それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
イベントはE-4の第二ゲージ攻略中。ボス警戒陣とかヤバい……
○ライアン・ハーパー アラスカ州政府職員(当時)
太平洋艦隊の提案した脱出作戦ですが、作戦が立案された当初、州政府はこれに反発しました。当時主導権を持っていたのはアラスカ州政府です。これまで何もしてこなかった穀潰しが、突然しゃしゃり出てきて主導権を渡せと言うのは、州政府としても納得出来ない事でした。ええ、傍目から見れば、アメリカ大陸からの脱出で目的は一緒なのに、何をやっているんだ、と言われかねない話ですがね。
とはいえ政府側も脱出の際には護衛が必要なのは理解していました。だから作戦に便乗しつつ改めて主導権を取るため、ついでに計画の詳細を詰めるために、州知事を始めとした州の上層部は艦隊司令官のミラー大佐からの提案により、アンカレッジ市庁舎に招かれ会談に臨みました。
話し合いの結果ですか? ハッキリ言って、終始対立状態でしたね。主導権については両者とも一歩も引かず、最後には怒鳴り合いになりましたよ。で、一度空気を換えるために脱出作戦の詳細を詰める事になったのですが、護衛船団を組む事に関しては同意出来たのですが、それ以外でまた食い違いが起きていました。
州政府が主張したのは、現時点である程度船が集まっているので、深海棲艦が来る前に直ぐにでも船団を形成して出港する、というものでした。……当時政府側の人間だった私が言うのも変な話でしたが、政府側――州政府上層部は自分が生き残りたいのが見え見えでしたね。とはいえ内容自体は頷けるものもあります。この会談が行われた2020年5月24日の時点で、カナダはまだ生き残っていましたが、太平洋と大西洋それに元アメリカ合衆国本土から深海棲艦の攻撃を受けており、近い内に陥落するのは目に見えていました。深海棲艦の目がカナダに向いている内に逃げるべきだという主張は、正論とも言えるでしょう。
対する太平洋艦隊ですが、こちらは出来る限りの人を船に乗せてから脱出すると主張していました。こちらは一人でも多くの人間を救おうという軍人の鏡みたいな主張ですね。ただこの案では道中で深海棲艦に襲撃されるのは当然として、カナダを平らげた敵に捕捉され全滅する可能性も秘めていました。
私は会談を部屋の隅で拝見していましたが、正直呆れましたね。命の危機にも関わらず、この期に及んで連携が出来ないですからね。で、この状況ですが、どうやら州知事は大分いらだっていた様です。しびれを切らして、「今からでも貴様らの艦隊を接収しても良いんだぞ」って州軍を使って脅し始めたんですよ。
この発言に我々州政府職員も会談に参加していた政治家も慌てました。州政府内での事前の打ち合わせでは州軍なんて言葉は、欠片も出てきませんでしたからね。しかしミラー大佐とその脇を固める艦隊側の人たちは、我々と違い涼しい顔をしていました。
ミラー大佐は凄む州知事をまるで無視して無線機で何処かに連絡を取ると、我々に窓の外を見るように言ったんです。
訳が分からず、私もそちらを見たのですが――ええ、一発で意味を理解できましたよ。そこからはアンカレッジ港に停泊している4隻の駆逐艦が見えたのですが、ミサイルランチャーや艦砲が全て我々に向けられていたんですよ。
「ここで私ごと君たち州政府要人を全滅させれば、州政府の機能は停止するだろうな。我々はその後釜に着かせてもらおう」
ミラー大佐はそんな事を言ってきましたよ。今考えても、大分滅茶苦茶な事を言ってきたモノです。
もっとも効果は絶大でした。州知事含めて政府側全員が顔を真っ青にさせていましたからね。州知事が冷や汗をかきながらも、ハッタリだと叫びましたが、次の瞬間外から轟音が響きましたよ。
「今回は空砲だが、次は実弾だ。私と一緒に死ぬか、我々の傘下に入るか。今すぐ決めろ」
ええ、結局これで州知事も心が折れました。ええ、会談に臨んだ時から我々は既に詰んでいたんです。結局脱出作戦についての指揮は、全て太平洋艦隊が掌握する事が決定しました。
○マーク・ショー 貨物船船長(当時)
当時、私が乗っていた船はジュノーの港に停泊していました。州政府の指示に従い、避難民搭乗は完了しており、後はロシアに出港するだけでした。
