「さてと、悪いけど今日はアタシ達は先に帰らせてもらうね」
讃州中学・勇者部の部室。
立ち上がった銀は、ひょいと隣の席に置かれていた瑠璃inビッグサンチョを抱え上げた。
人間に戻って家に帰った銀は、今では讃州中学に転入してきて、当然の如く勇者部に入部していた。
「あれ? 銀は今日何かあるの?」
「あぁ、みんなにはまだ言ってなかったっけ」
そう言うと、どんと胸を叩く。
「ふふふ……何を隠そうアタシこと三ノ輪銀は、出世して大赦勤めになったのだよ!!」
「つまり、私のお世話係ね」
と、瑠璃が補足する。
大赦の最高位神官という役職にこそあるが、ぬいぐるみを魂の器にしている瑠璃は当然ながら人間としての戸籍はもう死亡扱いになっている。うどんのかめやには勇者部同伴で出入りしたりもするが、自分で動けるとは言え、流石にたった一人で出歩いたりする事はできない。色々と問題がある。
その為、現在は表向きには最新型AI搭載のぬいぐるみという設定で、銀と一緒に暮らしている。
「……」
友奈は想像してみる。
かつての瑠璃がしていた事を、今の瑠璃がやったとしたら……
特注の胴着姿で武術の稽古を付けるビッグサンチョ……
「……!!」
思わず噴き出しそうになって腹を抱えた。
「……」
須美も想像してみる。
おもちゃ屋で、クリスマスプレゼントを選ぶビッグサンチョ……
「……ぶっ!!」
頭の中に浮かんだ映像の中でどっちがプレゼントだか分からなくなって、噴き出してしまった。
「……」
園子も想像してみる。
軍団の指揮官として、勇者装束を纏ってバーテックスと戦うビッグサンチョ……
そう言えば瑠璃は言っていた。今の自分にとって肉体は魂の器に過ぎなくて、姿形などは全く無意味なものであると。
姿形は無意味。それはつまり、今のぬいぐるみの姿になっても強さは変わらないという事だ。実際に、勇者部は天の神との戦いの後で瑠璃のリハビリを兼ねて、勇者システムを使用しての模擬戦を行った(勿論、瑠璃もビッグサンチョの体で勇者に変身した)事があるが……当時はまだ精霊だった銀も含めて1対7であったのに5分しか保たなかった上に、瑠璃には誰もクリーンヒットの一撃を入れる事が出来なかった。体を替えても、瑠璃の実力は全盛期から少しも衰えてはいなかった。
瑠璃曰く「今の私は世界一強いぬいぐるみ」だとか。
「おお~……これは創作意欲が捗るよ~」
そう言うと、端末にアイデアを書き込み始める。
「それで、今日は何のお仕事なんですか?」
「用件は二つ」
「まずは、土地を回復させる為の作戦会議だね」
天の神が打ち倒されて結界外の炎が消失し、バーテックスが無限増殖する事は無くなったが、しかしこれは逆に言うと、炎が消えただけで結界外が神の力によって歪められ荒廃した世界である事には変わりが無いし、既に生産されていたバーテックスはそのまま結界外を徘徊しているという事で、依然として結界の外が危険な魔境である事には変わりが無い。
神樹の寿命が尽きて結界が消滅するのも、もうそこまで遠い未来ではない。人類が生き延びる為には、それまでに失われた土地を取り戻し、生存圏を確保する必要がある。
大赦としてもその為に幾つかのプランは立案してはいたが、これらは捧火祭が行われた事で一時凍結されていた。
しかし、天の神を倒した事でそれらの計画は再び実行可能となった。今日の会議ではその具体的なプランについて、打ち合せが行われる予定となっていた。
「じゃあ、もう一つは?」
「襲名式よ」
「……襲名式?」
犬吠埼姉妹が、鸚鵡返しする。銀に抱えられた瑠璃が頷いて、お腹のジッパーを下げた。
臓腑の代わりに綿が詰まった体の中に手を突っ込むと、中からスマホが取り出される。瑠璃の端末だ。
「私はそろそろ勇者を引退して第一線から退き、今後は勇者部のマスコットと大赦の神官としての仕事に専念しようと思っているの。そこで……後継者を選ぶ事にしたのよ」
「後継者……」
夏凜が少しだけ寂しそうに呟いた。彼女は瑠璃の弟子の一人だ。
