闇堕ち士郎のリスタート   作:流れ星0111

6 / 12
 やっと書けた....やっと帰ってまいりました。
 今回は桜とのデート回ということで完全に桜がヒロインです。
 相変わらずですが、キャラ崩壊はご了承ください。


第6話

 暗く。重く。辛く。切なく。苦しい。

 

 私にとっての世界は、そういうものだった。

 

 モノクロに染まる世界には色彩なんてなくて。体を溶かす空気に包まれた世界には救いなんて、逃げ場なんてどこにもなくて。

 息をするにも、心臓を動かすのも、億劫になるほど。生きるのは辛くて、苦しくて。鼓動が勝手に止まってしまえばなんて、何度も何度も思った。

 

 私はどこにいれば、私でいれるのだろう。虚空に映る笑顔で笑う気色の悪い自分を、何度も消しながら。存在するはずのない救いを、ただ願った。

 

 苦しくて、悲しくて、寂しくて。痛くて痛くて痛くて。

 

 でもそれも最初のうちだけ。人とは慣れるものなのか。私は、救われる願いを、ぼろぼろと音を立てて壊れる心と共に早々に手放した。

 

 だって。そうしなければ。ここに立つことすら苦しくてできなかったから。

 

 羨んで、妬んで、憎んで。

 

 憎みきった先には、ただ虚空へと続く逃避の夢。

 

 私はこういうものなのだと、そう切り捨てるしかなかった。息をする理由も、鼓動を進める理由も見つけることができなかったできそこないは。そういうものだと自分を納得させるしか、道がなかった。

 

 だから。怖かった。

 

 何度も何度も。倒れても向かって行く姿が、怖くて仕方がなかった。

 

 諦めないその背中に、どれだけ傷つけられたか。治りかけた瘡蓋をはがすように、絶望が私を纏っていった。

 

 だから私はこう思うことにした。彼と私は違うものなのだから。私と彼の生きる世界は、価値観は、きっと交わることがないのだからと。

 

 嫌いだった。目を背けていた現実を見せつけられて。

 嫌いだった。眩しい世界を見るたび、私の世界が憎くて。

 

 でも、それは間違いだった。

 

 彼はとっくに壊れていた。毎晩毎晩自分に刃を向けて。誰よりもその在り方は。彼は、きっと自分より哀れで。救われるべきだった。

 

 でも、彼は。そんな素振り一つせず。明るい世界で生きていた。自分より壊れた少年は、自分が諦めた世界に、それでも強く立っていた。

 

 そんな彼に、私は憧れた。

 

 焦がれて、追いつこうと、追いすがろうとして。それでも止まってしまう私の足を。

 後ろにいる私を、迎えに来てくれた。

 立ち止まる私を、一緒に止まって待ってくれた。

 

 こんな私の、隣にいてくれた。

 いいところなんて一つもない私の傍に、それでも微笑んで手を握ってくれた。

 

 私に、居場所をくれた。

 諦めるしかなかった眩しさを、与えてくれた。

 私だけの。私のための。かけがえのない居場所を。

 世界を、変えてくれた。

 

 彼はきっと知らない。

 名前を呼ばれるだけで、どれだけ心が温かくなるかを。

 

 彼はきっと知らない。

 隣を歩くだけで、体が、心が、羽のように軽くなることを。

 

 一緒に住もうって言ってくれただけで、私がどれだけ救われたかを。

 ここにいていいと。ここにいてほしいと。存在を。私を認めて、欲してくれたことが、どれだけ嬉しかったかを。

 

 きっと彼は知らない。知らなくて、いい。彼には普通なのだから。助けを求めていれば誰でも助ける。そんな人だから。

 

 彼の特別になりたいと思わないわけじゃない。でも、それでもいい。

 彼は、私にとってかけがえのない居場所だから。

 

 いつものように。忌み嫌うはずの朝を切り裂いて、彼の寝静まる場所へと向かう。注意したのに、彼はそんなことには気にも留めない用で。

 

 寝ている彼の手に微かに触れる。冷たい空気のせいで冷たくなっている手に、少しずつ熱が移っていく。

 わかっている。本当に彼を思うのなら、手を離すべきで。穢れた私でも、彼はきっと笑顔で背負ってしまうから。

 

