それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
12月25日。チャゴス諸島拠点からの深海棲艦の大規模艦隊が出撃したと言う情報が、ヨーロッパに飛び込んできた。これをスエズ運河への攻撃と見たヨーロッパ各国は、事前の予定通りスエズに集結させていた欧州艦隊の出撃が決定された。
海戦の主役である艦娘は約800人。主力は艦娘戦力の規模の大きさからイギリスが中心で、ドイツ、イタリアを始めとした艦娘保有国各国がその脇を固めている。戦力の要となるのは、イギリス戦艦艦娘のネルソン級とアークロイヤルを始めとしたイギリス空母艦娘であった。欧州艦隊参加国ではイギリスしか有していない16インチ砲搭載艦、そして艦載機に「若干の」不安があるとはいえヨーロッパで唯一の複数の空母艦娘を有する空母機動部隊だ。戦力の中心となるのは当然の事であった。
また欧州艦隊には通常兵器も編成されている。各国で生き残っていた駆逐艦やフリゲートが多数参加しているが、最も目立つのは艦隊旗艦であるフランス海軍の原子力空母シャルル・ド・ゴールだ。対深海棲艦戦初期から幾度となく参戦しているため船体にダメージが蓄積している上に、フランスの混乱期にはロクな整備が受けられなかったという事情があったため、本来ならこの空母を出す予定は無かった。しかしEU各国からフランス政府への「強い要請」により派遣される事になったと言う背景があった。とは言え現場からすれば空母と言う強力な戦力があると言う事実は、艦隊の人員に安心感を与えており、将兵たちのフランスに対する好感度の向上に役立っていた。また今回の迎撃に際して各国の空軍機も参加しており、不安のある艦娘の航空戦力のフォロー、というより航空優勢を勝ち取る任務を受け持っていた。
欧州艦隊はアラビア海のソコトラ島沖を決戦の地として展開、迫り来る深海棲艦を待ち受けていた。
12月29日早朝。シャルル・ド・ゴールから発艦したラファールMが、深海棲艦航空機隊が衝突、同時に約300隻からなる威力偵察と思われる深海棲艦艦隊を補足した。これにより、後に「アラビア海海戦」と呼ばれる海戦が始まった。
「圧倒的だな」
今回編成された欧州艦隊の司令官であるフィリップス中将は満足げに頷いた。それにスターク参謀長は肩を竦めた。
「戦力差がありすぎます。これでは負ける方が難しいでしょう」
海戦が始まってから数時間経過したが、戦局は欧州艦隊が終始圧倒していた。深海棲艦艦隊から発艦した航空機群は、ラファールMやトーネード、タイフーンといった航空機、そして水上艦隊から発射された対空ミサイルによって早々に壊滅したため、欧州艦隊が航空優勢を獲得。水上でも一部で姫級を始めとした個艦では艦娘を上回る戦力を持つ深海棲艦が含まれていたものの、二倍以上の数を活かし容易に撃破していた。通常兵器により敵航空機を殲滅、その後艦娘の航空機と戦艦艦娘を中心とした水上艦による敵を撃破するという、人類と艦娘の必勝法がこのアラビア海でも繰り広げられていた。
《こちらドイツ第11打撃艦隊。敵の戦艦部隊を撃破した。これより前進する》
《イギリス第26水雷戦隊よりシャルル・ド・ゴール。敵を多数撃破するも弾薬が底を着きそうだ。後退の許可を求める》
《イタリア第3打撃艦隊だ! 駆逐棲姫を撃破! 残党の掃討を行う!》
《こちらイギリス第5機動艦隊。残存していた敵の航空機はおおよそ撃墜出来ました。このまま防空任務に入ります》
次々に艦娘艦隊から旗艦に報告が飛び込んで来る。そのどれもが敵の撃破や撃退と言った良いニュースばかりだ。
しかし一見上手く行っているように見える欧州艦隊だが、問題がない訳ではなかった。
「連携の方はどうだ?」
「通常戦力の方は問題ありません。近年は大規模演習を行ってはいませんでしたがNATOとして情報を共有していたため、これと言ったトラブルは発生していません。しかし――」
「問題は艦娘の方か……」
「やはり各国の連携が上手く行っていません。一部では艦娘同士のトラブルも見られているようです」
「やはりか」
