それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
今回の話は長くなりそうでしたので、分割する事にしました。
2019年10月、イギリス、ロンドンヒースロー空港。深海棲艦との戦闘が激化して以来、民間旅客機の往来が途絶え閑散としていたはずのこの空港の滑走路に、一機の大型旅客機の姿があった。機体からは乗客たちが次々とタラップを降りていっており、彼らを空港職員たちは出迎えている。
「まさか今更旅客機がここに来るとはな」
「ああ」
その様子を、管制官たちは管制塔の中から若干の感慨を抱きながら眺めていた。今の時代、深海棲艦の影響により、民間航空事業は壊滅しており、飛行機を扱っているのはもっぱら軍なのだ。当然各地の空港を利用しているのも軍関係者ばかりであり、このロンドンヒースロー空港も首都防空の要所として、空軍と海軍に所属している艦娘が活用している。戦前からこの空港で管制官として働いていた彼らにとって、目の前の旅客機はかつての民間空港時代を思い起こさせる存在であった。
とはいえ彼らにとって、その様な感慨は僅かであったりする。
「取りあえず、機長を見つけたらとっちめておかないといけないな」
「全くだ。危うくニアミスが起る所だった。空軍のパイロットもブチ切れてたぞ」
怒りの方が感情の大半を占めている管制官たちの言葉に、管制塔の誰もが頷いた。何せ目の前の旅客機は、事前にこちらに連絡も入れていなかった上に、燃料切れ寸前と言って強行着陸を敢行しようとしてきた大馬鹿者なのだ。管制官や空港に駐留していたパイロットたちが協力して何とか無事に着陸まで持ち込めたが、少しでも対応が遅れていれば旅客機も軍の戦闘機もそして空港も危険に晒される可能性があったのだ。管制官たちが怒り狂うのも当然である。
「で、やっこさんの正体は?」
「おいおい、軍人の真似事ばかりで耄碌したか?」
「冗談だよ。見りゃ一発だ」
尾翼に描かれた二つのアルファベット「A」に挟まれたイーグル。この様なロゴマークを使う航空会社は一つしかない。
「アメリカン航空のボーイング777-200ER。これでアメリカ発じゃなかったら詐欺だぜ」
アメリカの東西両海岸が深海棲艦の手に墜ちたと同時に、一部の国民層の間である行動が盛んになっていた。
アメリカからの脱出だ。
彼らは今のアメリカ合衆国では迫り来る深海棲艦に対抗出来ず近く滅びると考えおり、自分たちが生き残るために、あらゆる手段を持って合衆国、いやアメリカ大陸から逃げ出していった。
そんな彼らが良く使っていたのが、アメリカ国内に残されていた旅客機たちだった。陸路では大陸からの脱出は不可能、深海棲艦が跋扈する海路は論外である以上、脱出に使えるのは空路のみだった。彼らは持てる全てのコネや資金を使って旅客機を動かせるようにし、安全な海外に向けて次々と飛び立っていった。
もっとも、その空路も安全ではなかった。深海棲艦の操る小型機は速度こそ旅客機に及ばないが、高高度まで上昇する事は可能である。深海棲艦はこの性能を活かして、予め旅客機の航路上に小型機を配置していたのだ。その結果、飛び立った殆どの旅客機たちは、深海棲艦の手によって撃墜される事となる。
――そう、「殆ど」である。
極々少数ではあるものの、機長の判断、機体の性能、そして多大なる幸運の末に、深海棲艦の魔の手から逃れた旅客機も存在しているのだ。その様な旅客機たちは、方々の態でヨーロッパを始めとした比較的安全な国々に、辿り着いていた。
「目的は、例に漏れず亡命だろうな」
「それしかないだろ。で、そいつらは漏れなく富裕層だ」
「ふん」
管制官の一人が面白くなさそうに鼻を鳴らす。旅客機に目を向ければ、タラップから次々と乗客が降りて来ているが、遠目から見ても上等な衣装を着ている事が見て取れた。
「一般人を深海棲艦と戦わせておいて、自分たちは敵前逃亡か」
「金持ち連中なんて、どいつもそんなもんだろ。もっとも、その金も殆ど吹っ飛んだ奴も結構いるらしいがな」