 でも、もう無理なんです。握ってくれた手を、温もりを知ってしまったから。寒いのは。一人は怖いんです。

 ごめんなさい。先輩。私は、貴方のそばにいたいのです。私のそばで、貴方に笑って欲しいのです。貴方の声が、温もりが、狂おしいほどに愛しいのです。

 

「おはようございます。先輩」

 

 体を少し揺らすと、薄い目を開けてこちらを覗きこんでくる。眠そうで、どこか安心した目で。

 

「おはよう。桜」

 

 何気ないその声が、溶け込むように、全身を纏う。麻薬のように。痛みを、苦しみを洗い流すように。

 

 先輩。私は、とっても悪い子なんです。先輩に守ってもらうべきな人じゃないんです。

 不幸にするとわかっていて。それでも自分の為に先輩の隣に居座っているんです。

 

 こんな私を。強欲で、傲慢な私を。それでも貴方は、許してくれますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ時間だな」

 

 少し遠くにある時計を見る。現在は9時50分。もうすぐ10時になる。待ち合わせの時間まで10分を切ったところで緊張からか少し手に汗をかき始める。

 

 なんだかんだ、自分が体験する初めてのデートなのだ。緊張するのは無理もないと自分に言い聞かせつつ相手の到着を待つ。

 

 折角ですし外で集合しませんか。と提案されたまま、30分ほど時間を空けて出発したのだけれど、ここまで緊張するなら、一緒に出てくればよかったと半ば後悔をしている所存。

 

 緊張からか、大きく息を吐く。同時に、左肩を後ろからポンと叩かれる。

 

「うわぁ!」

「な、なんですかその反応。ひどくないですか?」

 

 互いに驚いて数歩距離が開く。振り返ると目の前にいるのは待ち焦がれていた女性。

 少し怒ったのか頬を大きくする桜。久しぶりに見る私服。なんだかんだで家でのパジャマ以外では制服しか見ないからな。

 

 ロングスカートにピンク色のカーディガン。清楚なイメージの桜にぴったりだ。どことは言わないが、最近成長したある部分を強調しているため、やはりというか、周りの男の視線が集まるというか。

 控えめに言って、ここら辺を通った男を全員ぶっ殺そうかと思う程度には、目の前の少女は美しかった。

 ちなみに昔。それを着ている黄色い野獣を見たことがある。まあ、月とすっぽんというか。やはり服というものは着るものの美しさによって見方が変わるなあ。と半ば最低なことを考えつつ、緊張をはぐらかすように桜の手を取る。

 

「せ、先輩!?何を」

「嫌か?」

「いえいえそんな!いやでも。緊張するというか」

「これくらいは大目に見てくれ。俺だって緊張してるんだ」

 

 だからなのか。お互い手と足が一緒に出ていて、ヘンなダンスを踊っているようになってしまう。周りの熟年層からは暖かい目線をくらっていることだろう。

 

 一旦手を離して、お互いに深呼吸を2,3回する。少し赤くなった桜を見つめつつ、自分の頬の暖かさを実感する。

 フッっと決意を固める息を吐いた後、桜の前に手を出す。そうまじまじと見られるとこちらもなんというか。つい目をそらしてしまう。

 

「さ、桜。出来れば早く手を取ってもらえると助かる」

「は、はい。それでは、不束者ですが」

 

 スッと桜の柔らかく滑らかな手が乗せられる。

 

「桜。それだと握手だ」

 見事なことにこちらの右手に対して同じ手での返答。やっぱり緊張するよね。うん。

「あ!ご、ごめんなさい」

 誤魔化すように何度か耳に髪の毛をかけなおした後、顔をさらに赤くした桜がそっと左手を乗せてくる。

 

「よ、よろしくお願いします」

「ああ。今日はよろしくな」

 

 下に向いていた目線がこちらに向く。真っ赤な顔と少しうるんだ瞳に、満面の笑み。

 今日誘って本当に良かったと再確認して、桜の手を握り横に並ぶ。残念ながら、恋人つなぎを最初からできるほどの甲斐性は無いから、勘弁してほしい。これでも精一杯なんだ。

 

