それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
2018年9月某日の深夜、静岡県静岡市。ある中年の男は路上に駐車した車の中で、ある人物を待ち構えていた。彼の視線の先にあるのは、市内でも有名なホテル。仕入れた情報が正しければ、目的の人物が宿泊するために訪れる筈だった。
「ったく、さっさと来いよ……」
夜食のブロック携帯食を頬張りつつも、思わず愚痴が漏れる。張り込みを始めて早5時間。最初はホテルに入る車を一台たりとも見逃すまいと張り切っていたが、この時間帯になると流石に集中力が切れかけていた。
「……ガセつかまされたかなぁ?」
頭の片隅にそんな思考がよぎる。目標となる人物は大臣を務める大物政治家。静岡には応援演説で来ている事は確定しているが、それ以降の行動については、いささか情報の精度が怪しい。先の某宗教団体がテロを企てていた事が発覚したせいで、要人保護という名目により大臣クラスの動向に関する情報が、出回りにくくなっているのだ。
「……日が跨いだら、いい加減切り上げるか」
当然の事ながら、男が入手した「某大臣がこのホテルに宿泊する」との情報も、信頼性は低い。大臣クラスとなると多忙であるため、「実はホテルには泊まらずさっさと東京に帰った」という事も十分あり得るのだ。一応ホテルを見張りつつも、帰り支度を始める男の行動は、責められるような事ではない。
しかし、
「――お?」
今回はその情報は間違っていなかった。通りの向こうから見覚えのある型の黒の自動車がホテルに入っていく。男は慌ててカメラを構え、望遠機能でナンバーを確認。事前に把握していたナンバーと同じだった。
「よーし、来た。良い絵撮らせてくれよ、飯の種っ」
男は舌なめずりをしつつ、ホテルの入り口にカメラを向け、幾度もシャッターを切り始める。
まず運転席から出てきたのは、スーツ姿の長い黒髪の女だ。彼女は周囲を素早く見回すと、車の後部ドアを開く。中から出てきたのは、テレビでもよく見る中年の男だ。そして二人はホテルに入っていった。
「おーし、十分だ!」
撮る物は撮った。もはやこんな所にいる必要はない。男は満面の笑みを浮かべながら、車のエンジンを掛け、走り出した。
「……」
「どうしました?」
ホテルのラウンジを歩いている途中で突然立ち止まり、窓から見える6射線の自動車道路を睨む大淀に、坂田防衛大臣は首を傾げた。
「いえ。足柄から通信が入っただけです」
「何か事件でも?」
「いえ、大したことではありません」
大淀は平静を装っているが、付き合いが長い坂田には、彼女が恐ろしく不機嫌である事を、感じ取った。
「……余り、無茶な事はしないで下さいよ?」
坂田が思い出すのは、先の海底会テロ未遂事件の発覚の原因だ。あの艦娘たちの暴走で、坂田は法務大臣相手に色々とやり合っていたのだが、正直な所、もう一度はやりたくは無かった。
「ご安心下さい。本当に大したことではないので」
「あ、はい」
表面上は穏やかだが怒気が見え隠れしている大淀の前に、坂田はただ頷くしかなかった。
「これなら一本書けるな」
男が坂田大臣とその秘書の写真を撮ってから翌日、彼はアパートの自室で笑みを浮かべながらパソコンに向かっていた。画面には昨日撮った写真が数枚と、書きかけの文章が映し出されている。
「写真は……うん、これで良いな。もうちょっとくっ付いてくれていれば良かったけど、まあ、それっぽく見える」
坂田と大淀の姿を写真に収め、そして今パソコンに向かっている男の正体は、とある週刊誌の記者だ。今は記事の作製に勤しんでいる真っ最中であった。そんな彼の書いている記事だが、
「煽り文は……、『坂田防衛大臣、艦娘大淀と不倫関係!』で行けるな。ああ、ちゃんと小さく疑問符も着けないとな」
見事なまでに、憶測を多分に含んだ内容と、ミスリードを誘う煽り、イマイチ証拠にならなそうな写真で構成されている、典型的な捏造記事だった。
彼がこのようなモノを書いている理由は実に単純。「有名人の記事は売れる」。だたそれだけだった。
日本の国防を司る大臣にして提督と言う、特異な地位にある坂田大臣は、世間の注目の的だ。その注目度は、下手な芸能人よりもずっと上である。それはマスコミ側の人間からすれば「坂田大臣の話題は売れる」、と同義語なのだ。
だからこそ、マスコミ――それも週刊誌に関わる者としては坂田大臣の記事を欲していた。特にスキャンダルならば最高なのだ。
「我ながら怪しさ満点だが……、まあ大丈夫だろ」
何時の時代も民衆は見たい物しか見ない物だ。スキャンダルとなればいささか怪しくても、乗っかる人間は多い。それはネット時代でも変わらない。いや、ネット時代になった事で強化されている。上手く行けば、勝手に燃え上がるだろう。
また仮に捏造記事として文句を言われても、そこまで問題はない。雑誌の隅っこに適当な謝罪文を乗せればいいのだ。それで全てがチャラになる。
もっとも、この記事には懸念材料もあるにはあった。
「……これ、反艦娘で検閲されないよな?」
今の時代マスメディアは検閲の対象なのだ。特に艦娘関連は下手な事を書けない。今回の記事の主旨は政治家のスキャンダルだが、艦娘が関わっているのでグレーゾーンに足を踏み入れてしまっている。下手をすると検閲される可能性もあった。
「……艦娘周りをもう少しぼかすか? いや、いっそ秘書が艦娘じゃなかった方向で……」
そんな事情もあり、如何にグレーゾーンから逃れるか、記者は頭を悩ませながら記事を書き進めていった。
――だがこの時、彼は気付いていなかった。
“あー、やっぱりマスコミかー”
記者の居る部屋に、侵入者がいる事に。
“こいつ例の三流週刊誌の記者か”
“ああ、あの飛ばし記事ばっかり書いてる所?”
