それぞれの憂鬱~深海棲艦大戦の軌跡~《完結》   作:とらんらん

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今回は試しにインタビュー形式にしてみました。


海を征く者たち80話 アメリカ崩壊~軍人たちは如何に戦ってきたか~

○カーニー・ハリソン アメリカ合衆国海軍・戦闘機パイロット(当時)

 

 合衆国が深海棲艦を相手に本土決戦を強いられる事になった当時、本土には戦闘機がかなりあった。F-15の様な空軍機は勿論、F-18といった空母に載せていた艦載機たちも本土に戻されていたんだ。

 かく言う俺も、空母から降ろされたタイプでな。アメリカ太平洋艦隊が壊滅する事になった、第六次太平洋海戦の生き残りさ。あの時は司令官の命令で艦隊を、本土に帰還する事になったんだ。

 当然、後ろめたさはあったさ。水上艦艇たちが必死に戦っているのに、俺たち飛行機乗りはオメオメと逃げ帰るなんてな。だがな。司令官や艦長に「アメリカを頼む」なんて言われちまったら、命令を無視する事は出来なかった。

 ……話がずれちまったな。ともかく2019年10月以降、アメリカ軍は深海棲艦を相手に内陸部に防衛線を敷いて戦っていた。その戦いには、当然俺たち元太平洋艦隊の飛行隊も参加していた。

 防衛戦という不利な状況だったが、飛行機乗りの士気は高かった。フリントなんて例外もいるが、空に関しては人類がアドバンテージを持っていたからな。対艦ミサイル攻撃や爆撃は戦場の要になっているんだ。だから皆「俺たちが深海棲艦を押し返してやる!」って息巻いていたんだ。

 地上からの要請で、俺たちは何処へでも飛んでいったさ。ある時は敵の小型航空機を相手にしたし、ある時はピンチになった地上部隊を助けるために対艦ミサイルを満載して飛び立った。そんな事が毎日の様に続いたんだ。

 でもな。そんな毎日が永遠に続く訳がなかった。

繰り返される戦いにどんどん消耗していったんだ。前線で戦っている兵士も疲れるし、弾薬はなくなっていくし、兵器だって壊れちまう。これは俺たちが乗っていた戦闘機も同じだ。

 最初の頃はしっかりとした整備の下で戦ってきたが、年が明けた頃からそれが出来なくなってき始めた。戦闘機に使う交換用の部品が足りなくなる事が多くなったんだ。東西両海岸とその周辺が落とされたせいで、保有する軍事力と戦闘規模に対して補給能力が全然追いついていなかったせいだ。

 そこからは酷いモンさ。部品不足のせいで稼働率が徐々に下がっていきやがった。何とか稼働率を維持しようと、飛行機の墓場(スクラップヤード)から部品を取ってきたり飛行不可能な機体をパーツ取りにしたりと、稼働率を維持しようとしていたが、安定する事は無かった。

 こんな事をやってりゃあ、直ぐに使える機体は無くなっちまうさ。お蔭で最後には、航空支援なんて余程の事でなければ出せなかったし、仮に出せても数機程度だ。碌な攻撃が出来るはずがない。基地にゃあ、乗れる機体が無くなったせいで、歩兵の真似事をやっているパイロットばかりだったよ。

……ああしかし、俺たちはまだ幸運だったんだろうな。空は最後まで俺たちの領域だった。だから地上の奴らとは違って、どうやって機体を飛ばすかだけを考えれば良かったからな。

 

 

 

○リック・オーウェル アメリカ合衆国陸軍・戦車兵(当時)

 

 戦車とは、陸の王者だ。特にアメリカが開発したM1A2こそ世界最強だと、私は考えていたし、今でも確信している。不整地でも最大速度48kmで走行可能な走破性、分厚い劣化ウラン複合装甲、そして120mmという巨砲。強力な陸戦兵器だ。

 だが……それは飽くまでも陸戦という領域限定のものだったんだ。それを私はアメリカの大地で嫌と言う程、思い知らされた。

 アメリカ本土防衛戦が始まった当初、軍は大型河川を中心に、防衛戦力を集中させていた。深海棲艦はあのナリのせいなのか、喫水線が恐ろしく浅い。大型船が入れないような河川でも簡単に遡上して来る。陸軍の仕事はそんな遡上して来る深海棲艦を撃退する事だった。

 私もそんな防衛任務に就いていた一人で、ミシシッピ川の防衛に回されていた。現地に着いた時は驚いた。戦車は勿論、自走砲や戦闘ヘリ、対艦ミサイルが大量配備されていて、更に何万もの兵士が防衛線を構築していたんだ。アメリカ最長の河川の防衛という事で、あそこには相当の戦力が配備されていたらしい。

