それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
深海棲艦幸運ロール、1d100:72
結構高いな。
深海棲艦の侵攻阻止の失敗。そしてスエズ撤退。この事実はヨーロッパ各国の民間、政府を問わず大きな影響を与える事となる。
民間だが当然ながら様々な方面が大混乱に陥っていた。特に経済については、艦娘の登場、近海に出現する深海棲艦の撃退により、経済が落ち着き始めた所にこれである。株価は急激に下落し、市場は混沌としていた。これまである程度安全な海とされていた地中海側の住民は、深海棲艦の侵攻に怯え、内陸部へと避難するケースも続出している。また今回の敗戦から一部では艦娘の能力を疑問視する者も現れ始めていた。
各国政府関係者だが、国内で生じる混乱を何とかして抑えようと奮闘していた。このような情勢不安が国家崩壊に繋がるケースは、深海棲艦が出現して以降では幾度となく見てきた光景なのだ。彼らは崩壊だけは免れようと必死に働くこととなる。
だが最も悲惨だったのは国防に関わる者たちだろう。彼らはスエズから何とか帰ってきた自国の戦力を見て、卒倒しそうになっていた。苦しい状況にも関わらず何とか送り出した艦艇を始めとした通常兵器の多くが損失。そして現在の国防の要である艦娘からも轟沈者が多数出ているのだ。国防計画を大幅に見直さなければならない状況に追い込まれる事となる。
このように誰もが悲鳴を上げている中、ヨーロッパを始めとする各国首脳は今後を話し合うべく、ブリュッセルに集結していた。
「かなり状況が不味いですな」
経済や軍事を始めとした各種資料を手に取りつつ、イギリス首相のマクドネルはため息を吐いた。これに参加者の誰もが苦い顔で頷く。
「今回の敗戦で各国の国民に動揺が広がっています。特に地中海側は顕著で、一部では内陸国へ避難しようとする国民も出始めています」
「お蔭で避難民と現地民との争いが各地で起こっている。これは今後も続くだろうな」
国民が逃げていく国であるイタリア首相マルローネ、避難民がやって来る国であるドイツ首相フューゲルも顔を顰めていた。
「経済も今回の一件で悪化の一途だ。今は各方面に手を回して何とか持たせているが、長く続けば悪影響が出るぞ」
「そうならないためにも、原因を取り除く必要がありますが……」
マルローネは言い淀んだ。原因はスエズに居座る深海棲艦なのだが、これを簡単に排除できるのなら、アラビア海、紅海とで敗戦はしていない。
「置き土産のお蔭か、今のところスエズの深海棲艦の動きは鈍い。叩くなら今だが――我々にそれが出来るだけの戦力は残っていない」
「艦娘、提督の戦死も痛いが、通常兵器類がかなり失われている。とても攻勢に出る事は出来ん」
スエズをめぐる攻防で通常兵器群は多数の損失を出していた。特に艦艇については、フランスの原子力空母「シャルル・ド・ゴール」を筆頭に、欧州にあった多くの有力な艦艇が喪失している。各国とも艦艇の建造は進められているが、人員の育成も考えれば、大規模な行動を起こせるまでにはかなりの時間が必要となる。また航空機についても同様で、各国が派遣していた戦闘機群にもかなりの損失を出しており、本国での防衛任務で精一杯の状況にある。
ここまで被害を拡大させた要因である『フリント』だが、当然だが各国とも必死に情報を集めていた。
「フリントについての情報は?」
「はっきりしたことは言えんが、現状では大よそ第4世代ジェット戦闘機とほぼ同等の性能であると結論付けられている。対空、対艦の出来るマルチロール機だな」
「紅海での航空戦では第3世代機では苦戦していたとの報告が入っています。その報告は妥当かと」
「通常兵器で撃墜できるのは救いではあるが――厄介な」
人類の操る兵器はこと航空優勢の獲得において、欠かす事の出来ない大きな役割を持っている。特に艦娘の航空戦力が貧弱な欧州にとっては、その傾向が顕著だった。
そこへ深海棲艦が繰り出してきたのがフリントだ。あの新型機の存在により、人類は現代兵器のリソースを否が応でも振り分ける必要が出てきた。
「タイフーンで対応は可能でしょうか?」
「……対深海棲艦戦争が始まってから予算が付いたためある程度改装できてはいるが、タイフーンは第4.5世代機だ。フリントを圧倒できる程ではないな」
「そうなると第5世代機が必要になるぞ。候補ではアメリカのF-22と最近ロールアウトしたと言うF-35。ロシアだと完成間近のSu-57か」
フューゲルの呟きに、参加者の誰もが嫌悪感を示す。彼らの心情的にはどちらも頼りたくなかった。
