それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
トルストイ大佐が祈る様に呟いているのと同時刻、ミサイル護衛艦「あたご」の艦橋にて初老にしては目立つ白髪が特徴の男――日露特別演習派遣部隊指揮官、佐々木一等海佐は、目を細めながら日露両艦娘部隊の演習を眺めていた。
「……練度がかなり高い。やはりあの国は侮れませんね」
戦艦艦娘こそ保有しているが空母艦娘を持たない艦娘中堅国であり、深海棲艦大戦においては戦局に余り関わる事が少ないロシアであるが、前線で戦い続けている艦娘部隊の動きは洗練されていた。
特に目を見張ったのが、航空優勢が制限されている中での戦いだ。ロシアでは日本と違い航空優勢の争いに基地航空隊にしか頼れないために、航空優勢を奪取された状態での海戦が頻発している。その様な環境下だからこそ、限定条件下での戦闘のノウハウが蓄積されているのだ。
「まったく、つくづくロシアとは戦いたくないものです」
佐々木の呟きは多くの自衛官が頷く物であった。
現在の日本は深海棲艦を相手に二つの戦線を抱えている。一つはハワイ方面から押し寄せる敵を本土近海で食い止めている太平洋戦線、もう一つは新領土であるフィリピン、台湾に敷かれている東南アジア戦線だ。特に太平洋戦線はアメリカが陥落して以降は攻勢が強まっており、各鎮守府が苦労している。
そんな常時深海棲艦の攻勢に悩まされている日本だが、対するロシアは長大な沿岸部を持つにも関わらず大した戦線を抱えていないのだ。ロシア領の北にある北極圏は深海棲艦の活動が殆どないし、西のバレンツ海は多少の圧力こそあるがヨーロッパやスカンジナビア各国が盾になっているため大規模攻勢に晒される事が無い。東の太平洋方面はロシアきっての激戦区ではあるものの、深海棲艦は日本への攻勢に力を入れており、日本ほどの圧力はない。そしてバルト海や黒海は地理的に深海棲艦が出現する事自体が稀であるし、カスピ海に至っては深海棲艦が出現する事はまずあり得ない。
つまり今のロシアは表面上こそ日本と同じく戦線を二つ抱えているが、内実は日本よりも他所への攻勢のための戦力を捻出できる余裕があるのだ。仮に日露による戦争が勃発すれば、緒戦の海戦で数的不利を強いられる可能性は十分あった。仮に海戦で敗北し本土決戦となればロシアの圧倒的な陸上戦力に押しつぶされる事になるだろう。
もっとも艦娘戦力については、質の差は大きい事には変わりない。海上ならばロシアの攻勢を凌ぎ切れるとされている。そのため早々に日本が追い詰められる事は無いだろう。
だが問題は長期戦となった場合だ。
「一年間なら存分に暴れて見せるがそれ以降となれば分からない、か……。何処かで聞いた事があるセリフですね、これ」
消耗戦で有利なのはロシアだ。自国内では多くの資源がされる上に、ヨーロッパ方面との交易も可能であり、物資不足で困窮する事はまずないだろう。対する日本はもしもの時に備えて物資及び各種戦略資源を大量に貯蓄しているものの、それらを補給する術は殆どない。フィリピンを獲得した事でマシになったとは言われているが、全てを賄うには全く足りないのだ。長期戦になれば最終的に押し切られるのが目に見えていた。
そうなるとロシアとの戦いは短期間で決着を着けなければならないのだが、こちらもいささか難しい。ロシアの継戦能力を削ぐためにも軍事基地及び補給拠点の破壊をする必要があるのだが、相手は広大な領土を持つロシアなのだ。極東ロシアの沿岸部だけならともかく、シベリア中部及びヨーロッパロシアへ攻撃する手段がない。シベリアを始めロシア本土を進撃する手もあるが、陸軍戦力の乏しい日本では荷が重すぎる。勿論艦娘戦力を転用すれば進撃は可能だろうが、敵が限界に達する前に日本が攻勢限界に達する方が早いだろう。
また正面戦力以外についても、問題が付きまとっている。
