それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
眩いネオンが街を照らし、深夜にも関わらず多くの人々が行き交っているロンドン。そんな街のとある大通りを、二人の男女が駆け抜けていた。
「道を開けてくれ!」
「早く早く!」
人ごみを男――小型のリュックを背負ったターナーが先頭に立ってかき分ける事で道を作り、その後ろを赤ん坊を背負ったグリーンが走っていく。その後ろを、
「そこの二人組、止まれ!」
制服姿の警官たちが追いかけ来る。しかもその数は、時間が経つとともにドンドンと増えてきており、逃走の難度は上がっていく。そんな状況の中、二人の科学者は必死に逃げていた。
「この道で合ってるの!?」
「ああ、事前に確認してある! もうすぐだ!」
そんな状況下であっても、二人は諦める事は無い。彼らは己の使命を果たすべく、ただ前に進んでいた。
全ての事の始まりはパーネルとの会談の後に行った、今後の身の振り方についての相談だった。
「やっぱり可笑しい」
開口一番にそう言い放ったのは、ターナーだった。その光景に若干驚きながらも、グリーンは首を傾げた。
「どうしたの?」
「さっきの役人の話だけど、少し引っかかるんだ」
「何が?」
「彼はクローン技術がもたらす危険性を語った。混乱が隙になりかねない、だったり、国内の艦娘が危険視するって」
「ええ、そう言ってたわね」
「でもさ、可笑しくないか?」
ターナーは視線を部屋の隅に向けた。そこにはベビーベッドの上でおもちゃで遊んでいるアリシアの姿がある。
「そんなに危険なら、なんで僕たちを殺さないんだ?」
「え?」
「だってそうだろ? あの役人の言った通りなら、僕たちはイギリスに混乱を持ち込もうとしている危険人物なんだ。だったら問答無用で逮捕すれば良い。それにも関わらず、彼らはそれをしなかった」
「……じゃあ、イギリスは何か本音を隠しているって事?」
グリーンの言葉に、ターナーは一つ頷くと、
「恐らく僕たちが最初に危惧していた様に、イギリスはクローン技術を独占したいんだと思う。あの役人が言っていた事は、僕たちを従わせるための詭弁だ」
吐き捨てるように言い切った。
「それ……、マズいじゃない」
「ああ。人類のためにも、一国に技術を独占させる訳にはいかない」
当初からの目的であるクローン技術の公開は、自身の栄達の為である事に間違いはないのだが、同時にパーネルに語った「人類生存のため」との言い分も本音である事にはかわりない。二人からすれば、自分たちのなそうとしている事は、私欲と公共の福祉が一致しているのだ。
「でもどうするの? 役人があんなことを言うくらいだし、発表なんて出来ないわよ?」
「ネットで公開も考えたけど、直ぐに消されるだろうし、仮に上手く出来ても内容が内容だから、誰も信じないだろうね」
「じゃあ、このホテルから逃げ出して、あなたの言っていた教授に応援を頼むとか?」
「それも難しいかな。多分教授も発表には協力してくれると思うけど、発表中に追っ手に踏み込まれるのがオチだ」
「じゃあ、どうするのよ」
この問いに、ターナーは小さく笑った。
「簡単さ。イギリス国内にあって、尚且つ国外である所に逃げ込めば良い」
警察に追われつつ、人ごみをかき分け科学者たちは必死に目的地に向かって、走っていた。
「目的地はドイツ大使館! 大使館内なら治外法権だから、警察の追手が立ち入る事は出来ない!」
「確かにそうだけど、なんでドイツなの!?」
「あの国は、艦娘が出現して以来、イギリスに圧され続けている! そこが狙い目なんだ!」
ターナーの言葉の通り、この時、ドイツはEUの盟主の地位をイギリスに奪われていた。
艦娘戦力の精強さが国家の信頼に繋がる現在、EUのトップもそれに準ずる事となるのは自然な事であり、そして盟主に最もふさわしいのは、現時点で世界最大の艦娘大国であるイギリスであった。
