定期試験。それは、学生にとって逃れる事のできない試練。しかも高校生にとってのそれの重要度は、中学生までのものと一線を画している。
中学の定期試験は補習等の罰則こそ存在するものの、それさえクリアできれば何の問題もなく学生生活を送れるだろう。しかし、高校生ともなるとそうはいかない。何故なら留年の危機というものが存在しているからだ。
もちろん留年する生徒なんて早々出ない。いたとしても、それはテストの結果ではなく、出席日数が規定されたものに届かなかったことが原因なのが殆どだろう。
客観的に見れば教師側も素行がまともな生徒を安易に放り投げるはずはないのだが、当事者である高校生にとっては理解はできても安心できるかと言えば話は別だろう。
そういうことは大抵先輩から後輩へと噂として受け継がれるものだ。「テストの結果がこれだけまずいと留年になる」や「自分の知り合いの先輩のクラスには留年生がいた」といった風に。
2月ももう両手で数えるほどになったことで、輝日東高校は学校全体がどこかピリピリとし始めていた。
それは学年末テストまで、後2週間を切っているからだ。この時期は今まで真面目に勉強してきた生徒と、いくつかの科目でリーチをかけられており、散々教師に脅されている生徒の表情に差が現れはじめる。
自分のクラスもそれに当てはまり、何人かの生徒は相変わらず勉強はしないまま悲観に浸っている姿を見て取れる。4限の授業の終了直前に数学の教科担任が少し早めに授業を切り上げて脅しを入れたため、その雰囲気は色濃くなりつつあった。
そんな中、昼休み開始のチャイムがなったことにより一気に周りが騒がしくなる。自分は授業中に解いていたある問題に少しわからないところがあったので、すぐには席を立たずそのまま2分ほどノートに向かっていた。
「大将! これからケンとマサと食堂に行かねぇかって話してたんだが、どうだ?」
問題を解き終わり、ノートを閉じて大きく伸びをしたタイミングで梅原が話しかけてきた。その横には二人の男子生徒の姿がある。
これは冬休み前からの大きな変化なのだが、自分は最近3人の男友達と昼食を共にしていた。
今までは友達の友達といった関係だったケンとマサの二人だが、創設祭の出し物の店番で行動を共にしたのをキッカケに仲が良くなった。そして、梅原が仲を取り持ってくれたこともあり今では友人と呼べる関係にまで発展したのであった。
「悪りぃ、今日コンビニだわ」
「あー、そうか……」
「変に気使うなって。また誘ってくれ」
事情があるとは言え、いつも複数人で行動しているメンバーから一人省くのには妙な罪悪感を覚えるものだ。取るべき行動に悩んでいた梅原に今日は読書をしたいからと理由を告げると、彼は納得してくれたのかいつも通りの明るい表情へと戻った。
「いいのか大将? 今来たら梅原が奢ってくれるって言ってんぞ」
「おいケン! なんで俺が払わなきゃなんねぇんだ!」
「そうだぞ大将。人の金なんだしいいじゃねえか。梅原に感謝しろよな」
「お前もかマサ! いい加減にしろ!」
「コントもその辺までにしとけって。梅原にはまた今度奢ってもらうから。俺のことは気にすんな」
「おい! あーもう、寄ってたかって何なんだよ!」
そうしてみんなで軽口を叩きあった後、食堂に向かう3人は一言ずつ自分に言葉を残して勢い良く教室を飛び出して行った。
一人でいることには慣れているしそれはそれで好きなのだが、こういう騒がしいのもやはり楽しいものだ。
ただ1つだけ不本意なことがあるとすれば、自分のあだ名が大将で確定したことだろうか。しかも梅原がバッチリ由来を話してしまったため、あの3人には完全にそういうキャラだと思われている。まあそれのおかげで親しみを感じてくれたのなら、そこまで悪いこととは言い切れないのだが。
3人の背中を見送ったあと、こっちはこっちで食事につくことにした。今日の昼食はコンビニで買った菓子パンとココアというのを簡素なものだ。
自分の家庭は母親も仕事で朝早いため、昼食は全て自己管理で行われる。そして、基本的に妹に弁当を作って欲しいと頼まれた時に限り自分のも作るようにしている。
