闇堕ち士郎のリスタート   作:流れ星0111

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第1話

 少女を初めて見たとき。感じたのは困惑だった。白髪の髪に朱色の目。浮世離れしていた姿。その発言の意図を理解することができなかった。

 

 少女を二度目に見たとき。感じたのは恐怖だった。巨大な戦士を後ろに控えた姿は、足がすくむほどに恐ろしかった。

 

 少女を三度目に見たとき。唯、無邪気だと思った。姿相応の立ち振る舞いで、愛おしいとすら思った。「私のサーヴァントになって」といったその言葉に、どれほどの重みがあっただろう。

 

 それから何度も顔を合わせた。時に敵として、時に話し相手として、時に妹として。冷徹な表情を浮かべることもあったけれど、それでも無邪気に笑う微笑みに何度も心打たれた。

 

 とあるお城に捕まった彼女を見たとき。彼女の覚悟と置かれた状況を実感した。自分とかけ離れた人生を送った少女に、それでも幸せになってほしいと願った。

 

 これが終わったら、一緒に住もうといった時。彼女は切なそうな顔を浮かべていた。それでも歯痒そうに、照れて笑う少女は、とても儚げだった。

 

 少女を最後に見たとき。ただひたすらに悲しかった。覚悟はしていた。自業自得だ。少女が犠牲になる必要なんてかけらもない。

 

 それでも彼女は笑って。

 

 --私はお姉ちゃんだもん。なら、弟を守らなくっちゃ。

 

 それが最後だった。

 

 やめろよ。そんな風に笑うなよ。満足そうに笑うなよ。まだやりたいことだって、やっと自由になれるんじゃないか。自分の幸せを第一に考えて、好きなように生きれるじゃないか。一人でさびしくない。さびしくなんてなれないように。

 

 止まってくれ。止まってくれ。止まってくれ。止まってくれ。止まってくれ!

 手を伸ばす。届きもしないとわかっている手を。知っている。その先に行ってしまえば少女は終わりなことも。

 

「――――――!!!!」

 何度も何度も叫び続ける。しかし、声が届きはしない。

 光に包まれる。少女の声はもう耳には届かない。

 限界をとうに超えた手足は一ミリも動かない。気力もすでに使い果たした。

 

 それでも、脳裏にささやく声はやまない。

 それでも、己の魂が叫び続けている。

 視界は白でおおわれる。聞こえるはずのない声が、自身の脳で木霊する。

 

「イリヤの手を取ったからには、最後まで守り通せ」

「衛宮。助けたものが女ならば殺すな。目の前で死なれるのは、中々に堪えるぞ」

 

 そんな仇敵たちの声が響く。

 

 そんなことはわかっている。わかっているさ。

 

 それでも、手足は一ミリも動かない。魂がどれだけ主張しても、肉体の限界は超えられないのか。

 

 こんな状況が、前にもあった気がする。

 視界はつぶされ、抵抗する苦悶さえあげられない。先に進まなければならないのに指一本動かせない。

 その中で、あり得ない幻を見た。

 赤い外装をはためかせ、その大きな背中で、鋼のようにまっすぐに。

 しかし、今回の彼はこちらを向いてすらいなかった。自分の道はこちらだと一心に前だけを見て。

 

 そんな姿が、言っていた気がした。

 ――――立ち止まるなよ。

 ああ、言われなくても。

 

 背を向ける。たとえ、どんなに理想とかけ離れたとしても。たとえこの先に破滅しかないとしても。

 一人にしないって決めたのは自分だから。

 

 

 

 

 届かない。

 もう声は聞こえない。

 光に包まれて何も見えない。

 彼女は、最後に。

 

 じゃあねと微笑って、バタンと、大聖杯の門を閉め………

 

「させねぇよ。させるわけねぇだろうが…!」

 

 もうすでに起動してしまった器を抱え、無理やり門をこじ開ける。

 

「勘違いするな。勝者は俺だ。貴様を連れて行くのは俺だ。だから…」

 

 イリヤを返せ。イリヤヲ返せ。イリヤを…返せよ!