その事を面白く思っていないのが、当然戦前のEU盟主であったドイツだ。彼の国はかつての地位の奪還を虎視眈々と狙っており、様々な外交攻勢を行っているのは有名だった。
「クローン技術が上手く行けば、人類共通の問題を解決出来た最初の国になれるんだ。EU盟主奪還を狙っているドイツならば、僕たちの提案に食いついてくる可能性は十分ある」
この説明に、グリーンは首を傾げた。
「イギリスみたいな事を言いだしたらどうするの?」
「勿論、その可能性は否定できないし、ドイツ側が独占しに来る可能性もある」
「ちょっと!?」
グリーンの不安に、ターナーは反論どころか肯定する。しかし、直後に「でも」と続ける。
「このままイギリスに居たら、技術を公開する可能性は確実にゼロだ! それだったら、別の国でチャンスを伺う方が良い!」
「選択肢はないってわけね……、分かったわ」
「ともかく、何とか追っ手を撒こう! 捕まったら、全てがパアだ!」
「ええ!」
科学者二人は追ってから逃れるために駆けていく。その速度は人ごみの中を走っているにも関わらず、驚くほど速い。彼らは目の前に広がる人の波の中から、速度低下を最低限に抑えられる最適なルートを瞬時に割り出し、時に躱し、時に人を押しのけ、そして時に歩道に設けられた鉄柵の上すら駆けていく。
「おい、どいてくれ!」
対する追手側の警察官たちも必死に追いかけているのだが、通りを歩く無数の通行人の波の前に苦戦を強いられていた。公権力である事を周囲にかざし、通行人を脇に避けさせて捕縛対象を追うも、その距離は一向に縮まる事は無い。
「クソ、追いつけん!」
「なんでこんな所をあんなに速く走れるんだ!?」
悪態を吐くそんな警察官たち。だがそんな彼らを見かねたのか、不意に救世主が舞い降りる。
《任せろ! 足を止める!》
不意に警察官たちの無線から声が響く。それと同時に科学者二人組の行く手を遮る様に、青信号の歩道にランプを点灯せたパトカーが割り込んだ。
前方のパトカーと後方の警官たちによる挟み撃ち。これで止められると警官たちは確信した。
「よっと!」
「ごめんなさいね!」
しかし科学者二人組は速度を落とさず、パトカーのボンネットに手を付き飛び越え、勢いをそのままに、路地裏に飛び込んだ。ビルとビルの隙間に形成された路地には、非常階段や店の看板、塀、建設工事中なのか組まれている組立足場など、走るには邪魔な様々な障害物はあった。だがこの地形は、
「一気に後ろを撒こう!」
「ええ!」
彼らが得意としているコースだった。二人はスチール製のゴミ箱を足場にして塀に登ると、更に跳躍してビルに備え付けられていた非常階段に到達すると、そのまま屋上まで駆け上っていく。
「こっちだ!」
追ってきた警官たちも非常階段を昇っていく光景が見えた。
「釣れたわ。そっちはどう?」
「良い足場があった」
ターナーの視線の先にあるのは、隣の建物に備え付けられている組立足場。二人は小さく頷くと屋上まで登り切り、速度を緩めず屋上を疾走。そして、
「行けぇ!」
欠片も躊躇せずに、ビルの淵から跳躍。
「っと!」
組立足場に張り巡らされているパイプを両手でつかみ、足場に見事に着地した。
「おい、ふざけんな!?」
こうなると不利になるのは追手側だ。幾ら鍛えているとは言え、あんな曲芸など普通の警官が出来るはずもない。結果的に双方の差は更に広がってしまった。
「あうー!」
「凄いな、こんな状況なのにアリシアが笑ってるよ!」
「将来は大物になりそうね! それにしても、こんな所で趣味が役に立つなんて、思わなかったわ!」
「全くだ!」
思わず笑い合う科学者二人。警察に追われると言う最悪の状況下にも関わらず、未だに捕まらずいられるのは、二人の共通の趣味――パルクールで鍛えていたお蔭なのだ。まさに芸は身を助けるといった所であろう。
科学者二人と赤ん坊の三人は、夜のロンドンを縦横無尽に駆けていった。
――うわー、あの人たち凄いね。あんなに色んな所を走り回れるなんて。
――全く、警察が監視を引き継いだと思ったらこれだ。
――起きてしまった事は仕方ないわ。許可は出たの?
