それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》   作:とらんらん

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今回は少し短いです。
7月23日。一部数値を訂正しました。


海を征く者たち70話 不和

 アラスカの提督の亡命事件から数ヵ月。アメリカの多くの夏の暑さにうんざりしている頃、ある軍病院の一室のベッドに、とある軍の高官の姿があった。

 

「不味いな……」

 

 太平洋艦隊司令官であるアーロンは取り寄せた資料を手に、頭を抱えていた。

 

「状況が悪い方向に進んでいる」

 

 彼が重体で意識の無かった間に3か月で、アメリカの環境は激変していた。

 現在の艦娘を巡る派閥は、兵器派が一強状態だ。親艦娘派の政治能力はテロによって壊滅状態であるため、民間はともかく政治派閥としての親艦娘派は壊滅したも同然。排斥派は人類解放戦線とそれに影響を受けた排斥過激派がテロを敢行している事から、国民の間で「排斥派=テロリスト」の構図が出来てしまったことにより、その勢力は急激に縮小していた。アメリカンジャスティス上層部も過激派とは無関係である事を盛んに宣伝しているが、効果は思うように上がっていない。

 こうしてアメリカは兵器派一色になったのだが、それだけであればアーロンとしても複雑な気持ちになりながらも、致命的な問題とは捉えなかっただろう。排斥派とは違い、艦娘兵器派はある種のリアリストとも言える存在だ。国民の方はともかく、大統領を始めとした政治家及び軍人ならば、必要であるならば艦娘に対してある程度の妥協する事が出来るのだ。

 しかしアラスカに配置されていた提督と艦娘が、ロシアに亡命した事により、事態は悪い方向に転がり始める事となる。

 

「必要なのは分かるし、これしか手が無かったのは分かるが、鎮守府側が納得するはずがない……」

 

 鎮守府同士による相互監視システムと通報制度を導入。お世辞にも艦娘を巡る環境が良いとは言えないのがアメリカだ。国民の目もあり艦娘の環境を大きく変える事が出来ない以上、この様な手しか取れない事は、高級士官という政治にも関わる立場にあるアーロンも一応の理解はしていた。しかしだからと言って、現場の提督や艦娘が納得するかは別だ。

 

「自分の不手際をこちらに押し付けるな!」

 

 提督と艦娘からすれば、アラスカの提督が脱走した原因は、アメリカ国民の艦娘への不信感と政府の怠慢によるものなのだ。それにも関わらず、自身の不都合には目を向けず、必死に戦っている自分達にばかり負担を押し付けてきている。これでは高い士気など望めるはずもなかった。

 アーロンはベッド脇に山積みにされている資料から一冊のファイルを手に取ると、手早く内容を確認すると、思わず顔を顰めた。

 

「現在の所、通報は無しか。これは予想出来たが……」

 

 この様な状況で政府が期待したような鎮守府への監視など、発揮できるはずもない。これらの制度が始まって数ヵ月経過したが、当然ながら政府への通報が行われた事が無かった。現場の提督や艦娘は相互監視システムも通報制度も、ほぼ無いものとして扱っているのだ。

 アーロンとしてもそれは容易に予想が付いていたのだが――、士気の低下、そして政府への不満から、新たな問題も発生し始めたことには頭を抱える事になる。

 

(対深海棲艦の迎撃率が低下している……。これは見逃せないぞ)

 

 士気の低下故のミスか、それとも意図的なサボタージュか。亡命騒ぎからしばらくしてから、深海棲艦がアメリカ沿岸部まで接近されるケースが多くなってきていたのだ。親艦娘感情の強い地域は何とか許容範囲で収まっているのだが、大西洋側を始めとした地域では急激に増加していた。特に兵器派や排斥派、大まかに反艦娘派の住民が多い地域では、警戒網を突破され現地に被害が出ているケースすら発生している。

 この事態に現地住民は鎮守府への糾弾を強めており、これが更に艦娘側の反発を招くと言う負のスパイラルが発生していた。

 

「……何とかするしかない。せめて私が退役するまでに、ある程度の筋道をつけなければ」

 

 既に退役が決まっているアーロンだが、太平洋艦隊司令官の後任が決まっていない事から、まだ軍に籍が残っているのだ。親艦娘派の政治家や企業家が壊滅した事により政治的影響力は壊滅しているが、太平洋艦隊の親艦娘派の健在であるため、少なくとも軍内部での影響力はある程度は保有している。

