それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
「なんてモノを持ち込んだんだ!?」
イギリス首相官邸のある会議室で、イギリス首相マクドネルが頭を抱えて叫んだ。それは一国の首相にしてはいささかみっともない姿であるが、会議室に集結している閣僚たちも全くの同意見であるので、彼を止める事は無い。
「提督のクローンですか。やりたいことは解らないでもありませんがね」
「だからといって、本当にやるとはな」
「アトミック・ソルジャーにタスキギー梅毒実験。あの国は自国民で人体実験をした前科がある。クローンを作っていても不思議ではないな」
「我が国を巻き込まないで欲しい所だったがな」
「全くだ。こんな外に出したらマズい物なんて、自国に留めておけば良かったんだ」
「家出したドラ息子に、最後まで苦労させられる事になるとはな」
閣僚たちは、愚痴とアメリカがやらかした所業への非難を吐き捨てる。今回の議題、「提督のクローン」はそれほどまでの厄を内包しているのだ。
「それで? クローンを持ち込んだ輩は何者なんだ?」
「それは外務省から説明させて頂きます」
サービン外務・英連邦大臣が資料を手に立ち上がった。
「クローンを持ち込んだのは、アメリカ人の男女二人組。男性の方の名前は、ジノ・ターナー。アイルランド系の31歳。職業は科学者で、専攻は遺伝子工学。亡命前はアメリカ国立衛生研究所に努めていました。もう一人はイタリア系29歳で、名前はアニカ・グリーン。専攻と前職は、ターナーと同じです。二人は交際しており、切っ掛けは共通の趣味であるパル――」
「そいつらの趣味はどうでも良い。肝心なのは、アメリカで何をやっていたかだ」
「失礼しました。亡命時に本人らから提出された情報では、アメリカ国立老化研究所にてアルツハイマー病の研究をしていたとされていましたが、MI6及び艦娘研究部の調査により、両名とも同研究所で発足した艦娘及び提督のクローン製造プロジェクトに参加していたと思われる資料が発見されました」
「やはりクローン製造の関係者か。しかし現地が壊滅状態なのに、そんな事が良く分かったな」
「彼らが持ち込んだパソコンに、ある程度の資料があったそうです」
本人らは情報の流出を警戒して、持ち込んでいたパソコンを外部ネットワークに繋げるような真似はしていなかったのだが、彼らの努力は無駄に終わった。常人の目には見えない妖精達によって、科学者たちの隙をついてパソコンをネットワークに接続し、手ぐすね引いて待っていたMI6によりハッキングしていたのだ。
「随分と都合良く、パソコンに資料があったな」
「クローン人間の製造は一般的には禁忌ですからね。プロジェクトの主犯がアメリカ政府である事を証拠として残しておく事で、自身が切り捨てられた時のための対抗策とするつもりであったようです」
「ふん。そんな事をする位なら、関わらなければ良かったものを」
「しかしそのお蔭で、今回のクローン製造の背景が分かりました。どうやら、アメリカ政府は艦娘戦力の頭打ちを危惧していた様です」
「だろうな。わざわざクローンを作る理由など、それ位しかない」
領土拡大による新規提督の出現が確認されたのは、2020年2月17日。2019年10月時点では、艦娘戦力の頭打ちは艦娘保有国全ての課題であった。それは多数の提督がおり、更にその提督のスペック故に潜在的には圧倒的な艦娘戦力を保有しているアメリカ合衆国も例外ではない。
「このままでは、アメリカを守り切れない……」
事の始まりは艦娘が出現して、暫くした頃。当時のアメリカ軍上層部は頭を抱えていた。
今はまだ艦娘戦力の上限に達しておらず、時間経過と共に戦力は順調に増えていくだろう。将来的にアメリカにいる全ての提督が、建造できる全ての艦娘を保有出来たのならば、少なくとも合衆国を守るには十分な戦力となるだろう。
しかしそれだけでは、戦力は全く足りない。