今日はそれに当てはまらず、特に食欲があったわけでもなかったため質素な食事を選んだ。学校にも購買はあるのだが、そこで買えるパンは近くのパン屋が出来立てを運んでくるということで人気があり、いつも混雑している。そして購買自体が1年生の教室からは遠いということで、売り切れを危惧してコンビニをチョイスしたのだ。
パックのココアにストローを刺し、菓子パンの袋を開ける。左の腕には開いた文庫本を持ち、読書をしながらパンにかぶりつく。
今日読んでいる本は「カラフル」という小説だ。昨年の7月に出版されたこの本は、先日本屋で立ち読みしている時にたまたま手に取ったものだ。その場で軽く目を通した時に妙な既視感を抱いたので、もしかしたら前世と繋がりのある創作物なのではないかと思い立ち、購入に至った。
そんなこんなで昼休みを気ままに過ごしていたのだが、菓子パンを1つ食べ終わり、2つ目の袋に手をかけたところで絢辻に声をかけられた。
「橘くん、お客さんよ」
「ん?」
文庫本から目を離し彼女の顔を見つめると、教室の入り口を指さされる。
それに従い目線をそちらに移すと、そこにはわざとらしくモジモジと体をくねらせ、チラチラとこちらに目線をやる薫がいた。
普段の彼女とはあまりにもかけ離れた仕草に、思わず表情が曇ってしまう。
「どうしたの? 行ってあげないの?」
そんな自分の様子に不穏な空気を感じたのか、絢辻が心配そうな表情で話しかけてきた。
我に返った自分は、慌てて表情を変えると彼女に1つ頼みごとをする。
「あのさ絢辻。悪いんだけど、あのワカメみたいなのにここに来るよう伝えてくれない?」
「わ、わかめ? ……ええ、構わないけど……」
そう言って薫の方に向かって行った絢辻は、彼女にいくつか言伝すると自分の席へと戻って行った。
それと同時に薫がこちらに向かって歩いて来る。相変わらず気持ち悪い動作を継続したまま。
目の前に到着した薫はそのまま照れてる女の子ごっこを数秒続けていたのだが、ドン引きする自分の姿に気まずさを感じたのか、若干顔を赤らめながら話しかけてきた。
「た、橘くん……? 教室でなんて……恥ずかしいよ……」
「5秒以内に要件を言わないと、問答無用で断るぞ」
「勉強教えてください!」
隼のようなスピードで頭を下げた薫は、ハッキリとした大きな声でそう頼んできた。
そんな彼女の行動に思わずため息がこぼれる。
「はぁ……ヤベーのはどれなわけ?」
「……全部?」
「マジで言ってんの?」
「ウソ。現社が致命的で英語もちょっとって感じ」
そう言って顔を上げる薫。
そういえば彼女は中学の頃から社会科全般が苦手だったことを思い出した。ただまあ、現代社会なら1週間もあれば赤点を平均点程度までは上げられるだろう。
「おっけ。とりあえず授業プリント全部と、今までのテストの点数のまとめだけは用意しとけよ」
「てんきゅ! さすが純一、やっぱり持つべきものは友達よね!」
「都合のいいやつだなぁ、おい。飲み物くらいは奢れよな」
「もちろん! 早速だけど今日の放課後からでいい?」
「おう」
「それじゃ、授業終わったら迎えに行くわね」
要件は伝えられたので、会話はそこで終わりのはずだ。彼女もわざわざ他クラスに残ってまで話を続けるほど、暇を持て余していることはないだろう。
そう思ったところで投げやりに返事をすると、視線を再び文庫本へと移した。しかし薫は何故かその場から離れようとせず、逆に自分の肩をがっしりと手で掴んできた。
「……なんだよ」
仕方なく顔を上げ、彼女の顔に目をやる。ぶつかり合った視線の先にいる薫は、何故だか満面の笑みを浮かべていたのだが、その表情の裏には妙な威圧感を感じられた。
そのまま無言で数秒見つめ合う自分たちであったが、不意に薫が口を開いた。
「……で、誰がワカメですって?」
「悪りぃ。海の幸だったか」
「ギルティ!」
そう叫んだ彼女は座っている自分に対し、それなりの強さでトーキックを放った。そのつま先はふくらはぎへと突き刺さる。骨は避けたことで声を上げることはなかったが、それでも痛みからか蹴られた箇所を抑えて蹲ってしまう。
