それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》 作:とらんらん
ご指摘ありがとうございました。
北太平洋、アラスカ半島の沖合。深海棲艦の大型拠点から離れており、また度々アメリカや日本が近隣の中小拠点を掃除していたと言う経緯故に、比較的だが深海棲艦の出現頻度が低いこの海域を、航行する艦隊があった。護衛艦3隻と艦娘母艦、更にロシア太平洋艦隊所属の駆逐艦1隻を中心に編成された通常艦隊、そしてその周囲に多くの艦娘を展開させている日本の海上自衛隊の艦隊である。
周辺には敵である深海棲艦の姿は見えない。しかし艦隊は慌ただしく動いていた。
艦娘たちは空母艦娘を中心に航空機をしきりに発艦させており、通常の艦艇も哨戒ヘリコプターを発艦させると言う徹底振りである。上空の航空機たちは通常の海戦で見られるような大規模な編隊を作る事は無く、単機若しくは小編成で方々に散っていく。その様子はまるで何かを探すかの様な光景だった。
そんな艦隊の一角。伊豆諸島鎮守府の責任者である秋山の指揮する艦隊も、例に漏れず航空機を発艦させていた。
「航空隊、全機発艦しました」
『了解。後は待つだけだな』
旗艦であるサラトガに乗艦している秋山は、空を眺めながら呟いた。これまで数多くの航空機を発艦させたが、例に漏れず大半は偵察任務のために飛び去っており、今上空に残っているのは最低限の護衛機だけだった。
同じく空を見上げていたサラトガが、ポツリと呟く。
「……またここに来るなんて、思いませんでした」
その声色には、何処か憂鬱気な気配が見え隠れしている。彼女は以前アメリカ艦隊の一員として日本に向かうためにこの近海を航行した事があったのだ。その事が彼女に秋山とで出会う前の暮らしを思い起こさせていた。前の提督の元での暮らしに艦娘を取り巻く状況。サラトガにとって、アメリカにはいい思い出は無い。この様な反応になるのは当然とも言えた。
『だろうなぁ……』
秋山もサラトガが過去に何があったのかは、詳しくは知らない。本人が語ろうとはしなかった事もあるが、秋山としても積極的に彼女のトラウマに触れようとは思わなかったからだ。この方針については鎮守府全体で共有されており、サラトガの過去はある種のタブーと化していた。
(連れてきたくは無かったんだけどなぁ)
秋山は小さくため息を吐いた。アメリカに近いこの海域、そして今回の遠征の目的からして、サラトガのトラウマを刺激してしまう可能性は十分あるのだ。そのため秋山としては彼女をメンバーから外したかったのだが、防衛省上層部からの命令故にそれは叶わなかった。
『ごめんな』
「いえ、お気遣いなく。任務ですもの、仕方ありません」
自衛艦隊が日本から遠く離れたこの海域にいる事も、防衛省がサラトガ、正確には日本にいる全てのアメリカ艦娘を今回の遠征に組み込んだ事も、当然の事ながらちゃんとした理由がある。
2019年9月、ハワイ諸島拠点からの大規模攻勢が発表された事により、アメリカ合衆国に残っていた提督と艦娘は全て北に向かって逃げ出した。
提督や艦娘の視点から見た場合、この大規模攻勢を前に通常艦隊しか残っていない太平洋艦隊では撃退はまず不可能であり、また一鎮守府単独では1000隻規模の深海棲艦を相手にする事も不可能だ。勿論複数の鎮守府が連携すれば撃退は可能だろうが、自艦隊の損耗は避けられないし、何よりこれまで自分たちを虐げて来たアメリカに利する事になるため、その様な選択肢など無いに等しく、実質的に採れる選択肢は逃亡一択だった。
そんな状況に目を付けたのが日本とロシアだった。両政府はアメリカの大地を離れ海に乗り出した彼女たちを、いち早く回収する事を画策。急遽合同で遣米艦隊を編成する事になったのだ。
「それにここにはサラにしか出来ない事もあります」
実の所、この回収任務は防衛省上層部の一部で不安視されていた。相手はこれまでのアメリカ政府の所業故に、国家に懐疑的な印象を持っているかもしれないのだ。生まれた時から国家に属していた提督ならともかく、出現当初から虐げられてきた艦娘側がそうである可能性は十分にあった。
日本は親艦娘で通している国ではあるが、艦娘たちがそれを実感していない以上、回収に支障が出るかもしれなかったし、事実現地では何回か危うく回収に失敗しそうになった。
そこで出番となるのが、昨年の3月に日本に亡命した26名のアメリカ艦娘だ。
元同胞であり、逃げ出した先で生活をしている彼女たちの言葉であれば、頑なな艦娘も聞き入れるだろう、との事で遣米艦隊に編成される事となったのだ。
そしてこの対策が功を奏した。亡命艦娘の説得の下、遣米艦隊は現在の所順調に艦娘回収任務を継続出来ていたのだ。
《こちら畑野艦隊、これより保護対象を母艦に誘導する。なお保護対象はひどく疲弊している。救護班の出動を要請する》
