それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
アメリカ合衆国で発生した鎮守府及び親艦娘派へのテロ事件は、世界に衝撃を与える事となった。現在進行形で深海棲艦の脅威から人々を守っている存在に対して、よりにもよって守られている側の人間が攻撃を仕掛けたなど前代未聞なのだ。そしてこの事件はアメリカの内実がどれほど不安定なのかを、如実に表していた。
「想像以上に不味いことになっているな」
5月に入った頃の、日本の首相官邸のある会議室。定例の閣僚級会議の場で、真鍋首相は配布された資料を前に、顔を顰めていた。この場に集められた資料は、現地メディアの報道やアメリカに駐留している大使館からもたらされた情報など、どれも合法的に手に入れる事の出来る情報ばかりであるが、それらを精査するだけでも、今のアメリカが如何に不安定な状況にあるのかが見て取れた。
「テロの主犯だった人類解放戦線はメンバーの半数近くを拘束出来た様だな。主要メンバーの逮捕も時間の問題か」
「あそこまで派手にやれば、警察も軍も本気を出すのは当然だな」
「後、艦娘も捜査に協力している可能性もありますね。彼女たちが黙ってみているだけとは思えません」
4月1日の同時多発テロを受け、アメリカの警察と軍は直ぐに人類解放戦線を殲滅するために動き出した。彼らとしても、このような危険な組織を野放しにしておくつもりは全くなかった。
また日本の閣僚が予想したように、この捜査には艦娘も参加していた。管轄を考えれば越権行為も甚だしいのだが、妖精を駆使した捜査能力と士気、何よりも一日も早く人類解放戦線を壊滅させろと言う政府、議会の要請により、艦娘が捜査に加わる事となったのだ。
警察、軍、艦娘。三者の能力がふんだんに発揮された事により、人類解放戦線はどんどんと追い詰められる事となる。だが事はテロ組織を一つ壊滅させるだけで終息出来るレベルを超え始めていた。
「……問題は人類解放戦線が情報戦を仕掛けて来たことだな」
問題となっているのは、テロ当日から人類解放戦線が行っている、動画サイトやSNSなど各種ネットメディアを使った宣伝活動だった。これにより彼らの思想を発信すると共に勧誘活動も行われているのだ。
この事態にアメリカ政府も該当する動画やサイトの削除を始めとした各種対策は行っている。だが、人類解放戦線が狙った通り拡散は止める事が出来なかった。テロの動画を始めとしてインパクトの大きい情報は、人々の手によって次々と拡散されてしまうのだ。これにより着実に人類解放戦線の思想は多くの人々の目に触れられる事になり――、それに感化された人間が出始めているのだ。
「既にテロ未遂も何件か確認されている。これは長期戦になるのは確定だな」
「また人類解放戦線のテロと各種ネットメディアを使った宣伝活動ですが、日本にも影響が及ぶ可能性もあります」
神山法務大臣の報告に、誰もが目を剥いた。
「……本当か?」
「候補となるのは深海棲艦教や左翼系です。これらはテロ未遂の実績があります」
「確かに」
坂田防衛大臣は苦い顔をしつつ頷いた。彼は実際テロの標的となっていたため、他人ごとではなかった。
「それ以外でも、国民の中には艦娘を嫌っている者もいます。銃社会のアメリカと比べればリスクは低いでしょうが、警戒は必要でしょう」
「……」
親艦娘で通している日本だが、艦娘に対して良い感情を持たない者も当然いる。それらの人間がアメリカのテロに感化されないとは言い切れないのだ。現在こそ反艦娘で纏まった大きな組織は居ないのだが、今後その様な組織が誕生しテロを起こす可能性は否定できなかった。
「国内についても不安がありますが……、防衛省としてはアメリカ国内の情勢不安が長期化しないかが心配です。我が国の国防にも関わりかねません」
この坂田の言葉に、閣僚の誰もがため息を吐いた。現状、ハワイ諸島拠点からの圧力の大半はアメリカに向けられている。仮にアメリカが情勢不安で弱体化してしまった場合、アメリカに向けられていた圧力が日本に向けられる可能性もあるのだ。
その事も有り、早期にアメリカの諸問題が解決される事を願う坂田。だがそんな彼に天野外務大臣は肩を竦めた。