 しかしうなだれる人形に反応はない。すでに機能を奪われた器はもう、彼女とはかけ離れていた。

 未だ暖かい亡骸。これが失うということ。自ら掲げた理想から取りこぼされたもの。

 

 この道を歩むとき。決めたのではなかったのか?自分の守りたいもののために他のすべてを犠牲にしてもよいと。

 これがその結果か?あの景色を守るのではなかったのか?居間に集まったあの日の家族を。

 間に合わなかった。自分の力が足りないばかりに。どれだけ決意を固めても、取りこぼしてしま物があるとでもいうのか?

 

 違う。こんなことを招いたのは、すべて自分のせいだ。自分の力が足りないから。自分の覚悟が足りないから。

 

「ならよこせよ。力が必要なのならば」

 

 手を前に伸ばす。本来求めてはいけないもの。衛宮士郎が一番拒絶しなければならないものに。

 

「穢れた聖杯よ。聖杯戦争の勝者として命ずる。力をよこせ。すべてを救うなんて言わない。すべてをこそぎ落としてでも、守りたいものを守る力を」

 

 答えは得た。どんな手を使ってでも。どんな犠牲を払ってでも。

 その罪をすべて背負う力を、俺によこせ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩。起きてますか?」

 

 聞きなれた声が土蔵に響く。それはまるで頬を撫でるようで、心地よい音色と共に塞いでいた意識の扉がよみがえる。

 

「…桜」

「おはようございます。先輩」

 

 開いた扉からは涼しい風が差し込んでくる。明るく、そして輝く光が目に刺さった。

 とても長い時間、肌に風を感じることはなかったような気がした。

 

「ど、どうしました?先輩。そ、そんなに私をじっとみて」

 

 見慣れた少女の顔が赤く染まっていた。恥ずかし気に顔を逸らすその後ろから刺す日光が、より彼女の紫色の髪をきらめかせていた。

 何も答えずにいると、気まずさに耐えきれなくなったのか小さな声を桜は漏らす。

 

「あの、何か言ってもらえないと。さすがに私も照れるんですけど…」

 

 手を組んでもじもじとしながら、桜はふうと息をつく。よっぽど顔が熱いのか、手で風を仰いでいた。

 返答もせずにただぼっと見つめていると、流石に声を荒げ、桜はぐいっとこちらに体を寄せてくる。

 

「先輩!寝ぼけてないで起きてください!朝ごはん冷めちゃうじゃないですか!」

 

 柔らかく透き通る細い指先が頬をつねった後、その手は肩に回った。抱きかかえるように肩を持ち上げて立たせようとする。しかし、あんまり力が強くないから逆に胸元に飛び込んでくる形になってしまった。

 

「あ、ご、ごめんなさい。すぐ離れますから」

 

 気まずそうにそう声をあげ離れようとする桜の体を抱き寄せる。

 家とは違った、いつもの桜のシャンプーの香りが鼻をくすぐる。

 妙だと思ったのか、桜はつっかえ棒を差しこもうと、己の両腕を胸元へもっていく。

 

「え、先輩。な、何するんですか」

「いや、ちょっと肌寒くて。不快ならすぐ離すけど」

「…それなら別に良いですけど」

 

 桜から伝わる体温は、とても暖かかった。自分よりずっと。土蔵で寝たせいか、氷のように冷たくなった手を桜の体に当てる。

 少しずつ互いの体温が移っていくなかで、抵抗を辞めた桜が、困惑と照れの混じった顔をしながら小さく口を開いた。

 

「でも。朝ごはん冷めちゃいます」

「…それもそうだな。起きるか」

 

 かぶさった桜ごと体をあげる。突然のことでキャッなんて声を出していたが気にしてはいけない。むーとした顔にもなっていたが気にしてはいけない。

 

「改めて、おはよう桜」

「おはようございます。先輩」

 

