「はぁー……」
「うわ、司令官、むっちゃ深いため息ついてるやん!」
「提督様、相当お辛いんでしょうか?」
「ご主人様、大丈夫ー?」
不安な未来に深いため息を漏らしていると、入室許可も取らずに誰かが執務室へと入室してくる。
顔を上げ入室してきた者の顔を確認すると、そこにいたのは、龍驤、加賀さん、そして漣の三人であった。
「ん? どうしたんだ三人とも、今日は休みの筈だろ?」
三人の所属する第三戦隊は、本日はローテーションにより休日となっている。
故に、わざわざ執務室に足を運ぶ必要性はない筈なのだが。
「なんや、金剛から司令官がむっちゃ辛気臭そうにしとるって聞いたから、励ましたろと思てな!」
「提督様、お辛い事がありましたら、遠慮なく言ってくださいね」
「漣達がご主人様の悩みなんて吹っ飛ばしちゃうよー!」
どうやら食堂で自分の情緒不安定さを見た金剛から、三人に話が伝わり、自分を励ますべくやって来たようだ。
あぁ、なんて気遣いのできる素晴らしい
嬉しすぎて、今にも目から熱いものがこみ上げて流れ出してしまいそうだ。
「ぐす、あ、ありがとうな」
「いやぁ、まさかそこまで思い詰めとるなんて思ってへんかったわ」
「提督様、心に留めず、私達に遠慮なくぶつけてくれていいんですよ」
「ドーンっと受け止めちゃいますよ、ご主人様!」
「本当にありがとう、でも、その気持ちだけで十分だ。悩んでた事は、まぁ、プライベートな事だから、あまり言えないんだよ」
心配そうな表情の三人に元気づけられ、立ち上がった自分は、三人に感謝の印とばかりに握手を交わす。
「まぁ、人に言われへんもんは誰にでもあるさかいしゃあないけど。せやけど、あんまり辛気臭い顔皆の前でせんといてや。司令官がシャキッとしてへんかったら、ウチらの士気にも関わってくるんやから」
「本当に辛くなったら、ため込まずに言ってくださいね、提督様。喋れば荷が下りますから」
「ご主人様はやっぱり、いつもシャキッとしていた方がかっこいいですからねー!」
「ほな、司令官も元気になったし、ウチらはこれで失礼するわ」
「失礼いたします」
「じゃあねー!」
こうして元気づけてくれた三人は、執務室を後にした。
執務室に一人残された自分は、再び椅子に腰を下ろすと、暫し目を閉じる。
心を落ち着かせ、気持ちを切り替え、そして、決意を新たにすると、ゆっくりと目を開ける。
「……よし」
そして執務机の上の書類に手をかけると、黙々と書類を片付け始める。
今はただ、自身の職務を果たすために邁進するのみ。
そして、視線を手元と書類に固定してからどれ程の時間が経過しただろうか。
時折、定時報告を確認するためにタブレットに目を移す以外殆ど手元と書類しか目にしていなかったので、時間経過が分からない。
が、そんな状況もここまでだ。
何故なら、今し方、本日中に片付けるべき最後の書類を無事に片付け終えたからだ。
「ふぅ」
ようやく一段落したので一息つける、そう思うと、集中力が切れたからかあちこちから疲れが襲い掛かる。
とりあえず、疲れ目を解消すべく目頭を押さえる。
「なんや、ようやく終わったんかいな」
「あぁ、河内か」
「あぁ、って。あたし一応、三時間位前からおったんやけど」
「え? そうだったのか?」
目頭を押さえ終え、ピント調節がてらに視線を動かしていると、秘書艦用の机で仕事をしている河内の姿に気が付く。
「ホンマに提督はんは、仕事に集中しすぎてあたしらの事全然気づいてへんかったやな。……小休止しよって、折角阿賀野と能代がケーキ持ってきてくれたのに、提督はん、声かけても全然反応せいへんかったし」
河内の話から、どうやら自分は書類を片付けるのに集中し過ぎていたようで、河内はおろか阿賀野と能代が入室していた事すらも気が付いていなかったようだ。
「それは悪かったな。……所で、阿賀野と能代、三人で食べた"チョコレートケーキ"は美味しかったか?」
「ゲッ! なんでチョコレートケーキやって分かったん!? あたしケーキとしか言わへんかったのに! 提督はん、もしかしてエスパー!?」
「な訳あるか、口の周りに付いてるぞ、食べかす」
お喋りしながら食べたからか、河内の口の周りには、茶色いクリームが付着していた。
そんなクリームを指で取り除き、最後の余韻に河内が浸り終えた所で、再び河内が語り始める。
「せやけどホンマ、提督はんもよう集中力続くなぁ。あたしには昼から夕方までなんて、とても無理やで」
夕方まで、河内の口からそんな言葉が漏れた瞬間、自分は腕時計を確認し現在の時刻を確かめてみた。
すると、既に時刻は夕刻を差していた。
「あぁ、もうこんな時間だったのか」
暢気に時間が過ぎるのが早いと呟いていると、不意に、扉をノックする音が響き渡る。
入室許可を出すと、刹那、書類を手にした谷川が執務室に入室してくる。
「先輩、呉鎮から書類が送られてきました」
「あぁ、あれのか、うん、ご苦労」
谷川から受け取った書類に軽く目を通す。
名雲呉鎮守府司令長官が言っていた視察代行に必要な書類で間違いなさそうだ。
谷川が退室した所で、改めて詳しく書類に目を通していく。
今回の視察代行で赴くのは、伝えられた通り、クック諸島の主島であるラロトンガ島。
同島に設けられている極東州海軍管理下にある、"ラロトンガ警備府"と呼ばれる警備府だ。
クック諸島は、もともとオセアニア州はニュージーランド管区と自由連合制、外交や防衛等の権限をニュージーランド管区に委ねた関係を構築していた。
