今回から今作での独自設定が少しずつ入っていきます。ご了承ください。
夢を見ている。
暖かい居間。交差する声。色々な表情と声色。それら全てが、ただひたすらに愛おしかった。
窓から射す太陽が、春の訪れを囁くようで。庭には桜の花びらが舞、障子の隙間から、ささやかに居間を彩っていた。
未来を語り合う夢。明日を望む夢。光り輝く夢の中、少年の目はとても穏やかで、その手は優しく開かれていた。
白髪の少女が、台所で料理を教わっている。慣れない包丁を握るその手を、やさしく隣のお姉さんが包んで支える。
目の前には笑顔が、幸せが、普通があふれていた。
そんな景色を、意識するでもなく、唯々安らかに受け止めていた。
互いの手を重ねて、少しでも熱が移るよう、互いを支え合う、そんな理想の家族。
ありふれた。どこにでもある、日常の一時。
ただ、それだけでよかった。それだけを唯願い続けた。
いつからだろう。それが
変色した降り注ぐ闇は、いともたやすく奪い去っていく。
一枚の写真に、黒い泥が浸透していった。そこに映ったものは、みるみる黒に蹂躙されていく。
目の前の景色は擦れ、色あせ。そして消えて行った。
少年はその光景を、外から見つめていた。
何を思っているのか。何を願っているのか。それを量ることはできなかった。
消されていく。壊されていく。穢されていく、大切なものを、ただ永遠に見つめていた少年。
苦しいのか。悲しいのか。怒りに満ちているのか。焦がれているのか。憎んでいるのか。
いつからだろう。夢が夢でしかなかったのは。
無数の折れた剣が、形を成さない砕けた剣が、大地に突き刺さっていた。
大地は裂かれ、赤が滲みだし、まるで彼の体を貫くように、世界は崩れ、痛々しく全てがそこにあった。
朱い線の跡が頬を伝う少年。
手を握り、空を見上げるその姿は。まるで血で染まる丘に一人。鎖に繋がれているように見えて。
きっとそれは最初から、何も持ち合わせてはいなかった。
目に突き刺さる日光が、夜の終わりを告げる。眼前に広がる白に、嫌悪感を抱きつつ目を開けた。
不思議なことに、今までのように寒気を感じることは無かった。それどころか、何かに包まれているようで、おそらく熱源が左脇にある。なぜなら少し重みを感じるからだ。
体にはフリースがかけられていた。そのせいか、左から来る熱をより鮮明に伝えてくる。
余裕のある右手でフリースをめくると、そこには紫色のハムスターが、縮こまって寝息を立ててそこにいた。
両手が口の近くにあって、自分の体と防波堤のようになっている。
その横から侵入して、頬をつねって伸ばす。
「桜。おはよう」
すると、手で目をこすって、むくっと桜が起き上がる。その拍子にフリースは剥がれ、寝ぼけた顔と、少しはだけた寝間着が、目の前に広がった。
「.....おはようございます。先輩」
「気遣い。ありがとう。でも湯たんぽ替わりは明日からは大丈夫だぞ」
「いえいえ。こちらこそ、お気遣いなく。お泊めいただいている身ですから、それぐらいはやりますとも」
「それなら、明日からは布団で寝なきゃいけなくなるな。桜が隣で寝るなら、こんな固い床で寝せるわけにはいかない」
「そうですよぉ。先輩。私と寝るんですから、ちゃんとお布団に入っていただけないと困ります。...私と、寝る?」
そういって、寒そうに少し震える桜に落ちたフリースをかける。それと同時に桜の体温が上がっていった。フリースはいらなかっただろうか。
「あ、いや、あの。せ、先輩。これはちが....」
「ありがたいよ。明日からは夜は寒さ知らずだな。少し冷え込むと思っていたんだ」
そういじわるに笑ってやると、桜の目がぐるぐるとまわり始めた。
「そ、その。さ、寒そうにしてたのでフリースを持ってきただけなんです」
「ああ。ついでに保温具もセットで、文句は一つもないな」
ぐるぐる回る桜の目が加速していく。オーバーヒートしたエンジンの様だ。土蔵の温度もいくらか上がったように感じられる。
