変化とは二つに分かれるものだと思う。それは、いい変化と悪い変化だ。もちろん、一概に判断できない場合も多い。しかし、主観で判断するとなると大体はそのどちらかに帰結させることができるはずだ。
2年生に進級した自分に起こった変化は、どちらかと言うといい変化であったと思っている。
新しいクラスに知り合いが多かったことは、交友関係が狭い自分にとっては有難いことだった。ケンとマサとは文理選択によって別れてしまったが、1年のクラスだと梅原と絢辻、それ以外の知り合いだと薫と田中さんと同じクラスになることができた。
特に梅原と薫と同じクラスになれたのは嬉しかった。これからの多くの学校行事で気心の知れた奴らと馬鹿をやれると思えば、楽しみも増すというものだ。
それからこれも大きな変化なのだが、妹の美也が無事、輝日東高校に進学することができた。
自分も受験勉強の手伝いをしていたので合格は問題ないだろうとの予想はついていたのだが、それでもやはり合格発表までは自分のことのように緊張していた。その分合格がわかった時の喜びも大きかったが。
ここまで自分の身の回りの変化について語ったが、もちろんトータルで見れば変わらないことの方が多い。
相変わらず森島先輩はかなりの頻度でラブレターをもらっているし、梅原は先輩に振り向いてもらえていない。茶道部にも新入部員は入っておらず、高橋先生は独身のままだ。
結局、学年が一つ上がったことで生じる変化など些細なものなのだ。新しいクラスメイトなどは1週間で慣れるし、逆に離れ離れになってしまった友達とも案外顔を合わせる機会は多いことを知った。
進級から2ヶ月経った6月のある日、自分は目新しいことを一通り経験し終わり心情的には落ち着きを取り戻し始めていた。
現在は昼休みの時間なのだが、今日はいつも昼食を共にしている梅原と薫の二人が食後すぐに出なければならない用事があるとのことで、一人で過ごしている。
新しい教室にも慣れたし、相変わらず知り合い以外の人間関係は広げられていないので、特に自教室に止まる理由も見つからず、今はふらふらと学校をさまよっていた。
と言っても広くて狭い高校だ。他学年のフロアなどには行く気もないし、散歩をするとなるとやはり校舎の外に限られる。
下駄箱で上履きから革靴へと履き替え、玄関から外へ出る。春の暖かい日差しに思わず目を細めるが、数秒で慣らすと足を動かして校舎の周りを歩き始めた。足を止めてしまうと変質者になってしまうので、基本的には歩きながら外の様子を眺める。
昼休みとはいえ校庭は多くの生徒で賑わっていた。
軽く周りを見渡すと、熱心な運動部が昼間も練習をしている姿を見て取れる。また、部活の邪魔にならないような空いたスペースでは、何人かの男子生徒が戯れに体を動かしていた。
ただまあ、知り合いの姿は見当たらないので特にそれを眺め続ける理由はない。ゆっくりとした歩幅で歩いてはいるが、2、3分もするとその場を後にすることになった。
校舎を一周して玄関へと戻って来るつもりだったので、校庭を通り過ぎた後は校舎裏へと足を運ぶことになる。人気のない校舎裏を花壇を眺めながら歩いていると、やがて校舎と校舎をつなぐ渡り廊下へとたどり着いた。
下級生の校舎と上級生の校舎をつなぐその廊下なのだが、そこには見知った顔が二人と、見慣れない人物が一人、計3人で談笑している姿が見えた。
校舎を一周するためにはその場を突っ切る必要があるのだが、内輪で盛り上がってるところに声をかけるのも気まずい。
そう思った自分は後ろを向いて引き返そうとしたのだが、背を向けた時点で向こうに気づかれたのか、大きな声で引き止められた。
「あっ! おーい、橘くーん!」
聞こえないふりをするには無理がある声量と距離感だったので、諦めてそちらに顔を向ける。自分の名を呼んだ森島先輩は手を振りながらこちらを見ており、これでそのまま立ち去るのは失礼だろう。
