大体わかったから。ったく、見てないなら見てないで堂々としてなさいっての……」
「はあ!?」
唖然とする自分を尻目に、絢辻はさらに話を続ける。
「あ、そうそう。あたしが猫かぶってることもないしょでね。ま、誰かに話したところで無駄でしょうけど」
「え、おい! 待てって!」
「待ちませ〜ん。じゃあね、橘くん」
再び彼女を呼び止めるのだが、今度こそこちらを振り返らずにヒラヒラと手を振ると、視界から消えていった。そして、自分は古びた神社の雑草だらけの庭に、一人取り残される。
今ので本当に話が終わり?
手帳の中を見られたかも知られたかもしれないとあれだけ焦っていたのに、急に投げやりな対応をされ、頭が追いつかない。
呆れられたのだろうか。絢辻の態度的に、そうだとしか考えられない。
諦められたのだろうか。関係を維持することを。だからこそ妥協点を探ることなく、投げやりに全てを終わらせられてしまったのだろう。
こんなことになるとは思ってもいなかった。絢辻が猫をかぶっていたことには驚いたが、それも自分にとっては些細なことだった。
話し合って、謝って、許してもらって。それで、笑い話で終わらせられると思っていた。
絢辻の中で自分は今でも友達と認められているのだろうか。
ただただそれだけが、心配なのであった。
と言うことで例のイベントでした。
ルート的にはやっとスタートラインのギリギリ手前くらいですかね?
申し訳ないのですが1月は忙しいので、次は2月になるかもしれません。許して。