「だ、だって先輩寒そうだったし、私もちょっと眠かったから」
「そんな中、気の使える桜は本当にできた後輩だな」
さすがにこちらを見るのは恥ずかしいのか、下を向いてしまった。頭からもくもくと白い煙が噴き出してくるようだ。
「....先輩。いじわるです」
「悪い悪い。こんな隙だらけの桜は久しぶりで、ついからかいたくなってさ」
そう言って、頭を撫でる。つやのある髪は、いくら触っても飽きることが無い。もはや日課にしたいくらいだ。
「別に...いいですけど」
「でもちゃんと、桜は客間で寝てくれないと困る。こんなところで寝たら風邪ひいちゃうからな」
「それは先輩もです!3日間もここで寝て。だったらもうここにお布団引いてください!」
「ついでに桜も付いてくるなら考えようかな」
寝ていたのではないのだが、まあ同じようなものだし、体調のことも考えてそれもありかなと思う。
「.....先輩が望むのなら」
.....前言撤回。この家でそんなことをしたら、いつどこで犯罪者と罵られるかわかったもんじゃない。主に口軽な虎と、真っ赤なデーモン。そのうち一方には殺される。
「冗談だ。これからは桜の言う通り、部屋で寝るようにするよ」
「....そうですか。よかったです」
そういう桜はフリースをグーッときつく纏ってこちらを睨んでくる。からかって悪いとは思っている。反省はしないけれど。
「じゃあ、昨日と同じようにシャワー浴びてくる。今日は休日だし、朝はゆっくり一緒に作ろう」
「先輩。今日は学校ですよ?」
「そんなはず.....ああそうか。そうだったな」
一日、時は早く刻まれている。しかし、起こっている現象が変わらない今。どこまで影響を及ぼしているかが少し気になる。
「急いで浴びてくるから、悪いけど先に作っていてもらえると助かる」
「お任せください。腕によりをかけます」
胸を張って桜がフン!と自身気に息を吐く。しかし、首元で結ばれたフリースを、魔女の様に羽織る桜は、マスコットの様で威厳は全く感じられない。
「任せた。期待してるぞ。桜」
「存分にしてください!いずれ私の料理じゃなきゃ満足できない体にしてやるんですから」
「湯たんぽも桜じゃないと寝られないかも」
「....ッ!それはもういいんです!先輩のバカ!」
顔を赤くしてそう叫ぶと、居間に向かってタタタと走っていった。
さすがにセクハラが過ぎただろうか。これは少し反省しないとな。
少し顔を赤らめてこちらを睨む桜の、朝日に照らされた後姿が、昨晩の残像と並んで焼き付いた。
一瞬それが、失った時と重なって、心を闇が染め上げた。
「桜。何か手伝うことはあるか?」
頭に乗せたタオルを下して、台所の後ろから声をかける。すでに制服にエプロンをつけた状態でいる桜は、いつも通り慣れた手つきで料理を進めていく。
「いえ、もう大丈夫です。お味噌汁も作りましたし、先輩はそこでバーンと座っていてください」
「そういうわけにもいかないだろ。桜に負担をかけすぎたら藤ねえに何を言われるか」
「いいんです。先輩さっき任せるって言ったんですから、だまーって座っててください」
強情にも意見を変えない。全く。その頑固さはどこから来たのだか。
「それじゃあ師匠として。弟子の手際でも拝見させてもらおうかな」
少し間を開けて、桜の料理する姿を見る。最初の初々しさと危なっかしさはもうどこへやら。もはや自分よりも手際がよさそうに思えて、少し嫉妬する。主婦顔負けである。
「桜。今幸せか?」
嬉しそうに調理する桜に、ついそう聞いてしまった。今、君は何を思っているのか。どんな思いで笑っているのか。
こちらを見て一度困惑の表情を浮かべた後。優しい、桜のような笑顔で笑って。
「もちろんですよ。先輩」
そう。安らかに言った。
「...そっか。それならよかった」
