闇堕ち士郎のリスタート   作:流れ星0111

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一ヶ月ぶり....お待たせして申し訳ありません。今回結構尖った感じで書いたんで、少々緊張しています。
今回から士郎の闇堕ち度が大きくなりますので、お読みいただける方はご了承ください。



第5話

 日が落ちる。あっという間に最後の授業の鐘がなり、終業の合図が鳴り響いた。

 ありふれたはずの日常が、なんとなく、別の次元のように思えた。

 

 見つめる景色全てが、新鮮で、色褪せて、遠くて。すぐそばにあった時の流れも、今となっては孤独すら感じさせる。

 

 きっと、少女はこんな世界を生きていたのだと、そう実感した。

 

 そこかしこに走っていく生徒を横目に、ふと窓の外を見つめる。

 放課後になればもう、太陽は落ちかけていた。懐かしい夕暮れが、目に安らかに差し込んでくる。包むような明かりが、自分を纏っていった。

 

 刺すような寒気とは裏腹に。それは暖かくて、心地よくて。目を細めてそれを見つめた。まるで、焦がれるように。懐かしむように。

 

 きっと、こんな日だったのだろうか。少年が唯々ひたすらに挑戦していたのは。

 越えられない壁を、それでも唯々望み続けた。はたから見れば哀れで、愚かな少年。

 

 それを、ただ見つめていたと。少女は言っていた。失敗しろと。そんないじわるなことを思っていたと、懐かしむように言って笑う少女の横顔を今でも目を閉じれば思い出す。

 

 ただ愛おしい記憶。今思えば、その顔に何が隠されていたのか。きっと計り知れない思いがそこにはあったのだろう。

 

 今は無い。今は遠い世界のお話。ただ笑い合って。何も知らず、ただ愛しく思った時の記憶。

 

 もう届かない彼方の思い出。自分しか持ち合わせてはいない、偽りの思い出。

 

 階段を下りて、靴を履きかえて。ただの日常を何事もないように過ごした。もしかしたら最後になるかもしれない。そんな日常を。

 

 通りかかった道場には笑った少女が、ペコペコしながら。それでも背筋を伸ばして、一生懸命弓を引いていた。

 

 そんな中。目の前を、幻覚が通り過ぎて行った。きっと、何も知らない頃の自分がする一幕。何事もないように弓道場に入って、他愛ない話をして、ただ過ごす愛おしい時間。

 

 今となっては遠い。清く美しい桜のような記憶。

 

 けれど、自分の足はもうそっちには向かなかった。知っていたから。どれだけ焦がれても、向けるべき方向が異なるから。

 

 眼の端にある景色を無視して、一人歩いていく。その先に待つものが何か、よく知りながら。今ある幸せに背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道、手持ち無沙汰だったので、ふと足を商店街へと足を運んでいた。別段、買わなきゃいけないものがあるわけではない。セイバーの身の回りのものは藤ねえが協力してくれたし、食料は昨日たくさん桜たちが買ってきていた。

 

 しかし、今すぐやることがあるわけでもなく。だから、ふと足を運んでいた。

 

 小さいながらも活気のある商店街だ。同じように学校帰りなのか、小さい子たちがにぎやかな声を上げてはしゃぎまわっていた。

 

 魚屋の前では、ベビーカーを押しながら買い物をする女性が、御主人と笑顔を交わしながら。今日の献立は何にしようか。そんな話をしているのを耳にした。

 花屋の前では、贈り物なのか真剣な顔で花を頼む青年の姿があった。スーツに身を包んで、これから戦場に行くような顔をした青年を、花屋の店員は笑って花を選んでいた。

 

 決して静寂なんかではない。音にあふれた日常が、眼前に大きく広がっていた。

 

 

 

 すると突然。服の裾がスッと引かれた。小さい力で、存在を示すように。

 

 その手は裾から指先へと延びていく。握られていた手を開くように触れる指先。少し冷たくて、小さい手。

 

 スッと目線を後ろへと移した。突然のことだったけれど、驚くこともなく、自然に。

 

「……生きてたんだね。お兄ちゃん」

 

 作られた笑みと共に。似合わない、か細い声が耳元に響いてきた。

 

 

 

 

「とりあえず、座ろう」

 公園のベンチに腰を掛けて、手にした袋から一つどら焼きを取り出し、目の前の銀髪の少女に手渡す。おずおずと伸ばした手にそれを乗せた。自分の分も取出し、一口それを齧る。

 

 冬。吐く息が白く染まる季節。ただ何の音も発さず。ただ、甘い香りが口内に広がっていく。

 

「お兄ちゃんは、名前。なんていうの?」

 

 手にしたどら焼きを半分ほど食べたあたりで、少女の高い声がやっと耳に届いた。

「衛宮士郎」

「エミヤシロ?言いづらい名前だね」

「衛宮、士郎だよ。言いづらいならシロウでいい。そっちが名前だから」

「シロウ。簡単でいい名前だね。単純だけど孤高な感じがするもの」

 