「それで、今日は料理の道具を一新するんでしたっけ」

「ああ、そういえばそんな話になってたっけ」

 

 アレはまあ。その場で出た言い訳なわけで、本当の理由は桜といたかっただけなのだけれど。

 

「....別に今すぐ必要じゃないんですね?」

「ばれた?」

「もう。だったらなんで私をわざわざこんなとこまで」

「そんなもん。誘いたかったからに決まってるだろ」

 

 何秒かの空白をはさんで、この話は辞めましょうということになった。こんな会話ずっとしてたらそれこそ寿命が持たない。

 

「じゃあ、今日は何するんですか?」

「せっかく新都に来たし、ショッピングモール見て回ろうか」

 

 あそこには映画館もあるし、もしもの時はあそこに....なんて黒い思考を巡らせつつ、桜の手を引く。

 

「欲しい物でもあるんですか?」

「あんまりないな。俺こういったところ来ないし」

「.....私も来ないんですけど。ほんとに何しに来たんですか」

「正直に言うと、服を買いに来ようと思ってたんだよね」

 

 バイトをしているこの俺にかかれば、財布の貯蔵は充分なのである。もっとも、高校生の範囲内の話なんだけど。だからこの際一気に使ってしまおうかと半ばやけになって口座から金をたんまり下ろしてきた。

 

「先輩、ジャージが多いですからね」

「ジャージは文明の結晶だぞ。甘く見ちゃいけない」

「確かに着心地はいいですけど....」

 

 さすがに今はジャージでもユニ様でもない。ちゃんと某藤村組の優しい優しい有志の方からお借りした、まあまあいけてる服を着ているはず。ちなみに、アロハシャツでもない。

 

「意外です。先輩明らかにそういうのに興味なさそうだから」

「確かに興味なさそうだよね俺.....。あってるけどさあ」

 

 なんというか、割とくるものがある。桜だったからいいけど、某優等生さんとかに高笑いされながら言われたりしたら立ち直れる気がしない。

 

「仕方ないですね。私が先輩をコーディネイトしてあげましょう!」

「その意気込みはありがたいんだけど、俺の服を買いに来たわけじゃないのだ」

 

 フン!っと胸を張る桜が、シュンと小さくなる。

 

「だったら誰にって....まさか」

 

 右側から来る空気が一転して明らかに刺々しいものに。怒気にも等しい何か邪悪なものが送られているようで、背筋に鳥肌が走る。

 

「いやまあ、外れてはいないんだけど。でもそれだけじゃなくて」

「.....聞かせてもらいましょうか」

「桜にさ。服、買ってあげたいなと」

「......?」

 

 本当に何を言っているのかわからないという様子で首をかしげる。空気もいくらか落ち着いたようだ。これならもしかしたら、九死に一生を得られるかもしれない。

 

「いつも家に来てくれてるお礼にさ。桜、あんまり服、持ってないだろ?」

「はい。ほとんど持ってないですけど」

「家に今住んでもらってるし、今日は桜をコーディネートしてあげようかと思って」

 

 いつも同じというのも忍びないし、どうせならいろんな服を着た桜を見たい。

 見られるのが最後かもしれないし。

 

「え。で、でも。悪いですよそんなの」

「悪いことがあるか。俺がお礼をしたいだけだし。動機のほとんどは俺の目の保養の項目なんだから、桜は何も心配しなくていい」

 

 瞳を少しくるくるとさせて、口をパクパクと動かして困惑する桜をニヤニヤしながら眺める。視線に気づいた桜がポカポカと殴ってくるが全く痛くない。

 

「.....わかりました。お言葉に甘えることにします。でも、条件があります」

「何?」

「似合うと思うもの。ちゃんと、選んでくださいね」

「.....ベストは尽くします」

 

 決意を固め、二人いざ、未知の世界へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直にいうと、とても楽しい。色々着てくれる桜もそうだし、何でも似合うから目の保養にもなる。それに、こういった物の意図を読むのは銃や刀身を読むのとは違った良さがある。

