それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
エボラ出血熱を用いた同時多発的なバイオテロ。この空前絶後の非道なテロによるヨーロッパ各国は大混乱に陥っていた。
追悼式典という多数の人々が集まる場所が狙われたために、多くの人々が罹患してしまった。しかもヨーロッパ各国で同時にテロが行われたという事もあり、エボラ出血熱の最短潜伏期間を過ぎた時点で、罹患者の数は優に千の単位に達していた。
これだけでも悲劇的な状況であるのだが、事態はそれだけに留まる事は無い。流行が始まってからその原因が判明するまでに、3日のタイムロスがあったのだが、これが事態を更に悪化させる要因になっていた。
発熱の原因がエボラウイルスであると警戒できなかった、家族や親しい者といった第三者、そして患者の治療に当たった医療従事者にも感染者が出ていたのだ。これにより感染者の数は一気に跳ね上がる事となってしまう。
また、この初動の遅れは更に別の所にも波及する。
「沿岸部から来た奴らはすぐさま追い返せ!」
これまで謎の熱病を恐れ、混乱していた民間から、このような声が多数上がったのだ。
この移動手段が発達している現在において、3日もあれば国内のどこにでも行ける。そのため、潜在的なエボラ患者が何処にいるか分かったものではないのだ。そのため内陸部に住む人々を中心に、沿岸部に住む人々への差別及び偏見が一気に拡大していた。
「全員が落ち着いて行動するように」
この事態に、各国政府も慌てて国民をなだめるようにキャンペーンを行ってはいるのだが、こういった感情論から来る偏見は、その程度で落ち着くような代物ではない。それどころか初動が遅れた各国政府への批判が巻き起こると言うまさかの事態に陥ってしまう。
欧州は今、深海棲艦という強大な敵が目の前にいるにも関わらず、同じ人類の手によって危機的な状況の中にあった。
「まったく、どうしてこうなったんだ」
イギリス、テムズ川河口を守る様に作られた鎮守府。その執務室で英国艦娘研究長官であるパーネルは、書類を捌きつつも愚痴をこぼしていた。そんな彼に、秘書艦であるアークロイヤルは、何処か呆れたように小さくため息を吐いた。
「仕方ないだろう。これも安全のためだ」
「普通は隔離するならば病院だろ」
「Admiralはまだ発症してないだろう? それに仕事もある」
「……だからと言って、鎮守府に40日も隔離されるのは辛いぞ」
先のエボラ出血熱を用いたバイオテロは、当然の事ではあるがイギリスでも被害を受けている。ロンドンでの追悼式典を始め、他国と同様、沿岸部各地でもエボラ出血熱の罹患者が出ていた。
パーネルの場合、艦娘と共にロンドンでの戦没者追悼行事に警備人員として参加しており、被害を受けている可能性があったのだ。そのため発症した場合の危険性を考えて隔離措置が取られる事になったのだが、彼の場合は例外的に自身の鎮守府に隔離される事になっていた。これは艦娘には伝染病に罹患する事がないため鎮守府が隔離施設として有用な事、そして鎮守府に居れば英国艦娘研究部と鎮守府としての仕事が出来るので都合が良かった、という理由があったりする。なお娘であり鎮守府に住んでいたアリシアは感染を避けるため、ウォースパイトと護衛数名と共にパーネルの実家に避難している。
「エボラ出血熱の最大潜伏期間は40日。こればかりは仕方ない」
「……病院での隔離なら仕事を休めると思ったんだがな」
「今の状況では、発症していないAdmiralが休むわけにはないだろう?」
「それは解ってるさ」
当然の事ではあるが、他国と同様にイギリスにおいても、テロによる被害は甚大だった。一般人は当然の事、式典に参加していた政府上層部の人間にもエボラ出血熱の発症者が出ているのだ。また式典に参加しており現時点で発症していない者たちも、今回の場合、発症時の周囲への危険性が大きいという事で隔離措置が取られている。そのため政府業務が滞ると言う思わぬ被害も出ていた。