遣米艦隊全艦に通信が入ると同時に、前方から艦隊の姿が見えて来る。比叡が先導する形で先行しており、他の日本の艦娘たちがアメリカ艦娘たちを護衛している。護衛される対象となっているアメリカ艦娘たちだが、その多くは酷く疲弊しており、更に中大破艦も多く見えた。
『随分と疲れているようだな』
「仕方ありません。サラたち艦娘は長期間の航海は出来ませんから」
深海棲艦の大規模攻勢を切っ掛けに、アメリカを離れ海に出た艦娘。しかし彼女らがユーラシア大陸まで辿り着けるかと言うと、それは簡単ではない。
艦娘のスペックだけ見れば大洋を渡る事は可能だ。途中で補給は必要となるだろうが、補給艦の艦娘もいるため、その点は問題は無い。問題となるのは海を航行する艦娘自身だった。
艦娘は能力こそWW2の実艦と同等だが、人間と同じように生理現象がある。要するに何も食べなければお腹が空くし、動き続ければ疲れるし、夜になれば眠くなる。これが長期間の航行の妨げとなる。乗組員がローテーションを組んで運用していた実艦時代の様に何日も航海をする事は困難だった。
更に今のアメリカには大量の深海棲艦がおり、その影響で航海中にはほぼ確実に深海棲艦と遭遇する事になる。交戦するにしろ、戦いを避けるにしろ消耗する事には変わらない。長期間航行と深海棲艦の存在によって、遣米艦隊に辿り着くアメリカ艦娘は、誰もが疲弊していた。
『それにしては艦娘の疲弊が酷いし、損害も多いな。大艦隊と遭遇したか?』
「もしかしたら……いえ、あれのせいですね」
サラトガがある物を見つけ、指差した。秋山もそちらに視線を向ける。そこには艦隊の後を着けるように日本の艦娘によって曳航されている漁船の姿があった。
『漁船か。……随分小さいな』
「恐らく人が乗っているのでしょう」
アメリカから逃げ出した提督の中には、提督以外の人間を連れているケースもある。同行者の多くが提督の家族や恋人、友人といった提督の関係者だった。提督以外の人間は艦娘に乗艦する事が出来ない以上、今回の様に船に乗って艦隊に同行しているのだ。
しかしこういった船が無傷であるパターンは殆どない。
『やっぱりボロボロだな』
「道中で深海棲艦に何度も交戦したのかもしれませんね」
『……生存者はいると思うか?』
「船を捨てていないという事は、多分。でも、全員が無事であるかは……」
『……』
言い淀んでしまうサラトガに、秋山はその先を促す事は出来なかった。
漁船にしろクルーザーにしろ、防御力など皆無だ。幾ら艦娘たちが護衛しているとは言え、海戦に巻き込まれれば多少なりとも損傷するし、船に乗る人間が傷つき、最悪の場合死んでしまう。遣米艦隊に辿り着いた船の中が、死体だらけ、負傷者だらけという事は珍しくは無かった。
『こうして合流出来ただけ幸運、なんだろうな』
「……」
提督についてきた一般人は、艦娘母艦収容後、亡命という形で日本の地に足を踏み入れる事になるだろう。危険な目に合いながらも、遣米艦隊と合流出来た彼らは幸運と言っても差し支えない。
――アメリカでは、今まさに地獄の様な光景が繰り広げられているのだ。
アメリカ合衆国西部に位置する州の一つであるコロラド州。州全体の標高がアメリカで一番高い事が有名で、また内陸部という立地故にこれまで深海棲艦の脅威から遠ざかっていたこの州は、現在、かつてない程の人間が流入していた。
東西の海岸から撤退して来た軍人、首都機能の移設に伴いワシントンからやって来た役人、深海棲艦の脅威から逃れてきた避難民、etc……。様々な理由でコロラド州は良くも悪くも賑わいを見せていた。
そんな州の最大都市であり、臨時首都が設置されたデンバー。市内のホテルを接収し作られた大統領執務室にて、クーリッジ大統領がクルーズ国防長官から報告を受けていた。
「先程、テキサスの第一騎兵師団の撤退が完了しました。これにより、全部隊が沿岸部からの撤退が完了した事になります」
「ようやくか。深海棲艦は?」
「両海岸共に侵攻を停止しています。恐らく現地にて橋頭保となる拠点を作成していると思われます」
「……そうか」
「またハワイ諸島拠点及びアゾレス諸島拠点より、増援と思われる大規模艦隊が出撃したとの情報が入っております。深海棲艦はこの死に体の国を随分と買ってくれているようです」
「……」
皮肉気に笑うクルーズに、クーリッジは沈黙する事しか出来なかった。現在の東西両海岸を占領している深海棲艦の数は大よそ1800隻。今のアメリカの実情を考えれば、滅ぼすのに十分な数が揃っているのだ。彼の皮肉は的を射ていると言っても良い。
そんな敵地攻略に万全な体制で挑もうとしている深海棲艦に対して、敵の侵攻を食い止めるアメリカ側は、目を覆いたくなる惨状となっていた。