「艦娘戦力がいくらあっても、流石に核はどうしようも……」
深海棲艦に効果が薄い事から、ロシアも核兵器の削減を行っているが、それでも未だに3桁の核を保有していると言われている。日本もイージス艦を始めとした弾頭弾の迎撃手段を保有しているが、飽和攻撃をされれば流石に防ぎきれないだろう。日本に亡命して来たアメリカの戦略原子力潜水艦に搭載されていた核を秘密裏に保有しているとの噂もあるが、一自衛官でしかない佐々木にそれが事実であるかどうかなど確認する術はない。
ロシアと戦えば、最終的に日本は負ける。何としてでもロシアと戦争になるような事態は避けなければならない。
幸いな事に政府もこのような考えを持っており、ロシアとの友好関係を続けていく外交方針が取られている。
だが同時に、政府内に一定レベルでのロシアを警戒もしていた。
『国家に永遠の友人はいない。あるのは永遠の国益だけである』
これは国家運営における金言であるが、特にロシアはこの言葉を忠実に実行する傾向がある。今でこそ平和条約を結び、健全な経済交流によって両国は友好関係を維持しているが、自国にとって優位であるならば、そして日本が隙を見せれば、彼の国は平然と条約破りをするだろう。この考えは政府上層部の共通認識だ。
また彼らの考えを更に確固たるものとした出来事もあった。
2020年に日本がフィリピン、台湾を編入して少しした後、ロシアのある野党政党党首がとんでもない主張を展開し始めた。
「このまま行けば日本は肥大化し続け、そして暴走するだろう! そうなる前に我が国が手綱を握らなければならない!」
日本からすれば噴飯物の主張であるが、非常に厄介な事にロシアには日本をコントロール下におけるような手札があった。
現在の日本において、生き残っている国、つまりヨーロッパと貿易をして物資をやり取りするにはロシア領土内を通過する以外に方法はない。これはつまりロシアはやろうと思えば、この貿易を物理的に遮断できる。また各種戦略資源についても日本はロシアから大量に輸入しているのが現状だ。輸出量、いや資源の値段を少し上げるだけでも日本に大きなダメージを与える事が出来る。
つまる所、ロシアは日本の生命線を握っているのだ。
なお、この野党党首の発言に対してロシア政府は、
「日本に干渉する気はない」
との公式発表が行われている。またそれだけでは信用されない可能性があるとして、ダメ押しでロシア外務省が駐露日本大使を呼び出し、日本と協力を続けていく事を公言までしていた。ロシア政府からすれば、太平洋の深海棲艦を一手に引き受けている日本を弱らせるなど百害あって一利なしなのだ。公式発表も日本大使への公言も、嘘偽りのない本音であった。
だが頭の痛い事に、この野党党首の主張は無視が出来ない規模のロシア国民に大いに受けていたりする。何せ自分たちの手元には、強力な軍事力と世界一位の経済力を持つ国の手綱があるのだ。この手綱を上手く使えば、ロシアは更に強く、豊かになれる。それどころか世界のトップとなる事も夢ではないのだ。このバラ色の未来予想図に多くの国民が飛びついていた。
この一連のロシア国内情勢を、日本政府及び国会の面々は顔を顰めるしかなかった。
「今の政権が協調路線なのは分かったが、問題はその次だな……」
今でこそノーヴァ政権の強権によって抑え込んでいる様であるが、次期政権も同様の路線が続くとは限らない。国民の声を無視し切れず日本に圧力を掛けて来る可能性は十分あった。
そのため日本政府関係者は、どうしてもロシアに警戒感を拭いきれないでいた。現在行われている、各種兵器の開発やフィリピン開拓の加速、ボルネオ島攻略の前哨戦である海南島攻略計画の立案といった各種政策は、対深海棲艦や日本の発展だけでなく、対ロシアを意識している面もあった。また外交面でもロシアとの友好関係が継続される様に、努力が続けられているという。