 花のように微笑む桜。大切な日常。桜の頭を撫でる。困惑はしていたが、拒絶することはなかった。

 こんな笑顔を送ってくれる彼女を。慕ってくれる後輩を。

 

 俺はこれから地獄に堕とすのだろう。

 

 

 

 

 

 

「士郎!どうしてお醤油とソースのラベルを変えたのがわかってるのよ!」

「どうしてもこうしてもあるか。藤ねえの様子とあとは匂いでわかる」

 

 驚きと失意の表情で睨みつけてくる藤ねえを横目に、ソースと書かれた容器に入る醬油をかけていく。

 朝っぱらからタイガーが新聞なんか読んでる時点で、普通なら察する。というわけではない。

 単に一度目ではないだけだ。ラベルを変えられたことがではなく、この日そもそもが。

 冷ややかな目線を送っているのにもかかわらず、藤ねえは頬を膨らませながらまるで悪いのはお前だといわんばかりの細めた目で見つめ返してくる。

 呆れたように盆に茶を乗せた桜がスッといつもの自分の位置に座るのを見届けて、藤ねえのいじけたボイスに耳を傾ける。

 

「むー。わかってても、士郎なら引っかかってくれるものと思ったのに。お姉ちゃん悲しいな」

「俺は朝から大道芸に付き合うつもりはない」

「先輩お茶です。藤村先生もほどほどにしないとダメですよ?」

「桜ちゃんも味方になってくれないの!もう良いもん学校もういくから。士郎なんて赤点真っ赤にしてやるんだから」

「勘弁してくれ…」

 

 べーーーだ。なんて言ってタイガーはダダダダダッーっと廊下を走って言った。走り去る自称トラの変わらない姿に、苦笑いがつい漏れる。

 桜は、その芸を羨ましそうに眺めながら、お茶を口に含む。

 

「先輩。藤村先生になんかしたんですか?」

「あー。なにしたんだったか。忘れた」

「もう。あとで謝っといたほうがいいですよ」

 

 .....ほっとけば機嫌も治るのです。虎の扱いとは、その程度でよいのです。

 そんなことよりもと、桜の方に向き直る。

 

「今日も夕飯作りに来るんだよな?」

「はい!もちろん!何か食べたいものはありますか?」

 

 特に食べたいものもなかった。ここは先ほど駆け出して行った野獣のご機嫌取りもしなければいけないことも考えつつ、選択をしなければならない。

 大きくため息をつきながら、今日の食費が倍増することを予知して、覚悟を固めた。

 

「虎を城下町に放つわけにはいかないからな。今日は少し豪華にしてやろう。手伝ってくれ」

 

 桜はそういうとみるみる嬉しそうになる。少し手が前で上下に動いていて可愛かった。

 

「食材の方はどうしますか?」

「部活終わりまで待ってるから一緒に買いに行こう」

「は、はい!」

 

 いい返事をして、学校に行く準備をする彼女の足取りは、心なしか軽かった。今からもう楽しみにしているようで、その様子のほほえましさから笑いが漏れた。

 あと、と。大切なことを忘れないうちに伝えなければと居間から離れそうになる桜を声だけで呼び止める。

 

「それと桜。今日からうちに泊まってもらっていいかな?」

 

 突然の発言からか、桜の足が止まる。ギギギと音がなるように振り向いたその表情は案の定何も映してはいなく、張り付けられた無表情から、機械音声のような声が漏れてきた。

 

「....先輩。聞き間違いだと思うんでもう一度言ってもらってもいいですか?」

「今日からうちに泊まっていってもらえないか?」

 

 無表情の桜の首筋からどんどん顔にかけて赤くなっていくのが確認できた。

 

「え、えええ、あの。な、なんででしょうか」

 

 早口になる桜の様子はこれまで見たことがないほど困惑していて、すでに会話の節々に”あわわ”という言葉が挟まっていることから、症状がとても悪いということが察せられた。

 