 機能美もそうだが、着る人をどう見せるか。どう印象付けるか。極限まで試行錯誤したある意味芸術品と呼べるほどの物もあった。当たり前のように目の前に置かれた値札には脅威の数字が書かれていて思わず背筋が凍った。

 さすが冬木ショッピングモール。通称「ヴェルデ」。この街はいったい何を目指しているのだろうか。

 

「せ、先輩。着替え終わりました」

「ん。了解」

 

 シャーとカーテンが開けられ、中の女神が顔を出す。淡い桜色のワンピース。あまりの美しさ故に一瞬時が止まったように感じる。

 

「ど、どうですか?」

「とても似合ってるよ。見惚れるくらい」

 

 さっきのホットパンツも良かったのだけれど。まあ季節もあるし、それは夏のお楽しみということで。

 ちなみにそのせいで、頬に大きな椛が咲いているのはここだけの話。

 

「でも、ちょっと今の季節だと寒いかもしれません」

「新学期からでもいいんじゃないか?なんならコートも一緒に」

「いやいや!そこまでお世話になるわけには」

「むーー。そうか。じゃあほかの探してこようか」

 

 俺のハートにはクリティカルヒットしていたんだけどな。正直これ以上の見つける自信がない。

 

「....いえ。これでいいです」

「いいのか?別にまだ選んでもいいんだぞ?」

「先輩が、一番素直に似合ってるって言ってくれたから」

 

 満面の笑みで腰を少し折って微笑む。年頃の女の子のように微笑む姿は見ていて気持ちがいい。

 

「それじゃあ着替えますから。待っててください」

「了解。焦んなくていいからな」

「はーい。先輩をお待たせしちゃいます」

 

 再度シャーと音が鳴り、カーテンが閉められる。さすがに服のすり落ちる音に興奮する趣味は無いので、少し離れて桜の帰りを待つ。

 少し不安そうに見えたのか、背の高い細めの店員さんが、こちらに近づいてきた。隣に並ぶように立つと、桜の先ほどいた位置を見ながら、こちらに話しかけてくる。

 

「こういうところにはよく?」

「いえ。初めてです。そのせいで少し緊張しちゃって」

 

 暖かい目で見守るように微笑む女性。藤ねえと同い年くらいだろうか。普通に奴の同級生の可能性があるから対応には気をつけねば。と表情には出さずに決意してみる。

 

「微笑ましいです。彼女さんですか?」

「いえ。違いますよ。友人の妹で、部活の後輩です」

 

 色気のない事実だけを並べる。しかし、目の前の女性の表情は変わらず穏やかで、驚くようなそぶりを見せない。

 

「そうですか。でも、とても仲がよさそうに見えたもので」

「仲はいいですよ。心を許していますから」

「好きなんですか?」

「.....そうですね」

 

 特に笑うでもなく、流れるようにそう聞いてきた。話のタネにするには些か反応がドライだと思うが、とても真摯な声に、少し落ち着きを感じさせる。だからつい、話に乗ってしまった。

 

「とても、大切な人です」

 

「.....少し、彼女がうらやましいです」

 

 フフッと笑う店員さんと同じときに、ガチャガチャと試着室から音が鳴る。きっとハンガーを落としたのだろう。あわてる桜の顔が目に浮かぶ。

 

「そうですか?」

「見てればわかります。大切にされているのが。それも、気を使うとかではなく。何というか、愛って物を感じさせるというんでしょうか」

「先輩。お待たせしました」

 

 カーテンをめくり桜が前と同じ格好で出てくる。手にはしっかりと折りたたまれたワンピースが握られていて、少し赤くなった顔が先ほどの一幕を感じさせる。

 

「先輩?どうかしましたか?」

「何でもないよ。すみません。お会計お願いしてもよろしいですか?」

「もちろんです。それではこちらに」

 

 引っ張るように、レジへと案内される。桜の手にあるワンピースを受け取り、お会計をお願いした。

 

「きっと、伝わっていますよ」

 そんな優しい言葉と瞳と共に、服が入った紙袋を渡される。

 