 そう、こちらを見つめて言ってきた。煌めく朱色の目が、こちらの瞳を見つめる。何か、言いたいことをのどに詰まらせたような目線をこちらに投げかけて、また目をどら焼きに戻した。

 

「イリヤはさ。ここまで何をしに来たんだ?」

「お兄ちゃん。シロウに会いに来たんだよ。昨日の今日だけど、大丈夫だったのかなって」

「襲ってきたのはイリヤだけどな」

 

 そう少し皮肉っていうと。いじけたように指先をいじりつつ、悪そうに目線を下した。

 

「気にするな。聖杯戦争なんて言う括りにいる以上仕方ないことだよ」

「……うん。そうだよね」

 

 どら焼きをリスのようにちびちびと齧りつつ、少し明るさを取り戻した様子でフフッと微笑む。

 

 どこからどう見たって年相応の女の子でしかない。これが、生み出された道具であるなど誰が想像できるだろうか。

 

「イリヤは、なんで聖杯戦争に参加してるんだ?」

 

 いつか。問うた事のある問いを再度投げかけた。

 

「私は、このために生まれてきたから」

 

 そう、何の感慨もなく。諦めるでも悲観するでも誇りにするでもなく、ただ当然のようにそういった。

 

「私は、生まれる前から。生まれてからずっとマスターになるために。この戦いの為に生きてきたから」

「今までずっとか」

 

 小聖杯として。未来のない、決められたピリオドに向かって、背中を押され続ける少女の姿がそこにはあった。

 

「聖杯を手に入れて、どうしたいんだ?」

「うーん。あんまり考えたことない。目的ならあるけど、それは聖杯とは関係ないし。しなきゃいけないことはあるけど、それは私の意思じゃない」

「その役目を、嫌って思ったことは無いのか?」

「わかんない。最初からそうだったもの。シロウだって学校っていうのに行って社会に参加してるのと同じ。最初から義務づけられたことだから嫌とかそういうことじゃないんだと思う」

 

 義務だから。勝っても負けても、これが至って普通に進めばイリヤの人生はここで。ここにいる彼女の人生は、ここで終わる。

 

「やりたいこととかは、無いのか?」

「……どうしてそんなこと聞くの?」

 

 どら焼きを食べ終わったようで、見るべきものを失った瞳がこちらに向いた。計るように見つめる目線。寒空の下凍りつくような視線が射抜いてきた。

 

 ふと頭上の空を見た。まだ明るい、落ち切っていないオレンジ色の光。きっとこう話せる時間のタイムリミットはもうすぐだ。もうすぐ、彼女の護り手が目を覚ます。

 

「少し、思っただけだよ。イリヤ自身の願いっていうのは何なのかなって」

「私自身の?」

「目的でも、義務でもなくて。こうしたい、こうなったらいいなっていうイリヤの願望。気になったんだ。言いたくなかったら言わなくてもいい」

「そんなの……」

 

 眼は再度下に向いた。少し体が震えている。気を落とすようにするその表情に。つい、自分の着ていたコートをかけた。

「寒いだろ。着てていい」

 

 きっと寒いわけではない。それでも、かけてやりたかった。自身のエゴだとわかっていても。

 

「いつか。それが見つかって。イリヤが願う何かが見つかって」

 

 寒くなった体を縮こませるように、イリヤがいる方とは逆の拳を握った。もう時間は無い。こうできる時間は、あと数えるほどしかない。

 

「そうなれば。心の底からいいなって思う」

 

 君が奉仕するのではなく、望む立場になって。誰かの為ではなく、自分の為に生きられたらどんなにいいか。

 だってそれは、イリヤの人生だから。

 

「昨日今日会った奴が言うことじゃないな。忘れてくれ」

「……だったら」

 

 下げた目をこちらに向けずに。そのまま消えそうな声で語りかけてきた。

 

「シロウの願いは。何?」

「……無いよ。願うことなんてない」

 

 願ったところで、かなうものでないのは知っているから。

 だから、願うのは辞めた。もう、無力に願うのはこりごりだから。

 でも、それでも何か願うとしたら。イリヤの味方に。

 君が未来を望めるように。

 君が明日を歩めるように。

 

「なんてな。俺にも俺なりに人並みの願いくらいあるよ」

「...そっか」

 

 イリヤが立ってくるりと回った後、こちらを向いて、にこりと笑う。

 

「バーサーカーが起きちゃったから帰るね。これは借りていくから。次会った

時に返すからそれまで生きててよ?」

「任せろ。死ぬつもりはないからな」

 

 立ち去っていくイリヤの背中を見送る。あの時とは違う軽い足取りが、少し心にズキリと痛んだ。

 

「それと、最後に一つ聞いてもいい?」

 

 もう一度反転したイリヤの顔には、無表情が張り付けていた。冷たい。氷点下の目線。そこには、先ほどの少女ではなく、バーサーカーのマスターが立っていた。

 

「どうして、あの時私を庇ったの?」

 

 何の感情も含まない声が、容赦なく襲ってきた。見定めるように。殺気を纏った問いが、衛宮士郎を計るようだった。

 

「特に理由は無いよ。そうしなきゃって思ったから」

 