「だ、だって! 海の中のワカメみたいな動きしてたじゃん……!」
「照れてたのよ。言わせんな恥ずかしい」
「絶対嘘だ……! 理不尽過ぎる……」
「ま、頼む立場だしそれくらいで勘弁してあげるわ」
未だ痛みに悶える自分を尻目に、彼女は簡素な挨拶を投げかけるとこちらを気にせず教室を出て行った。
相変わらず加減を知らない女だ。そんなんだから「輝日東の核弾頭」とか言う不名誉なあだ名をつけられるんだぞ。
そのまま十数秒は蹲って足を抑えていたのだが、だんだんと痛みが引いてきたので体を起こす。
すると、そのタイミングを見計らい絢辻が話しかけてきた。
「あ、あはは……橘くん大丈夫?」
こちらを心配して声をかけてくれた絢辻だが、その顔には苦笑いを浮かべている。薫にワカメと呼んだことを知らせたせいで蹴られたと、罪悪感を感じているのだろう。
変に勘違いを拗らせさせても申し訳ないし、少しでも空気を軽くするために、戯けた口調で彼女に話し掛ける。
「ヤベェよなアイツ。絢辻、PTAに訴えてくれていいんだぞ」
「えーっと……」
「冗談だって。いつもあんな感じだから気にしないで」
「そ、そうなんだ。えっと…蹴られたとこ、痛くない?」
「大丈夫。心配してくれてありがとね」
「ううん。それなら安心したわ」
そう言葉を交わすと、彼女は用事があるからと教室を出て行った。
多少気を遣わせてしまったようだが、フォローは入れたし自分と薫の関係はわかってくれただろう。
そうして、彼女が離れると同時に、自分も食事を再開するのであった。
♢♦︎♢
授業終了後、薫に連れられてやってきたのは学校からそう離れていないファミレスだった。しかしそこは薫のバイト先ではない。さすがに職場で知り合いに見られながら勉強するのはということで、そこからもう少し離れた場所にある、学生向けの値段設定の店をチョイスしたのだ。
空いていたボックス席を選び、自分は薫と向かい合うように腰を下ろした。そのままやってきたウェイトレスに飲み物だけを注文する。
試験対策の勉強ということでさっさと始めてしまいたいのだが、それよりも先にどうしても尋ねなければならないことがある。
「あのさ薫。そろそろ隣の子のこと紹介してくんね?」
何故かその場には自分と薫以外に、薫のクラスメイトである女の子が同席していた。ショートボブのどこか気弱そうな女の子だ。
授業後教室を出た時点でその子は薫と一緒にいたのだが、彼女からは一緒に勉強を教えてやってほしいとだけ話され、詳しいことは教えてもらえていなかった。
「そ、そうだよ薫。いい加減挨拶くらいさせてくれないと、気まずいって……」
「そうね。なんか純一も思ってたよりもつまんない反応しかしなかったし、そろそろいっか」
「つまんない反応って……」
どうやら彼女は初対面の女の子を同伴させることで、自分の反応を見てからかうつもりだったらしい。だが、そんなことされても普通に気まずさしか感じない。
「こっち、私の高校からの友達の田中恵子。そんでこっちが中学からの付き合いの橘純一」
「ど、どうも」
「……よろしく」
投げやりに紹介を振られた自分と田中さんは、ぎこちなく挨拶を交わす。お互いにいきなりのことで戸惑ってしまい、そのまま数秒無言が続いた。薫は黙ったままなのでこちらで会話をしろとのことなのだろう。
黙っていても仕方がないので、無理やり口を開いて言葉を絞り出す。
「あー……田中…さん? も、現社がダメってことでいいんだよね?」
「う、うん。えっと、橘くん? 突然で悪いんだけど、よろしくね?」
「何よアンタら。普通に話せないの?」
「お前が普通に初対面のタイミングで紹介してくれてたら、こうはならなかっただろうよ」
「そうだよ薫、気まずさでいたたまれなかったよ……」
「仕方ないわね。あたしちょっとお手洗い行ってくるから。それまでに打ち解けておいてよね」
んな無茶な。
考えることは一緒だったのだろう、田中さんの顔を見ると彼女も形容しがたい表情を浮かべていた。そんな自分たちをよそに薫は席を立つと、スタスタとその場を立ち去って行く。