当時の様子ですか? 避難民も我々船乗りも悲壮感がありましたね。民間船が単艦で太平洋に乗り出して、無事にロシアまで辿り着ける確率は低かったですからね。このままアメリカ大陸に残る訳にはいかない事は理解していても、死が目の前に迫っている状況じゃあ、士気なんて上がる訳がありませんでした。
そんな状況の中、いざ出港しようとした所でした。急に州政府から連絡が入ったんです。
「ジュノー港に停泊する全船に通達。出港許可は取り消された。全船はそのまま待機されたし」
突然の通達で呆気に取られましたね。まさかこの後に及んで、出港できないなんて思いもしませんでしたから。情報収集をするために各船と連絡を取り合っていたのですが、誰も事情を知りませんでした。お蔭で避難民への説明に苦労しましたよ。
待機命令から2日過ぎた正午頃ですかね。またジュノー港の全ての船に通信が入ったんです。
「こちら太平洋艦隊所属駆逐艦バーナード。これより貴船らのエスコートを行う」
この通信と共に北から海軍の駆逐艦が二隻やって来るのが見えて、皆大喜びしましたね。やはり多少なりとも深海棲艦に対抗できる存在が自分たちの側にいるというのは、安心感が違います。
その後ですか? 実の所直ぐに出港、と言う訳にはいきませんでした。皆、直ぐにでも出港したがっていましたが、太平洋艦隊の人たちは、スケジュールの調整をするといって、聴きませんでした。
結局、出港できたのは5月30日の早朝になりましたね。ええ、ジュノーにいた全ての船が出港したしたよ。どの船も避難民で満員です。後で聞いた話ですが、太平洋艦隊の人たちは一人でも多くの避難民を乗せられるように動いていたらしいですね。一部の船には富裕層の人間が持ち出そうとしていた荷物があったらしいですが、銃を突きつけてそれを捨てさせて、空いたスペースに避難民を詰め込んでいたらしいですよ?
ジュノーから出港した避難船団ですが、そのまま北上していきました。とはいえアンカレッジに行くわけではありません。海上でアンカレッジの避難船団と合流する事になりました。
――あの時の光景は今でも覚えていますよ。アンカレッジの船団と合流した時点で多くの船がひしめき合っていました。船の種類も貨物船や旅客船は当然として、タンカーやクルーズ船、果てには漁船すらありましたからね。
しかもアラスカ半島に沿って進むに従って、船団の規模はどんどん大きくなっていきましたよ。半島南沿岸部の各港から出てきた船を引き入れていったんですよ。最終的には見渡す限り船だらけなんて光景になっていましたよ。
……アラスカ半島以北ですか? 船団はそちらには行っていませんね。何でもダッチハーバーに小規模ながらも深海棲艦の拠点があるせいで、これ以上北上する事は出来なかったそうです。……彼らは深海棲艦がひしめく中を独力で渡らなければならなかったそうです。彼らの事を思うと、我々は船団を組めた上に護衛すらいたんですから、非常に幸運だったんですよ。
○ジム・ウェーバー 補給艦「リチャード・マクリーン」艦長(当時)
ダッチハーバーに小規模ながらも深海棲艦の拠点がある以上、そこに近づくのは自殺行為でしかない。艦娘がいた頃ならともかく、当時の我々に残っていた戦力は駆逐艦4隻しか残っていなかったからな。ただ燃料を少しでも節約するために、アラスカ半島沿いに西に流れるアラスカ海流を利用する必要があった事もあり、避難船団は当初ダッチハーバーから南に逃れつつも海流に乗れるギリギリの航路を進んでいたんだ。
道中、我々太平洋艦隊は四方八方に艦載ヘリを飛ばして警戒を続けていた。一隻、いや敵の偵察機一機でも見逃せば、敵は群がって来る事は目に見えていたからな。駆逐艦「バーナード」「ロックウェル」「ジェイソン・ルーカス」、補給艦「リチャード・マクリーン」「アメリア・ペリー」。これらの艦に載せていたヘリを使い、パイロットの負担を承知の上で、出来る限り厳重な警戒網を敷いていた。「デューイ」か? あの艦は艦載ヘリを載せていないし、だからと言って通信能力も高い訳ではないから、水上警戒だけはさせられていたよ。
その甲斐もあって船団形成から初日は平穏無事に終わったよ。だが問題は2日目だった。ああ、そうだ。深海棲艦と遭遇しちまった。前方を警戒していた艦載ヘリが敵艦隊を見つけたんだ。規模は軽巡1駆逐5の小規模水雷戦隊。距離はそれなりにあったが、相対速度的にかち合う事は確実だった。避難船団は規模が大きいし連携だって取れる訳がなかったから、あの時点で迂回する暇は無かった。