アメリカの近隣国家は艦娘保有国ばかりであるが、そのどれもが現時点で艦娘戦力が頭打ちになっている様な弱小国家なのだ。今でこそ何とかなっているが、時間経過と共に戦力が増える傾向を持つ深海棲艦を相手にするとなると、将来それらの国々が陥落するのは目に見えていた。
「近隣国防衛のために、軍を駐留させる羽目になるな」
「待ってくれ、どれだけの戦力が必要になるんだ!?」
軍事的にも、経済的にも、資源輸入的にも、そして人類種的にも、この問題は無視出来るはずがない。将来的にはアメリカ合衆国が近隣国に艦娘戦力の派遣をする事になるだろう。だが南北アメリカ大陸を全て守るには、アメリカの艦娘戦力は不足していると言わざるを得なかったのだ。
「早く艦娘戦力を拡大させる方法を探すんだ!」
軍だけでなく政府からもその様な声が出るのは、当たり前の事であり、アメリカ政府は艦娘戦力に拡充のために、あらゆるアプローチが始まった。
提督になった人間の共通点の調査、提督同士による婚姻の推奨、普通の人間に対する提督の血液の輸血、提督と艦娘による性交etc……。その中の一つに、艦娘クローン製造プロジェクトもあった。
「最初に始まったのが、提督ではなく、艦娘のクローン製造か」
「Project・CloneTrooperねぇ」
最初にクローンの対象となったのは、提督ではなく艦娘の方だった。深海棲艦を相手に真正面から戦える戦闘能力を有する存在を人工的に作り出す事が出来れば、人類の発展に大きく寄与できる事は確実であったためだ。
全米から多くの専門家が集められ発足されたプロジェクトチームは、早速、艦娘のクローンの研究を開始。そして、
「結果は?」
「研究は最後まで続けられていたらしいが、それらしい研究結果は挙げられていない」
研究は難航した。あらゆる種類の艦娘の体細胞を使っても、クローン胚を作る事が出来なかったのだ。勿論、科学者たちもあらゆる仮設を立て、そして検証をしていたとの事であったのだが、その原因は未だに不明であった。
もっとも、この難題を前に当時の科学者たちは、「問題が出るのは当然である」と考えていたようだ。何せ艦娘は光と共に現れた未知の知的生命体なのだ。既存の科学では解明できない要素があるのは必然であった。
こうして手詰まりになりつつも、科学者たちは「Project・CloneTroope」の研究を行っていたのだが、この状況に苛立ちを覚える存在がいた。出資者であるアメリカ政府だ。
「アメリカ政府は、早く成果を出すようにせっついていたらしいな」
「まあ、気持ちは良く分かるな」
アメリカ政府からすれば、一刻も早く艦娘戦力の増強をしなければならない状況なのだ。確かに艦娘の研究は必要だろうが、そればかりにかまける訳には行かなかった。
科学者たちに圧力が掛けられる日々。そこでプロジェクトメンバーは、目に見える成果を求める政府を黙らせるために、新たな計画を立案した。
「それで立案したのが、提督のクローンの製造計画、Project・FATE」
「提督のクローンならば、オリジナルと同じく提督となる可能性がある、か。まあ、その理屈は分かるな」
人間が提督となる要因が不明である以上、この言い分は誰にも否定する事は出来ない。結局、「Project・CloneTroope」と並行する形で、提督クローン製造計画、「Project・FATE」が勧められる事となった。
遺伝子の提供については、研究所からほど近い鎮守府という理由で選ばれたとある女性提督から秘密裏に入手され、提督クローンの製造の研究が行われた。
「Project・FATE」は「Project・CloneTroope」とは違い、順調そのものであったと言う。体細胞を用いてクローン胚を作製した後、代理母――計画の主旨を考えれば女性の提督の方が最適であったが、提督を前線から長期離脱させるのは戦局的に問題があったため、普通の人間が選ばれた――にクローン胚を移植。そして胚は順調に成長していき――その後の結果は知っての通りとなる。
「で、Project・FATEは成功と。名前はアリシアか」
「それでクローンに提督の能力はあったのか?」
「今の所確認されていない。もっとも今後成長すれば提督になる可能性は十分あるがな」