「ありがとうございます」

「さすがは藤村さんの弟さんですね」

「やっぱり知ってたのかあんた!」

 

 ふふふ。と手を口元にやり微笑む店員さんを一度睨めつけつつ、礼をし、桜に振り替える。

「えっとその。なんというか」

「なんかこう照れますね。こういうの」

 

 お互いに目線を合わせられない。他人に何かを送るという行為をしたことがないからか、とても緊張する。

 それでも、互いに顔を向き合わせながら、頬を赤く染めながら見つめあう。

 

「これからもよろしくな。桜」

 

 手にある紙袋を渡す。嬉しそうに花咲く笑みで受け取る桜。本当に嬉しそうに、光る笑顔。

 その笑みを焼き付けると同時に、胸に走る傷を何事もないように無視した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は楽しかったです!!」

「それは良かった」

 

 日が沈み始める時間。二人となりを歩きながら、帰路についている。もう二月に入ったからか、さらに肌寒くなった空気。しかし、二人の間は少し暖かくなっているようにも思えた。

 

「映画なんて見たの初めてでしたし、服を買ってもらったのも初めてです」

「そっか。初めての相手になれて光栄だよ」

「先輩は私に初めてをいっぱいくれましたからね」

「....桜。それ外で。特にあの二人の前じゃいうなよ」

 

 まあ、控えめに言えば半殺し。悪ければ遺体すら残らないだろう。悪魔を同時に二体狩猟とか、絶対に無理だリタイヤさせてください。

 

「言いませんよ。ぜーったい。これは、私だけの思い出なんですから」

 

 紙袋を片手に持つ桜は、スキップするように前に出ては、くるくると回りロングスカートを咲かせる。

 突然ピタッと止まると、桜は遠い目をしながら太陽を見つめる。

 

「------先輩。覚えてますか?」

 

 思いついたかのように桜はこちらを向きなおして呟く。その瞳を。その笑みを。既視感のある光景を思い出す。

 

「.....何を?」

「ずっと昔の話です。私がまだ、先輩を知らなかった時のころの話」

 

 オレンジの、暖かい日に包まれながら、桜は過去に思いをはせる。

 

「私が進学したばかりの頃です。まだ新しい学校に慣れてなくて、当てもなく廊下を歩いているとき。私、不思議なものを見たんです」

 

 懐かしむように、こちらを真に見つめる瞳に、思わず吸い寄せられそうになる。

 桜は、とても落ち着いた。とても暖かい声で話を続ける。

 

「.....うん。あれはいったいどんな経緯だったんでしょうね。

 もう放課後で、グランドには陸上部の人もいないっていうのに、誰かが一人だけで走ってたんです。何をしてたのか気になってみてみたら、その人、たった一人で走り高跳びをしていたんです」

 

 その笑顔に。抑えつけていた胸を締め付けられる。その話を。その声を。その思い出を。俺は知っている。

 

 桜は、何事もない思い出を、美しい宝物のように語り続ける。

 

「真っ赤な夕焼けだったんです。校庭も廊下もみんな真っ赤で、とっても綺麗で幻想的でしたけど、でもとっても寂しかった。

 そんな中でですね、一人でずっと走ってるんです。走って、跳んで、棒を落として。それを何回も繰り返して。周りには誰もいないのに、その高さはきっと跳べないってわかってたはずなんです」

 

 太陽を背に背負って、かげのように暗くなる彼女の顔はとても安らかで。どれほどそれが大切なのか。伝わってくるからこそ、深く深く心を抉る。

 

「頑張ればなんとかなる。そんな次元じゃないんです。その人の背よりずっと高くて。私がそう思うくらいですから、その人にだってわからないはずないんです」

 

「私、その時よくない子だったから、その人が諦めて挫かれるところが見たかったんです。失敗しちゃえ。諦めちゃえって何度も思いました。

 でも、そんなことは意にも介さないで、何度も何度も跳びつづけるんです。

 それが、とっても怖かった」

 

「その人は一度も越えられずに、片づけをして帰ってしまいました。悔しいはずなのに、疲れてるはずなのに。なんでもなかったように平然とどっかに行ってしまったんです」

 

