ラバウル、それは常夏の楽園。
都会の喧騒を離れ、一時的な楽園での時間を満喫するには、まさに最高の場所であろう。
ただし、それは人生と言う名の長い時間の流れの中にあって、一瞬の内での事。
人生の長い時間をこの地で過ごす、そうなれば、果たしてそこが楽園と言えるのだろうか。
答えは、分からない。
人は慣れる生き物だ。だから、一定の時間をその場所で過ごせば、楽園とまでは言えなくとも、居心地のいい場所にはなるだろう。
では一体、自分は何を問題としているのか。
それは、その場所が楽園或いは居心地がいいと感じるようになるまでに有する時間の事だ。
その時間は人によって様々だ。
短時間の内にその域に達する者もいれば、五年や十年を経ってもなお、その域に達せない者もいる。
そして、その問題提起に自分自身を当てはめてみると。
自分はまだ、残念ながらこの全身に纏わりつくような暑さを快適、とは思えていない。
さて、暑いと感じた時、多くの者はどうするか。そう、冷たい飲み物を口にする。
特に発汗によってミネラルや水分が失われているような現状では、スポーツドリンクがいいだろう。
ラバウル統合基地内でスポーツドリンクを置いている場所は幾つかある。一番に思いつくのはやはり
しかし、何とも残念な事に、先ほど
スポーツドリンク以外の清涼飲料水はまだ売っていた、だが、自分の口は既にスポーツドリンクを受け入れる準備を整え終わっていた。だから、他の清涼飲料水を買うと言う選択肢は選べなかった。
さて、
官舎に設けられている休憩室には、自分や補佐のスタッフ、それに艦娘達が自由に利用できる自販機や冷蔵庫が設置されている。
そして、自販機の取り扱い商品の中にはスポーツドリンクも含まれている。
候補が決まれば、後は目的の自販機目指して足を運ぶだけ。
相変わらず太陽が燦燦と輝く屋外から、空調により見事なまでの室内環境を作り出している官舎へと足を踏み入れると、一目散に休憩室を目指す。
時間帯によっては賑わっている休憩室だが、今は閑散としている。
賑わっていては自販機であっても売り切れになる可能性があるが、閑散としているならばその心配はない。
大股になりながら自販機の前までやって来ると、まだ売り切れのランプが点灯していないことを確認し、ポケットから小銭を取り出す。
ここの自販機は、命をかけて戦う戦士達に優しいオールワンコインの為、細々とした小銭は必要ない。
小銭を入れ、ボタンを押し、受け取り口に出てきたスポーツドリンクを取り出そうと手を伸ばしたまさにその時。
「アッハハハハハハハハハッッッ!!! ベンディングマシーンで物欲をぶっ潰せぇぇ~!」
耳を劈く愉快な声が響き渡ったのである。
その声量たるや、大西洋の海底から大空の彼方に浮かぶ空中都市にまで飛んでいきそうな程だ。
「……」
耳の奥まで響き渡った愉快な声が消えるまで、暫しの時間を有した。
だが、声が完全に消えると、自分は折角買ったスポーツドリンクを取り出すこともなく、踵を返して一路ある場所へと向かう。
そこは、昨日、先ほど利用した自販機の修理を依頼した二人が今現在職務に専念している場所。
そして、修理ついでにちょこっと改造を施してしまったのであろう二人がいる場所。
そう、工廠だ。
「明石!! 夕張!!」
暑さも喉の渇きも吹き飛ばして、工廠に響き渡るような大声で、限りなく黒に近い二人の名を呼ぶ。
すると、プレハブ事務所から疑惑の二人が姿を現す。
「どうしたんですか、提督。そんな大声出して?」
「そうですよ、何かあったんですか?」
何故自分が大声で自身の事を呼んでいるのか、しらばくれているのか、それとも本当に考えが及んでいないのか。
二人の表情からは分からない。
「二人とも。昨日、官舎の休憩室にある自販機が壊れたんで修理してくれと頼んだよな?」
「……あ~、はいはい。そういえば、そんな事も」
「……あったような、気がするような、しないような」
だが、休憩室の自販機という言葉が出た瞬間、二人の目が、明らかに泳ぎ始めた。
やましい事がなければ、目が泳ぐ筈はない。
これは、もう間違いないとみていいだろう。
「さっきその自販機を使ったんだがな。知らない間に妙な機能が追加されてたんだ。……二人とも、知らないか?」
返事を返さない二人の目を交互に見つめるも、二人は目を合わせようとはしない。
最早これは決定的だ。
「正直に話してくれれば、今回の件は水に流す事も、考えなくはないが?」
「……お、面白そうかなって」
「ゆ、夕張!」
「ん? どうしたんだ、夕張?」
「確かに、自販機に修理以上の手を施したのは全部私達のせいです!! でも、それが悪いことだとは思いません! 故に、私達は謝らない!!」
「そうです! 大体、ただ直しておしまいだなんて味気なさ過ぎます! 最近は喋る自販機もありますし。従来通りの自販機だけなんて、全然遊びがなくてつまらないじゃないですか!!」
「そうそう! だからこれは私達なりの思いやりです!! 心遣いです!!」
素直に謝るどころか、逆に清清しいぐらい開き直る二人。
その開き直りっぷりには、もはやため息すらも出なかった。
この二人、各々の職務には誠実なんだが、それ以外となると少々羽目を外し過ぎる傾向がある。
今回の件も、親切心だなんだと御託を並べているが、世の中にはその親切が他人にとっては大きな迷惑になる事だってあるのだ。
今後、二人が今回のように羽目を外し過ぎないようにする為にも、確りとお説教をして言い聞かせなければ。
それと、あの自販機を元に戻すようにも言わないと。
「いいか、明石、夕張。親切と言ってもそれは他人にとっては……」
二人の心に響くように一言一言丁寧に説いていく。
やがて、お説教が終わり二人の心境に変化が現れたかどうかを確かめてみると。
「でも私達は謝らない!!」
「そう、何故なら私達は遊び心を忘れぬ、相性ベストマッチな二人で一人の
「そう、例えどんなお説教をされようと、私達の心は揺るがない。何故なら! 私達の心は、鋼のムーンサルトだから!!」
「イェーッイ!!」
成る程、反省の気持ちが微塵もないのは大体分かった。
よろしい、ならばお仕置きだ。
「二人とも、正直に話してくれれば水に流すと言ったな。……あれは嘘だ」
「「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!」」
青筋を浮かべながら笑顔でお仕置きの開始を告げる自分に対し、明石と夕張の二人は、漸くふざけ過ぎていたと理解したのか、肩を寄せ合い恐怖に顔を歪める。
だが、もう謝るには、遅きに失していた。
明石と夕張の二人にお仕置きを執行し、あの自販機もユートピア・シティの香りを取り除き、再び普通の自販機として営業を再開した。
そして、自分はといえば。
執務室にて午後の業務に勤しんでいる。
「なぁ、提督はん」
「ん? どうしたんだ、河内?」
すると、所用で執務室を空けていた秘書艦の河内が執務室に戻ってくるや否や、自分に質問を投げかけてきた。
「何で明石と夕張の二人、『私がやりました』なんて書かれたプラカード首から下げて廊下で正座してるん?」
「さぁ、何でだろうな。世の中、不思議なことがあるものだな」
穏やかに質問に答えると、河内は何かを察したのか、それ以上この件については尋ねることはなかった。
さて、少し喉が渇いたので、すっかりぬるくはなったスポーツドリンクを飲むとするか。
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