「そう言えば、被害を受けた鎮守府の視察の方はどうだった?」
「昨日は3か所回ったが、業務自体は何とか行っているが、やはり士気の低下が著しいな」
「やはりか」
当然の事であるが、今回のテロでは軍人にも被害が及んでいた。ロンドンの追悼式典にはパーネル以外にも高級軍人も参加していたし、ロンドン意外の地域で行われた式典でも軍の代表として地元の提督が公務として参加していたのだ。そのため彼らもエボラ出血熱が発症したケースが多発していた。
そして特に問題になったのが、提督が罹患したケースだった。
どの式典でも艦娘による警備が敷かれていたとの事であるが、幾ら強力な能力を持つ艦娘であっても目に見えないウイルスの前には無力であった。倒れ伏せる提督を前に、彼女らは無力感を感じずにはいられず、提督への心配も合わさり艦娘たちの士気の低下に繋がっていた。
「Admiralたちの治療はどうなっている?」
「最優先で治療が施されている。特にエース級や海外系は最高クラスだな。軍上層部もこんな事でむざむざと提督を失いたくはない」
「……戦力の損失を恐れてか?」
「言いたいことは分かるが、本質はどうあれ全力で治療が行われている事には変わりないさ」
この状況に当然の事であるが、軍上層部も慌てて政府や医療機関に働きかけて、全力で提督の治療に当たらせていた。何せ提督の死亡=戦力の低下であり、特に過去に政治的策動で獲得できたフランス系やアメリカ系は、本国系提督とは違い補充が効かない存在なのだ。艦娘側からすれば憤る様な理由ではあるものの、提督の損失を恐れている事には変わりなかった。
「罹患して弱っている所を暗殺される可能性はないのか?」
「そこは上層部も警戒して、発症している提督の入院先は軍事機密指定されている。外部からの暗殺はほぼ不可能だな」
「そうか。ならば後は下手人を挙げるだけだな。……目星は付いているのか?」
「あーそれなんだが、若干ややこしい事になっていてな……。不審者の割り出しに手間取っている」
件のテロだが犯行手段は既に判明している。エボラ出血熱が発症した実行犯が式典に潜り込み式典が終わったら高跳びする、という至極単純な方法だ。そのため式典参加者を調べ上げればおのずと実行犯が解る……のだが、問題はその人数である。何せ式典自体は何か所も行われているため、全ての参加者を合わせた場合、イギリスだけで10万人以上になるのだ。これ程の数にもなると、割り出しにも時間が掛かるのが実情であった。
「犯行声明とかはないのか?」
「そっちは犯行声明が幾つも出ている」
「……便乗か」
「自分の組織をアピールするには絶好の機会だからな」
現在の欧州では各国政府や政府の政策に反対し、過激な行動を取るような組織はそれなりの数が有ったりする。有名所で言えば植民地政策に反発し武力でのアフリカ独立を目指す「アフリカ独立連合」や、いわゆる深海棲艦教であり艦娘を敵視している「DeepSea」、深海棲艦出現による混沌とした情勢が続けば約束の地が示される、との教義を持つ過激派ユダヤ教宗派である「カナン派」などがある。
欧州各国に対してテロを起こしそうな組織は幾つもあるのだ。そしてその多くが今回のテロに便乗して犯行声明を出している。
「ふむ。では判明するのは当面先になるのか」
「あーいや。それなんだが、少し変な方向に事が動きそうだぞ?」
「なに?」
首を傾げるアークロイヤル。その様子に、パーネルは曖昧な笑みを浮かべた。
「どうやら我が国の上層部は、相当お怒りのようだ」
各国による捜査が続いている中、今回のバイオテロを受けて欧州各国はベルギーの首都ブリュッセルにて緊急の外相会談が開催されていた。
件のテロが欧州全域での同時多発テロという事もあり、下手人が相応の組織力を保持している事は確実。テロ組織の殲滅のためにも各国間での連携は不可欠なのは、どの国も理解していた。
「では、今回の『ヨーロッパ同時多発テロ』の解決のために、共同捜査を行う事でよろしいですかな」
『異議なし』
「では捜査情報の共有を始めて下さい」