 亡命の予防にしろ、士気の低下にしろ鎮守府の管轄は海軍にあるため、親艦娘派の付け入る隙は十分あった。

 

「もし……、いや、まだ間に合うはずだ」

 

 一瞬だけ最悪の事態が頭を過る。だが彼はそれを振り払い己を奮い立たせた。

 

 

 

 アメリカ政府及び国防総省が応急的に導入した鎮守府間の相互監視システムと通報制度は、殆ど機能する事は無かった。しかし完全に機能が停止していたかと言えば否である。ある要因により一部の鎮守府では一応ながらもこれらの制度が機能していたのだ。ある要因。それは軍から派遣された監視員、「特別調査官」がいる事であった。

 

「……これだけですかな? 提督殿」

「見ての通りだが? 調査官殿」

 

 カナダと国境が接するメイン州。とある鎮守府の提督執務室で、二人の男が睨みあっていた。一人はこの鎮守府の提督であるオルソン。もう一人は大西洋艦隊から派遣されて来た特別調査官だ。彼らは執務机に置かれた薄い書類の束を境に対峙している。

 

「『周辺鎮守府に異常は見られない』 調査に10日も掛けたにも関わらずこれだけですかな?」

 

 調査官はオルソンを睨む。しかしオルソンは気にした様子もなく肩を竦めた。

 

「実際に調査して何もなかったんだ。そうとしか書けないが?」

 

 二人の対立の焦点となっている書類。それはこの鎮守府が行った周辺鎮守府への監視の報告書だった。

 事の起こりは各地域で問題となっている対深海棲艦迎撃率の低下だった。例に漏れず、この低下傾向はメイン州でも発生していた。この事態に各鎮守府に不信感を感じた調査官は、提督へ周辺鎮守府への調査を『強く』要請したのだ。オルソンはその要請を承諾、手すきの艦娘たちに探りを入れされたのだが――、結果は見ての通りだった。

 

「明らかに迎撃率は低下しているのですぞ。艦娘も各種装備も損耗したと言う報告が無い以上、これは異常だ!」

「しかし何も異常は見られないと報告が上がったが?」

「ふん。大方艦娘の怠慢だったのでしょうな」

「ほう」

 

 イラついたように鼻を鳴らす調査官。そんな様子を見つつ、オルソンは内心で同意していた。

 

(正解だ。一々貴様の要請など聞くと思っているのか?)

 

 オルソンが調査官の要請を受けたのも、様々な要因があって渋々だったのだ。その様な状況下で、実際に各鎮守府を調査する艦娘にやる気があるはずもない。この報告書も艦娘たちが適当に書いた物だった。

 そんな邪な思考を顔には出さず、彼は応える。

 

「私はこの報告書は正しいと思っているさ。何せ彼女たちは私の艦娘たちだ。信頼しないでどうする」

「こんなものを書く輩のどこに信頼できる要素があるのです。まるで嫌がらせだ」

(良く分かっているじゃなか)

 

 特別調査官は鎮守府に赴き、脱走を始めとした不適切行為が行われない様に調査、監視及び政府への報告が主な職務である。鎮守府側にとっては各業務に寄与するならばともかく、ただ自分たちを監視するだけ人間など、歓迎するはずもなかった。調査官が提督の腐敗や横暴に対する内部告発の窓口になったため鎮守府に受け入れられたと言う例もあるが、飽くまで例外に留まるレベルだ。

 また嫌われる要素は他にもあった。

 

「今すぐ再調査を行ってもらいたい」

「何度やっても答えは同じだろう。そもそも、鎮守府が行えるのは監視までで、鎮守府内部の調査は特別調査官の仕事のはずだ。貴官が我が鎮守府の艦娘に調査官のまねごとをさせる権限はない」

 

 鎮守府を監視、報告すると言う業務の関係上、特別調査官の事実上の権力は大きい。この特性により、特別調査官が鎮守府の業務や作戦行動に介入して来るケースが起こっていたのだ。特に、相互監視システムや通報制度がほぼ機能していない事を鑑み、特別調査官が増員されて以降は、このような越権行為が各地で多発していた。この事が元々低かった士気を更に低下させると言う、笑えない事態に発展していた。