「対する我が方ですが、この状況での再攻勢は困難であると判断し、内陸部での防衛戦に移行しました」
「……東はエリー湖以東、西はロッキー山脈以西を放棄、か」
「その通りです。更に深海棲艦の河川を利用した侵攻に備え、大型河川を中心に、防衛部隊を配置。これを持って防衛戦を計画となっています。しかし現状では計画通りに進まないでしょう」
「何故だ?」
「先の東西両海岸での防衛戦での損害が、事前の予想よりも大きい物となっています。特に陸軍の被害は甚大で、現在部隊の再編成を行っていますが、戦力が不足する事はほぼ確実です。応急の措置として、州軍を代用として投入していますが、戦力としては当てにはならないでしょう」
「空軍は? そちらは損害が殆どないと聞いたが」
「確かに早期に撤退が出来たため、おっしゃる通り損害は無いと言っても過言ではありません。しかし航空機は継続性が困難である事から、攻撃の主力となる事はありません。防衛戦を考えた場合、重要となるのは陸上戦力です」
人類の繰り出す戦闘機は、敵航空戦力及び対空能力と比較した場合、無敵と言っても良い存在ではある。だがそんな戦闘機も、何十発もミサイルを積むことも、燃料を無視して飛び続ける事も出来ない存在だし、戦車や歩兵の替りに陣地を守る事は出来ない。それ故に、航空戦力は重要戦力ではあるが、同時に主力にはなりえない存在なのだ。
「分かった、軍の事は君に任せよう」
「かしこまりました」
「……それで、本題だ。いつまで持ちこたえられる?」
クーリッジは目を細め何処か緊張した面持ちで、クルーズに問いかけた。これこそがこの場にクルーズをこの場に呼び出した目的なのだ。
「そうですね……」
大統領の問いに、彼は暫し考え込み、そして乾いた笑みを浮かべる。
「年が明けるまでは、何とか戦って見せましょう。しかしそれ以降は保証は出来ません」
この返答にクーリッジは思わず顔を歪めそうになった。しかし彼は何とか抑え込み、短く言葉を発する。
「……詳細を」
クルーズは表情を変えずに、再び口を開く。その様子は何処か達観した物が滲み出ていた。
「そもそも今回の内陸部での防衛計画自体が、艦娘離脱以降に緊急で計画された物です。防衛計画のベースは艦娘出現以前の物を流用していますが、当時とは戦況が異なるため、予想外の事態が起こる可能性が高いです。また必要となる物資についても手を尽くして掻き集めはしましたが、それでも長期の防衛戦をするには全く足りません。近い内に物資不足により、碌に戦う事も出来なくなるでしょう」
「……」
アメリカの滅びが近いことを言い切る国防長官を前に、クーリッジは黙る事しか出来なかった。クルーズはそんな大統領の姿を気にした素振りも見せず続ける。
「なお、この想定は相当に甘く見積もられた物です。敵の攻勢が激化した結果、早期に戦線が崩壊する可能性は十分にあります」
「……最早どうにもならないのか」
「ええ、どうにもなりません。これはいわば籠城戦です。外部からの援軍が無ければ、いつかは攻め落とされる。では、大統領にお尋ねします。援軍の当てはありますか?」
クルーズの問い掛けに、クーリッジは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
「カナダも中南米も拒否した。我が国の受けている攻勢の影響で深海棲艦の出現頻度が向上したらしく、対処に追われている。しかも戦況は芳しくない」
「でしょうな。カナダも中南米も艦娘戦力保有国ですが、小国と言っても差し支えありません。自国の防衛で精一杯でしょう。では艦娘大国は?」
「……日本、ロシア連合艦隊と、イギリスを中心としたヨーロッパ連合艦隊が出撃した。表向きはアメリカ合衆国救援としているが、内実は我が国から逃げ出した艦娘目当てだ。国務省の要請に『航路上に深海棲艦艦隊がおり、これ以上の接近は不可能』と抜かしている」
日英露のモスクワ会談により、アメリカが見捨てられ、その遺産が漁られる事は確定しているが、表向きには「人類が一致団結して深海棲艦に立ち向かう」という建前がある以上、三国としても外聞的にも、国民の反応的にも、何も行動をしない訳には行かなかった。
そこで利用したのがアメリカからの救援要請だ。各国ともこれ幸いと救援要請を口実に海に乗り出した。アメリカを救おうと言うアピールができ、更に早期に艦娘を回収出来ると言う、正に格好の機会だったのだ。
「つまり、援軍は無い、という事でよろしいですか?」
「ああ、そうだ。最早我が国を味方する国はない。……なぜ、こんな事になってしまったんだ」
絞り出すように呟くクーリッジ。その様子にクルーズは、呆れかえった様な表情を浮かべ鼻を鳴らした。
「当然でしょう。思い込みで艦娘を追い出した愚かな国の相手など、誰もしたくはありません」
多分、次回か次々回辺りにアメリカ編が終わると思います。