「アメリカ政府は目に見える成果を得られて満足、研究チームは何かとうるさいパトロンを黙らせられて満足。両者万々歳といった所だな。……時期さえ悪くなければ」
「Project・FATE」の成功に科学者たちは湧いていたのだが、その時アメリカ政府はそれどころではなかった。この時アメリカでは、オルソン提督による反乱が起っていたのだ。政府も両プロジェクトを継続するようにとの通達は行ったものの、艦娘戦力増強という少し前までの至上命題すら半ば忘れてしまう程、アメリカ政府は事態の対処に追われていた。
その後もアメリカを巡る状況は更に悪化を続けていき、太平洋艦隊が敗北したと同時に「Project・CloneTroope」「Project・FATE」の両プロジェクトは中止。プロジェクトに関わっていた科学者たちは、ある者は別の研究機関に、ある者は戦況の悪化から内陸部に避難し、そしてある者たちは――「Project・FATE」の遺物を手土産に国外に亡命した。
「クローンが作られた背景は分かった。それでクローンを持ち込んだ科学者二人の狙いはなんだ?」
「諜報での推測になりますが、科学者としての自身の売り込みと思われます。その一環として、アメリカでのクローン研究を公表する計画も立てている様です」
「おいおい……」
閣僚たちが思わず顔を顰める。その様な事をされれば、国内だけでなく世界は大騒ぎになる事は確実である。そして世論の反応がどうなるかは、全く予測がつかなかった。
「……よし、状況は良く分かった。改めて本題に移ろう」
マクドネルは一つ息を吐くと、会議室の面々全員に視線を向けた。ここからが本題である。
「今回の事件、どう対応するべきか。意見が欲しい」
閣僚たちが真剣な表情でマクドネルに振り向いた。対応をしくじればイギリスだけではなく、全世界が混乱の渦に巻き込まれる事が確定している。誰もがその事を理解していた。
「人クローンなんて公表すれば、数年前の艦娘論争以上に荒れる事は確実だぞ」
「だが提督の上限を増やす方法が無い以上、提督のクローンの存在を無かったことにするのは、いささか勿体無いぞ?」
「提督クローンの研究を引き継ぐのも、選択肢の一つでは?」
「待て。その研究を引き継いだ場合、艦娘の反応が怖いぞ。下手をすればこれまでの関係が全て吹き飛びかねん」
「だが艦娘戦力の事を考えれば――」
英国を動かす面々よる喧々諤々の議論が繰り広げられていく。この会議は深夜まで続けられ、そして英国の方針は決定した。
「これは――どういう事なんだ!?」
アメリカからの亡命者が収監されているホテル。防音が施されている一室で、ターナーは政府からの使者から通知書を手に、わなわなと震えていた。隣に座るグリーンもその内容に目を見開いている。
「どういう事も何も、それに書いてある通り君たちの勧誘だが?」
そんな二人の向かいに腰かける男、英国艦娘研究部長官にして、世界で初めて確認された提督であるパーネルは、悠然と答えた。
「我が国は君たち二人を、国立研究機関の一員として招待しようと思っている。一定の立場、そして褒章と給与も約束しよう。就職先を探している君たちにはぴったりじゃないか」
「問題なのはそれじゃない! この条件は何なんだ!?」
「おや、それの何が問題なのかな? 雇用契約なんだ。こちらからも条件を出すのは当然じゃないか」
全く余裕の表情を崩さないパーネルに、ターナーは怒りのままに、手にしていた用紙をテーブルに叩きつけた。
「私たちが持ち込んだ各種データの没収、アメリカでの研究の口外禁止、それにアリシアをイギリス政府に預ける!? イギリスはクローン技術を独占するつもりなのか!」
閣僚級会議の結果、イギリス政府は提督のクローンについて、隠匿を図る事にした。クローンの存在は公表するには、世間に与える衝撃が余りにも大きすぎると判断したためだ。なお科学者二人と件のクローンについては、政府の監視下に置くことにより、情報の流出を防ぐ方針となっていた。
(これじゃあ意味がないじゃないか!)