司令官だったミラー大佐の指示で、太平洋艦隊は敵艦隊を撃破する事になったよ。戦闘内容は省略するぞ。駆逐艦が4隻もあれば、深海棲艦の水雷戦隊なんて完封出来るからな。
この戦闘で完全勝利した時には、避難船からは大歓声が上がったよ。あいつ等からすれば圧倒的な勝利だからな。だが俺たち太平洋艦隊の面々は、対照的にお通夜状態だ。奴らは下手人を探すために何かしら手を打ってくる事は目に見えていた。
この状況を鑑みて、船団の予定航路を変更する事になったよ。航路を更に南にとることになったんだ。その航路はアメリカ大陸に向かっていく亜寒帯海流があって余計に燃料を喰われるし、最悪船団から脱落する船が出かねない様なものだった。しかしこのまま進んだ場合、更に深海棲艦と遭遇する可能性が高い以上、これしか手は無かったんだ。
この急な航路変更だが、大正解だったよ。後のロシアの偵察衛星の情報で知った事だったが、予定航路上に数十隻規模の深海棲艦の艦隊が網を張っていたんだ。あのまま進んでいたら、避難船団は確実に全滅していたな。
○アイリーン・ブラウン 避難民(当時)
当時の事ですか? 当時私は家族と一緒に旅客船に乗っていました。それだけ聞くと旅行に聞こえますが、実態は当然違いますよ? 私の場合は、家族四人がギリギリ横になれる程度の部屋に押し込まれていましたし、船の中を散歩しようにも船の施設だけじゃなくて廊下にすら避難民用のマットが敷かれていましたから、とても出歩く事なんて出来ません。だから当時はずっと窓から外を見て過ごしていたんです。
……あの時の事ですか? あそこで見た光景は一生忘れられません。
あれはダッチハーバーに最も接近していた時でした。いつもの様に私は窓から外を見ていたのですが、急に船内放送が流れてきたんです。
「空襲警報が発令されました。船外にいる皆様は直ぐに船内に避難して下さい」
そんな放送と同時に外が騒がしくなった事は何となく覚えています。多分廊下の人たちが放送について何か言っていたのだと思います。ええ私は直接は見ていませんよ? 当時の私は窓の外に釘点けでしたから。
私が乗っていた船は船団でも外側寄りにいたので、護衛の海軍の軍艦が良く見えていたのですが、放送が始まったと同時に北の空に向かってミサイルを何発も撃ち始めたんです。ミサイルの行き先にあったのは真っ黒い雲の様な何かでした。火の球が幾つも立ち昇る中、その雲は小さくなりながらもこちらに向かってきたんです。ええ、その通りです。あれは深海棲艦が使う飛行機の群れでした。
海軍の軍艦たちは、船団に近づけまいと攻撃していました。ミサイルを撃って、大砲を撃って、マシンガンを撃って……。必死だったのが良く分かりました。でもそんな努力も虚しく、深海棲艦の飛行機は私たちの上空まで辿り着いてしまいました。
……後はどうなったかは、有名な話ですからあなたも知っていますよね。
ある船は落とされた爆弾で木っ端みじんにされ、魚雷ですっけ? それで船を真っ二つにされ、飛行機に付いている銃で穴だらけにされ……。壊れた船から海に投げ出された人もいましたが、助ける事は出来ませんでした。あそこで止まれば次に襲われるのは自分です。だから私たちはあの人たちを見捨てる事しか出来ませんでした。
……あの空襲でどれだけの人が亡くなったのかは、分かりません。でも沢山の人が亡くなった事だけは確かです。
○クレイ・ハリソン 「アメリア・ペリー」艦載ヘリパイロット(当時)
ダッチハーバー近海での空襲は何とかやり過ごしましたが、船団はボロボロでした。多くの避難船は沈みましたし、沈まなかったものの銃撃を受けて損傷を受けた船はたくさんありました。
しかし一番不味かったのは、駆逐艦ジェイソン・ルーカスがあの空襲で沈んでしまった事でした。客船への雷撃の盾となり被雷、乗員は脱出する暇もなく沈んでしまったそうです。
ともかくミラー司令官は、この状況を見て船団が出せる最大速度で、ロシア領に逃げ込むとの命令を出しました。
「完全に我々の存在が奴らにバレた。直ぐに艦隊を差し向けて来るぞ。その前に逃げるしかない」
この司令官の言葉に、幕僚たちも一も二も無く賛同したそうです。空襲なら人類の兵器でそれなり以上に対抗出来ますが、艦隊戦となると我々は圧倒的に不利ですからね。