議長の宣言に、出席者全てが頷いた。この宣言と同時に、まるで示し合わせたかのように議場の外で待機していた各国の警察、公安組織の代表団に、各々が現時点で入手している捜査情報が各々に提供される。本来であればまずあり得ない光景であるが、今回の場合、事が事だけに例外的な措置が取られたのだ。
議場外がにわかに騒がしくなる中、議場の中でも外相向けに簡素に纏め上げられた捜査資料が配布され、各国の外相たちは食い入るように読み始める。
「……どこも捜査状況は似たようなものか」
何処か落胆したように、独外相であるランゲはため息を吐いた。その様にフランスのランベール外相は苦笑する。
「仕方あるまい。何せ規模が大きすぎるのだ」
情報の共有がされたとは言え、現時点での捜査の進展は何処も似たり寄ったりであり、テロの実行犯の正体も未だにつかめていない状況であった。一部の捜査資料には沿岸部に集中している事から、反艦娘思想を持った組織であるとの推測もされているのだが、明確な証拠は示されていない。
「幸い自己顕示欲の強い奴らが、自白しているのだ。大方そのどれかだろう」
「何処がやったかは、多少は時間が掛かるだろうがね」
テロと言うのは、自分たちの主張を広く知らしめるための行為なのだ。そのためテロ行為と犯行声明は切り離せない。そのため今回犯行声明を行った組織のどれかが下手人である事は共通認識であった。そのためこのまま捜査を進めれば、多少の時間こそ掛かるだろうがどこの犯行であるかは判明すると考えていた。
だが――、
「おや、皆さん。随分とお優しい」
この場には、そんなどこか楽観的な考えを許さない者が存在していた。議場の全員の視線が発言者に集中する。
「どういう事ですかな、サービン外相」
「なに。今回の事件をある程度簡単に解決出来る方法があります」
サービン外務・英連邦大臣は小さく肩を竦めると、まるで馴染みの料理店で注文するかのような軽さで言った。
「声明を出した組織を全て潰してしまえば良いのですよ」
「……はあ?」
余りにもぶっ飛んだ発言に唖然とするランゲ。そんな彼を気にする事無く、サービンは続ける。
「多少は時間が掛かるでしょうが、疑わしい組織を全て潰してしまえば、最後には解決できます。仮に今回の件と無関係であったとしても、相手は元からテロをするような輩であり、余罪は十分。潰した所で全く問題はありません」
「落ち着けサービン外相。流石にそれはマズい」
このサービンの発言は、司法の原則である「疑わしくは罰せず」を完全に無視した発言なのだ。言い訳の効かないレベルに失言であり、本来であれば他国にとって外交の手札になるような発言なのだが、余りの暴言にランベールも隙を突く事も忘れて制止する。だがそれでもサービンは止まらない。
「構いません、これは当国の国民及び内閣の総意でもあります」
「待て、国民はともかく内閣もだと!?」
「当然ですとも。テロリストは多くの国民の命を奪い、そして人類が一致団結して戦わなければならない相手がいるにも関わらず国家を混乱に陥れた。そして何より――女王陛下を危険に晒したのです。実に許しがたい」
「……ああ、なるほど」
ランゲは英国の暴走の原因を理解した。今回テロの現場の一つとなったロンドンの戦没者追悼式典には首相や党首、軍人など様々な地位の人物が参列していたのだが、その中にはイギリス女王も含まれているのだ。敬愛するイギリス女王が危うくテロの被害に遭う所であった、という事実に国民も内閣も激怒していた。
「さて皆さん」
「……なんだね?」
「これは良い機会です。我が国は各国に、人類を破滅させるような思想を持つ組織の大掃除を提案します」
「……」
「全て消し去るには少々手間は掛かりますが、植民地を荒らすような組織も潰す事も出来ますので、後々には利益に繋がります。皆様には是非とも賛同していただけることを願います」
「……あー、ここでは回答しかねる」
ランゲの言葉は、サービン以外の全員の総意だった。ともかく、各国によるヨーロッパ同時多発テロの共同捜査が始まった。
英国がブチ切れた結果、暴走し始めました。