複数の国の艦娘が連携して深海棲艦と戦う事は、今回が初めての事であった。本来ならスエズに駐留する間に交流や共同訓練によって連携を深める予定だったのだが、今回の深海棲艦の侵攻によって碌に交流する事が出来ずに戦場に出る事になったのだ。連携不足によるミスやトラブルが生じるのは、当然の事であった。そして問題は艦娘だけではなく、通常兵器にもあった。
「一部の通常兵器ですが、若干の動作不良が発生しているとの事です」
「4年以上酷使して来たんだ。仕方のない事なのだろう」
この通常兵器の不調はフィリップスの見立て通り、長期間の戦闘による疲弊が要因ではあるのだが原因は他にもある。長く続いた深海棲艦との戦闘によりヨーロッパだけでなく世界各国の工業力は疲弊しており、兵器に使われる部品を始めとした工業製品の質の低下が見られていた。工業製品の極致とも言える現代の軍事兵器にその様な質が低下した部品を使うこととなるのだから、不具合が生じるのは当然の事であった。
「……現状ではどうすることも出来ない事は置いておこう。それより警戒網の方はどうだ?」
「各方面に哨戒機を飛ばしていますが、敵の発見には至っておりません」
「艦娘の航空機の一部を警戒に出しても構わん。警戒を密にしろ」
敵に圧勝しているとはいえ、敵はその小ささ故に発見し辛い深海棲艦だ。奇襲を防ぐためにも周囲の警戒を命じるのはセオリーだ。しかしフィリップスの命じた内容は、いささか行き過ぎであった。幾ら欧州艦隊が優勢とは言え、深海棲艦に対して有効な攻撃手段である艦娘用の航空機すら周辺警戒に回すのは、通常ではあり得なかった。
このような事態となれば、本来なら参謀長であるスタークが止めに入るはずだった。しかし、
「了解しました」
彼は反対するどころか、妥当な判断として従っていた。そして当然の事ではあるが、これには理由があった。
「ここまでの道中で、敵の襲撃が無かったなどあり得ん。絶対に何か裏があるはずだ」
海戦前、欧州艦隊はスエズ運河からソコトラ島までの長い道のりを警戒しつつも、大急ぎで航行していた。紅海はアフリカ北東部とアラビア半島に挟まれた湾だ。地形の関係で奇襲は受けづらいものの、日本の艦隊が硫黄島までの道中に幾度となく襲撃を受けた例から、深海棲艦と接触する事は十分考えられた。特に紅海の出口であるバブ・エル・マンデブ海峡は幅が30㎞程度しかなく、深海棲艦による待ち伏せ攻撃を受ける可能性が高かった。
しかし襲撃は無かった。格好の攻撃のタイミングとなるバブ・エル・マンデブ海峡の通過時ですら、深海棲艦は姿を現わさなかったのだ。フィリップスを始めとした艦隊の上層部が不審に思い、敵の策を疑うのは当然の事であった。
敵の意図を読もうとする艦隊上層部。そんな彼らの下に、ある情報が飛び込んで来た。
「航空隊より通信です。交戦中の敵艦隊後方より、新たな深海棲艦艦隊が接近しています」
通信士官の声が響き、フィリップスは報告に注意を向ける。
「数は?」
「大よそ600からなる大規模艦隊との事です」
「事前の推測では敵の数は900でしたので、これで一応数は足りますが……」
スタークのどこか煮え切らない呟きに、フィリップスも頷く。このまま行けば第二波と激突し戦闘となるだろうが、勝算は十二分にある。しかし相手はパナマや硫黄島と策を用いてきた深海棲艦だ。そう簡単に事が上手く運ぶとは考えられなかった。
とは言え目の前に敵が迫っているのだ。そちらへの対処もしなければならない。
「敵第二波への迎撃を行う」
「警戒に出している艦娘の航空機はどうしますか?」
「警戒を中止させ、敵の迎撃に回す」
「了解しました」
こうして欧州艦隊は深海棲艦が次に打って来る手を警戒しつつ、迎撃態勢に入った。
アラビア海で二つの艦隊が激突している頃、人類がチャゴス諸島拠点と呼ばれている島の格納庫で、この拠点の主であるどこかインドの民族衣装の様な衣装を纏った深海棲艦――印洋水姫は、先日ようやく完成した巨大な物体を前にぼんやりと眺めていた。
印洋水姫にとってソレに対する印象は、「不思議」の一言に尽きる。彼女たち深海棲艦が使う兵装とは比べ物にならない程大きい。更にデザインも機能性を重視しているものであり武骨な印象が拭えない物だ。この事から他の者たちからは余り好かれていない様だった。
――アンタ、またここにいたの?