「残念だが、それは避けられんだろう。今回のテロで親艦娘派の重鎮に多数の死者が出ている。当面は混乱が続く」
「親艦娘派トップのアーロン大将はテロには遭いましたが、生き残ったと聞きましたが?」
「危険な状況は脱したが、飽くまで生存出来ただけだ。退役は確実視されている。政府内でパワーゲームが出来る人員が居なくなった以上、親艦娘派勢力は消滅したも同然だ」
テロにより親艦娘派の政治的、社会的に力を持っている者たちに多くの死傷者が出たのは、親艦娘派にとって致命的だった。唯でさえ他勢力と比べて規模が小さいにも関わらず、政治力すらその大半が失われたのだ。太平洋艦隊こそ何とか親艦娘を維持する事には成功しているが、現状は精一杯だった。最早、親艦娘派に排斥派や兵器派に対抗できる政治力は有していなかった。
「さて、排斥派は過激派のテロのせいで排斥派=暴力的の図式が出来てしまい、規模は縮小中。親艦娘派は実質消滅。現状、アメリカ政府は兵器派一強だ。また国内は一部の排斥過激派により、提督及び艦娘へのテロの危険が続いている。……さて、坂田防衛大臣、この状況、提督及び艦娘にどのような影響を及ぼすかね?」
天野は小さく笑いながら、坂田に顔を向けた。
「……なぜ私に?」
「君が提督であるからだよ」
坂田は顔を若干顰めつつ、暫し考え込む。そして苦々しく口を開いた。
「士気は最悪レベルに低下しているのは間違いありません。守るべき国民から攻撃された事の、心理的なショックは計り知れないでしょう。はっきり言いますと、今の状況は親艦娘派の台頭前よりも酷いと見て間違いありません」
「改善にはどうすれば良いかね?」
「艦娘へのテロの完全撲滅は最低条件です。それに加えて、艦娘にある程度の飴を与える必要があります。しかし……」
「テロの長期化はほぼ確定。艦娘への飴も兵器派一強ゆえに十分に行われる可能性は低い。それ故に士気の向上は難しい、で良いかね?」
「……その通りです」
この結論に、この場の多くの者たちがため息を吐いた。世界最大の艦娘戦力を持つアメリカが、折角の戦力を碌に扱えていないのだ。頭を抱えたくもなる。
「……何とか干渉出来ないか? 日本としてもアメリカには働いてもらわなければ困る」
痛む頭を抑えつつ、問いかける真鍋。だが天野ははっきりと言い切る。
「無理だな。この問題は飽くまでのアメリカの内政問題だ」
「……」
この返答には真鍋も黙り込むしかなかった。内政問題では日本の採れるアクションは殆どない。声明を出したり、現地の大使館で親艦娘のキャンペーンをする程度は可能だろうが、その程度では問題の解決に何の影響ももたらさない事は確実だ。つまり、日本はただ静観する以外の選択肢は無かった。
「……とりあえず、意味は無いかもしれないが声明は出しておく」
「アリバイ作りか」
「ああ。内外の艦娘に我が国の立場を見せておくことは必要だろうしな」
「ふむ。まあ、言うだけならタダだ。やっても――む?」
不意に会議室の隅で控えていた外務省の官僚が素早く近づき、天野にメモを手渡した。その官僚の顔は何処か青ざめている。
天野はその様子に何かあった事を悟りながら、メモに目をやり――思わず顔を顰めた。
「どうしたんだ?」
天野の様子に不審なものを感じ取った神山がそちらに顔を向ける。
「どうやら事態は思ったよりも進んでいた様だ」
「……と、言いますと?」
天野は嘲る様な、そして何処か諦めた様な笑みを浮かべ、そして吐き捨てた。
「アラスカに配置されていた提督1名とその配下の艦娘が、ロシアに亡命した」
提督及び艦娘のロシアへの亡命。この事件を受け、アメリカの閣僚たちはすぐさま招集される事となった。
「……やられたな」
クーリッジ大統領は、苦々しく吐き捨てた。どの閣僚たちも国防総省からもたらされた情報を前に頭を抱えている。そんな中、今回の亡命の責任を負う形で辞任が決まっている国防長官のマーシャルは無表情で報告を続けていた。
「ロシアに亡命した提督はアラスカのスアード半島に配属されていました。ロシア領へは数百㎞程度である事から、艦娘のみでの脱走は可能だったようです」
「脱走の推定時刻は?」