ずっと世界の為に戦い続けて、ずっと世界を守り続けてきた、最強の勇者である瑠璃。夏凜は彼女を誰より尊敬しているし、慕っている。
いつか、自分も彼女のような勇者になろう。肩を並べ、一緒に世界を守って戦おう。
そう願い、その為にずっと修練して、戦ってきた。
その瑠璃が自分を後継者に選ばなかったのは残念だ。
だが瑠璃が選んだ者を恨んだり妬んだりという想いは湧いてこない。夏凜は銀の端末を継いでいる。銀もまた、偉大な勇者だ。その後継に選ばれたのが大変な栄誉である事には変わりないし、何より瑠璃がやる事なのだ。後継者が自分でないにせよ、それが正しい選択、正しい判断である事を夏凜は信じていた。
「まぁ、そういう事だから……それじゃあみんな、また明日」
「ええ、また明日ね……銀」
「遅刻しちゃ駄目だよ、ミノさん」
大赦本部。
ゴゴゴーッ
「……以上の事から、やはり失地の回復を行う為には、旧近畿地方の霊山に神樹様の一柱をお祀りし……『国造りの儀』を人の手によって模倣するのが最も可能性が高いプランかと思われます」
ゴゴゴーッ
結界の外、四国以外の土地は天の神の権能によってその理、つまり世界を形作る法則を書き換えられて、火の海と化した。ならば国土を回復させる為にはかつて神代の頃にこの国を緑が茂り稲穂が実る土地へと変えた国造りの儀をエミュレートする事によって、再び世界の理を書き換える事。それが、大赦が計画していた反攻作戦の概要だった。
ゴゴゴーッ
「……実現の可能性は……」
ゴゴゴーッ
「既に防人達によって、結界外の土や炎の調査は入念に行われ……また、近畿地方に進出する為の橋頭堡としての陣地構築も進んでいます……成功の見込みは十分かと」
ゴゴゴーッ
安芸先生から提出された書類を受け取った瑠璃が、それに目を通していく。
「……」
ゴゴゴーッ
瑠璃はじっくりと時間を掛けてそれに目を通した後で「成る程」と頷きを一つ。
ゴゴゴーッ
「あの、一つ良いですか?」
ゴゴゴーッ
おずおずと、遠慮がちにそれまで部屋の脇に控えていた銀が挙手した。
ゴゴゴーッ
いくら最高位神官の傍仕えとは言え本来は一介の付き人でしかない銀に、発言権などは無い。とは言え、彼女はどうしても聞いておきたい事があった。
ゴゴゴーッ
「先輩、どうして洗濯機の中に入っているんですか?」
今、瑠璃は洗濯機に入っていて、回りながら書類を読んでいる。
先程まで聞こえていたのは、洗濯機の駆動音であったのだ。
「ええ、瑠璃ちゃん……私もそれが聞きたかったわ。いや、絶対にツッコまないぞと心の中で自分に言い聞かせていたのだけど……」
「それは勿論、これから私の後を継ぐ勇者に会うのだから。しっかりと身だしなみを整えなくては」
「それだけかしら?」
少しだけ意地悪そうに、安芸先生がにんまり笑った。
「……」
僅かな間だけ沈黙すると、瑠璃は諦めたように首を振った。
「いやあ……折角偉くなったんだし……一度、黒幕とかフィクサーっぽい振る舞いをしてみたかったのよ」
そう言って、瑠璃は頭を掻いた。
これを聞いた銀と安芸先生は顔を見合わせる。
「黒幕とかフィクサーって……」
「ドラマや映画とかで、お風呂に入りながら部下の報告を聞いていたりするあれの事ね……」
これを聞いた二人は呆れたような顔になると同時に瑠璃にもこんな一面があったのかと、意外そうな表情を見せた。
「でも、いくらなんでもお風呂場に二人を呼びつけるのも失礼だし……今はぬいぐるみの体だから、洗濯機を使う事にしたのよ」
「はぁ……それじゃあ、先輩……そろそろ出ましょうか」
銀はひょいっと瑠璃の首根っこを引っ掴んで洗濯機の中から引っ張り出すと、ずぶ濡れの体を雑巾のように絞って脱水。その後は乾燥機の中に放り込んで、スイッチを入れる。
乾燥機の中でぐるぐると回る事およそ10分。蓋を開けて出てきた瑠璃の体に、銀は丁寧にブラシを掛けてやる。
そうして身だしなみが整った所で、特注の神官服を着た瑠璃はいつも通り銀の小脇に抱えられた。
準備が整った。それを確かめると安芸先生は軽く頷いて、立ち上がった。