「近いうちに一人客人が来るんだ。外国の方なんだけど一人で案内するのは自信がなくてな。そういうのは同性がやってもらったほうがいいと思って」

「で、でもそれなら藤村先生が」

「俺は桜に頼みたいんだ。ダメかな?」

「と、年頃の男女が一つ屋根の下って....そんなの」

 

 顔を真下に向けながら、桜はぼそぼそと何かをつぶやいていた。嫌がっているわけではなさそうなので、ここはいったん引いてみる。

 

「それとも、俺と一緒に住むのは嫌かな?それなら仕方ないと思うけど」

「そ、そんなことはありません!!先輩が嫌なんて思うことなんて絶対ありません!!」

 

 かみつくように桜は声をあげた。その際思わず状態をこちらに近づけたせいか、足の小指を机にぶち当てる。

 

「いったぁ.....」

「大丈夫か桜」

 

 足をいたわるように触る。見た感じでは爪が割れているなんてことはなさそうだ。それにしてもきれいな足だ。肌は透き通るように白いのに、筋肉質な足。

 

「あの、先輩。あんまりじっと見られると恥ずかしいんですが」

「ああごめんな。少し見とれてた。ご家族には俺か、藤ねえから連絡をしておくから、それでも無理かな?俺には桜が必要なんだ。無理を承知で頼む」

 

 これが決め手になったのか、深く目線を落とした桜は、決意したような目でこちらを見た。

 

「わかりました。許しが出れば」

「....そうか。ありがとう桜」

 

 頭から湯気が出てるんじゃないかと思うほど顔が赤い。俺も心なしか頬が熱いかもしれない。

 

 あと2日。あと2日だけだ。戦いが始まるその時まで、幸せな時を刻ませてほしい。

 

 もう、数日しかこんな日はやってこないのだから。

 

 

 

 

 

 今日も無事終わる。夕飯は藤ねえ好みの豪華な食事にしてやった。怒っていた理由は覚えていないが、藤ねえが喜んでいるのは悪い気持ちはしない。桜と二人で長い時間調理をするのは、とても心地よかった。藤ねえに新婚みたいだね。なんて言われた時の桜の照れた顔がとても愛しく思える。

 桜を泊めるといったとき、藤ねえに絶対反対されると思ったが、それほど反対されることもなかった。

むしろ始終ニヤニヤして桜に「やっとだね。」とかいう始末。もちろんその後の桜の顔は蒸気を出していた。

 桜には今日から客間の一室を使ってもらっている。これから長く使うことになるんだ。早く慣れてもらいたい。

 

 それで今どこにいるかというと、衛宮士郎の魔術といえば土蔵。肌寒い空気をもろに感じる中で足を組み、自身の内面に意識を注ぐ。

 始めよう。魔術回路を開く。前の日まで衛宮士郎が行なっていた、魔術回路の製作ではなく。スイッチのオンオフを行う。

 やり方は脳裏に焼き付いている。あとは体に慣らすだけだ。今はもうないやつの左腕の経験値は今でも目を閉じるだけで思い出せる。

 これから始めるのは強化ではなく投影。0から1を生み出す、偽物の虚構の能力。

投影開始(トレース・オン)

 なんの変哲も無いナイフを想像、創造する。全身にある神経を総動員し、魔術回路を走らせる。

 全身を一瞬焼き尽くすような痛みが覆う。今まで使っていなかった回路を開いたからだ。それでもこの程度は慣れたものだし、気にするほどでも無い。集中力が途切れることはなく、手元には想像通りのナイフが握られる。

 硬度、形状、ほぼ完璧に出来上がっている。何の神秘も経験も含んでいないものだからだろうか。

 身体中の熱を抑えるよう意識し、スイッチをオフにする。やり方を知っていたからか、易々とこの体も、それに適応したようだ。

 手にしたナイフを前方に思い切り投げる。直線を描いたナイフはそのまま壁に当たり、カランカランと音を立てて落ちた。

 威力は無い。あのとき可能だった動きはもう不可能に近い。左腕の加護で強化されていた身体能力も、今や一般人の能力と大して変わらない。今城から何の強化もなしに飛び降りたら間違いなく死ぬ自信がある。

