地元の青く綺麗な海、幼い頃より慣れ親しんだこの海を、今、私は陰鬱な気分で眺めている。
それというのも、周囲に殺到している人混みの多さからではない。
他人の海を、我が物顔で航行している鉄の船のせいだ。
「皆さま、お待たせいたしました。只今より、訓練展示を開始いたしたいと思います」
船上に響き渡るアナウンスの後、私の乗る軍艦の左側を航行する軍艦の主砲が火を噴いた。
実弾ではなく祝砲らしいが、その迫力は実弾発射と何ら変わらない。
周囲の客共は歓声を上げてどよめき、その勇ましい姿に釘付けになっているようだが、私は、そんな姿を同じ目で見る事はない。
その後も潜水艦や空母といった軍艦の訓練展示が続き、その度に、周囲の客共は私の神経を逆なでするような反応を示す。
だが、私はそんな周囲の反応に逆上することなく、自らの感情を抑え続けながら、愛すべき海で行われる愚かな行事を見つめ続けるのであった。
時は経ち、夕焼けに染まるニューブリテン島の一角。
近隣の地元住民も知らぬ森の中、そこに、私達の組織のセーフハウスは存在している。
「あぁ、リーダー。お帰りなせぇ」
セーフハウスに足を踏み入れると、出迎えたのは私の腹心の一人である初老の男。
私よりも一回り上ではあるが、私や組織の為に奔走してくれる頼もしい男だ。名を、フォアという。
無論、本名などではない、組織内での秘匿名だ。
「所で、どうでした、敵情視察の方は?」
「ふ、苦々しい事この上なかった。私たちの愛すべき海を、奴らは我が物顔で荒らしていたのだからな。……だが同時に、再び燃え上がらせてもらったよ、奴らを愛すべき海から追い出し、再び愛すべき海を私たちの手中に収める解放の炎にね」
あの行事を拝見するにあたり、変装の為に着用していた付け髭やメイクなどを落とすと、素顔の私に戻った所で椅子に腰かけながらフォアから留守中に変わった事はなかったかを尋ねる。
「いえ、特に問題なく」
「そうか」
フォアが用意してくれた水を一口含むと、暫し目を閉じ、昼間の光景を思い出す。
私達組織の憎き敵、国際地球連合の先兵であるラバウル統合基地。
私たちの長年にわたる憎しみの炎で同基地が焼き尽きてゆく姿をこの目で見るのも、そう遠い事ではない。
だが、私たちの悲願を達成するためには、"奴ら"の支援なしには成し得ないだろう。
「……所で、"例の物"に関して奴らから何か連絡はあったか?」
ゆっくりと目を開き、フォアに奴らからの連絡の有無について確認を行う。
「いえ、まだ特には……、あ」
「ん?」
返答の途中で何かに気が付いたのか、フォアが不意に声を漏らす。
それに反応するように、私も、フォアの視線の先に見た物を確かめるべく、視線をセーフハウスの出入り口へと向ける。
「YO! YO! 調子はどうだYO!!」
そこにいたのは、ラッパー口調が特徴的な、私達の浅黒い肌よりも更に濃色な、アフリカ系の私と同年代の男性であった。
しかも、彼はその口調のみならず、格好もまた個性的で目に付く。
趣味の悪い星形のサングラスに、首や手には付け過ぎなほどのアクセサリー。
長身の鍛え上げられた己の肉体を自慢したいのか、上半身は裸で、ダメージジーンズにこれもまた趣味の悪い帽子を被っている。
とどめとばかりに、時折口元から見えるは、黄金に輝く金歯。
出来る事ならば関わりたくないものなのだが、生憎と、私は彼との関りを断つわけにはいかない。
何故なら、彼は私たちの組織の最大の支援者である"ブラック海軍"の連絡員なのだから。
「お出になるのなら、先に一報欲しい所ですが?」
「OHーっ! それはすまなかったYO! でも、最近連合軍の目や耳が厳しいから、アポなしも致し方ないんだYO!」
椅子から立ち上がり、ご足労おかけいただいた彼と握手を交わす。
にしても、何故ブラック海軍はこのような輩を私達との連絡員に任命したのか、未だに理解に苦しむ。
確かに能力の方は優秀だ、それは長い付き合いの中で認めざるを得ない部分だ。
だが、やはりこの個性的すぎる人格は、何時までたっても受け入れがたい。
「それで、突然お出でになった理由は?」
「OHーっ! そうだったYO! 今日来たのは、例の物の引き渡しの目途がついたから、それを教えに来たんだYO!!」
「ようやく、ですか」
「待たせてすまなかったYO! これが、引き渡しの日程と場所だYO!」
何処からか取り出した一枚の紙には、私達が待ち焦がれていた例の物の引き渡し日とその場所が書かれていた。
不意に、笑みがこぼれる。
これで、解放の為の準備は整う。