「きっと、羨ましかったのかもしれません。私、気づいちゃったんです。その人、別になんでも良かったんだって。たまたま出来ないことにぶつかって、負けじと意地を張っていただけだったんです。最後は自分にはどうやっても越えられないって納得して」

「結局、そいつは跳べなかったんだな」

「いいえ。跳んでたんです。越えられなかったけれど、その人は何度も跳んでいました。誰が何と言おうと、私にはその人が越えているのを、確かに何度も見ていたんです」

 

 自分にその記憶はない。それくらい日常の出来事だったんだと思う。でも、見たことはある。その男が最後まで跳べずに、ただ何も思わせずに帰る姿を知っている。

 でも、桜は嬉しそうに。憧れの人を話すように、言葉を紡ぎ続ける。

 

「心配になるくらい真っ直ぐな人を、その時初めて見ました。きっとすごく頼りがいのある人なんです。けど、そこが不安で、とても寂しかった」

「.....もう一度その人には、会えたのか?」

「はい。何度も何度も会って。何度もお話をして。私のすべての時間が、その人と共にいるといってもいいほど。今もずっと、隣にいます」

 

 照れくさそうに、にへっと桜が笑う。その目がとても澄んでいて、思わず顔が赤くなる。

 

「そういうことです。私を先輩が知るずっと前から、先輩のこと知ってたんですよ」

「.....初耳だ」

 

 嘘だ。忘れるわけがない。いくら摩耗しても、あの日の出来事を忘れるわけがない。

 それでも、目の前の桜から聞くのは、初めてだから。

 

「はい。私たち。おなじものをみていたんです」

 

 目の前にいる少女は、祈るような姿で、いつか聞いたことのあることを口にする。

 

「さて、家も近くなってきたことですし、お夕飯のことで....も...」

 

 倒れこむようにする桜を正面から支える。腕に伝わる体温もいくらか熱く、力が入らないのか体重全体がこちらに乗る。

 

「え....あ。た、たちくらみが。ごめんなさい」

「いいよ。無理させちゃったかな。今日は、いろんなことをしすぎた」

「そんな。無理なんて。....またいつか行きたいくらいです」

 

 よいしょという声と共に状態を上げようとすると、今度は後ろに倒れそうになる。それを背中から抱きしめるように支えて、少ししゃがんで背に乗るように言う。

 

「そ、そこまでしていただくほどのことでは」

「家までもうちょっとですし、最後までエスコートするよ。桜」

「...いいんですか?」

「もちろん。今日ぐらい。背負わしてよ。たまには桜に頼られたい」

「......ありがとう、ございます」

 

 首に柔らかい腕が回され、ふわりと桜のにおいが鼻をくすぐる。合図を出して立ち上がると、背中に柔らかい感覚が襲う。じわっと熱が広がって、桜の体温と、重みを深く感じる。

 

「桜」

「なんですか?」

 

 少し疲れて眠そうな、それでいて落ち着いた言葉が耳元に響く。

 

「ちょっと太った?」

「.....なにか、言いましたか?」

 

 .....気のせいかな。冗談のつもりだったんだけど、背中が凍り付いているのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ。桜。体調は」

「もう大丈夫です。明日の朝には元気いっぱいです」

「とかいって、いつも桜は無理ばっかりするんだから。今日ぐらいは何もしないで寝てなさい」

「ごめんなさい。あの後何もできずに部屋まで運んでもらっちゃって。ご飯まで」

 

 手元にある小さな鍋を見つめながら、桜は悪そうに顔を下げる。外はもう完全に日が落ち、いつもなら夕食を食べていた時間より、少しばかり時間がたっている。

 

「少し寝れたか?」

「ちょっとだけ。でも、体調のほうは楽になってますから。大丈夫です」

 

 言葉とは裏腹に、少し赤くなった頬と、苦しそうな呼吸が桜の体調を物語る。これからの体調は、悪化の一途を辿るだろう。

 顔に出さないよう、桜のおでこに手を当てる。燃えるような熱が、手から伝わってくる。

 