――ああ、今許可が出た。いくぞ。
――はーい
追跡する警官たちに大きな差をつけて、裏路地を疾走する二人の科学者。そんな彼らの前に、立ち塞がる小さな影が現れた。
「Hi、お二人さん?」
そこにいたのは、英国海軍の水兵服をモチーフにしたようなワンピースを身に纏い、綺麗な金色の長髪をなびかせた少女だ。
ターナーは立ち塞がる様に現れた少女に首を傾げたものの、足を止めるようとは思わなかった。
(脇は――よし、行けるな)
今いる路地は幅が狭いとは言え、幅は3、4mはある。少女が道の真ん中に立つ塞がっているとは言え、大人二人が通れるようなスペースは十分にあった。そのまま駆け抜けようとするターナー。だが、
「っ! ジノ、こっち!」
「アニカ!?」
何かに気付いたグリーンが慌てて彼の腕をつかみ、脇道へと引っ張っていった。唐突な方向転換にターナーは転びそうになりながらも、彼女の咄嗟に動きに合わせる。
グリーンの顔を見れば、恐怖心がありありと浮かんでおり、彼女は足は止めなかったものの、何度も振り返っていた。
「アニカ、どうしたんだい?」
「マズイわ、あの子艦娘よ!」
「……なんだって!?」
グリーンの口から語られた真実に、ターナーは顔が引きつるのを自覚した。二人とも各種クローンプロジェクトに関わっているからこそ、それ以前に科学者だからこそ、艦娘の非常識さは嫌と言う程理解しているのだ。人間二人が真正面からぶつかって勝てる相手ではない。
「ええい、大使館までもう少しなのに!」
「どうするの!?」
「何としてでも撒くしかない! 行こう!」
とはいえこの状況下では彼らが出来る事は、何としてでも目的地であるドイツ大使館に辿り着く以外に選択肢はなかった。
艦娘から逃れるために、ビルの屋上まで行くことを選択した二人は、エアコンの室外機を踏み台に、ビルに備え付けられている窓枠に向けて跳躍。そのまま窓枠や排水パイプを伝って登っていく。
普通の人間では困難な立体的な機動。散々警官たちから逃れて来た二人の最大の武器であり、最大まで駆使すれば艦娘が相手でもなんとかなるかもしれない、頭のどこかでそんな考えに縋っていた。
だがそれは、余りに虫が良すぎた。
「行っくよー!」
無邪気な声が響いたと思えば、二人の数メートル横を何かが高速で通り過ぎていく。視線を上に向ければ、先程立ち塞がった艦娘の姿があった。
「嘘!?」
「滅茶苦茶だ!」
悲鳴を上げながら、二人は慌てて隣のビルに飛び移り避難する。
今見せた艦娘の動きは、パルクールを嗜む二人からすれば無茶の極みだった。パルクールにおけるセオリーは完全無視、外壁を昇る動作も素人同然だ。
だがそのハンデを人間では到底及ばない圧倒的な身体能力でカバーし、軽々と二人を追い抜いていったのだ。これでは対抗も何もあったものではない。
急いで地面まで戻ると、二人は再度駆けだそうとする。だが事態は更に悪化する。
「もう、ジャーヴィス。行き過ぎてるわよ?」
そこに立ち塞がったのは、金髪のショートボブの少女。その容姿と言動から、彼女も艦娘である事が解る。
この事態を一瞬で判断し、二人は身を翻すが――
「ゴメーン、ジェーナス」
降り立った艦娘にその道を塞がれた。
「くっ……」
「どうしよう……」
科学者二人は必死に頭を巡らせる。
ビルとビルの間に形成された細い路地。その前後を艦娘二人に塞がれており進行は不可能。窓枠など登れるような足場はあるが、使おうとすれば艦娘との距離が近すぎる事もあり、直ぐに捕まるだろう。
導き出された答えは唯一つしかなかった。この状況は、
「詰みだな」
男の声が響くと共に、ジェーナスと呼ばれた艦娘の後ろから、軍服姿の男と金髪でセミロングの女性が現れる。そして科学者にとって男の方は見覚えがあった。
「……パーネル。この艦娘たちは、あなたの差し金か」
「警察が思ったよりも不甲斐無かったからな。彼らには悪いが出張らせてもらった」
軍服の男、英国艦娘研究部長官であるパーネルは肩を竦めた。
「さて、非常に残念だが、こんな事をしでかしたんだ。君たちには当分豚箱に入ってもらおうか」
この物言いに、グリーンが吠えた。
「クローン技術をイギリスだけで独占するなんて間違ってるわ。人類のためにも広めなければいけない!」
「グリーン女史、昼にも言っただろう。イギリス政府は人クローンなど興味はないし、危険物であるとすら考えている」
「ならなぜ僕たちを殺さない! 本当にクローンが危険だというのなら、秘密を知る僕たちを生かしておく必要はないはずだ!」
「生憎と我が国は共産圏の様な事はしない。精々機密として扱うだけさ」
「はっ、どうだか」
叫ぶ科学者二人。そんな光景の前にパーネルの側に控える艦娘、ウォースパイトは小さくため息を吐いた。
「Admiral、もう話しても無駄な様ね」