振り返ると呆れた様な顔をする空母棲姫の姿があった。彼女は印洋水姫の隣に並ぶと、目の前の物に目をやる。
――ホントにアンタはこれが好きね。
――……うん。
印洋水姫はこの見慣れないデザインのソレを気に入っていた。なぜかと聞かれれば答えに詰まるだろうが、彼女の好みに合っているのだ。
――……戦況は?
――強硬偵察の第一波は壊滅。今は第二波が交戦しているけど苦戦よ。
――……やっぱり。
――いくらこちらが航空隊を出しても、人類の兵器のせいで纏めて墜とされるわ。当然の結果ね。
アラビア海での海戦の情報はこのチャゴス諸島拠点にも届いており、戦場で友軍が如何に苦戦しているのかも理解している。いくら水上艦の数が上回っていても、航空戦力が壊滅している状況では苦戦は免れない。
現在の人類との戦闘において、如何に航空機を生き残らせるかがカギとなってくる。その問題への解答の一つが硫黄島での戦いだ。あれは赤色結界を利用して人類の使う兵器を無効化していた。最終的に撤退する事にはなったものの、あの戦法が有効である事は大きな収穫だった。
だが硫黄棲姫の取った方法には弱点がある。赤色結界は短い時間であればともかく、長期間展開する場合は相応の準備と起点となる拠点が必要になってくる。守勢なら問題ないのだが、今回の様な遠隔地への攻勢となればこの方法は使えないのだ。
人類との戦いが始まって以来、深海棲艦たちは人類の操る兵器への対抗手段を模索し続けた。勿論この拠点でもそうだ。そして一か月前、
――コレを出す。
――話が早くて助かるわ。
解答の一つである彼女たちの前に鎮座しているソレが完成した。目の前の物には戦場に一石を投じるには十分な力を有している。早速使う機会が来た事に、印洋水姫の顔に思わず笑みが浮かんだ。
そんな彼女に若干呆れつつも、空母棲姫は釘を刺す。
――気を付けて使ってよ? これを作るのに結構資源を取られたんだから。
――……分かってる。
折角の楽しみに水を差され若干不機嫌になるが、印洋水姫は彼女の忠告に素直に頷く。ようやく完成したソレであるが、一つ作るのに恐ろしいまでの資源を消費しているのだ。当然メンテナンスにも相応の資源が必要になって来る。また深海棲艦の建造の様に簡単には作る事が出来ないという欠点もソレにはあった。
――ゲートを開けなさい!
空母棲姫の号令と共に、格納庫の扉がゆっくりと開いていく。本日は雲一つない快晴。ソレを出すには打ってつけの天候だった。
――出撃。
静かで抑揚が無いが、どこか楽し気な彼女の声と共にソレは轟音と共に動きだした。
人類は進歩する。深海棲艦も進歩する。