「さぁ、こちらへ……既に楠さん達は集まっているわ」
「メブ、何だろうね。今回の召集……」
「最近は調査やサンプル採集の繰り返しだったけど……何かあるのかな?」
「さて、私達には何とも……」
「みんな、こうしている間も任務中なのよ。私語は……」
大赦の一角にある広間では、総勢32名の少女達が詰め掛けていた。
彼女達は防人。
かつて勇者候補としてノミネートされ、残念ながら神樹の勇者には選ばれなかったもののその才能を別の形で活かす事を求められ、現在は量産型の戦衣を纏って壁外の調査を主任務とする一団であった。
部隊長である楠芽吹が、軽く仲間達を注意したのとほぼ同じタイミングで、すうっと引き戸が開いて二つの人影が入室してきた。
一人はこれまで防人達の行動を監督していた女性神官、つまり安芸先生。
そしてもう一人は、小脇に巫女服を着たぬいぐるみを抱えた少女、銀であった。
「!! ぎ、銀……!? 生きてたの……?」
彼女の姿を認めた時、防人達の中で一人、勢い良く立ち上がった者が居た。彼女の名は山伏しずく。小学校時代は神樹館に通っていて、銀ともクラスは違ったが面識があったのだ。
「あ、山伏さん……」
銀の方も、しずくを覚えていた。近付いていこうとして、安芸先生が軽く咳払いして二人を制した。
しずくは慌ててその場に座り込んで、銀も安芸先生の背後に戻った。
そうして防人達全員の前に、安芸先生と銀が向き直る。
まず、発言したのは安芸先生だった。
「本日は、皆さんに報告があります……大赦の決定で、今後は防人という呼称を廃止する事が決定しました」
「どういう事です? 私達はお払い箱という事ですか?」
「いえ、あなた方には今後とも現在の編成のまま壁外での任務に従事してもらう事となります。ですがあなた達はこれ以降は、正式に勇者として扱われる事となります。それに伴って戦衣の性能も大幅にアップデートされる事が決まっています」
「ほ、本当なんですか?」
「本当です。もし信じられないようでしたら、ご家族に確認を取ってみて下さい。あなた達の実家にも、名誉と大赦からの援助が行われる事となるでしょう」
安芸先生にそう言われて、半信半疑であった防人達にも遅れて実感が湧いてきたらしい。
火が付いたように、わっと盛り上がる。
「やったあ!!」「凄い凄い!!」「私達、勇者様になれるんだ!!」「これで弥勒家も復興が叶いますわ!!」
「静粛に」
安芸先生が決して声を荒げるようなものではないが、しかし強さと重さを感じさせる声で場を制した。
防人の少女達に落ち着きが戻ったのを確かめると、安芸先生は頷いて話を続けていく。
「それに伴って、楠さん……」
「はい」
立ち上がった芽吹が、安芸先生と銀にしっかりと向き合った。
「部隊全員の装備更新には少し時間が必要となりますが……それに先立ってあなたには、先代勇者の後継者として、その端末を引き継いでもらおうと思っています」
「! 私が、ですか……」
芽吹が、穏やかな驚きを見せた。
「またとない名誉ですわよ、芽吹さん!!」「メブなら、納得だね!!」
口々に少女達が騒ぎ出した所で、安芸先生がもう一度「静粛に」と場を統制した。
芽吹だけは、しかし喜ぶでもなく、その表情が硬い。
「本日は、略式ながらその襲名式として皆さんに集まっていただいたのです。では、先代勇者様、どうぞ」
安芸先生に視線を向けられてすぐ傍らの銀は頷くと、抱えていたぬいぐるみを床に置いた。するとそのぬいぐるみ(瑠璃)はひとりでに動いて、お腹から端末を取り出すと芽吹の前までやって来る。少女達の中から「えっ、そっち!?」と声が上がった。どうやら彼女達は、銀が端末を芽吹に引き継ぐ為にやって来たと思っていたらしい。
芽吹は膝を折ると、可能な限り瑠璃と視線を合わせた。
「楠芽吹、あなたを次代の勇者と認め……私の端末を引き継いでもらいたいと思っています。この決定を受けますか?」
問いを受け、しかし芽吹は二つ返事で引き受ける事はしなかった。
「一つ、質問よろしいでしょうか?」
「……何か?」