目の前で、幸せそうに笑ってくれている彼女を見て、胸が苦しくなった。その笑顔に何が含まれているのか、知ってしまっているから。何を中にひそめて生きているのかを、知っているから。
今、自分は彼女にできる最善を尽くしているのか。答えの出ない問いをそれでも知りたい。
今、衛宮士郎は笑い返せているだろうか。笑っても、よいのだろうか。
「先輩。寝不足ですか?ぼーっとしてますけど」
そう気遣って伸ばしてくれている手を、顔に押し付けるようにした。
「ど、どうしたんですか」
「いや、桜はあったかいなって」
本当に暖かい。本当に。自分の凍えた熱を移すにはおこがましいくらい。
「心配もいらなそうだし、居間にいる。ありがと。桜」
精一杯今できる笑みを浮かべて、居間に戻った。
見られたくなかった。あんな自分を。彼女の前で弱みなんて見せたくなかった。
あの手を取ったらきっと、迷ってしまうから。
これから死地に追いやる少女を、そのまま攫ってしまいたくなるから。
「おい。シロウ」
そんなことを思っていたからか、障子をあける音に気付けず、つい肩が上がってしまった。
「お、おはようセイバー。よく眠れたのか?」
「ああ、おかげさまでな」
セイバーの機嫌は発言とは相反してとても悪そうだ。布団が体に合わなかったんだろうか。
「どうしたセイバー。腹でも減ったのか?」
「腹は減っている。が、そうではない。わからないか?シロウ」
いや、絶対それが原因だろう。図星だからごまかしているに違いない。事実、少し顔が引きつっている。
「桜の朝飯もうできると思うから、おとなしく座ってような」
セイバーを隣に座るように示唆して座布団に腰を下ろすが、いつまでたってもそこに到達しない。はて、仙人のように浮く。そんな魔術は覚えた覚えがないのだが。
「そうかそうか。いい度胸だなシロウ」
すこーしずつ視界が上に昇っていく。今気づいたが、こめかみあたりに力を感じる。実際、視界の8割は真っ暗だ。
「って。痛い痛い痛い!なんだセイバー!腹が減ったなら冷蔵庫の中探してくるからその手を放してくれ」
「そうか?このできそこないの頭にも衝撃を加えたら多少はマシになるかもしれん」
益々力の大きくなるセイバーの手を何回か叩いて、ギブアップと伝える。多少の遺恨は残るようだが、話が進まないとしぶしぶセイバーは手を離してくれた。
「それで、なんだってんだ。なにかあったのか?」
「....本当に分からないのか」
心当たりが全くない。いや、あるにはあるのだが、本人は違うと言ってるし。
すると、胸倉をぐっとつかんでセイバーは怒りの表情を浮かべた。
「なぜ私の隣で寝ていない!常に私のそばにいろと言っただろうが!」
そんな、普通の人なら一生言わないようなセリフを、怒りを交えて少しも照れずに放ってくる。
台所からカシャンという音がする。心なしか寒くなってきた。
「いつ何時も覚悟を離すなと言っただろう!よもや、忘れたわけではあるまい!」
「いやそれは覚えてるけど。それとこれとは話が...」
「そばにいないでどうする!何かあってからでは遅いんだぞ!?」
セイバーは手を胸倉から服の端に持って行って、力任せにそれをめくる。冷たい氷のような手が、腹を撫でた。女性としての香りが、自身の鼻をくすぐる。
「安心した。昨日の痕はもうないようだ」
少しだけ声色が安らいだかと思えば、すぐにまた憤怒の目を向けてこちらを睨む。
「しかしな、シロウ。睡眠中は一番と言っていいほど人の弱い時間帯だ。その時に傍にいないのは、いくらか非効率だろう」
「まあそれはそうなんだが」
「ということでだ。明日からは必ず私の隣で寝るように」
「いや、それは」
「ダメです!!」
ドン。という音と同時に、唐突に大きな声が居間に響いた。よく見ると桜の後ろで包丁が垂直に立っている。いつの間に曲芸師になったのだろうか。
「セイバーさん!お泊めいただいている身分でその態度はあまりよくないと思います!それに年頃の男女が一緒のお布団だなんてふしだらです!」