 そう答えるとき、彼女の目を見ることができなかった。見抜かれると思ったから。どうしても、どうしても出てしまう感情を。どうやったって彼女にだけは見られてはいけない。

 

「そろそろ日が完全に落ちる。そしたらもう敵同士だ。イリヤも、早く家に帰った方がいい」

 

 そのまま彼女に背を向けて歩き出した。先ほどと同じように、自分の足を引きずって。振り向いてはいけない道をただただ歩いた。

 

「……うそつき」

 

 そんな声が後ろから聞こえてくる気がした。

 

 

 

 

 

 

「シロウは、嘘ばっかり」

 ぽつりと。吐き捨てるように、去っていく少年の背中に投げかけた。

 

 何故かはわからない。でも、会わなきゃいけないと思ったから。次の日だったけれど、彼を探し回った。

 

 確認したいことがあった。どうしても、確認しなければいけないことが。

 

 昨日までは、どう殺そうか。なんて考える自分がいて。復讐っていう単語が、彼に会う前には、脳内に鳴り響いていた。

 

 ただ、奪って行った少年が憎い気持ちがあって。一人にした憎しみがあって。裏切ったなんて思っていて。衛宮を名乗ることが、狂おしいほどに妬ましくて。

 

 でも、昨日。何故かわからないけど、どうしてもそんな気持ちが浮かばなかった。撃つ魔弾にもどうしても力が入らなかった。

 

 きっと嬲り殺しにしたいんだと。この程度では終わらないと。そう自身の根底で思っているのではと、自身を納得させていた。

 

 でも、何故かあの時。護られなくても致命傷になんてならなかった。それでも、庇われたあの時。

 シロウと名乗る少年の頬に、流れるはずのない水滴が見えたような気がして。

 

 その時に、違和感に気づいた。何故かはわからない。けど足が震えるように前に、手が前に伸びるように動きそうになった。

 

 どうしても、その違和感の正体を知りたかった。あの時、どうしてそんな顔をしていたのか。

 

 だから、探し回って。見つけたと思った時。彼は。

 シロウは、同じような顔で周りの人々を見つめていた。手から血が出そうになるほど、それを握りしめて。

 辛そうで、苦しそうで。だから咄嗟にその手を取ってしまった。

 

 その顔が。昔最後に見た、今はいない父の顔と重なった。

 

「うそつきだなぁ。シロウは。気づかないわけ、無いのに」

 

 それはきっと、いろんな感情が入り混じった顔で。

 

 何故それが自分に向いたのかはわからないけど。胸の奥が痛むのを感じた。

 

 

 

 

 

 

「言い訳を。シロウ」

「いや。その。悪気があったわけではないんだ」

「隠れて自分だけ甘味を食べてくるとは。貴様を見誤っていたようだな」

 

 セイバーの手元にはどら焼きを包んでいた紙袋が握られている。眉間が寄り、心なしか気温が氷点下に陥っている気がする。うっすらと暗黒の宝剣が姿を現した。

 

「大体、外に行くならばサーヴァントを連れて行くのが基本だというのに、こちらは譲歩して単独行動を許している。このようなことがこの先あるのなら、今後の方針に支障をきたすぞ」

 

 そのセリフはマスターが負傷して帰ってきたときに言ってほしい。断じて今じゃない。食い意地が張ったセイバーがいじけて言うべき言葉じゃない。

 

「わ、悪かったとは思ってる。だから学校から帰ってきたときホットケーキ焼いてやったろ?」

「ああ。それは大変美味だったぞ」

 

 さすがにセイバーの分を買い忘れたのは悪いと思って、帰ってきてそうそう焼いてやったのだ。随分と驚いた表情で「さすが私の見込んだマスターだ。貴様に剣を預けて正解だった」なんて目を輝かせて言っていたくせに。

 

「だからさ。これから見回りに向かおうって時にこんな話しなくてもいいと思うんだ」

 

 夕食後。ささやかに談話を楽しんでいた俺と桜を引き裂くように、セイバーが自室から居間に戻ってきたかと思えば、手には茶色い紙袋と殺意のこもった視線。思わず桜も「そ、それじゃあ先輩。おやすみなさい」なんて気を使って出て行ってしまう始末。まあ、結果的にはよかったのだが。

 

「それとこれとは話が違う」

「……わかった。明日帰りに買ってきてやるからそれで勘弁してくれ」

「倍は買ってこい。いいなマスター」

 

 この英霊は魔力より家計を切り詰める気か。大体、お前今回はちゃんと回路つなげたんだから食べる必要性は無いだろ。っと。そんなことは絶対に言えないのだが。

 

「はぁ。それじゃあ、巡回に行こう。この先の展開も気になるところだし」

「ため息をつくな。それでも私のマスターか貴様。しゃんとしろしゃんと」

 

 背筋を伸ばすように叩いてくる。元凶はセイバーなんですが。

 

