それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
追記。12月3日に一部改訂しました。
深海棲艦により分断されている世界において、ある地域で人類が敗戦し重要拠点を占拠されたとしても、それによる悪影響が遠く離れた地域に及ぶことは少ない。この原則は今回のスエズ陥落も例外ではない。スエズ陥落により欧州が四苦八苦していても、遠く離れた日本やアメリカには直接的な脅威は殆どなかった。精々将来的に欧州が深海棲艦の手に落ちる可能性が高くなった事に警戒する程度であろう。
しかしこの原則には一部例外がある。これまで確認されていなかった深海棲艦の新型や新戦術が見つかるケースだ。これは地理的に遠く離れていようとも関係ない。早急に対策を立てなければ自国の滅亡に近づく事となるため、世界各国の軍人は必死に頭を働かせる事になるのだ。
そしてスエズを巡る一連の戦闘において、この例外が確認された。今回のケースでは、深海棲艦版現代戦闘機、NATOコードネーム『フリント』の出現と、紅海海戦終盤で見せた姫級の集中運用による浸透突破戦術だ。この二つの対策に世界各国の軍は悩まされていた。
勿論これは日本も例外ではない。2018年1月のある日。防衛省庁舎の会議室では、これらへの対策を考えるために防衛省の上層部が集まっていた。
「日本近海でフリントが発見された事はありますか?」
「日本近海での目撃例はゼロ。硫黄島に設置したレーダー施設でも、それらしき機影は確認されておりません」
坂田防衛大臣の質問に答えたのは、前田海上幕僚長だった。
「空母及び潜水艦艦娘による偵察、我が国の情報収集衛星からの情報も確認しましたが、フリントは確認されていません」
「今のところは大丈夫、か」
この報告に参加者たちはほっと胸を撫で下ろした。第4世代機と同等の性能を持つフリントは強敵だ。日本も第4世代機であるF-15J、第4.5世代機のF-2を運用しているため対抗は出来るだろうが、まとまった数で襲撃されれば確実に損害が発生するだろう。日本周辺に居ないのならそれに越したことは無い。
「倉崎さん。空自の方はどうなっていますか?」
「現在、従来の空対空ミサイルの再配備は完了しました。またパイロットにはフリントを想定した訓練も行っています」
そう答えたのは倉崎航空幕僚長だった。フリントの出現により最も影響を受けたのは航空自衛隊だ。当然空自のトップである彼は、出来る限りの事はやってきていた。とは言え、限界もある。
「しかし限界もあります。現在の防衛計画では仮に通常の深海棲艦が使う航空機の様にフリントが大量に襲い掛かってきた場合、敗北は必至でしょう」
「倉崎航空幕僚長の意見に陸自としても同意します。陸、空と連携しても数で押されれば防ぎきれません」
倉崎、そして黒木陸上幕僚長の意見に、誰もが苦い顔をしつつ頷いた。彼ら、と言うよりも全世界の軍人たちが恐れているのが、大量のフリントによる攻撃だ。仮にその様な事をされれば、多くの戦闘機を保有するアメリカでさえ唯では済まない。実際はフリントは深海棲艦にとっても製造や運用にかなり苦労する物であり、軍人たちが想定しているような事はかなり困難なのだが、そんな事情を人類が知るはずもない。
「つくづく米軍が動かないのが痛いな。F-22は無いが、航空戦力をかなり保有している」
関口統合幕僚長は思わず愚痴をこぼした。戦艦棲姫艦隊による襲撃以降、在日米軍は完全に日本の防衛から離脱していた。日本は艦娘戦力が整っているため、艦娘を保有していない在日米軍が離脱しても問題にはならなかったのだが、ここへ来て再度その価値を上げていた。
「彼らも政府には逆らえないですから、仕方がありません。それよりパイロットのF-35への機種転換の準備は進んでいますか?」