眉間にしわを寄せる桜から、盛大なブーメランが飛んで行ったのを間近で確認した。気をつけろ桜。それは早々に帰ってくるぞ。
「なぜそう思うんだ?」
「だ、だって。そんな密着した状態で一夜を明かしたら何があるかわかりません」
「そんなことはない。それとも、ここの主人は寝ている女性に夜這いを仕掛けるような不届き者なのか?」
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
「ならばいいだろう。今日の朝でそれは証明されたのだし、私が隣で寝る分にも大事あるまい」
セイバーの目が桜からこちらに向く。まるで獲物を見つけた王の目。なぶるような目線に背筋がゾクッとする。
「それとも、シロウは私が横で寝ていると欲情してしまうのか?」
「な!?先輩はそんな気の多い人じゃありません!」
二人の目線がこちらで重なる。どう答えればよいのか。寝起きの脳をフル回転させて最善の手を探し続ける。
「そもそも先に先輩の隣を取ったのは私です!泥棒猫は黙っていてください!」
「不法侵入の間違いだろう?それに、選ぶのはシロウだ。なあ、シロウ?」
そして出た結論は。
「....好きにしてくれ」
........結論は、出なかった。
「なぁ桜。そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
「うるさいです。早く支度を済ませてください」
玄関で待ってるとのことで、御冠の桜はこちらを見ないで行ってしまった。
結局、セイバーは隣の部屋で、桜は変わらず客間に寝てもらうことになった。本当に奇襲が来たとき、桜を危険にさらすわけにもいかないし、ここでも結局歴史は繰り返すということか。
「....知らないです。もう」
当初は桜もセイバーと同室で寝るという話にしていたのだが、それに対しては自分が反対した。一番戦闘が激化しそうなところに寝させるわけにもいかない。
しかし、形としてはセイバーを選んだようになってしまったため。この通り不機嫌まっしぐらというわけである。
どうしてこんな時に限って、雰囲気ブレイカーの藤ねえがこないのか。
「それでシロウ。今日は学校に行くのか?」
「ああ、今日は学校で戦闘はまずないと思うし、遠坂の動向も一応見ておきたい」
アーチャーにどう思われたかはこの先の選択に重要だ。イリヤを庇ったところも見られていた可能性が高い。
もっとも、衛宮士郎の行動としては違和感はないが。
「遠坂に対する情報操作は重要だ。あの二人は使える」
「ということは、リンと同盟でも結ぶのか?」
「冗談だろセイバー。背中から刺されるくらいなら、正面に陣取ってくれていた方がいくらかマシだってことだ」
いつ暴発するかわからない銃を懐に入れるほど自殺志願者になった覚えはない。
「基本的には敵対するけど、情報を一方的に流すことくらいはできる」
「それではこちらが不利になるだけだろう」
「嘘偽りも含めてだ。それに、情報で言ったらこちらの陣に勝るところは無いよ」
生憎、この聖杯戦争については知り尽くしている。もっとも、今回はイレギュラーが多いけど。
「言葉通りに信じてもらえるとも限らんと思うが」
「いいや、確実に信じるよ。少なくとも今なら」
”衛宮士郎”の発言を、一番信じるのはあの二人。その中でもアーチャーだ。彼は”衛宮士郎”がそのようなことをするとは夢にも思うまい。
「その件については任せてくれ。悪いようにはしない。それと、魔力のパスなんだが」
「問題なく流れてはいる。それ以上は昨晩言った通りだ」
容量が膨大な分、できるならば流せるだけ詰め込んでいてもらいたい。魔力切れは一番と言っていいほど足を引っ張ることになる。
「セイバー。こちらに魔力を送ることは可能だな」
「ああ、不可能ではないと思うが」
「なら、無理やりパスに大量の魔力を注いでこじ開けられないか?」