一言挨拶を交すべきだと感じた自分は、軽く会釈をしながら先輩達の方へと近づいて行った。
「こんちわっす」
「こんにちは橘くん。こんな人気の少ないところで何してるの?」
「何もすることがないから来たんですよ。ただの散歩です」
いきなりその場に現れた自分に対し、塚原先輩は邪険に扱うこともなく、挨拶を返してくれた。
「そうなんだ! わたしも同じで暇してたんだ。そしたら響ちゃんたちがお話をしてるのを見かけたから、交ぜてもらったの」
「真面目な話をしてたんだけどね。はるかったら、遠慮が無いんだから……」
「へぇ。じゃあ、その子は水泳部の後輩ですか?」
そう言って、自分は塚原先輩と森島先輩に挟まれるような位置に立っていた女の子に目を向ける。彼女の方は突然現れた男子生徒に困惑しているようで、硬い表情でこちらを見つめていた。
塚原先輩はおそらく肯定の意思表示をしようとしたのだが、それよりも先に森島先輩が口を開いた。
「橘くん、当ててみてよ」
「いや、だから水泳部の後輩なんじゃないかって……」
「ほんとにそれでいいの? 響ちゃんは委員会もやってるし、そっちかもよ?」
ノリノリで提案してくる森島先輩。しかし、知人の知人という微妙な距離感の人が近くにいる状況ではイマイチ乗り気になれない。
助けを求めるように塚原先輩の顔を見つめると無言で顔を振られてしまったので、どうやら付き合うしかないようだ。
「当てられたら何か貰えるんですか?」
「え? うーん……響ちゃんのハグ……とか?」
「マジかよ。外せなくなりましたね」
「あなた達、いい加減にしなさいよ」
声を低くして自分たちを止めにかかる塚原先輩だが、それを無視して思考に耽る。
こんなものボーナス問題に近いのだが、普通に答えても面白くないし、何かひねりの効いた答えを探すことにした。
どうせハグなんかしてもらえないだろうし。
本当はもう一度女の子の顔を確認したいのだが、見知らぬ男子生徒に見つめられるのも気まずいだろう。先ほど目に入った姿を思い出して考える。
確か髪型はショートヘアだったはずだ。身長は先輩方よりも低かったので、女子の平均程度。
ルックスは……目つきは鋭かった気がする。ただ、顔のパーツは整っており美人と評価しても問題ないだろう。スタイルも悪くなかったはずだ。胸の大きさは年相応であったが。
なんというか、かわいいと美人を足して2で割ったような女の子だ。あくまで外見での判断だが。
そこからある答えが導き出せた。絶対ありえないものなのだが、なんだか面白そうなのでそのまま口に出すことにする。
顔を上げた自分は答えを待つ二人の顔を眺めると、ゆっくりと口を開いた。
「塚原先輩と森島先輩の隠し子ですね。あの噂は本当だったんだ……」
「はぁ…………」
「違うわよ! って橘くん!? あの噂ってなんなの!?」
塚原先輩は深いため息を吐き、森島先輩は大きく動揺している。
「ははは、隠さないでもいいですって。僕たちの仲じゃないですか」
「だからあの噂ってなんなのよ!? 教えてよ!」
「じゃあね後輩。お母さんとママを大事にしろよ」
自分はわーわーと叫んでいる森島先輩を尻目に、ドン引きしている後輩に一言挨拶すると、彼女達に背を向けてその場を立ち去ることにした。
ちなみにあの噂とは塚原先輩と森島先輩が実はデキているというものだ。たった今自分が作ったので出回ってはない。
相変わらず自分の名前を呼ぶ声は聞こえるが、塚原先輩がいることだし上手くフォローを入れてくれるだろう。一つ問題があるとすればあの後輩と顔を合わせづらくなったことだが、そもそもそんな機会ないだろうし問題はない。
そう思った自分は、自教室へと戻るために来た道を引き返すのであった。
♢♦︎♢
突然だが、この輝日東高校には時々猫が現れる。首輪はつけていないので恐らく野良猫だ。