しかし、大陸から離れた南太平洋の島国という地理的環境から深海棲艦の脅威に対しては脆弱で、また同諸島の主な産業も観光業である事から保護対象としての順位も低くならざるを得ず。
結果、ニュージーランド管区、ひいてはオセアニア州から半ば見捨てられる事となった。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
それが、極東州であった。
ま、とはいえ、慈善活動で極東州がクック諸島に助け舟を出す筈もなく、おそらく裏では子供には決して見せられないようなドロドロした思惑があっての事だろう。
とそんな経緯があって設けられたラロトンガ警備府。
現在の人事は、最高責任者を兼任している提督が一人に、艦隊及び警備府運営の為の補佐が十数名。
そして部下である艦娘が二十名程と、妖精達。
主な役割は、近海の警備と監視ではあるが。
記載されている同警備府の報告書の内容を精査した文章を読むに、少なくともこの数か月は大規模な深海棲艦の脅威に晒されている様子はないようで、羨ましいかないたって平穏な日々を過ごしているようだ。
「……あれ?」
一体こんな羨ましい、もとい、穏やかな警備府ライフを送っているのは何処のどいつだと詳細な人事が書かれた書類に目を通した時。
そこに記載されている提督の氏名を見た瞬間、自分は声を漏らさずにはいられなかった。
何故なら、そこに書かれていたのは、呉鎮時代に自分がお世話になった人物の名前だったからだ。
「どうして、西邑少佐の名前が?」
当時提督として活躍していた西邑少佐からは、参謀部の人間ながら、提督としてのいろはを学ばせてもらった。
また、西邑少佐を通じて、様々な交流も持たせてもらった。
だが、そんな恩師ともいうべき西邑少佐との付き合いは、僅か一年ほどで終わりを告げる。
その理由は、西邑少佐が中佐への昇進に伴い、呉鎮から佐世保鎮守府へと異動する事になったからだ。
佐世保鎮守府に異動した後は、少しの間交流もしていたが、互いに忙しい身となった事で自然と交流も途絶えてしまった。
だが自分は、今でも西邑少佐が佐世保鎮守府で頑張っているものとばかり思っていた。
故に、西邑少佐の名がラロトンガ警備府の最高責任者兼提督の欄に記載されている事実に、驚かずにはいられなかった。
「直接会えば、語ってくれる、かな?」
どのような経緯で、恩師が人材の墓場にいく事になったのか。
会って本人の口から語られるかは不透明だが、出来る事なら、本人の口から本人の意思で語られるのが望ましい。
「なぁ提督はん、さっきから書類見てぶつぶつと何言ってるん?」
「ん、あぁ、悪い。ちょっとな」
西邑少佐の件は、今は頭の片隅に置いておこう。
それよりも、今は視察代行の為に色々と準備を進めていかなければならない。
先ずは、急な視察代行で自分が不在となる為に、任務のローテーションを基地司令部と話し合って変更してもらわなければならない。
「ちょっと基地司令部に行ってくる」
「いってらっしゃーい」
書類とタブレットを手に執務室を後にすると、官舎を出て基地司令部へと赴く。
行きは暁に染まっていた基地内も、話し合いを経て官舎へと戻る頃には、既に太陽は地平線の向こうへと沈み空には美しい星々が輝いていた。
官舎へと戻ると、視察代行に同行させる人員の選定や自分が留守中の代理選定等、河内や補佐スタッフを交えて決めていく。
こうして必要な準備が概ね整い終えた頃には、既に夜も深まり、基地内は静寂が多くを支配し、多くの者が明日への英気を養うべく夢の世界へと出かけている。
「ふぅー、ふあ」
選定作業などで長らく同じ姿勢を取り続けていた為か、体の節々が凝り固まっている。
それをほぐす為ストレッチを行うと、凝りがほぐれたのを確認すると、軍服から寝間着へと着替える。
「おやすみ」
誰もいない私室に響く挨拶、それを合図に部屋の電気を消すと、自分はベッドに横たわり、怒涛の一日の疲れを癒すべく夢の世界へと旅立っていく。
──あれ? おかしいな、自分はいつの間に起きて軍服に着替えていたんだ。
何故か再び意識を覚ますと、自分はいつもの執務室で佇んでいた。
「おかしいな?」
違和感を覚えつつも、とりあえず定位置である椅子に腰を下ろそうと執務机に近づく。
すると、執務机の上に置かれた一枚の紙に目が留まる。
「何々? 食堂に来てください?」
紙に書かれていたのは、食堂に来て欲しいとの内容であった。
しかし、不思議な事に、これを書いたと思しき差出人の名は何処にも書いていない。
悪戯か、直感でそう判断したが、何故か気になり。
気づけば、執務室を出て食堂へと向かっていた。
にしても、何だか先ほどから視界、否、世界そのものが歪んでいるような気がするのだが、気のせいだろうか。
色々と気になる事はありつつも食堂へと足を運ぶと、差出人と思しき人物を探し始める。
が、探すどころか、食堂内には人っ子一人見当たらない。
「すいませーん!」
呼んでみるも、全く返事は返ってこない。
一体、どうなってるんだ。
「っ!?」
刹那、食堂内の照明が消えた、否、それはまるで世界が暗闇に飲まれたかの如く、食堂内を漆黒の闇が覆う。
一体何だこれは、停電なんてものではない。
仮に停電だとしても、非常用電源はある筈だし、何より窓がある為日の光が差し込んである程度の明かりは確保できる筈だ。
一体全体、何が起こっているというのだ。
兎に角、落ち着け、落ち着くんだ。
先ずは自身の身の安全を守るべく、腰のホルスターから武器を……。
って、ない!