「これからも平和が続けばいいのですが……」
上陸演習を終え帰還して来る艦娘たちを眺めながら、佐々木は祈る様に呟いた。
地球の裏側で日露両国の艦娘部隊による演習が行われている頃、イギリスの外務・英連邦省庁舎の大臣執務室では、サービン外相は部下からもたらされた資料を読み終え、そして頭痛を覚えていた。
「あの二国は何をやっているのだろうか……」
資料には、日本とロシアの両国に駐在する英大使館が合法レベルの範囲で調べ上げた日露のお互いの国に対する世論や外交方針、そしてそれらの情報を元に有識者が両国関係の今後の予想が書かれているのだが――その内容は、第三国からすれば呆れたくなるようなものだった。
「お互いがお互いに怯えている、か。見事に拗らせているな……」
サービンは顔が引きつるのを自覚しつつ、ため息交じりに呟いた。
ロシアからすれば日本は経済的にも軍事的にも強大な隣国であり、それだけでも脅威であるのは良く分かる。また先のロシア野党政党党首の主張――日本制御論が国民に一定の割合で受けているのは、日本がロシアに経済進出を続けている面も大きい。勿論これは経済的な恩恵があるのでロシア政府的には問題は無いのだが、一部の国民からすれば他国の企業が自国で大きな顔をするのは面白くない。そんな人々が日本制御論に飛びつく傾向が強かった。
そして日本からすれば、ロシアは隙を見せれば銃を向けかねない条約破り上等な国であり、そして日本のネックとなる戦略資源や欧州との交易路を握っているのだ。そんな弱点を握っている国を警戒しない筈がない。ロシア世論に日本制御論が出始めたのだから尚更だ。
成る程、両者の言い分は分からなくもない。両国とも表面上こそ友好を叫んでいるが、その裏側で相手を警戒する事は、ある種国家として健全なのだろう。――深海棲艦を相手に生存競争の真っ最中でなければ。
「最悪の場合、人類滅亡は洒落にならんぞ……」
資料にあった有識者による今後の日露関係は、今後も現在の様な関係が続く可能性が高いとされているものの、同時に確率こそ低いが両国が対立関係になりかねない、との警告もされていた。
特に危ういのはロシアだ。現政権は日本との友好を掲げているが、政権交代後の大統領が件の野党党首、若しくはそれに近いしい者であった場合、日本に対抗するためにも戦略資源やヨーロッパとの交易路の封鎖といった危険な手段を採りかねない。
そんな事をすれば、確実に碌な事にはならないだろう。
手綱と思い込んでいるモノは、実態は日本の虎の尾なのだ。迂闊に手を付けようものなら、激怒した日本が確実に報復してくる。
少なくとも経済による攻撃は確実に行われるし、最悪の場合はそれこそロシアが恐れていた日本の軍事攻撃――それこそかつての太平洋戦争の様な国運を賭けた全面戦争を仕掛けて来るだろう。
そして仮に戦争になればどちらが勝つのかは意見が分かれるものの、日露両国が国力的にも軍事力的にも消耗するのは確実。それをチャンスと見た太平洋の深海棲艦が、一挙に雪崩れ込んで来るだろう。そうなれば両者共倒れ。太平洋は目出度く深海棲艦の庭となり、対する人類は更に狭まった自身の領域で更なる苦戦を強いられる。
「何としてでもそれだけは回避しなくては……」
人類の更なる危機は、流石に勘弁である。場合によっては第三国が仲裁しなければならないだろう。ただしその場合、仲裁をするのはイギリスが担当する事になるだろうが。EUの盟主であり、強大な軍事力を持つイギリスを両国とも無視は出来ないはずだ。
正直、他国のいざこざに何でイギリスが首を突っ込まなきゃらないんだ、と嘆きたくなるが、放置したら巡り巡ってイギリス、ひいては人類全体に害が及んでしまう。もしもの時は介入しなければならない。
「頼むから、友好を続けてくれ。本当に」
サービンは嘘偽りも無く、祈る様に呟いた。
イギリス、完全にとばっちり……。