召還前に回路を開いていたから、パス自体に問題は無いのだが。詠唱なしのせいで、パスに異物がある状態。それならば、まとめて一度無理やり開いてしまえばいい。
「...もっとも、正規の手段で出来るとは思わん。それにそれよりも効率的な方法はあるだろう」
「悪いがそちらは趣味じゃない」
「本気か?一時的にだが、サーヴァントの魔力がお前の体内に入る意味を分かっていない貴様ではあるまい」
「大丈夫だ。精神はともかく、肉体はお前がいるから実質無害。それに、霊格の違う魔力とはいえ、自我が消えるほどの影響はないと思う」
試したことは無いが、確信はある。それにこんなところで逝けるほど、俺は許されていない。
「そもそも、不可能でないだけで、具体的な方法がない。上流に重力を無視して水を運ぶようなものだ」
「方法ならある」
刻まれた左手の紋章を見る。やはりそれかと、セイバーは半ば呆れて大きなため息をつく。
「それこそ、物の価値というものだ。シロウ。己から苦痛を伴う方に対価を払っていくのは、愚者のすることか、自己満足にしかすぎん」
「俺にはぴったりだ。それに、かの英霊をこの手に抱くには些か経験が足りないもので」
思わず、二人ともに笑みが漏れる。ちょっとしたジョークだけど、場を解くには十分だった。
セイバーはこちらを一瞥した後、もう一度ため息をついてこちらに笑いかける。
「よい。覚悟が決まっているなら止めるのは野暮というものだ。しかし、呑まれるなよ?そうしない自信が私にはない」
「安心してくれ。俺もこの後学校があるし手早く済ませよう」
左手を握り、魔力を込める。紡ぐは命。一時的な奇跡をも可能にする魔力の一角を、ここで使用する。
「令呪を持って命ず。セイバー。パスをこじ開けろ」
そう紡いだ瞬間。流れ込む感覚と共に、既視感のある感覚が身を包んだ。熱く熱く熱く。痛く、イタイ感覚が。
眼前にした剣を抜いたとき、かの王は人ではなくなった。
騎士の王になってしまった王の、微かな願いと後悔が、流れ込んできた。
民は王を求めた。騎士たちは統率者を求めた。それが何者であるかなど、もはやどうでもよかった。
剣を振り、罪を裁き、勝利を導く。人はそのような存在を求めた。
王という名の機械。統率という名の機能を完璧に備えた偶像に、人々は希望を抱いた。
故に姿など気にもしない。蛮族の進行に耐えうる才を持った王を誰しもが疑わず、誰しもがたたえた。
当たり前だ。人々が望んで生み出した存在を誰が疑おうなどと思う。それを、押し付けられた本人ですら、疑問に思わなかったのだから。
人間として生きるすべを失った理想の王の、彼女自身が抱いた理想のかけら。後悔の残滓が、擦れながらも眼前に映し出された。
正攻法で叶わないのならば、どんな手を使ってでも。護りたいものの為なら、それ、そのものをすら縛り付ける。彼女自身がわずかに抱いた彼女の理想。こう在れたらという、人間としての迷い。
これは、他ならない。アルトリア・ペンドラゴンの記録だった。
彼女の思い。彼女の願い。望まれない理想の形。
人間としての彼女の記録。
その中で、微かに淀む世界を、瞬きの中見た。
唯一、理想の果たせなかった。このセイバーの後悔というべきものか。
暗闇の中、降ろしてしまった願いを、歯を食いしばりながら見つめまいとする彼女の背を。
ーーーーー小さいなと、想ってしまった。
「...ウ。シロウ!」
「....何秒たった」
「安心しろ。5秒もたってはいない。それよりも、意識は保てるか?」
帰ってきた感覚。少しずつ自分の外殻を理解するような感覚が自身の体を覆う。
空いている眼になぜか光が当たらないかと思えば、セイバーの体に顔を埋めていたせいだった。昨日とは逆に、こちらの膝から力が抜けたようで、少し恥ずかしい。
「ああ。万全だ。成功したか?」
「パスは本来の回路を維持している。倍以上の魔力が供給できる。調節もできるだろう」