“そうそう”
それも複数。
“大淀さんに連絡は?”
“もうやった”
“因みに返答は?”
“『思う存分遊んでやれ』だって”
“やったぜ”
しかも侵入者は妖精であるため、常人の目には見えないと言う、厄介な能力を持っていた。唯の人間である記者が対抗することはまず不可能だ。
“それじゃあ、早速仕込みを始めないとね”
“腕が鳴るな!”
“それじゃあ、作戦開始!”
目に見えない脅威が、哀れな記者に襲い掛かる。
「本でも読むか」
記者が文庫本を手に取り、栞を頼りに前回までに読み進めたページを開こうとし、
「……あれ、栞どこ行った?」
"案外かわいい栞使ってるね”
「そろそろメシ食うか」
記者が戸棚からストックしているカップうどんを取り出し、蓋を開けるが――
「あれ……加薬とスープの素がない」
”盗ったはいいけど、これどうする?”
”スープ代わりにしよっか”
「いい加減暑いな」
季節は9月の始め。未だに残暑が残る時期には、エアコンは必須である。
「リモコンリモコン」
記者は部屋を見回し、見回し、見回し――、
「……リモコン、どこ行った……」
”リモコンの蓋を開けて何やってんの?”
”ついでに電池も切れてる奴に変えておこうと思って”
「今日はなんかついてないな……。……寝るか」
布団に潜り込み、目を閉じる。だが、
“~~”
“~~~”
“~~~~”
暫くして起き上がった。
「幻聴で寝れねぇ……。てか瑞雲音頭ってなんだよ……」
”瑞雲! 瑞雲!”
”誰だよ日向さんの妖精を呼んだの”
「自転車通勤を始めてから、いい感じに健康になって来たな」
記者は駐輪場に止めてある自分の自転車を引っ張り出そうとし、
「……他の自転車とハンドルが絡まってる。しかも両サイド……」
そして彼が苦労して自分の自転車を引っ張り出した時、前輪から異音が響いた。
「ん?」
具体的にはゴム同士が擦れる音だった。記者は前輪を確認すると見事にゴムタイヤが潰れている。
「パンクかよ……」
”これ仕掛ける側も大変だったな”
”自転車を上手く組み合わせるのに、めっちゃ苦労した”
”パンクは割と楽だったけどな”
ある日の朝。
「……ん?」
布団の中で目を覚ました記者は、ある事に気付いた。今日は出勤日であるのに、目覚ましの音を聞いた覚えがない。
「……まさか」
恐る恐る目覚まし時計に手繰り寄せ、
「10時!? 寝過ごした!?」
顔を青くして慌てて飛び起きる。
「てか、なんで目覚まし止まってんだ!?」
”えっぐ”
”悪戯なんだから、スマートにいこうよ”
上記以外にも、様々な絶妙に鬱陶しい不幸が記者に降り注いでいったという。そして2週間後、
「……おはようございます」
東京の一角のとあるビルの一室。所属している週刊誌の編集部に記者は出社した。
「おお、おはよ――ん!?」
「……おはようございます、中村さん。こないだは差し入れありがとうございました」
「お、おう……」
彼の顔を見た仲の良い同僚が困惑するのを半ば無視して、記者は猫背でフラフラと自分のデスクに歩いていく。その道中でも彼を見た他の同僚たちが、ギョッとした様な表情を浮かべている。
「お、おい……?」
彼の上司である編集長が、恐る恐る呼びかけた。その声に気付き、記者はグルリと顔だけを向ける。その光景に編集長は、いつかみたホラー映画のワンシーンを思い出した。
「……ん? おはようございます、編集長」
「……お、おはよう……。いや、お前大丈夫か? なんか滅茶苦茶やつれてるぞ?」
「あー、まあそうでしょうねぇ……」
編集長の指摘に、彼は力なく笑う。実際彼の顔は目の下に隈が出来、頬がこけている。更に記者本人から漏れ出る負のオーラも相まって、不気味さが際立っていた。
妖精による嫌がらせは一つ一つは微妙であったが、一日に何度も、更に2週間も継続された事により、記者に蓄積されたダメージは大きかった。
「いえ、最近色々と不幸が続きまして……。大丈夫、記事はもう少しで挙げられます」
「お、おう。こう……確かに記者の仕事ってのはハードだが、無茶はし過ぎるなよ?」
「はい、気を付けます」
記者は一つ頭を下げると、不安定な足取りで自分のデスクに向かい、ドカリと椅子に座り込む。脱力し、顔を天井に向ける様は明らかに異常だが、男は不敵に笑う。
「……折角、スクープを作り上げたんだ。ちょっとした不幸がなんだ、コラ!」
唐突な叫びにフロアの全員がビクッと肩を震わせるが、男は気にしない。気にする余裕が無い。この2週間、延々と続く微妙な不幸が、彼を追い詰めていた。
彼はカバンから愛用のいささか古くなっているノートパソコンを引っ張り出すと、起動した。そして完成寸前まで行っている記事を表示しようとし、
「……」
――いつものフォルダになかった。
「……」
記者は無言で他のフォルダを開き、目当てのファイルを探す。だが、書きかけの記事はない。
「……」
努めて冷静に、事前に取っていたバックアップを引っ張り出す。バックアップのファイルは直ぐに見つかり、記者はファイルを開く。
「………」
モニターに映るのは――無字。
「…………記事が……消えた……」
結局、記者が作り上げたスクープは、世に出る事は無かったと言う。
因みに自転車の奴は、実際に作者が遭遇した事例です。