あとは、解放の炎を撃ち込むのみ。
「所で、確認なんだけどYO! ちゃんと代金の方は用意できてるのかYO!?」
「ご安心を、……フォア、例の帳簿を」
「へい!」
フォアに指示し、例の物を購入するための資金、それを書き記した帳簿を持ってこさせる。
フォアから受け取った帳簿を目にした彼は、資金の方は何の問題もないと理解していただけたようだ。
「OK! OK! そっちの準備も万全なんだYO! それじゃ、おいらは用件も終わったんで失礼させてもらうYO!」
相変わらずじっとしていられないのか、それとも、動かさなければ喋れないのか。
手の振りを交えながらお暇すると告げる彼に、私は、今しばらくこちらの話を聞いてもらうべく制止を呼びかける。
「少しお待ちいただきたい」
「ん? 何だYO!?」
「今回の事も含め、ブラック海軍の援助には感謝に堪えない、だからこそ」
「だからこそ? 何だYO!?」
「今回の解放計画実行の際には、是非とも、ブラック海軍の更なる支援。具体的には、実働部隊による共闘を是非とも願いたい!」
私に背を向け立ち止まり話を聞いていた彼だが、不意に私の方へと振り返ると、その太い眉を大きくひそめ始める。
「あー、そいつぁ……、無理だYO!!」
「な、何故!!」
「悪いけど、今はまだ表立って動ける時じゃないんだYO! だから、物資などの提供はするけど、共闘はできないYO!!」
「く……」
「そもそも、おいらの一存だけじゃ、あんた達と共闘するかどうかなんて決められないYO!! んじゃ」
再び私に背を向けると、彼はセーフハウスから立ち去ろうとする。
確実に、確実に開放を成し遂げる為にはブラック海軍との共闘が必要不可欠だ。
にもかかわらず、彼らは物資の都合をつけるだけで、何ら表立って共闘しようとはしない。
私達の立場が彼らと対等でない事は分かっている。だが、それでも。
心の中で膨らむやるせなさを紛らわせる、あるいは、溜まりに溜まった鬱憤を少しでも解消したかったのか。
「何がブラック海軍だ……、表に出ず裏でコソコソと、まったく文字通り
気づけば、小声で愚痴を零していた。
「っ! が!!」
だが、次の瞬間。
凄まじい速さで私の胸ぐらが掴まれ、その勢いのまま足が床から離れる程体を持ち上げられる。
その犯人は、誰であろう、連絡員の彼であった。
「おいおい、あんたよぉ、今のは聞き捨てならねぇんだけどさぁ?」
先ほどとは打って変わり、その口調はふざけたラッパー口調などではなく。
また声も低く、ドスの効いた声であった。
まさに別人、口調が変わっただけなのに、今の彼からは恐怖すら覚えてくる。
「陰湿って言ったか? あぁ?」
「っ、あ、そ、それは……」
「あんたさぁ、自分の立場、分かってんの? おいら達があんたら支援してなきゃ、今でもあんたらはただ道の片隅でギャーギャー喚いてるだけの存在でしかなかったんだぞ?」
「そ、れは……」
「別によぉ、おいら達は支援すんのがあんたらじゃなくてもいいんだよ。代わりは幾らでもいるんだ。そこんとこも、分かってのさっきの発言か? あぁ?」
「っる!」
「あ? なんだって?」
「先ほどの、は、発言は、撤回する! すまなかった!」
刹那、私の体が重力に逆らうことなく床へと叩きつけられる。
喉の気道の急激な変化にむせていると、私の背中をいたわるように、彼がさすり始める。
「YO! 分かればいいんだYO!! 所で、大丈夫かYO!?」
「……、あぁ」
「それはよかったYO! それじゃ、今後こそ、おいら、失礼するYO!!」
再びいつものラッパー口調に戻った彼は、セーフハウスから出て行った。
彼が出て行ったのを見届けると、私は立ち上がり、己の不甲斐なさとやるせなさをまるでぶつけるかのように、近くの椅子に蹴りをいれる。
「り、リーダー……」
「あぁ、すまない。少し取り乱したようだ」
部下の前で椅子に八つ当たりするなど、何と恥ずかしい事か。
だが、そのお陰で、少しばかり冷静さを取り戻す事は出来た。
確実性の大幅な向上は見込めない事は分かったのだ、ならばブラック海軍との共闘などという夢物語はさっさと切り捨て、私達自らの手だけで確実に解放を成せるように努力すればいい。
頭を切り替え、フォアに指示を飛ばす。
「ふん、陰湿海軍め、見ているがいい。私達がこの母なる海を解放し、解放の炎をラバウルにともすその時を……」
まもなくだ、まもなく、私達の悲願の炎はともされる。
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