 

「なっ……」

 

 怒りに顔を歪める監査官を眺めつつ、オルソンは更に嘲る様に笑った。

 

「そんなに納得できないのならば、調査官殿が自ら各鎮守府に赴けばいい。貴官は私の艦娘よりも優秀なのだろう?」

「……」

 

 この言葉に調査官は沈黙する事になる。特別調査官の横暴に対して、元々政府に対して不信感を持っている鎮守府が黙っているはずがない。調査官への嫌がらせが多発していた。多くは軽いレベルなのだが、一部では調査官の精神が病む程の嫌がらせすらあるという。

 彼の居る鎮守府では、提督がある程度抑えているため一応は無事にいられたが、下手に余所の鎮守府に赴いた場合、ロクでもない目に合う可能性は十分あった。

 

「ともかく、再調査を要請する。……ご家族のためにも、提督殿には職務を全うして頂きたいものです」

 

 それだけ吐き捨てると、調査官は逃げるように執務室から出ていった。

 

「やれやれ、随分と露骨だな。元々は国家機密のはずなんだが」

 

 オルソンは肩を竦めた。調査官が口にした家族という言葉。それが未だに提督に着けられている、アメリカに留めるための首輪だった。

 提督をアメリカに留めるための工作は、アーロン大将やクーリッジ大統領の下で、夏までには中止される手筈であった。だが5月のロシアへの亡命事件の発生により、その流れに待ったをかける事になる。

 

「未だに工作は続いているにも関わらず、提督の亡命が発生してしまった。これまで以上の工作が必要なのではないか?」

 

 そんな声が政府の各方面から出て来るのも、ある意味で当然の事であった。これらの声に大統領も逆らう事が出来ず、結果的に提督への各種工作は未だに続けられていたのだ。

 オルソンの場合は、妻と産まれたばかりの娘が、政府の監視下にあった。監視の代償なのか、娘が患っている呼吸器系の疾患の治療には、それなりの優遇を受けられていたりするのだが、それでも煩わしい事には変わりない。

 

(まあ、こちらも対策は立ててはいるがね)

 

 これらの首輪に対しては、提督側で何かしらの対策を立てているケースは多い。彼も勿論既に対応策を取っていた。国家権力への対策など個人どころか組織でも困難な案件のはずだが、提督としての力を使えば難易度は一気に下がる事になる。対抗は十分可能だった。

 施した対応策を思い浮かべながら、オルソンは調査官とのやり取りで停滞していた書類仕事に取り掛かろうとする。しかし次の瞬間、それは遮られる事となる。

 

――リリリリリリッ

 

 執務机に備え付けられている電話機から呼び出し音が鳴り響いた。オルソンは小さくため息を吐くと受話器を取る。

 

「こちら執務室」

『提督? 警備艦隊のサミュエル・B・ロバーツです』

「サムか。深海棲艦を見つけたのか?」

『ううん。違うの』

「うん?」

 

 だが受話器からの聞こえる彼女の声には明らかに戸惑いの色が見えていた。

 

『えっと提督、偵察機が見慣れない艦娘艦隊を見つけたんだけど、何か知らない?』

「……何? 少し待ってくれ」

 

 その言葉にオルソンはデスクから鎮守府の担当する海域についての資料を引っ張り出し、他の鎮守府の艦娘艦隊が航行するかを手早く調べ上げる。だがいくら探しでも、現時刻に艦娘艦隊が航行する予定は組まれていなかった。

 嫌な予感を感じつつ、オルソンは警備艦隊に指示を送る。

 

「その艦娘艦隊の規模は? 後、通信には応答するか?」

『えっと、規模は140人くらいみたい。私も相手の艦隊に通信を出してるけど、全然応答してくれなくて――えっ?』

「どうした?」

『偵察機が撃墜されたって……』

「……まさか」

 

 オルソンが件の艦娘艦隊の正体に辿り着くと同時に、先程執務室から出ていった調査官が飛び込み、そして叫んだ。

 

「マサチューセッツで艦娘の集団脱走が確認された! 恐らくカナダに向かっている!」

 

 




共通ルートがようやく終わりました。次回でアメリカがどう滅びるのかが決定します。

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