「なんでだよ」
「何でも、戦況の悪化が急すぎて、アメリカで持っていた土地とか証券を売る暇が無かったらしい」
「はっ、いい気味だ」
富裕層たちがどう言いつくろっても、祖国が危機であるにも関わらず、自分達だけ逃げ出した事には変わりはない。庶民的な感性を持つ管制官たちからすれば、彼らは唾棄すべき人間たちだった。もっともそんな唾棄すべき相手であっても、一応は己の仕事はするのだが。
「外務省に連絡は?」
「やってある。職員が来るまではターミナルから出すなって、指示が出ているぞ」
「じゃあ、俺たちの仕事はあのボーイングの相手だな。機長を呼び出すか?」
「おう。ついでに空軍の連中も呼んでおけよ?」
「分かってるよ」
そんなやり取りが管制塔で交わされていった。そして管制官たちが騒いでいる頃、件の旅客機からある二人組がタラップを降りていた。
「何とか着いたわね」
「ああ、全く運が良い」
カジュアルな服装に身を包んだ壮年の男女二人組。二人は談笑を続ける。
「もしかしたら、この子の加護かもしれないな?」
「まさか」
「はは、冗談だよ」
同乗していた乗客や、それらに対応している職員をわき目に、二人は歩を進めていく。そんな女性の腕の中には、
「あー」
赤ん坊の姿があった。
ロンドン、外務・英連邦省本庁舎。ここでは職員たちが、突然訪れた亡命者たちへの対応している真っ最中だった。
「この婦人の照会は?」
「もう終わってる。ああ、こっちも頼む」
「OK」
「おいおい、こいつテレビでもよく見る企業家だぞ。わざわざ照会必要か?」
「気持ちは分かるけど、上からの指示なんだ。やっとけ」
「あいよ」
庁舎では多くの職員たちが仕事に追われている。とはいえその光景には、「唐突な数百人ものアメリカ人の亡命」という事態の割には、切羽詰まった雰囲気は無い。
「いやー、思ったよりも楽に出来るな」
「事前に対策しておいて良かったぜ」
つまりそう言う事である。
そもそもの話、イギリスを始めとした各国は、今回の様なアメリカ合衆国の戦況悪化に伴う富裕層の亡命を事前に予測していた。特にイギリスの場合、アメリカと文化近いという事もあり、真っ先に富裕層の亡命者が来ることは予測されていたため、事前に対応マニュアルを用意していたのだ。
また今回の場合、人数、そして亡命者の身分も、優位に働いている。今回乗り入れた旅客機は大型双発ジェット旅客機だが、座席数は400弱。これは亡命者の集団にしては、小規模と言っても良い。そのため審査が終わるまで、空港近くのホテルに留めおく事が容易であった。
またその身分も、企業家や政治家などのいわゆる富裕層である故に、亡命者の素性を確認する事は容易であり、その事が対応を楽にしていた。
その様な背景がある故に、外務省では職員たちが余裕を持って、亡命者に対応していたのだ。
そんな中、
「うーん、どうしたものかな」
とあり職員がテーブルに並べられた三名分の亡命者の資料を前に、腕を組んで悩んでいた。
「どうしたよ」
そんな姿に気付いた同僚が、彼に声を掛ける。
「これ見ろ」
「へえ。科学者か。照会は?」
「終わっている。二人とも遺伝子工学の学者として、データベースにあった」
「おお、なら承認が早くなりそうだな」
比較的少人数とは言え、亡命を承認するまでには、相手の身分照会や審査など、それなりに時間がかかる。下手な人物を招き入れた結果、国内で犯罪を犯されたり、荒らされてしまう訳には行かない。
しかしこれには例外も存在している。その亡命者が有用な技能を持っている場合だ。技能持ちは国家にとって有用故に、人材の囲い込みのために、入国のための規制がある程度緩和されていたりする。今回職員が見つけた科学者も、その例外事項に引っかかる人材であった。しかし、
「たださぁ」
「うん?」
「この二人、なんか妙なんだよな」
そう言うと、職員はもう一つの書類を同僚に渡した。添付されている顔写真には赤ん坊が映されている。