残された自分たちだが、ずっとこのままでいるわけにもいかない。何か当たり障りのない話題を出して空気を変えようと考えたのだが、それより先に田中さんの方が口を開いてきた。
「ね、ねぇ。あのさ……橘くんと薫って、付き合ってるの?」
「……それは男女交際的な意味でだよね?」
そう尋ねると田中さんはコクリと頷いた。
思わずため息が出そうになるのだが、そう勘違いされる理由もわからないわけではない。ただでさえお互い気まずさを感じている状況なのだ。この話題から話を広げていくしかないだろう。
「ただの友達だよ。中3の時からのね」
「そうなの? でも、名前で呼びあってるみたいだし……」
「ある程度話すようになってからは俺が軽口を叩いてばっかだったからさ。お互いだんだん遠慮がなくなってったんだ」
「そうなんだ……」
田中さんはあまり納得しているようには見えないが、これ以上は弁解するよりも自分と薫のやりとりを見て判断してもらう方が早いだろう。
そう思ったところで、多少強引に話題を変えることにした。
「それより、田中さんはいつから薫と仲良くなったの?」
「え? えーっと……たしか、最初の席替えがきっかけだったと思う」
「そうなんだ。でも、なんか意外かも。アイツに振り回されて大変じゃない?」
「あはは……でもまあ、それも結構楽しいし。やっぱりなんか気が合うんだよね」
そう語る田中さんの表情から、本心でものを言っているのが伝わる。
彼女の気持ちはよくわかる。自由奔放で人を振り回す薫だが、やはり一緒にいると楽しいのだ。でなければ自分など早々に縁を切っているはずだ。
それは彼女の魅力のなし得ることなのだろう。なんだかんだで面倒見もよく、持ち前の明るさで落ち込んでいる時もその気持ちを振り払ってくれる。「核弾頭」なんて呼び名を付けられているが、結局彼女はどこまでも善人なのだ。
その旨を田中さんに伝えると、なんとも味わい深い表情を浮かべて話しかけられた。
「……ねぇ、二人ってほんとに付き合ってないの?」
「いや、違うって。なんでそうなるんだよ」
「えぇ……はぁ、もういいや。よくわかんないんだけど薫だし。それで納得することにする」
「お、おう」
大きくため息をついた田中さんだが、顔を上げると表情を明るくして口を開いた。
「それでさ、橘くんに現社を教えてもらいたいんだけど……」
「ああ、そうだったね。まあ教えるって言ってもヤマを当てるだけなんだけどさ」
「えっ!? ヤマ!?」
田中さんは驚愕の表情を浮かべてそう叫んだ。
それに対して自分は笑いながら話しかける。
「まあまあ、これでも結構良く当たるんだよ。流石に表に名前が乗るまでは無理だけど、平均点以上は約束してあげられるよ?」
「ほんと? 割と死活問題なんだけど……」
不安そうな表情を浮かべる田中さん。恐らく補習ギリギリの点数でここまでやってきたのだろう。
自信があるのは本当だ。現代社会の授業は主にプリントの穴埋めを通して進められるのだが、ある程度勉強を進めている人間からすればどこがテストに出されるかの予想は大体つく。
学年末テストとのことでプリントの総数は20枚近くに登るのだが、上手くやれば半分以下には絞れるだろう。そうすれば、苦手意識のある二人でもきちんと勉強してくれるはずだ。
そんなこんなで田中さんにこれからの勉強を説明しているうちに、薫が席に戻ってきた。
「おまたせ。あんたらも上手くやれてるみたいね」
「ま、なんとかな。それより、さっさと始めるからお前も早くプリント出せよ」
「りょーかい。お願いね」
二人から授業プリントの束を受け取った自分は、マーカーを片手に問題の選別作業に移るのであった。
♢♦︎♢
「ねぇ、純一? あんたってさ、がっつり勉強してるわけでもないのになんでそんなに成績いいの?」
「人より早く始めてたからな。小学校の時とかほとんど友達いなかったから。ずっと図書室で勉強してたわけ」
「えぇ……」
ある程度出てきたキャラの掘り下げにも満足できたので、共通ルートも残り3、4話で終わらせられると思います。
次回からは二年生。やっとあの子達を登場させられそうです。