こうして方針こそ決まったのですが、この命令は中々に無茶がありました。船団は高速性のある貨物船だけでなく、足の遅い大型タンカー、果てには漁船すら混ざっているのです。船団を構成している以上彼らを見捨てる訳にはいきませんし、最大速度といってもそこまで速力が上がる訳ではありません。また速度を上げるとなると、機関の不調などで脱落する船も発生する危険性を孕んでいました。
結果ですか? やはり速度は余り上がりませんでしたが、脱落した船はありませんでしたよ。……正確には脱落する船の問題が起きる前に、最悪の事態が起きてしまったのでそれどころじゃなくなったのですがね。
ダッチハーバーからの空襲の翌日の夕方。偵察に出していた艦載ヘリから通信が入りました。
「船団後方より、重巡4隻を中心とした18隻規模の艦隊が接近中」
方角から考えて、ダッチハーバーから出撃した艦隊だったのでしょう。この通報を受けて、太平洋艦隊は残存している全戦力を持って迎撃する事になりました。
絶望的な戦力差、ですか。ええ、そうでしょうね。敵の駆逐、軽巡クラスなら通常兵器でも対処出来ますが、重巡となると装甲が厚く、主兵装であるミサイルでは効果が薄いのです。しかもそんな相手が4隻もいるのです。普通だったらたった3隻の駆逐艦では止められるはずがありません。
しかし、あの時の我々には普通ではあり得ない装備を持った艦がいました。ええ、レールガンを装備している「デューイ」です。
軽巡クラスを容易に屠ったあの艦ならば、重巡が相手であろうと痛打を浴びせられると、皆考えていたんです。ですから、太平洋艦隊の士気は高かったですね。
重巡を先頭に単縦陣で突撃して来る深海棲艦に対して、太平洋艦隊は「バーナード」「ロックウェル」を前衛に出し、その後方に「デューイ」を置く形で迎撃を試みました。レールガンが失われれば敗北は確定ですので、デューイだけは何としてでも守り抜く必要があったのです。
こうして始まった海戦ですが、やはりネックとなったのは4隻の重巡でした。デューイのレールガンは確かに敵重巡に打撃を与えられたのですが、そう易々と沈める事が出来ませんでした。敵の攻撃レンジに入る前に何とか重巡2隻を撃破したものの、前衛が砲撃戦に持ち込まれました。
その時印象深かったのは、深海棲艦の動きですね。敵もデューイを排除しなければならない事は分かっているのか、生き残っていた重巡が前衛を無視してデューイに迫ろうとしていたんですよ。この動きに対してバーナードとロックウェルはそれを阻止しようと奮闘していました。
この戦いですが、最終的に太平洋艦隊は重巡4、軽巡2、駆逐7を撃破し、敵が撤退した事で海戦は終わりました。主目的である「敵の撃退」「避難船の安全の確保」共に達成しましたので、太平洋艦隊の勝利です。
しかしこの勝利の代償もまた大きい物でした。太平洋艦隊の旗艦であったバーナードは集中打を浴びた事で司令官及び多くのクルーと共に轟沈、ロックウェルも雷撃を受けたために、退艦命令が出されました。
この時をもって、デューイはアメリカ太平洋艦隊最後の駆逐艦となったのです。
○ライリー・コックス タンカー船長(当時)
デューイに率いられて航海を続けていた時は、正直な話、不安しかなかった。あん? そりゃあ、護衛してくれるのは有り難いが、一隻しか残っていないんだぞ? あの海戦以来、幾度か規模の小さい空襲を受けていて、デューイも奮闘していたが、空襲の度に船団に被害が出ていた。空襲か、深海棲艦の殴り込みかは分からんが、次に本格的に襲われれば、今度こそ船団が全滅するのは目に見えていた。
だからな。何とかロシアの排他的経済水域まで逃げ込めた時は、皆歓声を挙げたもんだ。これで助かるってな。避難民の中じゃあロシアの艦隊が保護しに来てくれるって噂すらあって、大半の奴がそれを信じていたんだ。
だがロシアの排他的経済水域に入ってから、1時間待っても、2時間待っても、丸一日経ってもロシアからの迎えが来ることは無かったんだ。
ああ、そうさ。世の中、そんな都合の良い事なんてあるはずがない。少し考えれば分かる事だ。ロシアにとって避難民なんてただの極潰しでしかない。そんな奴らを積極的に迎え入れようなんて博愛精神を、あいつ等が持っているはずがなかったんだ。
その事に難民たちが気付いた時の様子は、見ていられなかったぜ。つい昨日まで大喜びしていた奴らが、今じゃ死んだような目で黙りこくっちまったんだからな。