 あの光景を見た時、深海棲艦も簡単には攻め込めないだろうと思ったよ。海とは違って敵の行動が制限されている。地形を利用すれば十分戦えるはずだ。そう考えたんだ。

 しかし数日後、実際に深海棲艦と戦う事になって――そんな甘い考えは吹き飛んでしまったよ。

 私たちの部隊がいくら攻撃しても深海棲艦は怯みもしなかった上に、敵は涼しい顔で反撃して来たんだ。

 少し考えてみれば当然の事だった。深海棲艦の本分――海戦では最低クラスの砲でも5インチ、つまり戦車砲以上の口径の砲弾が飛び交っているんだ。そんな戦場にいる奴らからすれば、私たちの部隊なんてただの的なんだろう。たった一戦で防衛部隊は大きな損害を出す事になってしまったんだ。

 当然、私の所属する戦車部隊も、深海棲艦の攻撃によって僚機が何両も破壊されてしまった。ここに至って思い知ったよ。私はとんでもない戦場にいるんだってね。

 ……あの戦場で分かった事は、戦車で倒せるのは精々駆逐クラスまでという事だった。軽巡以上となると歯が立たない。

 ああ、しかし戦車が役立たずだった訳では無かったな。PT小鬼の20mm機銃や駆逐艦の5インチ砲から兵士を守るために、盾になる事も多かったお蔭か、歩兵からの評判はそれなりにあったよ。

 話が逸れたな。ともかく、あの防衛戦は一戦するだけで大損害を出すような苦しい戦いだった。それでも私たちは何とか戦ってきた。……だがね。それも限界が来ることになったんだ。

 2020年1月頃から、補給が滞り始めた事は君も知っているだろう? ああ、戦車も例外ではなかった。時間が経つごとに整備不良で動けなくなる戦車が増えていったんだ。

 最初は、現地で破壊された車両から使えるパーツを引っ張り出して、何とか動かしてきたが、後々にはそれも難しくなってしまった。動けなくなった戦車に有り合わせの追加装甲を張り付けて、即席のトーチカとして運用する事もあったさ。だがこれはまだマシだった。アメリカが崩壊する直前には砲弾すら不足していたからな。

 私か? 私は運が良いことに、最後まで戦車に乗る事が出来たよ。アメリカ軍最後の組織的戦闘と呼ばれる「オクラホマの戦い」でも戦車兵でいられた。戦車がなくなってしまい、歩兵として戦って死んでいった元戦車兵と比べれば、不調ではあったが何とか動いてくれたM1A2に乗って戦えたのは、とても幸運な事なのだろう。

 だからね。M1A2こそ世界最強の戦車だと確信しているんだ。私が今ここで生きている事が、その証明になるのだからね。

 

 

 

○ゴードン・テイラー アメリカ合衆国陸軍・上等兵(当時)

 

 軍が両海岸から撤退して、防衛線を敷きなおした時期だったかな。アメリカは徴兵制を始めたんだ。深海棲艦相手の防衛戦なんて、人手がいくらあっても足りないのは政府も分かっていたんだろうね。

 うん。僕も徴兵組さ。高校を卒業してからはネブラスカで実家の農業をやっていたんだけど、招集されちゃってね。友達と一緒に近くの陸軍基地で訓練をする事になったんだ。短かったけど、あれは大変だったね。

 でも訓練を受けたお蔭で分かった事も有った。あの時点で、アメリカは相当追い詰められていたんだ。だって徴兵された人には僕よりも年下の子がいたり、ずっと年上の人もいたんだよ? あの時の僕は18歳だったから、あれは明らかに異様な光景だったよ。それだけじゃない。訓練期間もたった2週間だけで、前線の部隊に送られる事になったんだ。訓練の内容もお粗末だったし、それだけ戦況が良くない事は、みんな分かっていよ。

 前線での戦い? 最初は雑用が多かったよ。だって2週間訓練しただけの素人だよ? 本職の軍人さんたちも扱いに困っていたんだろうね。僕は実家のコンバインの整備とかをやっていた経験のお蔭で、戦車の整備をやってたよ。お蔭で戦車兵さんと仲良くなれた。

 でも、戦況は良くなかったからね。直ぐに徴兵組も深海棲艦と戦わなきゃならなくなっちゃった。

 やる事は単純。塹壕に隠れておいて、チャンスがあったら対戦車ロケットを撃ち込むんだ。ああ、あの頃の歩兵だけど、小銃を持っている人は殆ど居なかったかな。深海棲艦には小銃なんて効かないしね。カールグスタフが標準装備だった。

 でも、対艦ミサイルでやっと倒せるような敵に、対戦車ロケットなんて殆ど効かなかったね。だから何発も何発も撃ち込まなきゃならないんだけど、そんな事をしている間にも当然反撃は来る。そんな時は塹壕に隠れたりして何とか攻撃から逃れるんだけど、当然やられちゃう人もたくさんいた。うん。死傷者の大半は僕たちの様な徴兵組の歩兵だったんだろうね。