アメリカは日本の硫黄島攻略の頃から在外戦力の保全に走っており、先のスエズ運河をめぐる戦闘でも参戦しない。この事から各国のアメリカに対する心情はかなり悪かった。
ロシアの方は資源の取得のために接近しているとは言え、元々欧州にとって長年の宿敵だ。この反応はある種当然だった。またこれ以上の接近をすれば、ロシアに逆らえなくなる可能性を危惧していた。
「F-22ですがアメリカは過去の事例から見て売らないでしょう。それにアビオニクスの事も考えれば選択肢から除外されます」
「Su-57は問題ないだろうが、そもそもあれは東側仕様だ。我々旧西側諸国が導入した所で、まともに運用は出来んな。実質F-35一択だ」
「あの国には思うところもあるが……、それしかないか。では各国ともF-35のライセンス生産をする事でいいな」
フューゲルの言葉に、各国首脳は頷いた。こうして各国はF-35生産のための準備を始める事となる。だが問題はフリント以外にも残っている。
「将来的なフリント対策はそれで良いとして、問題は今どうするかだ。今回の損害は大きすぎる」
「フリントの方は、各国に残っている戦闘機と地対空ミサイルの連携でどうにかするとして、問題は海の方だ。マクドネル首相。地中海に貴国の提督と艦娘を駐留させる事は出来ないか?」
イギリスは欧州において最大の艦娘保有国だ。戦艦を始めとした主力艦はそろっているし、補助艦の数もかなりの物である。更に航空戦力に不安があるとはいえ、空母機動部隊を単独で編成出来る国なのだ。フューゲルが期待するのも無理は無かった。だがそれにマクドネルはため息を吐きつつ頭を振るう。
「アラビア海に紅海。この二回の海戦で我が国の艦娘がかなり沈んでいる。これ以上戦力を他国に派遣する事になる場合、大西洋側の防衛に支障が出る」
「艦娘なら建造が出来るはずでは?」
「貴国は練度の低い艦娘を当てにしろと言うのか? 戦力になるには時間が掛かる」
「しかしイタリアを始めとした地中海の国も戦力に不安がある状況だ。何とかならないか?」
「無い袖は振れんよ」
「……その事についてですが、一つよろしいでしょうか?」
議論を遮るマルローネのその一言により、全員の視線が彼に集まった。その事を確認したマルローネは続ける。
「地中海に面した国々の代表として、一つ提案したい事案があります」
「何かね?」
「昨年、艦娘の発表の際に各国合同で提督に関する協定を交わしましたが、今回のスエズ運河陥落を鑑みて、一部訂正を行いたいのです」
「……内容は?」
「現在、艦娘保有国では就学児の提督の運用は禁止されていますが――、我々は欧州においてのこの規制の撤廃を提案します」
この言葉に事前にこの提案を知らされていた者以外の参加者たちは誰もが絶句した。暫しの沈黙の後、大西洋側に面した国の首相であるフューゲルとマクドネルは呻くように口を開いた。
「……本気か? 確かに苦しい状況だが、そんなことをすれば国民から確実に反対意見が出るぞ」
「そもそもイタリアはそれなりに戦力が残っているはずでは?」
イタリアは提督の数も多い方であるし、艦娘戦力についても地中海で随一の筈であった。確かに先の海戦により艦娘を多く失ってはいるが、そこまで追い込まれていないはずであった。しかし、二人の意見にマルローネは頭を振った。
「我が国は自国防衛だけであれば大丈夫なのでしょうが、問題はそれ以外の国々です。多くの国は先の二回の海戦で艦娘戦力が壊滅状態であり、立て直しには時間が掛かります」
「……それで各国が確保している就学児の提督を使い、急場を凌ごうということか。しかし使い物になるのか?」
「幸い子供であっても提督化した際に士官としての知識を習得しています。そこまで問題は無いかと思います」
「配下の艦娘の練度はどうなんだ?」
「以前より訓練と艦娘単独での出撃を行ってきていますので、練度は大丈夫でしょう」
「欧州が賛同した所で、アメリカや日本が煩くなるぞ?」
「深海棲艦によって強制的に世界が分断されている現状でアメリカや日本に非難された所で、影響は限定的です」
次々に飛んでくる質問に、淡々と答えていくマルローネ。その様子にマクドネルは諦めたように呟いた。
「確かに欧州全体で艦娘戦力が激減している以上、深海棲艦の侵攻を食い止めるには彼らを使うしか手は無い、か……」
「その通りです」
「とは言えこの議題はこの場で即座に決める事は出来ん。……1週間後に再度決議を行おう」
この言葉に各国は賛同、首脳会議は一時閉会された。規制撤廃の提案は各国上層部に持ち込まれる事となった。