 そんなことには脇目も振らず、セイバーは一人玄関から静まった街並みを睨む。時刻は夜11時。未だ生活感の匂う住宅街には、途切れ途切れに光がともっている。

「セイバー。確認だが、交戦することになっても、変わらず撃破はやめてくれ」

「マスターは殺してもいいのか?」

「やむを得ない場合は構わない。けど今はそこまでの事態にはならないよ」

 バーサーカーは置いておいて、今のセイバーをそこまで追い詰められるサーヴァントは現時点ではいない。警戒するべきは敵ではなく、この戦争自体の動き。

 自身の敵は、マスターではなくこの流れそのものなのだから。

 

「とりあえず今日は自分たちの足場を固めよう。セイバーもわかっているとは思うが他のマスターも動いているようだし、警戒は怠らないように」

 セイバーは素直に首を縦に振る。セイバーは自身の魔力感知で地脈の流れのわずかな隔たりを理解している。俺はそうゆうわけではないが、おおよその状況ぐらいは予測できる。

 

 セイバーを隣に、住宅街を回りながら少しでも何か判断材料になるものを探す。違和感のある場所は見受けられないようだから特に異常事態は発生していないようだ。

 交差点に差し掛かる。今日ではないのか?そういう事態もあるのかもしれない。まあ、洋館方面の丘まで見回ったら今日は終わりで.....

 

 そう思っていた矢先、膨大な魔力の気配を感じる。既視感のある知った魔力。セイバーの洗練された魔力というよりは、おどろおどろしい邪悪な気配。

 

 それが、涼やかな風と共に背筋を貫いていく。鳥肌が全身を覆う中、冷静にそれが発言した方向を見る。そこは新都ではなく、より近い住宅街の一角。ここからそう時間はかからない。

 

 やはり今日。動いたか。ある意味では筋書き通りの一手に安心しつつ、セイバーと目線を交わし、すぐにその方向へと走り出す。魔力を纏い、人外の膂力で走るセイバーに追いすがるよう全身に魔力を通す。つま先から下半身を重点的に強化の魔術をかけ。セイバーに及ばないけれどそれでも距離をそこまで離されないよう並走する。

 

 夜の街を、走る稲妻のように二つの影が断ち切っていく。同時に自身の体に通る冷たい冷気に、武者震いが体を走る。

 響くようなそれは、先ほどまでの自分にスイッチを入れるように、冷徹に鋭利に、心を塗り替えていく。

 

 薄く光の立ち込める路地。家と家との間に、捨てられたように女性が崩れていた。生気は微塵も感じさせず、一般人が見れば死体と何ら変わりあるまい。

 しかし、呼吸は続いていた。見捨てていけば間違いなく死ぬであろうが、今適切な処理をすれば息を吹き返すだろう。

 首筋に二つ点が並んでいる。ツッと血がそこから滴っていた。

 

「セイバー。この人を背負って教会へ向かってくれ。あそこの神父なら、これに対応できるはず」

「それはできない。優先すべきはマスターの安全。この人間を助けるのは二の次だ」

 

 セイバーはすぐに背を向け、手にした剣を強く握る。彼女もこの所業を許しているわけではないのだ。ただ優先順位が少し異なるだけで。

 

「それよりも、これを行ったサーヴァントを始末すべきだ。幸い、魔力の残滓が道を示している。見たところそこまで思慮深いマスターではないようだ。次を出さないためにも、ここで手をこまねいているわけにはいくまい」

「わかっている。だから、セイバーはこの人を背負って向かってくれ」

「……死ぬ気か?」

「何度も言わせるな。頼んでいる間にしてくれると助かる」

 

 令呪の使用をにおわせると、明らかに怪訝な顔つきになったセイバーが、女性を肩に背負う。眉間にしわが寄り、白い肌も少し青筋が立っているように見える。

 

「それは、何らかの意図があってのことなんだな」

「もちろん。でなければこんなことしない」

 

深いため息を一度つくと、すぐに凛々しい顔つきに戻ったセイバーは、剣を収め、魔力を足に周知注させる。

 

「くれぐれも無理はするな。私が来るまで持ちこたえろ」

「出来なきゃもともと頼んだりしない。俺がしとめる前に戻ってきてくれよ?」

「頼もしい限りだが、あまり心配をかけるような言動は避けてもらいたいものだ」

 

 すぐに視界から消えたセイバーは、一瞬後には視認できるぎりぎりの距離の屋根にいた。彼女の俊敏はそこまで高くなかったはずだが、サーヴァントというものはやはり常識で、計れるものでは無いらしい。

 

 運命というのはなかなか頑固というのか。今はありがたいが、先が思いやられる。少しの差異はあるとはいえ、順調に道を進み始めたようだ。

 

 魔力の残滓。ここまでの目立つ魔力だ。正直他のマスターたちも気づいているだろう。特に遠坂は。彼女にはあまり知られたくは無い。もっとも、一番嫌なのはそのサーヴァントなのだが。美綴が言っていた通り、もうキャスターが動いている。遠坂はこの街のオーナーだし、そっちに目を向けていると考えるのが自然だろう。

 