言う通り、流れ行く感覚が太く鮮明になっている。これなら、戦闘に支障はないだろう。
手を握り、足に力を戻す。一瞬意識が移った時に抜けたようだけど、今は影響はない。
「そうか。それならよかった。手を貸してくれてありがとう」
「礼には及ばないが、本当に大丈夫か?」
「心配するな。そこまで柔くは無い」
体にも特に異常は見られないし、令呪が一画減った以外の影響はなさそうだ。
「留守を頼む。単独で行動する気は無いけど、何かあったら流す魔力の量を変えるから、それを察して出てきてくれ」
「了解した。私が付く前に死ぬなんてことは無いようにな。シロウ」
「善処する。俺なりにあがいてみるよ」
「それと、急いだ方がいい。女は機嫌を悪くすると面倒だぞ?」
そうか?桜はちゃんと待っててくれると思うが。そんなことで機嫌が悪くなる人なんて心当たりがあるのは一人くらいしかいないぞ。
部屋から鞄を取ってきて、桜が待つ玄関に向かう。すでに準備を終えた桜が、頬を膨らませながら、素直に待っている。からかってやりたいけど、これ以上困らせるのも忍びない。
「待っててくれてありがとう。さて、行こうか桜」
「そうですね。遅れると美綴先輩に怒られますし」
早くしましょうと桜に急かされながら、ガラガラと音を立てる扉を横にやる。
ピンポンの近くに人影を感じたが、きっと幻覚だ。だって理由がない。今回に至っては絶対に。
「どうしたんですか?先輩」
扉を出た直後に止まってしまったから、桜が心配の声をかけてきた。うんそうだよな。あるはずないあるはずない。
「いやちょっと変なものが見えて。寝不足かな」
「そうですよ。あんなところで毎日寝てるから風邪ひいたんです」
「体調は悪いようには思えないんだけどな」
そんなたわいない話をしながら、門の前までくる。やっぱり幻覚に動きは無い。さっきのことで脳がやられたか?
「お、おはよう。衛宮君」
後ろから不吉な声が聞こえてくる。脳に干渉する魔術というのもある。もしかしたら、寝ている間に、何かを駆けられている可能性も捨てきれない。
「....なんか聞こえないか。桜」
「奇遇ですね。私も寝不足なのかな」
「ほら。入り込むなんてするから」
照れて顔を落とす桜。よし。しばらくこのネタは使い続けていこう。この顔が見れれば一日のエネルギーは摂取できる。
「さて、急ごう桜。寝ぼけも太陽の光を浴びればじきに覚める」
「そうですね。弓を引けば早々に断ちきれます」
「間桐さんも、おはよう」
.....まずい。さっきから完全に幻聴が聞こえてる。セイバーの魔力にはこんな力があったのか。ダメージ量をゼロと過信したのは間違いだったか。
「先輩。私。呼ばれた気がしたんですけど」
「耳を貸してはいけないぞ桜。幻聴に返答するとよくないことが起きるのはホラーの基本だ」
「脅かさないでくださいよ。怖いじゃないですか」
「大丈夫大丈夫。冗談だから。そんなわけないから」
だって、後ろから聞こえる声も、後ろに人なんていないはずなのだから。
二人で同時に後ろを向く。ぜんまい人形のようにギギギと動いて目がとらえたのは。
「お、おはよう。二人とも。いい朝ね」
そうばつが悪そうに答える。赤いコートの魔王の姿だった。
早朝だからよかったものの、多少の視線が集まってくる。望んでこういった状況になっているわけではないのだから、そういう目はどうかと思うのだが。さっきから誰も話さない状況が続いてこっちも参ってる。
「ていうかセイバー気づいてただろ....」
そろそろ学校に着きそうだと思ったので、こちらから話を振ることにしよう。
「それで、遠坂。弁明をどうぞ」
「いや、朝のご挨拶にと」
「ご近所さんじゃないんだから。朝っぱらからなんでわざわざ俺の家まで押しかけてきた」
いろんな意味で心臓に悪い。結界が作動していなかったのも心臓に悪い。一度入れたことのある相手だし、悪意がないからだろうけど、それでもあっさり入られるとは思ってなかった。