 もう一度同じナイフを投影する。次は詠唱なしで。少々時間は長くなるが、特にナイフの質に差異は無い。宝具となれば話は別だろうが。

 次は、自身の手首まわりを魔術で強化した後、スナップだけでナイフを投げる。すると倍近くの速度で飛んで行ったナイフは壁に垂直に刺さる。

 前日まで出来なかった。いや、本来ならば今できるはずのなかった魔術。

 知識と経験はもちろん別物だ。あの左腕は自動的にどちらもアップデートする。言えば自動制御みたいなものだ。魔力を通し、投影するとした時点で経験と知識が自動的にリロードされて打ち出される。

 しかし、今残っているのは、脳髄に刻まれた知識だけ。肉体としての経験は0に近い。

 だからこそ、時が惜しい。何度も何度も投影を続ける。瞬時に使用できるよう、体に慣らすよう。気力が尽きるまで何度でも何度でも。

 

 

 

 

 

「先輩。二日連続でこんなところで寝たら絶対風邪ひきますよ?」

 昨日と同じ声が耳元で響く。昨日よりも幾らか覇気のある声。その様子だと眠れなかったなんてことはないようだ。

「悪い桜。今起きる」

 上体をすぐにあげる。いくらか汗をかいていたのか体は少しべたついているようだ。シャワーを浴びてくるか。少し違和感もある。

 ....少しだが物欲しそうに見える。桜に猫耳が生えていたならば、間違いなく垂れているだろう。

「....桜。もしかして、昨日みたいの期待してるのか?」

 そんなことを言ってしまったからか、桜はすぐに顔を上げて頬を張らせる。

「何言ってるんですか!そんな、そんなわけ....ないじゃないですか」

 少しずつ小さくなっていく声に説得力はないんだが。まあそれで桜の機嫌が悪くなってもしょうがない。服の汚れていない部分で手を払って桜の頭をなでる。

「抱きしめてやりたいのはやまやまなんだけど、汗だくだから嫌だろうし。これで許してくれ」

「べ、別にそんなの気にし....何でもないです。だったら早くシャワー浴びてきてください」

 セリフはとげとげしいが、声にはとげを全くと言っていいほど感じない。真ん丸だ。猫だったらゴロゴロ言ってるやつだ。

「それじゃあお言葉に甘えて。すぐ居間に向かうから待っててくれ」

「はい。わかりました。お待ちしています」

 桜から手を離す。その間で、自分の目にも鮮明に映った。令呪。聖杯戦争マスターの証。これから赴く戦場への片道切符。

 それをうまく桜には隠すように風呂に向かう。そんな後姿をほほえましく見る桜。

 ふと、先ほどまで衛宮士郎がいた場所を見る。そして、見覚えのない道具の類を目にした。その中の一つに一瞬目を奪われる。しかし、直後に大河の「桜ちゃんもうご飯食べようよ~」の声に引っ張られ、まじまじと見ることができなかった。

 それは、小学生の図工で作るような粘土のように歪で、とても悲惨なようで、けれどとても強く見えた。

 

 

 

 

 