 意外にも、そこまで遠くに行っていたわけではなく、すぐに視認することができた。

 妖艶な髪に、色気のある肉体。邪眼を封じ込めた向くはずのない目が、こちらをなめるように覗いている。その手には獲物が横たわっていた。首筋に歯が突き刺さり、何か大切なものを奪われていっているようだ。だんだんと生気を失っていくそれは、あと少しというところでストップがかかり、魔物はそれを優しく横たえた。

 

 怪物の後ろにいた一つの影が、こちらに気づくとあからさまに顔を歪ませる。それは、困惑か、それとも怒りなのかはわからないが、どちらにせよ不快な表情に変わりはなかった。

 

「へぇ。誰かと思えば衛宮じゃないか。凄いな。お前の間の悪さもここまでくると長所だね」

 

 張り付いた笑みに焦りは感じられない。サーヴァントの姿が見えないからか、それとも自分が少し手にした力に酔いしれているのか。どちらにしろ、賢明なマスターの反応ではない。

 

「何をしてるんだ。慎二」

「それぐらい見ればわかるだろ?餌を与えてるんだよ。食事」

「随分と豪勢なもんなんだな」

 

 倒れた女性の息は先ほどと同じようにか細い。今すぐではないにしろ、対処しなければ間違いなく死ぬだろう。

 

「僕もどうかとは思うんだけどね。仕方ないだろ?こいつらの口には生しか合わない。サーヴァントの魔力を維持するために魔力が必要なんだから。衛宮だってこんな夜遅くに出歩いている理由はそれだろ?」

「殺すのか?」

「そんな野蛮な言い方はやめてくれよ。僕だってやりたくてやってるわけじゃないんだ。こいつらが必要だっていうから餌をあげてるだけだよ」

 

悪びれる様子もなく少女を見下ろしながら、口角を大きくあげて自信満々に胸を張る。

 

「僕だって被害者みたいなもんだよ。だからその目をやめろよ衛宮」

 

「……哀れだな」

 

 慎二の顔色が変わる。それに沿ってサーヴァント。ライダーも一歩こちらに近づいてくる。明らかに敵意を含んだ目線。発言を間違えれば今にも襲い掛かってきそうだ。

 

「お前。今、なんて言った?」

「哀れだよ慎二。お前はどこまでいったって、恐怖も、感動も、憎しみも生まない。生むのは小さな同情と、蔑みだけだ」

 

 ライダーの足がまた一歩こちらに近づく。随分と調教したようで、体裁だけはご立派だ。

 片手に手にした本を強く握り、慎二はこちらを強くにらんだ。静まった空気が流れる中、耐えきれなくなったのか肩の力を抜くように目をそらした。

 

「サーヴァントを出せよ。衛宮。そのためにこんな機会まで用意したんだ。今更抜いた刀。収められるとは思ってないだろ」

「生憎、今俺のサーヴァントは出払っててな」

「……ぷっ。あははははは。何を言うかと思えば、放し飼いとは。僕を笑い殺す気か?」

 

 腹を抱えて慎二は笑い出す。口角を裂き、それはそれは愉快に。

 本を閉じてライダーに目配せをした後、自分が優位に立ったことを確信したのか、ライダーの前に出て指を下へと指す。

 

「媚びろよ。待ってくださいって。僕も今日はサーヴァント同士の戦いが見たいんだ。お前が無様に死ぬのはそのあとにしてやるから。いまは無様に頭を擦り付けろよ」

 

 価値を確信した慎二に半ば習うように、膝を少し曲げる。その間に一歩一歩こちらに慎二は足を進める。数にして4歩ほど。ライダーと俺のほぼ中間だ。

 

「……慎二。盛り上がっているところ悪いんだが」

 

 状態を少し下げ、全身に魔力を回す。均等に、全神経を戦闘用に塗り替える。今ここに立っている影は衛宮士郎ではなく。

 ただ一振りの一刀。意識を、感覚を、鼓動を、ただ目の前の障害を打ち砕くための糧と変えて。

 

「離れろ。死ぬぞ」

 

 踏み出した足と同時に、手に短刀を投影。一歩で距離をゼロに。首筋に刺さるはずのそれは、一瞬で差を詰めたライダーに阻まれる。

 絡むようにかかる鎖を無視して、短刀の投影を放棄。砂状になって消えていくそれを横目に、ライダーの追撃の足を状態を下げることで躱す。

 その流れのまま、慎二に向かって右手を差し込もうとするも、ライダーは彼を抱えて一時距離を取る。

 

 悪いが急いでくれセイバー。余裕は無い。間に合えよ。俺が、ライダーを殺す前に。

 

 

 

 

 

 

 ライダーは跳躍後、間桐慎二を敵から10歩ほど離れた位置で降ろす。突然襲った殺意から自身を守るかのように震えている傀儡を勇気づけることもなく、ライダーは敵と向かい合う。

 

 彼女はサーヴァントだ。今は本領を発揮できないとはいえ、人間が普通に戦うには余りある。その蹴りを、眼前の敵は当然のように躱した。あり得ない話ではない。偶然の可能性もある。しかし、そうは思えなかった。

 

 負けるビジョンは無い。しかし油断はできない。それほどの雰囲気を目の前の少年は醸し出している。

 這うように状態を落とし、短剣を前にクロスさせるようにする。そして、少年の呼吸に合わせるように、一瞬で距離を詰める。

 