それは特に有名な話というわけではなく、放課後に校舎裏を訪れる風変わりな人のみ知り得る情報だ。
悲しいことに一年生の終わりまでほとんど友人が存在しなかった自分は、その猫を見かける機会が多かった。特にエサなどは与えていないのだが、人懐っこい性格だったのかよく撫でさせてもらえ、今では顔を合わすと自分から寄ってきてくれるようになった。
しかし、長期休みである春休み中はもちろん、新学期が始まってからも色々あって3ヶ月ほどその猫とは会えていなかった。
なので、ひと月ほど前から暇があるときは放課後に校舎裏を訪れることにしている。
今日は特に用事もなかったので、猫と戯れるために校舎裏を散策することにした。
心当たりのある場所を順番に見て回る。彼だか彼女だかわからないが、自分がその猫を見かけるポイントは主に3箇所ほどあり、そのうち2つは不作だった。
そして、とうとう3箇所目が目で見て取れる距離まで近づいたのだが……
「おっ」
いた。
遠くから見つめる自分の目線の先には、校舎裏の非常階段の下のコンクリートに寝そべりながら日向ぼっこをする黒猫の姿がある。
急に近づいて驚かれたら困るので、わざと足音を鳴らしながら近づく。すると、猫の方もすぐに気がついたようだ。サッと体を起こすと大きく伸びをして、その後トテトテと自分の方に寄ってきてくれた。
近くのコンクリートの段差に腰を下ろすと、猫は自分の膝に足をかけて登ってくる。そのまま体全部を乗せ終わると、楽な姿勢を取れるポジションを探して寝転がってきた。
どうやらコイツは自分のことを覚えていてくれたようだ。
背中を撫でると気持ちよさそうに目を細めるし、喉を撫でるとゴロゴロと声を出す。
そんな微笑ましい猫の姿に気を取られ、自分の近くに寄ってくる人の気配には気がつかなかった。
2、3分はそのまま無言で猫を撫で続けていただろうか。ふと顔を上げて周りを見渡すと、5、6歩ほど離れた先から自分たちの姿を見つめていた人物と目があった。
「……どうも」
「……おう」
自分の目線の先にいたのは、今日の昼に先輩方と一緒にいた女の子。彼女は自分と目が合うと、無表情で会釈をしてきた。
特に驚くことはなかったのだが、昼間の出会いが出会いだけに、気まずい空気がその場に流れ始める。
そのまま数秒無言が続いたのだが、不意に彼女の方が口を開いた。
「その猫、」
「ん?」
「その猫、名前はあるんですか?」
そう言って後輩は自分の膝の上を指差した。
猫の名前……そう言えば自分はこいつの名前を聞いたことがない。特に人との会話で話題に出すこともなかったし、コイツが自分から名乗ってくれるわけでもないので、知る機会がなかった。
「わかんね。俺は知らないや」
「初めて会ったわけじゃないんですよね?」
「去年からの付き合いだね」
「……名前、つけないんですか?」
「必要ないじゃん」
「……そうなんですか?」
即答した自分の返事に対し、不思議そうな顔を浮かべる彼女。
やっと崩れたその表情は年相応のあどけないもので、張り詰めていた場の空気も少し緩やかになった。
「だってコイツは俺の名前を知らないよ?」
「まあ、確かに」
そもそも名前を呼ぶ機会がないのだ。猫と会話をするわけでもないし、呼んだら飛び出てくるというわけでもない。お互いに顔を合わせて初めてコミュニケーションを取れるという間柄に、固有名詞は不要だ。
ただまあ、彼女は猫の名前を知りたかったのだろう。自分にとっては不必要と感じる名前だが、それを欲する気持ちもわからないわけではない。やはり、呼び名があると距離感は近く感じられるだろう。
相手が物言わぬ愛玩動物ともなれば、お互いの距離感などは人間側の主観で判断するしかない。では何を以て動物と仲が良いかと決めるかというと、客観的に見て取れる懐き具合以外だと、相手のことをどれだけ知っているかという情報量から測ることになる。