「ウォースパイト……、ああ、そうだな。ジャーヴィス、ジェーナス、頼む」
「待て――うっ」
ターナーとグリーンは艦娘たちにより、あっという間に組み伏せられた。艦娘たちの体型こそ小学生程度であるが、その力は人外のそれであり、少々鍛えた程度の人間である二人にそれを振り解く事は出来ない。
動けない二人を余所に、パーネルがターナーのPCと最低限の荷物を入れたリュックを取り上げ、ウォースパイトはグリーンの背中できょとんとしているアリシアを抱き上げた。
「逃亡犯二名を捕縛した。なお、保護対象は無事な模様。車を回してくれ」
ロンドンの路地裏に、淡々とした男の声が響いた。
ロンドンでの科学者二人組の逃亡事件から数日が経過した。霧や雲が多いイギリスであるが、本日は幸いな事に快晴、しかも休日という事もあり、多くの人々が外出している。
そんなイギリスの、とある鎮守府の執務室。仕事に一区切りがついて休憩中の提督――兼、英国艦娘研究長官のパーネルは、自分の秘書艦の姿を眺め、思わず呟いた。
「……様になってるな」
彼の視線の先には、ソファーに座り先日の騒動の原因となった赤ん坊、アリシアを抱いているウォースパイトの姿があった。その光景は、アリシアの髪色がウォースパイトと同じという事もあり、事情を知らない者が見れば親子と勘違いしかねないレベルである。
「あら、そうかしら? 赤ちゃんのお世話なんてした事は無いから、試行錯誤の連続よ?」
「その割には堂に入っていて、親子にしか見えないな」
「あら、それじゃあAdmiralがパパかしら?」
「……まあ、実際そう言う事になりそうだけどな」
科学者二人は逮捕されたが、同時に問題となったのが、提督のクローンであるアリシアの処遇だった。クローン故に身体に異常がある可能性はあるし、科学者二人にはああ言ったものの、アリシアが提督となる可能性は捨てきれないのも事実だ。
そんな特殊性故に一般の病院や児童養護施設に預けるのはいささか問題があったし、彼女の正体を知るMI6も赤ん坊の世話など出来るはずがない。
どうしようかと、政府機関の偉い人達が頭を悩ませていたのだが、ふとウォースパイトがアリシアをあやしている光景を見たある閣僚が閃いた。
「パーネル君、この子を養子にとらないか!?」
この案は頭を悩ませていた人々にとって、天啓だった。
パーネルならばアリシアがクローンである事を知っているし、提督となった場合の対応も容易なのだ。アリシアを養子とするとなると配偶者がいる必要があるのだが、幸いな事にパーネルは近々ウォースパイトと婚姻関係となる予定であったため、そこまで問題は無い。ついでにアリシアも鎮守府で過ごす事になるだろうから、身の安全も完璧。まさにパーネルは打ってつけの存在だった。
「どういう事ですか!?」
もっとも、当のパーネルはまさかの展開に大いに混乱する事になったのだが、そこは政府の偉い人達があの手この手で全力で押し切った。余談だが鎮守府関係者の方も、ウォースパイトは快諾していたし、他の艦娘も歓迎ムードであった事から、問題は無かったりする。
そんな事情もあり、アリシアは近い内にパーネルを名乗る事となっていた。
「そういえば、この子を連れて来た科学者たちはどうしてるのかしら?」
「今は二人とも留置所だな。まあ近い内に刑務所行きだろうが」
亡命以来、裏側では色々とあったものの、世間を騒がせたのは精々先の逃亡劇位である。そのためニュース番組で放送されたものの、「アメリカからの亡命者が正式な亡命手続き前に、滞在していたホテルから逃亡した」程度の事件として扱われていた。
「出てきた所でMI6の監視は付くし、仮にクローンについて騒いだ所で証拠になるデータとアリシアはこちらで確保してある。まあ大丈夫だろ」
「そう、ならよかったわ」
余談だがあの二人組から没収したデータだが、有り難くイギリスのために活用される事となるだろう。――クローン技術の独占の為ではなく、再生医療の研究のために。
イギリス政府としても人クローンに手を出して、国民から反人道的だと批判されたくないし、無駄に提督と艦娘を怒らせたくは無いのだ。例の科学者二人は疑っていたが、パーネルが彼らに語った事は全くの真実だった。
「アリシアも寝たみたいだし、紅茶、淹れましょうか?」
「ああ、頼むよ」
ウォースパイトは執務室の脇に設置されているベビーベッドにアリシアを寝かせる。その様子を眺めつつ、パーネルはずっと疑問に思っていた事を口にした。
「なあ、アリシアは提督になると思うか?」
「それは分からないわ。でもアリシアはこの鎮守府で艦娘と一緒に過ごす事になるし――」
ウォースパイトはアリシアの頭を優しく撫でると、パーネルに向き直った。
「もしかしたら、艦娘に好かれて提督になれるかもしれないわね」
そう彼女は微笑んた。
たまにはグッドエンド系も書きたいんや。