 視認するのも困難なはず。敏捷はB。死に気づく間もなく相手の首が落ちる。

 

 はずだった。しかし、それは空を切る。完全にタイミングを合わせた少年は、わずかに状態を傾けるだけでこれを易々とかわす。

 動揺せざるを得ないが、それと反して体は自動的に返しの一撃を放つ。もう一方の手で今度は回避の使用がないところへと薙ぎ払う一撃。

 

 それすら、当然のように撃墜する。それも、今度は弾かれる。いや、流されるというべきか。力の向きを変えるように弾かれたせいで、彼に力が伝わることは無い。

 

 いったん互いの射程距離から離れる。たったの数秒。それも数コマの剣戟だが、ライダーの肝を冷やすには十分すぎるほどだった。

 

 彼の手には武器の類が見当たらない。最初の短刀は私が折り、何かしらの魔術の細工、もしくは代償により砂状になったと考えられる。しかし、先ほどは明らかに何かに阻まれた。一瞬視認できたのは、小さい小刀のようなもの。

 

 刃を交わすまで視認できない武器。そう結論づけたとしても、いまいち納得ができない。あれは、そんな簡単に結論づけていいことではない気がする。

 

 そして他者の援護なしにサーヴァントと剣を交わして死なない。そんなマスターは今回はたして何人いるのか。そして、間もなくサーヴァントが来るだろう。そうなってしまえばこちらの負けは免れない。

 

「信二。撤退すべきだと。彼は危険です」

「な、何様だお前!衛宮ごとき、さっさとかたずけろ!」

「……状況をよく見てはいかがです?」

「見たうえでの判断だ!さっさと衛宮を半殺しにでもしろ!」

 

 完全に頭に血が上っているのか、それとも臆病な自分を鼓舞しているのか。まあ仕方がない。彼にとって、ライダーとの戦闘は針に糸を通すような作業だろう。見たところ、それでも彼は防御に精一杯。ならば自滅するまで殺すまでだ。

 

 もう一度同じ体勢を取り、少年を見る。最初に見た彼とは打って違って、今の彼からは何も感じない。殺意も、恐怖も、誰しもが戦闘中に思う緊迫感すら、欠落しているように見えた。

 

 先ほどとはタイミングをずらし、右手の短剣を少年の右肩にめがけ投げる。それと同時に、右側から少年の体に巻きつくように後ろを取る。鎖が彼の体を包む。退路を失った少年にさすがに逃げ道はないはずだ。

 

 左首筋から右肩にかけて切り裂く軌道を描く。たとえ躱したとしても、先には先ほど投げたもう一方の短剣が残されている。

 

 しかし、刃はあと一歩というところで届かなかった。いや、届かせることができなかった。

 

 ライダーは全力で、自身がこの場で守護するべき存在へと目を向ける。もはや残りは1メートルもなかった。

 

 小さな鉄の塊が間桐慎二めがけて飛来しているのを、ライダーは衛宮士郎の背を通して見た。

 

 理由を考察している暇が彼女には無い。すぐさま、持った残りの一刀をその飛来物が描く線めがけて投げる。紙一重で間に合ったそれは間桐慎二の数センチ前で火花を上げる。

 

 その一瞬。すでに相手は、その目に敵を映し出していた。片手にはどこからか取り出したであろう拳銃。振り上げた右手には片刃の曲がった短刀が握られている。

 

「詰みだ。ライダー」

 

 振り下された剣はライダーの首を狙う。今から短剣を手にしても間に合わない。その隙にライダーの首は地を転がることになるだろう。

 

 だから、ライダーは容赦なくその手を捨てる。

 手刀を振り下される剣に合わせる。先に壊れたのは少年の剣。ライダーの小指すら落とせず彼の剣は砂状へと形を変える。

 

 逆に防御の手を失った隙を見逃さず、そのまま彼の腹部へ横から蹴りをいれようとする。

 死なないよう加減はするが、激痛を伴うであろう打撃を前にしても、彼の表情は変わらない。それどころか、彼は口を開いた。それも、敵にする表情ではなく。

 

「言っただろ。精々死ぬな。ライダー」

 

 彼の本当の意図に気づくと同時に、黒い剣が自身の体にめり込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 到着するころにはもう戦闘が開始されていた。

 魔術師としてはまずまずの実力だろう。だから、サーヴァントがたとえ襲ってきたとして、数分は耐えられるのではないかと予想はしていた。

 しかし、それは逃げに徹した場合だ。断じて剣を交えてではない。にもかかわらず、最初に視認したとき、彼がライダーの手先に一撃いれていた。

 だが、それによって武装が砕かれた。このままではと、最高速で敵の足がマスターをとらえる前に剣を挟もうとする。

 サーヴァントには魔力感知ができるため、セイバーが魔力を放ち、接近すれば、当たり前のように対応してくるはずだ。アサシンのクラスでもない限り、奇襲は成功しない。

 にもかかわらず、動きを止めるために振り切った一太刀は、いともたやす敵を吹き飛ばした。さすがに即死させるほどの威力を持たせてはいないが、とてもいい感じに入ったと手ごたえでわかる。