まあ、要は名前があれば気持ち的に仲良くなれる気がするのだ。
「名前、つけてあげれば?」
「……わたしがですか?」
「うん」
名前がないなら付けてあげれば良い。
きっとこの猫には他に可愛がる人から付けられている呼び名は存在するのだろうが、それはそれだ。新しい名前をつけたところで前のそれが消えるわけでもないし、そもそもコイツが名前というものを理解しているかも怪しい。名前がなくともコミュニケーションが成立するのなら、こちらの自己満足でつけても問題はないはずだ。
「プーとか……」
後輩がしばらく考えて捻り出した名前は、黒猫に似合った可愛らしい響きのものだった。
彼女の方はあまりこういうことに慣れていないのだろう。自分のネーミングセンスに自信がないのか、不安そうな表情でこちらを見つめている。
「いいんじゃない? こいつも喜んでるよ」
「わかるんですか?」
「ううん。そうだったらいいよねって思っただけ」
「……なんですかそれ」
こちらの返しに、彼女は呆れたような表情を見せる。
自分としては真面目に返答したつもりだ。どうせ動物の真意なんて絶対にわからないのだから、こちらの都合のいいように解釈するべきだろう。
動物の気持ちというものは、どう解釈してもこちら側の押し付けにしかならない。大切なのは相手の気持ちを察することよりも、思いやりを持って接することなのだ。
その旨を彼女に伝えると、納得してくれたのか頷いてくれた。
しかし、会話はそこで途切れてしまう。自分は特に話す話題が見つからず、膝の上の猫を撫でることで気を紛らわす。
十秒ほどそんな自分たちを眺めていた後輩は、ふと表情を崩すと話しかけてきた。
「ふふっ。先輩って結構、まともな人だったんですね」
「ひでぇこと言いやがる」
「自業自得です。初対面の時のアレ、セクハラで訴えられてもおかしくないですよ」
「まあ……」
「気にしてませんけどね。塚原先輩とか感心してましたよ。『橘くんもはるかを振り回せるほどに成長してくれたのか』って」
それは褒められているのだろうか。
皮肉として捉えられない気もしなくはないが、塚原先輩の性格とそれを語る後輩の表情から、どうやらマイナスの意思はなかったことを悟り安心する。
後輩の方も本当に気にしていないようだ。初対面の印象こそ最悪だったようだが、なんとかここまでのやり取りで挽回できたらしい。
「あー……俺は橘純一。二年生。そっちは?」
「七咲です。七咲逢。よろしくお願いします、橘先輩」
今更だが自己紹介を交わす。
後輩の名前は「ななさき」というらしく、それは彼女の雰囲気に似合う、澄んだ響きの名前だった。
「ななさきって、七つに崎?」
「いいえ。七つ咲いて出逢うで、七咲逢です」
「へぇ。洒落た名前してるんだね」
「……ありがとうございます?」
疑問形で返答する七咲。
一応褒めたつもりだったのだが、あまり伝わらなかったらしい。
その後、彼女と先輩方との出会いなどについて話しながら過ごしていたのだが、五分ほど経ったあたりで彼女は自分に時間を聞いてきた。
腕時計に目をやりそれをそのまま伝えると、彼女は部活の時間が近いので去らなければならないと答えた。
「すいません先輩。わたし、そろそろ部活なので」
「そっか。水泳部だよね、頑張って」
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
ぺこりと頭を下げてからその場を立ち去る七咲。
クールで無愛想なように見えて、意外と律儀なやつだ。
彼女はすぐに自分の視界から消えて行ったのだが、自分はその場に漂う不思議な雰囲気に当てられ、膝の上の猫に催促されるまでその場を動けずにいるのであった。
今更なんですけど書き方については模索中なので、コロコロ変わるかもしれません。特に地の文の使い方とか。