「....先輩の手。気持ちいいです」

「お気に召して何よりだよ。食欲はあるか?」

「あまり。でも、先輩が作ってくれたから、食べれるだけ食べてみます」

 

 布団から上半身だけ起き上がる桜の近くにお盆を下ろして、鍋から雑炊をよそう。

 スプーンと一緒に手渡すと、少し物惜しそうな表情を浮かべる。

 

「...なんだ。食べさせてほしかったのか?」

「ち、ち、違います!からかわないでください!」

 

 手に熱いものを持っているからか、大きい動きのできない桜があわあわとしながら恥ずかしそうな目線を向けた後、照れくさそうに笑う。

 

「こんなこと。してもらったの初めてだったから」

「慎二の奴は看病とかできる奴じゃあないからな」

「兄さん。不器用ですから」

 

 幸せそうに笑う桜を見るたび、心にひびが入る。そのたびに心に巻き付いた鎖がギシギシと音を立てて心を縛り付けていく。

 

「大丈夫だよ。これから先。いくらでも看病くらいしてもらえるさ」

「....本当ですか?」

「もちろん」

「それなら、今のうちに慣れとかないといけませんね」

「いや、慣れるほど病気になってほしくはないんだけど」

 

 微笑みながら桜は雑炊を少しずつ口に運ぶ。熱かったのか口でそれを転がせながら、何度もお礼を言ってくる。

 この笑顔は守るべきだ。たとえこの場に自分がいなくなるとしても。

 

 あっさりと、持ってきた雑炊をすべて平らげて、桜は眠そうに目をこする。さすが大食漢といったら殺されるとそれぐらいはわかるので、微笑みだけでこの場は切り抜けるとしよう。

 鍋を洗面台に戻すと同時に、タオルを水で湿らせて、桶に少し水を張る。さすがにまだ寝たわけではなく、それでも布団をかぶっている桜をゆっくり起き上がらせる。

 

「タオル持ってきたけど、体ふけるか?」

「ありがとうございます。えっと、それじゃあ」

「外に出てるから、終わったら呼んでくれ」

 

 外の渡り廊下に出て、桜が体を拭き終わるのを待つ。中から服の擦れ落ちる音がかすかに聞こえてくる。

 別のことに意識を集中させようと、ポケットに入れていた小さな箱を取り出して、それを少し開ける。

 中を見ると、思わず苦笑いが漏れる。

 でも、これくらい。この程度の証なら、少しは情状酌量の余地はあるだろう。

 

「先輩。終わりました」

 

 中に入ると、ベットに腰を下ろしている桜が、こちらを見つめている。やはり少し眠そうで、瞳がすこし溶けている。

 布団の中に桜を寝かして、椅子に腰を掛ける。天井を見つめる桜と目線は重ならないが、代わりに呼吸が互いを重ねる。

 

「.....ありがとう、ございます」

「気にすんな。これくらい」

「普通のことですもんね。先輩にとっては」

 

 少し悲しそうな声色で、桜はこちらに視線を移す。

 

「......先輩には、いつも迷惑をかけてばっかりですね」

「そんなことないぞ。いつもおいしいご飯をつくってもらってるし、毎朝起こしてもらってる」

「そうですね。私、もう先輩より料理できるようになりましたから」

「.....それは挑戦と受け取っていいのか?」

 

 ふふっ。と互いに笑って、互いに目線を交わす。ゆっくりと桜が布団からこちらに手を出して、やさしくそれを包み込む。

 

「本当に。本当に今日はありがとうございました。私、初めて生まれてきてよかったって思えた気がします」

「大袈裟だな」

「いえ。そんなことないんです。私、悪い子ですから」

 

 後ろに続いた言葉は聞こえないふりをして、やさしい笑顔を桜に向ける。

 

「ごめんなさい。私、なにも先輩に返してない。先輩に押し付けてばかりで。私、何も」

「それは違うよ。桜はたくさんの物を俺にくれた」

「でも、私は」

「いいんだ。もう、一人で抱える必要なんてない。桜が背負う必要なんてないんだ」

 

 強く。強く桜の手を握り締める。少しでも、この体温が消えないように。この熱が、この想いが。彼女に刻まれるように。

「大丈夫だよ。桜。俺が傍にいるから。たとえ何があったって」

 