「この二人って、女の子を連れてるだろ?」
「ああ、あの赤ん坊か? それは俺も確認してる。あの二人の子供なんじゃないのか?」
「いや、あの二人、別に結婚している訳ではないらしい。恋人ではあるけど」
「未婚でも子供は出来るだろ」
「いや。あの赤ん坊、どっちにも似てなかった」
その返答に同僚は首を傾げた。
「あん? じゃあ、あの子はなんだんだよ」
「えっと資料には、友人から頼まれた、ってなってるな」
「じゃあ、その通りなんじゃないのか?」
なんて事のない様に言い放つ同僚。実際、この説明は別段可笑しい訳ではない。「子供だけでも逃そうと、亡命する友人に託した」。本土決戦が行われているアメリカの情勢を考えれば、この説明は十分に説得力はあった。だがそれでも、職員の頭から疑念が晴れなかったのだ。
「いやー、なんか引っかかるんだよな」
「なんか根拠でもあるのか?」
「……勘?」
「おいおい」
思わず呆れかえる同僚。職員としても流石にこの根拠で疑うのはマズい事は理解していたので、公的に使えるような理由を用意する。
「一応、注意対象にねじ込んでおくよ」
「名目は?」
「反艦娘思想の疑い辺りで」
「……まあ、監視をするのは俺たちじゃないから、良いけどさ。じゃあ、次の奴の処理をしようぜ」
「ああ」
こうして件の科学者二人組は監視対象となったのだが、これに困る事になるのはその監視をする部署だ。
担当は秘密情報部、通称MI6であるが、この時いささか人材不足に陥っていた。件の亡命騒ぎの結果、一時的ながらも監視対象となった人物もそれなりに出て来ていたのだ。特に亡命者リストの中にアメリカで反艦娘を叫んでいた政治家や有名人も混じっていたせいで、そちらの監視に注力してるのが現状だ。そのためMI6としては若干怪しいレベルの科学者など、そこまで重要ではなかった。
しかし監視をしない訳には行かない、と言うのも事実。そこでMI6はある部署に応援を呼ぶ事にした。
“で、僕たちがここにいる、と”
“いきなり何言ってんだ?”
“いや、何となく?”
ロンドンヒースロー空港近くのホテル。件の科学者二人組に割り当てられた一室に、二人の妖精の姿があった。彼らは英国の艦娘研究機関である、艦娘研究部からMI6の要請により派遣される事となった妖精たちだった。妖精という目に見えない存在は、情報部からすれば垂涎の的であった事もあり、MI6は自身の仕事に度々妖精をレンタルしていた。
“てか、一々僕たちを呼ぶなよ。仕事しろよMI6”
“それなー。てか監視する決め手が、外務省の職員の勘ってなんだよ。断れよ”
“適当に盗聴器つけるだけで良いじゃん”
とは言え、派遣された側の妖精からすれば、イマイチ面白い訳ではない。そもそも彼ら妖精は艦娘及び提督の指揮下にある存在なのだ。それにも関わらず、赤の他人の指揮の下で動かなければならないのは、不満が出て当然だった。
テーブルの上で派手に愚痴を言い合う妖精二人。そんな彼らに気付くことなく、件の科学者二人は部屋でくつろいでいた。
「あの子は?」
「ぐっすりよ。当分起きないわ」
「そうか」
「それにしても、折角ロンドンに着いたのにホテルに缶詰めなんてね。久々に走り回れると思ったのに」
「深海棲艦が攻めてこないだけ十分さ。それに最近はずっと忙しかったんだ。良い休暇になったじゃないか」
ベッドに身体を預ける男に、女科学者の方は呆れたように顔を向けた。
「何言ってるのよ、これからが本番じゃない。ここでしくじれば私たちの未来はパアよ。一刻も早く私たちを売り込める場を用意しないと」
「それは分かってるけど、そもそも今の時点じゃ何処にも行けない上に、外部への連絡も一部が制限されているんだ。今は待つしかないな」
「一部制限? ならやれない事もないって事?」
「連絡先を事前に通達し、連絡内容も役人が把握する様になっている」
「実質不可能じゃない」
「そ。だから今は待つしかないんだ」
肩を竦める男科学者。しかし、
“……ん? どういうこと?”