「実物がまだないためシミュレーターですが、一部のパイロットに訓練をさせています。これである程度の機種転換訓練の代用にはなるかと」
「現場には負担を掛ける事となりますが、引き続きお願いします」
日本も欧州と同じくフリント対策としてF-35の運用を画策しており、その準備が急ピッチで行われていた。また調達予定数も予定よりも大幅に増やす予定であるため、日本の航空戦力は大幅に上昇する見込みであった。だが彼らはこれに満足せず、更に新たな計画を立ち上げていた。
「しかし『いずも』の空母化ですか。まさか日本が空母を持つことになるとは考えていませんでした」
「全くだ」
前田のしみじみとした呟きに、会議室の全員が大きく頷いた。フリントの出現により東南アジア進行計画に支障が出る事が確実となったのだ。その対抗策として現在整備のためにドック入りしているヘリコプター搭載護衛艦『いずも』の空母への改装が急遽決定される事となったのだ。
「ロシアからの資源が入って来ることが確定していたお蔭で、通せた案ですけどね。改装にはどの位の時間が掛かりますか?」
「少なくとも3年以上は掛かるかと。後『いずも』で問題点の洗い出しを行った後、新規に空母の建造を予定しています」
「新型空母建造は当分後になるだろうな。しかしかなり予算を取られる事になるな」
「仕方ありません。こればかりは必要経費なのですから」
F-35の新規製造に大幅な調達予定宇数の増加。『いずも』の改装に、空母建造と必要な軍事費が一気に跳ね上がった状況に、艦娘の運用で軍事費が抑えられると狂喜していた財務を司る人々が絶叫を上げていた。とは言え今は戦時中。防衛省の発言力は増大しており、予算獲得の目途は立っていた。
こうしてフリント対策が一先ず纏まり、議題が次の物へと進んで行く。
「後は紅海で見せた浸透突破戦術か……」
「夜間でも飛行可能な航空機で陣形の一点に集中打を浴びせ、陣形に穴が空いたところに姫級のみで構成した部隊を突入させ相手を混乱させる。どこかで見た光景です」
黒木は肩を竦めた。誰もが第二次世界大戦で見られた光景を、海の上で再現されるとは思ってもいなかった。そして彼は何故この場に呼ばれたかも理解した。
「その通りです。だからこそ陸に精通する黒木さんに対抗策を訊きたいのです」
「対抗策はあるにはあるのですが……」
「それは?」
「典型的なのはソ連の様に縦深の深い陣形を作り、それを利用して突入して来た部隊を殲滅する方法です。しかしそれを形成するにはかなりの艦娘が必要となります」
「大臣。どうなのでしょうか?」
全員の視線が提督である坂田に集中する。それに彼は渋い顔で頭を傾げる。
「それは難しいかもしれません。スエズの様な深海棲艦による大規模攻勢と対峙する場合、数的劣勢に立たされる可能性が高いです。前衛部隊のみでその様な陣形を取るとなれば、最悪の場合最前線が崩壊しかねません」
「後方の空母部隊の護衛にある程度の戦力がありますが、それを流用出来ませんか?」
「それでは敵の空襲に対応しきれなくなります。また後方の空母部隊が奇襲された場合にも備えなければなりません」
坂田の言葉は事実であった。仮に夜戦で奇襲でもされれば戦えない空母艦娘はなすすべなく壊滅しかねない。そのため護衛のための艦娘は必須であった。
「なるほど……」
黒木は小さく頷くと、もう一つの有名な戦術を提示する事にした。
「そうなると侵入してきた敵を、機動打撃部隊を用いて抑え込む機動防御でしょうか。これなら数的劣勢でもある程度は対応出来ます」
「なるほど」
「しかし問題は姫級で構成された部隊を抑え込めるかです。可能なのですか?」
「……高火力かつ高練度の艦娘の部隊ならあるいは、といった所でしょうか」