 学校に着いた途端慎二に絡まれた。主に桜が。途端に桜に近づいて。

「桜!お前昨日はどこで何してた!?僕の許可なく外泊なんて許されると思ってるのか?」

 なんて言って桜の手を掴むもんだから思わず引きはがして肩の関節を決めてやった。

「痛い!!なんだよ衛宮。兄妹の関係に口を出すなよ。何様のつもりだ!お前!!」

「いや、桜に頼んだのは俺だ。桜は昨日からうちに泊まることになってる。お前の祖父に連絡は入れたはずだぞ?」

「な、お、お前の家だったのか。道理で桜がしっぽ振ってるわけだ。桜!お前には衛宮の家にはもういくなって言っておいたよな!」

 この体勢にもかかわらず、桜に対して怒号をやめない。少しお灸をすえる意味を含めて、肩の関節をよりきつく決める。

「うるさいなぁ慎二。桜がどこで何してようとお前に関係ないだろ。そもそも頼んでるのは俺なんだから桜に当たるのは筋違いだろ?」

「せ、先輩そのくらいに。兄さんそれ以上したら肩外れちゃう」

力を入れすぎたのか、もう一捻りすれば脱臼間近だった。少しばかり視線も集まってきている。ため息をつきつつ、桜の言うとうりに離した。

 それと同時に慎二は体をねじって右腕を振りかぶる。

「衛宮!お前調子に乗らせておけば!」

 奇襲だとでも思っているのか。それでも遅すぎるくらいだ。顔面狙いの右腕を右手で外に押し出し軌道をそらす。そのまま、慎二の懐に入り込み右ひじを軽くみぞ内に当てる。

「慎二。折角解いてやったのに薄情だぞ?お前」

そのままスッと背筋を伸ばし、慎二の眼球を覗いた。奥には恐怖の色がかかっている。

「あんまりケンカを売る相手を間違えるなよ?危ない目に合っちまうからな。心配だぞ俺は」

「う、あ。わ、わかってるよそんなことは。お前に言われなくても」

「ならいいんだ。桜。そろそろ朝練始まるんじゃないか?早くいかないと美綴あたりにどやされるぞ?」

 目線で桜をこの場から離れるように言う。慎二とは少し話をつけないとめんどくさそうだ。

「待てよ桜。話はまだ」

「話が終わってないのは俺だ慎二。その話なら、お前の祖父に話はつけてる。それ以上文句があるならそっちに言ってくれ」

「....くそ。わかったよ。わかりました。その件に関しては黙認してやるよ」

「ならよかったよ。あと、桜も年頃なんだからシスコンが過ぎるのはどうかと思うぞ?あまり軽々しく桜に触らない方がいい」

 じゃあな。部活がんばれよって付け足してその場を去ろうとする。それなのに、後ろからまだ声をかけてくる。

「なんだよ。味見が済んだからって今度は独占欲か?いいご身分だな衛宮」

「....なんか言ったか?」

「やった感想はどうだったかって聞いてんだよ。衛宮、人の妹に手を出したんだからそれぐらいの質問答えてくれてもいいだろう?」

「慎二。さっきも言ったけどな。煽る相手を間違えるなよ。でないと」

 

 .......殺したくなるだろう?

 

「でないと巻き込まれるぞ~変な抗争とか。殺し合いとかに」

 最後の言葉に含まれた意味を理解したのか、目を見て萎縮したのかは知らないが、それ以上背中から声が振ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 で、なんでもう5時なんだ。さすがに昨日の疲れから、6限目をずっと寝ていたのだが、誰か起こしてくれないものか。主に一成とか。

「桜待たせてるかな。それとも帰っちゃったか」

 桜なら帰る前に寄ってくれる気もするし、なんなら部活中の時間帯だ。弓道場によって帰るとしよう。

 廊下を歩く、人が少ないのか足音がよく響く。夕立が窓から差し込んできている。オレンジ色の光。彼女と一緒に見た空は、似ているようで全くの別物で。

 懐かしいと思う記憶は、愛しいと思う記憶は、ここではすべて贋作には過ぎないかもしれない。

 でも、そのために拳を握ってもいいはずだ。

 