「詳細な時刻は不明ですが、深夜帯である事は確実です」
「近隣の鎮守府は脱走に気付かなかったのか?」
「周辺の部隊へは、大規模夜間演習と通達していた様です。そのため異変に気付いたのは明朝だったとの事です」
「……その鎮守府に、何か脱走の切っ掛けになるような手掛かりは残っていたのか?」
「執務室に提督直筆の手紙が残されていました。『我々は必死に深海棲艦と戦っているにも関わらず、国は我々を軽んじ、国民は銃を向けた。その様な国に未練はない』 その様に書かれていたそうです」
「気持ちは解らんでもないがな……」
スチュアート内務長官はため息を吐いた。唯でさえ、アメリカは他国と比べてお世辞にも艦娘に対して人道的とは言えない環境なのだ。そんな状況下で必死に戦っている自分たちを標的にテロを起こされ、更に艦娘たちのために動いてくれていた親艦娘派も壊滅してしまったのだ。亡命という選択肢が出て来るのも当然だった。
とはいえ、国防と言う視点から見た場合、脱走など看過できるものではない。脱走の原因となる要素の排除と、脱走を防止するための対策が必要だった。
「テロ対策の方はどうなっている? 亡命の原因の一つだぞ」
「軍や警察、国土安全保障省が連携して対策に当たっているため、第二のテロは何とか未遂で抑えています。しかし人類解放戦線に感化された者は後を絶ちません」
「長期化は確実か……。ともかく引き続きテロの対策をしてくれ」
この件に関係する閣僚たちが小さく頷いた。彼らとしてもテロリストを野放しにするつもりは無かった。
「後は艦娘周りの環境ですな……」
「いっその事、法制度を日本レベルまで引き上げるか?」
日本は艦娘出現当初からの親艦娘である事から、艦娘周りの制度も整っている。導入にはそのままアメリカに適用する事は難しいかもしれないが、大いに参考になる。そんなスチュアートの提案に、クーリッジは頭を振った。
「無理だな。仮にそんな事をすれば、国民が黙っていない」
「やはりか」
日本と違い、現状のアメリカは兵器派が最大勢力を誇っている。仮に艦娘に対する制度を日本と同等レベルにした場合、国民の大多数が反対する事は目に見えていた。
「現状では、脱走対策に重点を置くしかありません」
「国防総省からは、何か対策があるのか?」
クーリッジの問い掛けに、マーシャルは小さく頷いた。
「鎮守府による相互監視システムの構築と不審行動への通報制度の導入を提案します。仮に脱走の計画がされていても、早期に発見できるはずです」
「なるほど、……因みに、集団脱走が敢行された場合、それを抑える役目は?」
「艦娘の戦闘能力を考えると、通常の部隊では対処出来ません。同じく艦娘をぶつけるのが一番でしょう。脱走者への対処も監視システムに組み込む予定です」
艦娘周辺への環境の改善が見込めない以上、国防総省としては脱走を防止するために鎮守府への監視を強めるしかなかった。鎮守府側としてはたまったものではないが、未だに太平洋、大西洋からの深海棲艦の攻撃が続いている事も有り、これ以上の戦力の消失は何としてでも避けたかったのだ。
「ふむ……」
クーリッジとしても、このマーシャルの提案は概ね賛同出来る物だ。しかし、どれも提督及び艦娘が主体となっている事が気がかりだった。暫し考え込み、そしてある事を思いつく。
「軍から鎮守府に監視員を派遣する事は出来ないか?」
「それは……」
この大統領の提案にマーシャルは眉をひそめた。これまでの戦いにより、アメリカ軍は激戦を繰り広げていた事から、軍全体、特にアメリカ海軍は士官不足が深刻なのだ。艦娘の出現により士官の育成に力を入れる余裕は出来たのだが、まだまだ途上であるし、質の方も戦前と比べれば明らかに落ちている。そんな状況で、士官をただ鎮守府の監視のために使うなどしたくはなかった。
「勿論、全ての鎮守府へ配属しろとは言わない。だが第三者の監視は必要なはずだ」
「……」
この言葉にマーシャルも沈黙した。大統領の言葉も最もであるためだ。それ故に彼は頷くしか出来なかった。
「……了解しました」
「頼むぞ」
こうしてアメリカ政府は、提督、艦娘からの不満を覚悟の下、監視を強める事となる。
書いていたら、なんかアカ臭くなった……。