機動打撃部隊には、高い練度の艦娘、そして彼女たちを効率よく運用できる提督が必要となるだろう。該当する者たちはかなり絞り込まれる事になるが、少なくともゼロではなかった。坂田が周囲を見回すと、反対意見を出そうとする者はいなかった。
「では今後の作戦では、機動防御を考慮して作戦行動を行うということでお願いします。次の議題ですが――」
こうして日本の国防に関わる者たちの会議は、様々な不安を抱えつつも続いていった。
2018年1月20日。アメリカ合衆国カリフォルニア州にあるサンディエゴ海軍基地から原子力空母を旗艦とし、護衛のための駆逐艦、そして多数の艦娘を要する大艦隊が出港した。
彼らの目的地は日本。本国から孤立している在日米軍の回収が主任務であった。
艦隊は太平洋を北上し、深海棲艦に占拠されたハワイを北に迂回する形で航路を取っていた。航路の近くには中、小規模な深海棲艦拠点が点在しているが、攻略は行わない予定であった。
このアメリカの動きに各国は、半ば公然の事実とされていた孤立主義化が本格化したと判断し、対応を進めていくこととなる。
「意外と早かったな」
このアメリカの動きは、当然日本国の首相である真鍋の元にももたらされていた。彼の呟きに坂田は肩を竦める。
「南米もかなり危ない状況との事です。仕方のない事なのでしょう」
「確かに年内にパナマを攻略しなければ、南米諸国は崩壊する可能性は高いと報告を受けている。しかし在日米軍を連れて帰った所で戦力になるのか?」
「在日米軍は艦娘こそいませんが、それなりの戦力を維持しています。特に航空戦力はフリントが出現した事により価値が増大しています。熟練した軍人の確保する事も考えれば、大戦力を出してでもアメリカに連れて帰る価値はあります」
「そして外地で孤立していた軍人たちを連れて帰れば、政府の支持率にも繋がる、か」
真鍋の考えも当たっていた。パナマが占領されて以降、アメリカ政府の支持率は急落しており、与党である共和党ではこのまま行けば中間選挙で大敗しかねないと考えていたのだ。
そんな時に軍から提示されたのが在外米軍の撤収案だ。共和党はこの提案に飛びついた。軍としては遊軍化している戦力と人員を本国に集中させる事により、戦力の増強を目論んでいたのだが、共和党はこれにより軍人の家族や退役軍人たちからの支持を得られると考えていたのだ。
「しかしそこまでやるとして、アメリカはパナマを攻略出来るのか?」
「そうですね」
坂田はアメリカが保有する軍事力、そしてアメリカの艦娘たちを思い出す。どちらも世界最大の戦力を有している。そして目標であるパナマとアメリカ本土の位置関係を思い浮かべ――思わず苦笑してしまった。どう考えても、日本が計画を練っている東南アジアへの進行よりは難易度は低いだろう。
そんな坂田の様子に、真鍋は訝しんだ。
「どうした?」
「いえ、失礼しました。パナマ攻略ですが、攻略目標の情報が少ないため断言は出来ません。しかしアメリカはパナマを東西から挟撃出来る関係上、優位に戦いを進められるかと考えられます」
「ふむ……」
坂田の答えに、真鍋は考え込んだ。そんな時、不意に部屋にコンコンとノックの音が響いた。真鍋が入室を許可すると、首相の秘書が入って来る。
「首相。お時間です」
「おっと、もうそんな時間か」
彼らがいる場所。それは首相官邸でも、ましてや日本ですらない。
ここはロシア連邦、ウラジオストク。彼らはある目的のためにこの地へと赴いていた。
「さて、一つ世界を驚かせようか」
2018年1月22日。日本とロシアからある情報が共同で発表された。
「日露平和条約及び日露共同防衛協定締結」
その日、日本の真鍋首相とロシアのノーヴァ大統領が握手をする映像が世界中を駆け巡った。
この話を書いていたら、『いずも』が空母化するとかいうニュースが入ってきたため、早速組み込みました。