 下駄箱で靴を履きかえて、外に出た時点で異変に気付いた。人がいない。全く。

 冷や汗が流れる。体がこの状況を拒絶している。吐き気のするような違和感。これは。

「どうして。それは明日のはずだ!」

 夕焼け時に、しかも一日前。そんなこと今までなかった。あり得ない。そういえば令呪の発現も一日早かった。

 なら....まさか。

 先ほどの雰囲気とは打って変わった張り詰めた雰囲気が流れる。

 校庭から大音量の衝撃音と、刃と刃が重なる音が響く。尋常じゃない風圧と、威圧が襲う。

 今すぐここから離れないと。ここにいたらそれこそ殺される。

 まだ気づいてないかもしれない。すぐに体を反転させて、魔術回路を顕現。主に脚を強化し、全力で駆け出す。

 運命が言っているようだった。お前は一日すら休ませないと。そんな資格お前にはないと。

 上等だ。いいだろう。一日でも早く勝ち取ればいい。たとえ何を犠牲にしてでも。

 後ろから、追走してくる音が、敏感になった耳に届く。気づかれたのは数秒前。いや違う。追いに来始めてから数秒。土蔵に着くまでは残り30秒弱。

 アドバンテージは無いと思ったほうがいい。追ってきているのは最速の英霊。あと10秒足らずで視認できるほどになる。

 いつもは人があふれているような道なのに、別世界のように静寂の流れる空間。自然と焦る気持ちが募る。

 戦おうとは思わない。しかし、何もしなければいとも簡単に殺されるだけ。

 故に、この場限りでも構わない虚像。されど実体を持つ、この世界を侵食する力の一部を使う。

 言葉にするのは唯一つ。

投影、開始(トレース・オン)

 イメージするのは宝具ではない。あれらの刺突をそらせるギリギリの境界線にあるような、名もなき無銘の剣。形状は短い青竜刀の様。まるであの男が愛用していた武器に似せた偽物を投影する。

 何の憑依経験もない剣だが。それでも逸らすだけなら十分すぎるほどだ。

 ついに後方に現れる青い槍兵。かと思えば次の瞬間。

「坊主。それは何の真似だ?」

 側面から脳天を直接狙った攻撃を、頭を下げ、体をねじり、槍を上にはじくことで何とかかいくぐる。

 一振りで形状を失った剣を瞬時にもう一本。手に出現させる。

 もうすでに門は見えた。一瞬稼げた時間を活かし、最大のスピードで家に入る。

 家に誰もいないようだ。よかった。これなら、桜や藤ねえに魔術を見られることも危険にさらすこともない。

 しかし、追い打ちがやむことはない。神速の槍が死を運んでくる。何とか剣の側面を穂先に合わせ、衝撃を逃がす。しかし、それが精いっぱいで右足での蹴りがもろに内臓に響く。

 数メートル飛ばされた。肋骨も何本かやったかもしれない。立ち上がろうにも臓器と三半規管を混ぜられていてうまく働かない。

「悪いがこれも仕事でな。気は乗らねえが、目撃者は消せとの命令なんで、潔く死んでくれると助かる」

 こちらに歩いてくる。一般人なら意識を失いそうなほどの威圧感を感じさせながらも、衛宮士郎は顔色一つ変えなかった。

「おそらくは最後のマスターだろうが、これも運命だと思って受け入れてくれ」

 衛宮士郎は不敵に笑う。ああ、そうだろうよ。だってここは。

 

 最初に衛宮士郎が自身の剣と向き合った。掻き消そうにも刻みつけられた記憶の場所そのままなのだから。

 左手がうずく。今回も正常な召還は出来ないだろうが不満はない。これから召喚するサーヴァントは最強のサーヴァントなのだから。

「運命を受け入れる。笑わせるなよランサー。何のためにここにいると思ってる」

 左手を握りしめる。その言葉だけは、絶対に覆す。頭にくる。俺がどれだけ奔走しても、きっと運命とやらの修正力は働くんだろう。

 認めない。認めるわけにはいかない。俺がここに立つ意味をみすみす奪わせてたまるものか。

 ふざけるな。貴様らが俺の大切な幻想を奪っていこうというのなら。

 そのすべてを上回って。俺の幻想を守らせてもらう。

 舞い上がる風。走る火花。迫る穂先をはじいた黒色。運命を変える第一歩。

「問おう。貴様が私のマスターというヤツか?」

 

 闇に堕ちた主と、圧政に満ちた従者の、失われたものを取り返す復讐劇が始まる。

理想が幻想を討ち亡ぼすなら。喜んで理想を踏みにじろう。

運命が幻想を打ち砕くなら。喜んで運命を欺こう。

たとえ何を代価にしてでも、護りたいものがあるから。


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