とは言え、このイギリスの方針は、ターナーにとって受け入れがたい物だった。アリシアの正体は良くも悪くも、世間に与えるインパクトは大きい。彼女の存在を公表すれば、「Project・FATE」のメンバーの生き残りである自分達は、一躍遺伝子研究の権威として躍り出る事が出来るはずなのだ。そんな栄光への道を閉ざされるなど、我慢ならなかった。
「ふざけないで! あの子は人類の希望になるかもしれない存在なのよ!」
悲鳴のような叫び声をあげるグリーン。流石に反論として、自分たちの栄達の事は口には出来ない為、大義を掲げる。
「今の人類には、根本的な艦娘戦力を増強される手段がないのよ。それを解決出来るかもしれないのが、『Project・FATE』とアリシア! 人類が生き残るためにも、一国に独占させる訳には行かないわ!」
深海棲艦に対し劣勢を強いられている現状、人類生存という面で見れば、彼女の自論は間違ってはいない。人類が滅ぼされないため、敵に打ち勝つ手段を手に入れられるのならば、倫理に反する技術に手を出すのは止むを得ないだろう。
「ほー、なら君たちはどうするべきと考えている?」
「当然、全世界で協力して、クローン技術を研究するべきよ。いえ、アリシアが提督になれれば、その時点で人類は勝ったも当然ね」
「ほう、具体的には?」
「アメリカ系提督、若しくはアリシアをベースにクローンを量産するだけで良いんだ。アメリカ系なら艦娘の数も性能もトップクラスだ。それに艦娘戦力も幾らでも拡大出来る。後は艦娘の数と性能で、深海棲艦に押し勝てるはずだ」
「なるほどな」
二人の主張にパーネルは一つ頷くと、
「随分と自分に都合の良い事を言うじゃないか」
皮肉気に笑い切って捨てた。
「なっ……」
絶句する二人。それを尻目に、パーネルは続ける。
「人間のクローンなんて公表でもしてみろ。イギリスだけでなく、世界中は大混乱間違いなしだ。深海棲艦と戦っている真っ最中に、この混乱は致命的な隙となりかねない」
「人類が生き残る為よ。その程度ならば許容すべきだわ」
「ああ、君たちの理想通りに事が進むなら、確かにその程度の混乱は許容できるだろう。だがそもそもの話、アリシアを始め、クローンが提督となる可能性はどれだけある?」
「それは……」
言い詰まる二人。パーネルは小さく頷いた。
「そう。現時点でそんな物は誰も答えられない。そんな曖昧なモノのために、政権を吹き飛ばす覚悟でクローン技術に飛びつく政治家は、この国にはいない」
戦時中とは言え、イギリスを始め各国とも民主主義的政治制度を維持している現状、民衆の声と言うものは完全に無視する事が出来ない。ましてや、やろうとしている事が人間のクローン製造と言う、倫理に反する事である。確実に政権への致命的な攻撃材料となるだろう。クローンが確実に提督になると言う実証が無い限り、政権を担っている政治家たちが手を出す筈が無かった。
「なら世論がクローン製造を容認する様に誘導すれば……」
ターナーが絞り出すように反論する。だがパーネルは首を横に振るった。
「よっぽど追い詰められているなら容認するかもしれないな。だが今のイギリスは、アメリカ系提督の引き入れにより、防衛戦力は増強されている。そんな状況で、人クローンという倫理に反する行いを容認する様に世論を誘導するのは難しいだろうさ」
「……」
「ああ、ついでに英国艦娘研究部として言わせてもらうが、政府と世論が提督クローンの製造を容認する事となれば、提督と艦娘は確実に国に対して不信感を覚える事になるだろうな」
「どう言う事です?」
「人クローン製造なんてやって倫理のタガを外したんだ。次にターゲットになるのは艦娘と提督だ。何せ深海棲艦に真正面から対抗できるのは、俺たちだけだからな。何としてでも秘密は知りたいだろうさ。そのために人体実験でもなんでもやるだろうな。『人類の勝利』をお題目にして」
「……」
「国が不義理を働くのなら、俺たちだって黙ってはいない。人類の勝利のために犠牲になれ? ふざけんじゃない。当然、艦娘と提督は抵抗するだろうさ。そしてその先にある物は――アメリカが身をもって証明した」
「……なら、政府があなた達に手を出さない様にすれば」
「仮に政府側が艦娘と提督には手を出さないつもりであっても、俺たちが政府を警戒するのは変わらない。一度倫理に反する事をしでかしたんだ。もう一度やらかさないと言う保証はない」
「……」
ターナー、グリーンは何も言えずに黙り込む。パーネルは一つ息を吐くと、目の前の二人を睨みつけ、言い放った。
「お前たちが拡散しようとしているのは、そんな危険物なんだよ」
その後、科学者二人からの「少し考えさせて欲しい」との言葉に、パーネルは了承。更なる交渉は後日に持ち越される事となる。
そしてその日の深夜。ロンドン市内の警官たちの前に、警察無線が響いた。
《ジノ・ターナー、アニカ・グリーン両名が、保護対象を連れて逃走! 至急応援を求む!》
クローンの計画名は、思いっきりネタに走りました。