「しょうがないでしょ。一応昨晩のお礼も言いたかったのだし」
「それなら電話するなり、いろいろ方法があるだろ?」
「私、衛宮君の家の番号知らない」
なぜさも当たり前のように悪びれもせずにいるのか。報連相は人間の基本だと思うんだけど。
「それに玄関前にいなくても、入ってくればよかったのに。それともあのタイミングで家に来たのか?」
「そ、そういうわけじゃないけど」
「だったらこれからはちゃんと押せよ?ピンポンにビビるなんて小学生じゃないんだから」
知らない顔ではないのだし、追い返す気は今は無い。対立関係もそこまで深く無い今、そこまで警戒されるとあまりいい思いはできない。
「わかったわよ。これからはちゃんとご飯前に伺うわ」
「....そういうことか」
要は、朝ごはん自分の分気を使われるのが嫌で、今日は険悪でもあったし、入りづらかったのね。
「気を使うなんて、遠坂も人間らしいこと出来たんだな」
「....なにかしら、私も幻聴が聞こえてきたのだけど」
「気にするな。最近冷えるから、体調が万全じゃないことなんてざらだって」
だから、そんな青筋立ててこちらを見ないでほしい。これくらい言わせてくれてもいいじゃないか。
「遠坂先輩は....」
一歩後ろを歩いていた桜から、声が上がる。少しか細い、緊張したような声。
「これから朝、うちに来るんですか?」
「いやそれは困.....」
「安心して間桐さん。今日は昨日のお礼も加味してお邪魔させてもらっただけで、明日から衛宮君を取る気は無いわ」
いい返答だ。褒めてやりたいところだが。やっぱりこっちを睨んでくるのをやめない。口が滑ることぐらい誰にだってあるだろう。
「変な心配してないで、部活のことでも考えなさい。もう着いたことだし」
3人の登校もやっと終わり、朝練のある桜とはここでお別れだ。
「そうですね。今日はありがとうございました。先輩も、授業中寝たらだめですよ」
頭を一度下げて、弓道場の方に走っていった。見たところ美綴が入口あたりでこちらに手を振っている。
「衛宮君それで話が」
「悪い遠坂、ちょっと待っててもらっていいか?」
遠坂に断わって、自分も弓道場へ足を向け、小走りで向かう。美綴がこっちに来るとは思わなかったのか、少し驚いたような顔をしていた。
「どうしたの衛宮。朝っぱらからこんなとこ来て。もしかして復帰する気になった?」
「それは後々決めるとして、明日って弓道部部活あるのか?」
「うーん。あんまり最近みんな体調良くないみたいだし、一回自主練にでもしようと思ってるけど、どうして?」
無視できない一文があったが、まあ許容範囲だ。動き出すタイミングにはわずかに誤差はあるだろうし。
「それなら、明日一日桜を借りていいかな」
「お、なんでだい?」
「家が大人数になってな。調理道具なんか一新したいなと思ってさ。桜も使うし、一緒にいたほうがいいかなって」
「まあ、私が決めることじゃないけど」
美綴の目線が桜に向く。桜は無表情で固まっていた。いや、一番反応してほしいのは君なのですけれど。
「桜、明日一日付き合ってもらっていいかな?」
「あ、あの。はい。私でよければ」
上ずった声で、噛みながら必死に返答する桜。そんな顔ほかの奴にしてないだろうな。弓道部にも男はいるし、少し締めといたほうがいいのかもしれない。
「そっかそれならよかった。悪かったな、部活の邪魔して」
「いえいえ。朝からいいもん見せてもらいましたから」
ニヤニヤする美綴を無視して、桜に笑いかけた後、なぜか真後ろにいた遠坂を伴って校舎に向かう。
「悪いな待たせて。で、話って?」
「ていうか、衛宮君って結構正直なタイプなのね。少し意外」
感心したような、勘が外れたような複雑な声を上げる。
「そうか?言わなきゃ伝わらないと思うけど」