しかも悪い事は続くってもんだ。昼頃にデューイから通信が入ったんだ。「敵の追手が迫っている」ってな。詳しく聞けば敵は24隻、しかも戦艦や空母すらいるって話だ。デューイだけじゃあ、どんな奇跡が起きたって勝てやしねぇ相手だ。
だがな、船団の最後方を進んでいたデューイは反転したんだ。ああ、あいつらは俺たちを逃がすために、敵に立ち向かっていった。……道中で沈んだ連中といい、デューイといい、合衆国なんて滅んじまったのにここまでやるんだから、立派なもんさ。
デューイがどんな戦いをしたかは解らねぇ。ただデューイが反転して暫く経ってから遠くに噴煙が立ち昇ったのが見えただけだ。ただ少なくともデューイが負けた事だけは嫌でも理解出来たな。
○アラン・クラーク 駆逐艦「デューイ」艦長(当時)
なんで生きてるんだって? そら、助けられたからな、艦娘に。
最後の海戦は見事なまでにボロ負けだったな。主力艦の撃破は諦めて、一隻でも多く倒そうと補助艦艇に狙ったんだが、これまでの無茶が祟って途中でレールガンがぶっ壊れちまったんだ。仕方ないから残ってたミサイルを使って戦ってたが、そんなもんで何とかなるはずもなく、直ぐに大破しちまった。
そこに躍り出たのが、艦娘たちが繰り出したF4F、ドーントレス、デバステーターの大軍さ。あっという間に航空優勢を獲って、教科書に載せられるような艦爆、艦攻による同時攻撃で、戦艦、空母、補助艦艇と次々と撃破していったんだ。んで、生き残った深海棲艦も泡を喰って逃げていったよ。
これには俺を含めて全員が呆気に取られてたが、暫くしたら艦娘がやって来たんだ。アメリカ系で――俺も良く知ってる部隊章を付けていた。コイツらはアメリカ太平洋艦隊に所属していた艦娘だったんだ。
まさかこんな所で、アメリカを見捨てた艦娘たちに助けられるとは思っても見なくてな。思わず理由を訊いたんだ。
「アメリカは信用出来なかったし、する気も無かった。でも、あなた達ならば信用できる」
そんな答えが返ってきたよ。
その後か? 沈んだデューイに代わって、艦娘たちが船団の護衛に着き、そのままロシアに行く事になった。道中はあいつ等も諦めたのか平穏そのもの。2日後にはロシアに辿り着いた。こうしてダンケルク作戦は軍民ともに多数の被害者を出しつつも成功した。
……被害者の正確な人数か。ハッキリ言って、俺にも分からん。どの船にどれだけの人間が乗っていたかなんて、それどころかどんな船が何隻船団に編入されたかすら分からない。あの時のアンカレッジでは、そんな事を記録する暇なんて無かったんだよ。……少なくとも何万もの人間があの海で死んだことだけは分かっている。
話を戻すぞ。ロシアに着いてからが、何気に大変だったな。当時の太平洋艦隊司令官は俺だったから、避難民関連でロシアの役人相手に色々とやり合う事になっちまった。海にいた方がよっぽど気が楽だったぜ。
全部が終わった後なんだが、俺を含めたデューイの生き残りは、日本に行く事にしたんだ。理由? そりゃあ、良い仕事に就くためだ。俺たちには自衛隊に在日米軍時代のツテがあるからな。それに俺たちはレールガン運用や実践で得られた戦訓を持っている。お蔭で俺たち全員、見事に防衛省に就職出来た。
当然、今でもアメリカ系艦娘との交流はあるぜ。むしろ仕事が艦娘関連がメインだ。艦娘も提督も、異国の地で苦労する事があるからな。それを俺たち元在日米軍の人間がフォローしているんだ。
日本系? ああ、今でも横須賀の連中と交流があるな。日本に来てから会いに行ったら、全員幽霊を見た様な反応が返って来たぞ。気持ちは分かるけどな。
おっと、そろそろ時間だ。最後に何か訊きたいことはあるか? ……デューイについてか。
「レールガン実験艦」「アメリカ海軍最後の駆逐艦」「通常艦艇による深海棲艦最多撃破数保持艦艇」。色々言われちゃいるが、俺たちデューイのクルーにとっては、そうだな……、「手間のかかるが、自慢の娘」といった所か。
言っちゃなんだが、実験艦になって以来、艦のトラブルが頻発して俺たちは相当苦労したからな。最初の頃なんて主砲を撃とうとしたら、艦の電気が落ちた事もあったからな?
そんなじゃじゃ馬が、最後の最後まで戦ってくれたんだ。自慢したくなるのも当然だろ?
こんなタイトル付けてるのに、デューイ関連が少なくなってしまった……。