深海棲艦の小規模艦隊との戦闘をまさにパーフェクトゲームで飾ったあの日から三日後。
訓示の通り、皆慢心する事無く襟を正すと、翌日からは更に気を引き締め任務や訓練に励む日々が始まった。
そして現在。
自分は執務室の指定席に腰を下ろし、机の上に置かれている書類と戦闘中である。
なお、秘書艦用の机にて同じく書類と戦闘していた河内は、早々に一時停戦を申し出ていた。
「おい河内。だらけてないで手を動かせ、手を」
「うぅ、提督はん、パワハラや。無理やりやらせるなんてパワハラやで」
「あのな、そういうのは与えられた仕事をこなしてその上で更に仕事を強要されるから成立する訳で。与えられた仕事もこなしてないのにそんな意見を言っても擁護の余地なしだ!」
「そんなぁ~」
本来こなさなければならないものすらこなせていないのにパワハラだなんだと、全く、それはただのサボりだろ。
そのような意見を主張するなら、やる事きちんとこなしてから言え。
不満をたらす河内を他所に、止まっていた手を再び動かし始めた矢先の事。
不意に扉がノックされ、入室を求める声が聞こえてくる。
「どうぞ」
許可を出すと、執務室に入室してきたのは熊野であった。
「提督、先ほどの哨戒任務に関する報告書をお持ちいたしましたわ」
「あぁ、ご苦労様」
熊野は、先ほど自身が旗艦を勤める第二戦隊が行っていた哨戒任務に関する報告書を提出する。
提出された報告書を受け取ると、軽く目を通し記入漏れがないかを確認すると、とりあえず問題ないとの判断を下す。
「お疲れ様だったね、熊野」
「いえ、任務ですから。当然の事ですわ」
「補給はもう済んだんだな?」
「はい、皆さん手際よく行っていましたので、もう一杯ですわ」
「なら、これは自分からのご褒美だ」
執務机の引き出しから幾つかの箱を取り出すと、それを机の上に置いていく。
それは、どれもお菓子の入った未開封の箱だ。
「まぁ、よろしいんですの?」
「ご褒美だからな、第二戦隊の皆で遠慮せずに食べてくれ」
「ありがとうございます、提督!」
目を輝かせお菓子の箱を受け取った熊野は、心の底から湧き上がる笑顔と共に執務室を後にする。
第二戦隊の皆と、美味しい紅茶、そしてあのお菓子をお供に、ティータイムを楽しむ事だろう。
「……ええなぁ」
第二戦隊の面々の笑顔を想像していると、不意に先ほどのやり取りの一部始終を見ていた河内の、羨ましそうな声が聞こえてくる。
「えぇなぁ」
「熊野達は自分たちのやるべき仕事をちゃんと全うした、だから対価を支払ったんだ。河内も、ご褒美が欲しかったら、与えられた仕事をちゃんと終えてから言うように」
河内に釘を刺して再び止まっていた手を動かそうとした矢先。
河内の口から、聞き捨てならない言葉が聞えてくる。
「でもあれやね、提督はん。さっき提督はんがやってたのって、餌付けやね」
「おい、河内。餌付けはないだろ、餌付けは」
「でも言い方変えたら餌付けやろ」
全く、自身の書類仕事に対する情熱のなさ、それに対しての苛立ちを周りに向けないで欲しいものだ。
「そうか。そう言うなら、河内には今後、餌付けはなしだな。旗艦だものな、元連合艦隊旗艦。自意識が皆とは違うから、餌付けなんてしなくても大丈夫だよな?」
「……ワン、ワン! あたしは餌付けされたいワン!」
少しばかりお灸を据える意味も込めて意地悪なことを言ったのだが、その反応、もう呆れるほどだ。
「……河内。今のお前に元連合艦隊旗艦の誇りはないのか」
「ねぇワン!」
もうそれ以上、何も言い返すことはなかった。
さて、忠犬河内もとりあえず書類との戦闘を再開し、三度止まっていた手を動かし始めて久しい頃。
ふと気がついて壁にかけている時計に目をやると、時刻は既におやつの時刻であった。
「よし、時間もいいし、コーヒーブレイクにするか」
「待ってました!!」
なので、一休みする事を提案すると、河内は迷わず身を乗り出す勢いでこの提案に賛成を表明する。
「それじゃ、自分はお菓子を用意するから。河内、珈琲を頼む」
「任せとき!」
書類と向き合っていた時とは打って変わって、俊敏な動作で珈琲の準備を始める河内。
給湯室で河内が珈琲を用意している間、自分は執務机の引き出しを開け、中に入っているお菓子類の中から適当なものを見繕う。
「ほい提督はん、珈琲とお菓子用の食器持ってきたで」
タイミングよく河内が珈琲の入ったカップと食器を持ってきてくれたので、応接机にそれらを並べ食器にお菓子を盛ると、互いに応接椅子に腰を下ろす。
そして、淹れ立ての珈琲の香りを堪能しながら、コーヒーブレイクが始まる。
早速河内がクッキーを一枚手に取り、それを口に運び入れようとした、その矢先。
「失礼します!」
ノックもそこそこに、執務室に副官たる谷川が入室してくる。
しかも、何やら慌てた様子でだ。
「な、なんや?」
「どうした、谷川?」
入室してきた谷川の様子に、自分も河内も、手にした珈琲とクッキー、それぞれを口にする事無く途中で固まったままだ。
「あ、休憩中でしたか」
「いや、構わない。所で、急用か?」
手にしたカップを机に置いて谷川に用件を伺うと、谷川は息を整えて用件を話し始める。
「はい。実は、基地司令部より飯塚艦隊に対して輸送船団の護衛任務の命令が通達されました」
「護衛任務?」
「はい。オーストラリア管区はブリスベン港からラバウル統合基地への物資輸送の船団を護衛せよと」
「輸送船の積荷は?」
「衛生用品、洗剤、家庭日用品等の日用品。それと、お菓子や珈琲等の嗜好品です」
「お菓子やて!!」
護衛対象の船団の積荷を確認していると、それまで固まっていた河内が突如大声を上げて動き始めた。
「それホンマなん!?」
「あ、は、はい。確認しましたから、間違いありません」
「提督はん! 行こ! 今すぐ行こ! 直ぐ行こ!!」
「お、落ち着け河内。まだ詳細を確認して終えてい……」
「このままやったら輸送船団はブリスベン港から出港できへんねんで! そうなったら
身を乗り出し、このままでは絶望があたしのゴールやと言わんばかりに、対面する自分に顔を近づけて力説する河内。その目は、かなり血走っている。
どうやら、好きなものが絡むと途端にやる気がみなぎるのは、人間のみならず艦娘も同じらしい。
「分かった、分かった。谷川、司令部に詳細な情報を記載した書類を送ってくれるよう手配してくれ」
「分かりました」
「それから、河内。各戦隊の予定は?」
「あ、そやな。確か第三戦隊は訓練、第四戦隊はソロモン諸島方面の哨戒任務。第一及び第二戦隊は休日やで」
「分かった。では
「了解や!」
各々に指示を飛ばすと、飲みそびれていた珈琲を飲むべくカップを手に取る。
そして、丁度よい温度に冷めた珈琲を一気に飲み干すと、護衛任務に向けて自分も動き始めるのであった。