 

 数メートルライダーが飛んだところで、やっと場に役者がそろう。初期の形勢は完全に逆転し、虫の息のライダーを見て、腰の砕けた間桐慎二は顔を青くする。

 

「な、何やってんだよお前。だ、誰がやられていいなんて言ったんだ。こ、こんなの命令違反」

「そういったのはお前だろ。慎二」

 

 無表情で、衛宮士郎はそう告げる。手元には人ひとりを殺すには十分なナイフが握られている。

 

「状況も判断できない主に、魔力の十分な補給もできないできそこないを両立されては、そいつも可愛そうだ」

 

 一歩一歩。先ほどとは逆転した足取りで、慎二に容赦なく死が近づいていく。彼の顔色に怒りや余裕は全くなかった。初めてなんだろう。明確な死が近づくのは。

 引きずるように体を遠ざけ、必死に声を荒げる。

 

「ライダー!さっさと立って僕を護れよ!これじゃあ。これじゃあ僕が弱いみたいじゃないか」

 

 腹から血を垂れ流しながら、必死に小鹿のように震える足でライダーは立ち上がる。セイバーの入りが少し浅かったのだろうが、それでも戦闘を続行は不可能だろう。

 

「そ、そうだ。それでいいんだ。どうせ勝てないなら、体を張って食い止めろよ」

 

 その命に従うように、慎二と衛宮士郎の間にライダーが体を入れる。士郎との距離はもはや1メートルほどしかなかったが、互いに剣を振り上げることは無かった。

 

 二人にしか聞こえない声で、ライダーは少年に問う。

 

 いくつかの問答を重ね、満足そうにした後。ライダーは膝を地につけ、体は粒子となって虚空へと消えていく。死んだわけではない。現魔力量が足りず、霊体化しているのだろう。

 

 しかし、それを理解できないであろう慎二はさらに声を荒げる。

 

「う、うそだろ。勝手に落ちてんなよライダー!やめろ。くんなよ。近づくなよ!」

 

 石や砂を必死に投げる姿はまさに滑稽だった。そして、衛宮士郎は指を下へと指す。

 命乞い。頭を擦り付けろと、そう慎二は解釈した。それがわかった時、彼の体は瞬時に額を擦り付ける。頭の中では腐るほど衛宮士郎を罵倒するが、それでも体は正直だった。

 

「違うだろ。慎二。俺が言いたいのはそうじゃない」

 

 しかし、彼はそれを良しとしない。

 情けをかけるのではなく、ただ冷淡に、そう言い放った。衛宮士郎が指を刺していたのは慎二の手前の土ではなく、その後ろにいる少女だった。

 

「だからお前は平凡なんだ。一人目の少女もそうだが、お前。なぜライダーに最後まで食わせきらなかった?」

 

 いつもの偽物の笑顔や、怒りすら見えない表情で、衛宮士郎は淡々と事実を述べていく。

 

「特別になりたいなんて言いながら、一線を越えないでいようとしている。魔術師になりたいなんて言いながら、まだ一般の世界を未練がましく繋ぎとめている」

 

 近づく足が止まり、衛宮士郎は慎二の前に手にしたナイフを投げる。

 

「お前がすべきだったのは、撃退の命令でも、命乞いをすることでもなく、後ろにある魔力を補給するよう命じることだった」

 

 慎二は目の前に落とされたナイフを、震えながら手に取る。初めて手にした明確な殺すための道具に、彼は手の震えを抑えることができなかった。

 

「哀れだよ。道具の価値も、使い方も知らず、ただ憧れと自尊心に任せて生きるお前は」

 

 何も言い返さない。慎二は目の前の少年を恐れていた。いつものにやけ面も愉快な声も出せず、口は震え、立ち上がる脚には力が入らない。

 

「そしてお前は理解している。だからお前を今覆っているのは恐怖なんだよ。怒りでも呆れでもなく。届かないと知りながら、それを認めるのが、諦めるのが怖い」

 

 士郎はセイバーに少女を保護するよう示唆し、うなずいたセイバーは少女を抱える。

 

「考えろ。お前がなぜそれほど特別を乞うのか。その根源たる理由を。特別になりたかった理由を」

 

 深い深淵のような瞳が、慎二を襲う。昨日までは別人のような印象だった少年は、まぎれもなく異次元の価値観の持ち主だった。

 

「そうすれば、その震えも止まる。考えろ。お前は何のために、令呪(その本)を使うかを」

 

「あまり、わしの孫をいじめんではくれんかの。衛宮の子倅」

 

 何もないところから声が聞こえるように、しわの目立つ老人が現れた。

 

「安心してくれ。無抵抗の人間を殺す趣味は俺にはない」

 

 少女の息が持つリミットも決まっている。現れた老人を半ば無視して、士郎はこの場を離れようとする。

 それをセイバーは良い顔はしなかったが、手に抱えた少女の危うさを一番わかっているのか、特に何かを言うわけでもなくしたがう。

 