 この体温が、この記憶が、いつか彼女を支えてほしいと願って、手に願いを集める。

 

「だからさ。いつか、桜がよくなって、好きなように生きられるようになったら。その時は」

 

 誰かの隣で。桜の思うがままに、一人で抱え込まないで、桜の人生を歩いてほしい。

 

「風邪の時って心細くなるからな。桜の弱音なんて初めて聞いたかもしれない」

「....先輩」

「なんだ?」

「風邪くらいで大袈裟です。明日になって恥ずかしくなっても知りませんよ」

「....それはお互い様だ」

 

 少し恥ずかしくなったのか、手はそのまま反対に顔を向ける。のぞかせる耳は赤く染まっていて、ますます熱を持つ。

 

「.....ありがとう。先輩。私、あなたに救われました。あなたに出会えて、本当に良かった」

 

 照れくさそうだけどはっきりと、こちらを向いて微笑む桜に、心臓をちぎられるように持っていかれる。

 

「今日だけじゃない。先輩との思い出は私の宝物です」

 

 あまりにも美しくて。あまりにも切なくて。

 その言葉の裏にどれだけの思いがあるのかを知っているから。桜がどれほどその時を大切にしていたか。知っているから。

 

 握りしめた手。

 心の底から自分を軽蔑する。無力な自分も。惚れた女を救えない自分も。愛してくれた少女を見送ることしかできなかった自分も。

 

「先輩、泣いて、るんですか?」

「....ッ」

 

 そんなはずはない。頬に水滴が落ちることはないし、枯れ果てた瞳からそんなものが流れ出るはずがない。

 それでも、心配そうにこちらを見る桜の頭をスッと撫でて、やさしく手を離す。

 

「じゃあ。俺は部屋に戻るよ。ちゃんとゆっくり休んで、明日は元気になって朝、俺を起こしてくれ」

「....もちろんです。私を甘く見ないでください。こんなのへっちゃらですから」

 

 フフっと笑う桜から半ば無理やり目線を離すようにドアを開けた。暖房の効いていない空気が、境界のように線を引く。

 

「.....帰って、きますよね?」

 

 後ろから。呟くように、小さな問いが投げかけられる。

 

「.....変なこと言うなよ。俺はここにいる」

「そう、ですよね。わかってます。先輩は、ここにいます。だから、大丈夫です」

「一人で寝るのが怖いのか?」

「子供じゃないんですから。でも、先輩がいるなら、安心です」

 

 安心したように言った後。それ以降は、吐息のみが響いていく。

 スッと、足を前に出して戸を閉める。すぐ突き当りにいたセイバーに、出ることを伝え、玄関先へと出る。

 

 もう。戻ることはできない。

 自分の為に。叶うはずのない願いの為に。目の前で苦しむ女の子を、黙認した。

 

 惚れた女が地獄へ落ちていく所を黙認した。傷つく彼女を、すでにない幻の為に見捨てた。

 

 だから。救われる資格なんてない。

 裁かれるべきなのは、他でもない自分なのだから。

 

 覚悟はすでに。この道は。この旅は。俺が選んだことだから。

 

 胸にともる気持ちを必死に押し殺して、かみ砕くように表情を固めた。

 弱みを見せるな。足を止めるな。涙を流すな。顔を背けるな。

 自身を偽ってでも。己すら騙してでも。

 弱音を吐くな。鋭く。硬く。

 鋼のように強くあれ。

 誰よりも、強くあれ。

 それが、唯一できることだから。

 

 流れる涙も、溢れ出る想いも全て。

 噛みしめろ。そうしなければ打開するのは自分だ。

 忘れるな。その資格は最初に切り捨てたものだということを。

 

 たとえ、人を喰らう化け物になったとしても。

 たとえ、世界を滅ぼす悪魔になったとしても。

 

 俺は君の傍で、その罪科と憎悪を背負おう。

 どれだけその身を堕とそうとも。世界を敵に回したとしても、俺が君の全てを護ろう。

 

 だから桜。君は。君だけは俺を、赦さないでくれ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。