「何故、私があなたの後を継ぐ者として選ばれたのですか?」
もし、単純に防人としての任務の中で、部隊の被害をゼロに抑えた実績を評価しての事だとか勇者候補生時代の成績を考慮してとか、そういう皮相な部分しか見ていないような決定であれば辞退するつもりだった。それは大赦が定義している勇者であり、芽吹が目指していた勇者とは全く違うものであるからだ。
瑠璃の答えは、違っていた。
「それは、楠さん。あなたが、私と同じ者を目指していたからです」
「同じ者……」
「そう、真の勇者を……」
「真の、勇者」
鸚鵡返しされたその言葉に、瑠璃は頷いて返した。
「楠さん、あなたにとって勇者とはどのようなものですか?」
問いを受け、芽吹の答えは決まっていた。即答する。
「誰一人、犠牲にしない者。犠牲を生まない道を拓ける者こそが、勇者」
それは決して空虚な目標などではない。それは芽吹の誓約であり、事実彼女は幾度もの過酷な任務を経て、しかし誰一人として部隊から死亡者を出してはいなかった。彼女以外の31名も、我が意を得たりとしきりに頷く。
瑠璃もまた、この問いに非常に満足したらしい。何度も頷いた。
「私も、同じなのよ。どんな命でも守る事が出来るのが本当の力であり、それを持っている者こそが、真の勇者だと思っている」
「……!!」
芽吹は、はっとした顔になって瑠璃を見据える。
それは確かに、自分が目指している勇者の在り方と重なる。
史上最強の勇者であった瑠璃と、勇者になれなかった芽吹。正反対の二人だが、しかしどちらも同じ者を目指していたのだ。
「だからこそ、楠さん。あなたには私の後継者たる資格がある……いや、この言い方は違うわね」
瑠璃は首を振ると、言い直した。
「私はあなたにこそ、私の後を継いで欲しい。私の端末は、あなたが目指す勇者となる為の、その助けとして欲しいのよ。そして、もう一度……聞かせて。楠芽吹。あなたは、この決定を受けますか?」
「……はい」
差し出された端末を、芽吹は両手を差し出して受け取った。
「……偉大な勇者の力……謹んで、拝領致します」
一礼して、芽吹が立ち上がり……しばらくは厳かな沈黙が続いていたが……
ややあってそれを破ったのは、拍手の乾いた音だった。
両手を叩いているのは、銀だった。そして安芸先生。
「やりましたわね、芽吹さん!!」「凄い、凄いよ、メブ!!」「ばんざーい!!」「やった、やったよ!!」「芽吹が、私達から出た最初の勇者だよ!!」
二人の拍手を皮切りとして、31名全員が拍手は勿論、飛びかかるようにして芽吹に抱き付いたり、もみくちゃに騒いだりして大変な騒ぎとなった。
「皆さん、静粛に……」
安芸先生が言い掛けたが、瑠璃に制された。
「良いのよ、安芸お姉ちゃん」
「……瑠璃ちゃん」
「これからも、彼女達には大変なお役目が待っているのだから。今ぐらいは、それを忘れさせてあげましょう」
「は……」
「そして、銀……」
「はい、先輩」
呼ばれた銀は、ひょいと瑠璃の体を抱き上げた。
「前線で戦う事はなくなっても……私達にはまだまだ大変なお役目が待っている。これからも、よろしく頼むわね」
瑠璃の申し出に銀は、会心の笑みで応えた。
元より、瑠璃へと返す答えなど銀は一つしか持っていない。そして瑠璃の方も、それが分かっているから「私達」という言葉を使っていた。
「はい。アタシこそ……これからも、お願いしますね。先輩」
新西暦145年、4月・奈良。
どこにでもある一軒家の、子供部屋。
中学生ぐらいになる赤髪の少女が、慌ただしく身支度を調えている。
「友奈、早くしないと学校に遅れるわよ!!」
母親の声が聞こえてきて、友奈と呼ばれたその少女が「はーい!!」と声を上げると、置いてあった鞄を手に取った。今日は中学校の入学式だ。登校初日から遅刻など、シャレにならない。
そうして部屋から飛び出していこうとして、彼女は何かを思い出したようにピタリと足を止めて部屋の中を振り返った。
「行ってくるね、ルリ」
声を掛けたそこには、すっかり古くなって色褪せたぬいぐるみが置かれていた。