 しかし、予想外に老人から声がかかる。血は争えないのか、慎二に似た愉快そうな声で。

 

「聞きたいことが、あるのではないか?」

「……そうだな。一つだけ、聞いていいか?」

 

 振り返る士郎の表情を誰も、翁でさえ読み取ることができなかった。無ではない。しかし、読み取れる感情が一つもないように見えた。

 入り組んだ感情を顔に張り付け、少年は、常世を生きる亡霊に問う。

 

「あんたは結局、何者なんだ?」

 

 答えを聞かずに、衛宮士郎はセイバーと共にこの場を去った。

 残されたのは亡霊と、魂の抜けた傀儡が、呆然と手に握る殺意を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

「おい待てマスター!」

 

 教会から出てきたと思えば、こちらに脇目も振らず一人前を歩きだしたマスターを呼び止める。脚を引きずる様子もない。

 本来なら心配する必要もない。だが、それでも今の彼を危ないと思った。今にも崩れ去りそうで。

 

「ああ、悪いセイバー。彼女の様態を言うの忘れてた」

「そういうことではないのだが」

「一命は取り留めたってさ。よかったよ」

 

 いつもの愛想笑いをこちらに向ける。それでも、本当に安心したように白く染まる息を長く吐いて、また前を向いて歩きだした。

 

「怪我は、無いか?」

「無いよ。あるとすれば夜遅くなりすぎそうで明日の朝がつらいってことくらいだな」

 

 少女の安否が確認できるまで残っていたせいか、すでに日をまたいでいる。街並みに光る生活の証も、今はほとんどない。

 

「だが、明日は学校は無いんだろう?」

「あ、そうか。明日は桜と出かける日か。そうだな。それなら、寝坊できそうだ」

 

 ふふっと小声で笑う。やっと、本当に幸せそうに笑っている。それを確信できるほどに、あの少女の存在は大きいのだろう。

 帰り道、何も話さないのはいかがなものかと、気づき、確認したいことを聞くことにした。

 

「貴様の魔術は、武器製造か?」

「……正解。まあ半分当たりってところ。投影魔術。見た武器をコピーするだけの能力だよ」

 

 少し驚いた様子で、それでいて少しうれしそうに彼は魔術をいともたやすく開示してきた。

 

「では、ライダーが私に気づかなかったのは」

「俺の投影した武器に、少し周りが見えなくなるよう細工をしただけだよ」

 

 感知阻害の呪詛を含んだ武器。聞いたところ宝具ですら投影可能ということだ。そういった改造はお手の物だという。投影にかかる時間はそれぞれ違うが、今回使用したものは壊れる前提の為、すべてノータイムで投影できるそうだ。

 それに現代兵器まで構造がわかれば投影できると、一瞬拳銃を手に投影して見せてくれた。

 

「視たのか?」

 

 特に感慨もなく。シロウは自分の過去を垣間見たのかと尋ねてきた。

 

「……気に障ったのなら謝ろう」

「構わないよ。いずれ視えるし、視ろと言ったのは俺だからな」

 

 令呪を持ってパスを大きく開いたから、きっとさらに色濃く見えたのだろう。つい、シロウに向けた目線をそらしてしまう。

 聞かなければいけない問いを、目の前の少年に問いかける。

 

「……貴様は、もしも必要に迫られた時、魂食いを命じるのか?」

 

 空気が変わる。少し軟んだはずの空気も、寒気と同調するように、渇いたものへと変わっていく。

 

「……さっきのやつか?」

「冗談で言っているとは思えなかった」

 

 あの時の目は、真にそう思っている眼だと確信できる。

 

「答えて欲しい。それに異議を申し立てるつもりもない。お前が好き好んでやるとは思えない。そういった状況になるなら、それは仕方のないことなんだろう」

 

 深く深く息を吐いて、シロウは空に上がった月を見つめる。何かを確認するように。吐く息が白く月を包み、残像のように月が映る。

 

「……そうだな。もし、これ以上ない状況で、必要に迫られて、状況を打破できるのならば」

 

 士郎はこちらを向いて、笑みを浮かべる。それは、諦めているような。それでいて決意の滲む瞳で。

 

「やるよ。俺は。たとえ、それでどれだけの憎悪を背負うとしても」

 

 少年の壊れた笑みにかけようとした言葉を飲み込む。

 暖かい彼の背中にのしかかる荷を僅かに垣間見た。彼にとってそれを背負うために何を切り捨てたのかも。

 

 なあマスター。私は、貴様の助けになれているのか。そう言いかけた声も、口から出ることは無い。

 

 ああ。この少年は。きっと今でも、あの地に縛られていて。

 あの鎖は、あの光景は。あの涙は。今でも彼を蝕んでいて。

 

 その狂わしい笑みは。私に向ける本当の笑みはいつも。悲壮的で、とても優しくて。

 冬空の星が輝く光景をバックに、月を通した彼の姿を、あの日の彼と重ねていた。




かけてよかったと安心してます...次回は桜とのデート回なので心がとても軽いです。
ここまでお読みいただいて、本当に感謝しています。

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