愚痴り合っていた妖精たちは、今の会話に疑問を覚えた。彼らがこのイギリスで科学者として生きるために、どこかの大学や研究機関に自分達を売り込もうと言うのは理解できる。しかしその程度ならば、連絡内容を把握されても何も問題は無いはずだ。それにも関わらず、女の方は「不可能」と答えた。つまりそれは政府に聴かれたらマズいと言う事を意味している。
“あれ、実は当りだった?”
“ちょっと本腰いれるべき?”
おしゃべりを止めて、科学者二人の会話に注目する妖精たち。そんな事など露としらず、二人のやり取りは続く。
「それなら、あなたには今後のプランがあるっていうの?」
「ケンブリッジ大学には、留学した時に世話になった恩師が居てね。彼なら直ぐにでも発表の場を用意してくれるよ」
「信頼できるの? だって発表するのは――」
「待った。盗聴されているかもしれないから、その先は喋っちゃ駄目だ」
「っと、ごめん。迂闊だったわ。それで、その人どうなの?」
「僕が科学者になってからも連絡は取り合っていたし、彼の人となりも良く知ってる。快く僕たちに協力してくれるよ。それに実物まであるんだ。確実に食いつくね」
「そう。信用させてもらうわよ」
「ああ、任せてくれ」
ニヤリと笑う男。その光景に妖精達の顔が歪む。
“どう思う?”
“そりゃあ、アウトだよ”
“だね。それじゃあ?”
“当然、探索だ”
“よっしゃ!”
思わぬ事態に不謹慎ながらも状況を楽しむ妖精たち。そして深夜、科学者二人と赤ん坊が寝静まった頃、
“寝た?”
“寝た寝た”
“じゃあ探索開始!”
妖精たちが一斉に動き出した。もっとも探索と言っても、狙う対象は決まっている。
“今の時代、重要な情報なんて、大体ここにあるよね”
“重要なデータが入ったパソコンを、置きっぱなしにしちゃあ駄目だぞー”
真っ先にテーブルに放置されていたノートパソコンの電源を入れる妖精たち。しばらくしてパスワードを求められるが、それもあっという間に解除する。何せ彼らは、科学者たちがパソコンを操作している様子を間近で見ていたのだ。セキュリティも何もあったものではない。
“よーし、出てきた”
“で、どれが目的のブツ?”
“……さあ?”
パソコン内には様々なデータが保存されている。だが残念な事に彼らには、どれが科学者たちの隠し事なのか解らなかった。ならば方法は一つしかない。
“手あたり次第、確認だ!”
“やっぱりそれしかないよね!”
それらしきファイルを片っ端から開き、ひたすらに内容を読んでいく作業が始まった。
“これは?”
“遺伝子工学の論文だけど、それっぽいやつじゃないな”
“これは……、旅客機に乗り込むために使った情報か”
“ならこれ! って、なんでポエム……”
“しかも下手くそだ!”
そんなこんなで、様々なファイルを開いていく二人の妖精。そして暫く後、それは見つかった。
“ん? これ赤ちゃんの写真だ。これじゃないな”
そのファイルには科学者が連れている赤ん坊の写真が映し出されていた。直ぐにファイルを消そうとした所で、
“待って。これレポートだ”
“え? ……ホントだ”
よくよく見れば写真と共に、文章が添付されていた。読み進めていく二人。そして暫くしてある事に気付いた。
“生まれてからの、毎日の写真と記録が取られてる。中身は赤ちゃんの成長記録だけど、これはどちらかというと、観察のレポートに近いな”
“これ変じゃない?”
“だね。これは当り……え?”
キーボードを操作していた妖精が、レポートの中にあったあるフレーズに、思わず固まる。
“どうしたの?”
相方の異変に訝しむが、相方はそれどころではなかった。若干顔を青くさせながら画面に移るそのフレーズを指さす。
“これ……”
“え? ……え、これって“
“……これは、思ったよりもマズいかも”
先程までの緩い空気は完全に吹き飛び、真剣にレポートを読み進めていく二人。そしてそれを読み終わった時、二人の視線は自然とこの部屋の隅に向けられていた。
“なんてこった……”
その視線の先にあるのは、ベビーベッドで静かに眠る赤ん坊。そして――あのレポートには、彼女の正体が克明に記されていた。
“あの子、……提督のクローンだ”
今回は若干趣向を変えて、映画的なエンタメ要素を出してみました。