 一回の戦いで、戦死者の数は本当にすごい数だったよ。砲弾に機銃、それに深海棲艦の爆撃機が落としている爆弾。それのせいで何十人も殺されたよ。

 ……でもね。直ぐに補充要員は来て、防衛線を維持させられるんだ。当然来るのは僕たちみたいな徴兵組。……死んだら補充、死んだら補充。それの繰り返しだよ。

 え、補給の問題? うん。当然僕たちも無関係じゃないよ。戦車や他の兵器みたいに、ロケット弾が足りなくなっていったよ。時間が経つと共に、どんどん補給される弾薬が少なくなっていって、最後にはもう武器がないからって、銃とダイナマイトを渡された程さ。

 ああ、そう言えば軍が滅茶苦茶な事をしたのって、その頃だったかな。ん、なにがって? ――核攻撃の事だよ。

 

 

 

○デイビット・ノートン アメリカ統合参謀本部所属(当時)

 

 深海棲艦への核攻撃についてですか? 事の始まりは2019年10月、統合参謀本部からでした。

 東西両海岸の放棄と防衛線の再構築により、防衛戦の準備は出来ましたが、国防総省、統合参謀本部もこれが長く続かない事は理解していました。

 何せ必要となる物資が全く足りていない状況でしたからね。あんな事になる前から、少しずつですが内陸部に工場を移転させていましたし、東西両海岸の放棄にあたって出来る限りの物資を運び込みましたが、全軍が長期間戦うには全く足りませんでした。また、この状況を打開するには外国からの援軍が必要でしたが、そちらも見込めません。

 長期戦も出来ず、海外からの援軍が見込めない八方塞がりです。そこで目を付けたのが、核兵器です。

 

「深海棲艦相手に核は効果が薄いとは言え、ダメージ自体は受ける。核攻撃を集中させれば、倒せるはずだ。それに赤色結界も核の集中運用で突破出来るかもしれない」

 

 

 今となっては誰が言い出したのかは分かりません。しかしそんな声が日に日に大きくなっていきました。

 ええ、統合参謀本部だってクロスロード作戦の結果は理解していますし、2018年のパナマ侵攻時の核攻撃の結果は知っています。しかし完全に孤立していたアメリカには、核に縋るしかありませんでした。

 当初はクーリッジ大統領も拒否していましたよ。何せ、敵の占領地域とはいえ、本国ですからね。抵抗もあります。しかし2020年になり、前線、いえアメリカ全体で物資不足が目立ち始めた頃、ついに大統領も折れました。

 作戦が承認され、急ピッチで準備が進められました。あの時の空気は異常な熱気を帯びていました。ある種の狂気、といった所でしょうか。当時、アメリカに残されていた核兵器は約2500発。その大半を叩きつけるなんて、狂気としか言いようがないでしょう。

 ……意外と少ない? 核は深海棲艦に効果が薄いという認識でしたので、古い物をどんどん解体して維持費を減らし、浮いた分を通常兵器製造に回した結果ですよ。

 ――2020年、2月14日、6時15分。対深海棲艦核攻撃作戦「オペレーション・モーニンググロウ」が発令。ほぼICBMやSLBMを始めとしたあらゆる手段での核攻撃が行われました。

 核は沿岸部に集中的に、そしてまんべんなく投下されました。内陸部への侵攻があるとはいえ、深海棲艦が橋頭保としているのは沿岸部ですからね。当然、そこに敵が集中していたからです。

 この核攻撃の戦果ですが? 失敗とも言えますし、成功ともいえますかね。赤色結界の突破ですが、核の集中運用を持ってしても突破は出来ませんでした。しかし結界外で活動中だった深海棲艦ですが、核の連続爆発を前に沈んだ艦も多かった、と言うのが軍の見解でした。

 これにより深海棲艦によるアメリカへの圧力は一時的とはいえ大きく減りました。この間に、体制を立て直そうと軍も政府も動いていましたよ。

 もっとも多少なりとも平和だったのは、1ヵ月程度でした。3月の終わり頃から本格的な攻勢が始まりました。対するアメリカ軍は物資不足も相まって、連戦連敗。ドンドンと戦線が押されていきました。

 そして5月2日。オクラホマで戦いが始まりました。ええアメリカ軍の最期の組織的戦闘をした戦いです。あの時の軍は既にボロボロでした。兵士は深海棲艦に有効な武器を持っておらず、兵器も碌に動かせない状況です。戦いにもなりませんでした。

 ――この敗戦はアメリカの致命傷となりました。会戦の敗北が知れ渡ると、国民にモラル・ハザードが発生。各地で暴動や略奪が頻発しました。そしてアメリカ政府にはこの暴動を抑える力は、既に残されていませんでした。

 そして2020年5月8日。臨時首都デンバーで大規模な暴動が発生、首都機能は完全に停止しました。

 この時を持って、アメリカ合衆国は消滅したと言われています。

 




次回は、民間人から視点ですかね。

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