そして1週間後。再度集結した欧州各国首脳の議論の結果、賛成多数により欧州及び周辺国での就学児提督の運用禁止規定を撤廃した。
人類が変化していく戦況に四苦八苦している頃、外からは順調に深海棲艦の方でも苦労はあった。インド洋のチャゴス諸島拠点の格納庫。そこでは普段あまり感情を表に出さない印洋水姫が悲壮な表情を浮かべていた。
――折角の機体が……。
彼女の目の前にはフリントが鎮座していた。但し機体は機銃により穴だらけになっており、とても戦闘行動など出来ない程であった。
――戦果は空母を始めとした艦艇多数に、航空機も40機以上撃墜。戦果は上々だけど被害も大きかったわね。
上げられてきた戦果報告を思い出しつつ、空母棲姫はため息を吐いた。スエズ運河を巡る戦いで投入されたフリントだが、投入した36機中31機が撃墜され、更に生き残った5機も損害が激しいと言う大きな損害を受けていた。艦娘が出現して以降、人類の操る兵器を殆ど破壊できていなかった現状を考えれば、十分すぎる戦果は挙げている事実は変わらないが、それでもこの損害は大きすぎた。
――この機体は私たちみたいに補給すれば航空機が出てくるわけじゃないし、また作らないといけないわね。
印洋水姫が期待を込めて送り出したフリントだが、現代戦闘機並の性能を引き出す事に成功した代わりに、深海棲艦側の既存の兵器と比べてかなり特殊な仕様になっていた。
まずコストであるが、深海棲艦拠点にとってかなりの負担となる事だ。一機作るのに空母ヲ級フラグシップを10隻は作れる資源を投入しているのだ。幾ら海底から資源を採集できるとは言え、一機のためにこれではコストが掛かりすぎた。
更に製造には時間もかかる。駆逐イ級が20分程度、姫級ですら最長でも3日程度で完成する深海棲艦だが、フリントの製造には2週間近くかかっていた。人類からすれば驚異的な速度ではあるが、深海棲艦にとってはこれほどの製造時間は長すぎると感じていた。
そして補給や修復に関しても仕様が異なる。深海棲艦も艦娘と同じ様に補給をすれば使用する航空機も新しく補充されるのだが、フリントに関してはそれが当てはまらない。損傷すれば修理しなければならないし、損失したのなら新たに一から作らなければならないのだ。また無傷で帰ってきたとしても消費する燃料や弾薬はかなりの物であり、拠点の資源事情に負担をもたらすのは確実である。
このような仕様により、フリントは大きな拠点でしか運用できないと言う事情を抱えていた。
――急いで再建造しよう。
――やめなさい。艦隊の再建が先よ。
真顔でその様な事を宣う印洋水姫をバッサリと切り捨てる空母棲姫。二回の海戦とスエズ運河占領時の奇襲により、戦力はかなり減っているのだ。広がった勢力圏を維持するためにも、艦の建造を最優先しなければならなかった。――印洋水姫の命令で、フリントを36機作るのに拠点に貯蓄してあった資源の半分近くを注ぎ込んだ上に、1か月近く拠点の人員の大半が建造に従事する羽目になった、という悪夢を回避したかったのもあるが。
――仕方ない。……そういえばスエズは?
――急ピッチで整備中だけど、人類が核を使ったせいで拠点化に手間取っているわ。今は汚染された所を海にしている最中よ。
深海棲艦に放射線に関する各種障害は起こらない。そのため拠点を築くだけであれば、放射線で汚染されているスエズに手を加える必要は無かったのだが、作るのが大型の拠点となると話が変わって来る。大型拠点の場合、深海棲艦の建造施設も併設される事となるのだが、艦の建造はかなりデリケートな作業であるため、放射線の様な異物は厳禁であるのだ。そのためにも該当地域の除染が必要であった。
現在スエズでは放射線汚染された土地を海に変える形式での除染の真っ最中であり、作業完了までチャゴス諸島拠点による援軍が必要となっていた。なお除染が終った際、スエズ運河があった土地は、海峡と化すことが予想されている。
――ん。それじゃあ艦隊の整備の方は任せる。
――まあ、スエズへの攻勢は無いようだしのんびりやるわ。あなたは?
――研究室に行く。今回の空戦でこちらのミサイルの性能が低い事が分かった。改良する必要がある。
この印洋水姫の言葉に空母棲姫は若干呆れてしまった。彼女は確かに新型機に執着していたが、ここまでとは思わなかった。
――熱心ね。
――折角現物が手に入ったのだから当然。
無表情で頷いた印洋水姫の視線の先には――、フリントの胴体に突き刺さっている不発のサイドワインダーがあった。
深海棲艦「おう人類。核汚染されたスエズを除染して、ついでに拡張もしておいたぞ。」