「そういうところよ。私、衛宮君って天然の鈍感さんだと思ってたから自分の気持ちにもそうなのかなって」
間違ってはいない。それどころか完全に的を射てる。むしろ逃げていたという方が正しいかもしれない。そう言った感情も、伝えることも。失ってからでは遅いというのに。
「まあ、あんまり気にしないで。それで昨日の件なんだけど」
「なんかあの後あったのか?」
「いえ、何事もなく帰宅したわ。衛宮君は見た感じ怪我してなさそうだけど、どこか痛たいところある?」
「特にない。手加減してたのか致命傷は一つもないし」
嘘ではない。あの程度は致命傷でもなんでもないし、今は無傷だ。
「なんでそんなこと聞くんだ?」
「私に癒せる程度の傷なら治さなきゃフェアじゃないでしょ」
「そうでもないだろ。昨日援護もしてもらったし」
「でも、前衛に素人のあなたを置いて逃げたのだから、そのくらいのケアはしておきたいのよ」
結局は、自分の為にけがをしたなら、それを治さないと、傷つけられないってこと。本当に、遠坂は変わらない。理知的であるくせに、人間らしい魔術師。
「それなら大丈夫だ。ねぎらうならセイバーにしてやってくれ」
だから、君は強くて、これ以上に無いくらい弱い。
一つため息をつくと、遠坂はまっすぐな目をこちらに当ててきた。
「それならいいわ。わかってると思うけど」
「敵同士。だな。遠坂とは戦いたくないけど、遠坂にも信念ってものがあるだろうし」
「なんだ、物分かりがいいじゃない」
「おほめいただき光栄です」
教室の分かれ道に差し掛かる。遠坂に一つ会釈をして、教室に入ろうとしたとき後ろから最後の声がかけられた。
「衛宮君。どうしてあの時私を庇ったの?」
そんな、答えの決まった問がかけられた。振り向かずに、模範解答を答えた。
「当然だと思ったからだよ。誰かを護るのは」
そんな忌々しい返答が、自身の口から流れ出ていった。
教室の扉を開けると、意外な人物がこちらを覗いてた。
「おはよう衛宮。遠坂と桜連れて登校か。いいご身分じゃないか」
気色の悪い笑顔を浮かべてこちらを睨む男。
「部活は行かなくていいのか?」
「こっちはそれどころじゃないんだよ。お前らとは違うからな」
「そうか。特別ってのは大変なんだな」
自分の机にかばんを置いて、正面から慎二と顔を合わせる。
「それで、どんな気分だ衛宮。奇跡的にでも遠坂と登校した気分は」
「笑わせないでくれよ慎二。気色の悪い発言する暇があったら、今すぐ隣のクラス行って口説いてくればいい」
「....お前」
彼にとっての精一杯でこちらを睨んでくる。全く持って威圧にもならない。か細いゴミのような目線。
隣にまで歩いて行って、背中を叩く。別に力を入れるでもない。唯々ポンと背中をたたいた。押し出すように。
「別にお前にたいして優越感を抱きたいから二人と登校したわけじゃないんだ」
いつもと違う態度に、おびえているのか困惑しているのか、少し震えが伝わってくる。
こう見ると哀れだ。大した器もないくせに、目標は達者で、プライドと自尊心だけはすくすくと育てて来た。
不安なんだろう?自分が無力だと、平凡だと現実に言われないよう。目をそらすので精一杯なんだろう?
しかし、同情する気も共感する気もさらさら無い。
お前には、進んでもらう。底なしのそれ以上に無い暗黒に。
「あがけばいい。得意だろ?何もないところから始めるのは」
お前には溺れてもらう。最低の絶望に、一番深く。
「安心しろよ。誰もお前に希望なんて抱いちゃいない。そもそもお前は何も持っちゃいない」
眼を開けようと目を閉じようと延々と迫ってくる死と絶望の音色に。
お前が逃げた、本当の異端に。
お前が押し付けた、報われない世界に。
「踏み出してみろよ?憧れてるんだろ?」
ありがたく思ってほしい。
特別にしてやるのだから。俺の手のひらの中で、踊る駒に。
よろこべよ。慎二。
お前の願いはようやく叶う。
たとえそれが、どんな形であろうとも。