ホルスターはおろか、愛銃のカスタムガバメントの感触も何処にもない。
暗闇の中、いつも装着している部分を必死に手の感覚で探すも、何処にもそれらしいものの存在は感じられない。
こんな大事な場面でどうして身を守る為の武器がないんだ。
焦りの色を出し始めた自分であったが、刹那、突如としてスポットライトのような光が照らされる。
暗闇の中、突如として出現した光に目を細めながら、照らされた光の中を確認すると。
何やら、人らしき者の輪郭が確認できる。それも、一人ではなく複数人の。
「おやおや、誰かと思えば、提督じゃないかー」
聞き慣れた声が響く中、光にも慣れ、徐々に視点が定まるにつれて複数人の人物の判別もはっきりと確認出来始める。
「き、紀伊? なのか?」
光に照らされたその中心、そこにいたのは。
高級そうな椅子に腰を下ろし、優越な笑みを浮かべている紀伊の姿であった。
「それに、金剛に、ガングートに、コンテ・ディ・カブール……」
しかも、その周りには先に申した者のみならず、阿賀野や夕張や天龍、それに漣や五月雨等の自分の部下である艦娘達の姿。
更には、他の提督達の配下にある艦娘達の姿まであり。
加えて、漏れなく彼女たちの目はハートマーク。
その様子は、まさに紀伊が選り取り見取りな美女たちを侍らせているかのようであった。
「な、何してるんだ、お前……」
「何って、見ての通りさ。いや~、まいっちゃうよ、俺、モテちゃってさ」
あれ? 紀伊ってこんな性格だったっけ。
「あ、ごめんごめん。提督には分かんないよね、この、圧倒的な優越感ってやつ」
否、紀伊はこんなに他人を見下すような奴ではない。
「あ、ガングート。俺、喉乾いちゃったからさ、ミルク、くれる?」
「しょうがないな、ん、ほ、ほら」
なんて思っている間に、おいおいおい、一体何を始めてるんですか。
大事な部分を露わにしたかと思えば、紀伊が思い切り顔をうずめ、いや、それはまさに授乳以外の何物でもない。
「ふぅ、相変わらずガングートのミルクは美味いな」
「ねぇ紀伊、私のmilkも飲んでくださーい」
「ぼ、僕だって出せるんだよ!」
「私も!」
「わたしも……」
一体何なんだ、どうなってるんだ。
私も私もと次々に紀伊に授乳してほしいと懇願し始める彼女達。
それを、受ける側の紀伊は満足げな笑みで選んでいる。
「こ、これは、何なんだ……」
目の前で繰り広げられるカオスな光景に、自分は自然と後ずさりしてしまう。
が、直ぐに足を止める。
何故なら、後ろに気配を感じたからだ。
「っ!?」
振り替えて気配の正体を確かめると。
そこにいたのは、紀伊達と同じくスポットライトの光に照らされた、チェザリス中佐とローマの姿があった。
しかも、チェザリス中佐がローマのたわわなメロンを鷲掴みで……。
というかあの体制にローマのとろけるような表情、あれ絶対、あれだよね。
「よぉ、飯塚中佐」
「ちちち、チェザリス中佐、何をしてるんですか!?」
「何って、なにだよ」
「場を弁えてください!」
チェザリス中佐は確かに少々場を弁えない行動もあるが、ここまで見境のない人ではない。
「一応弁えてるぞ。だから服、着てるだろ?」
「服着てれば公共の場でなにをしていい、とはならないですよ!」
とんでもない屁理屈がチェザリス中佐の口から飛び出し、自分は頭を抱えたくなった。
「そんなにカッカしちゃって! 鉄分、足りてないんじゃないか!?」
刹那、聞き慣れた声が右から聞こえ、声の方へと振り向くと。
そこには、スポットライトの光に照らされたマッケイ少佐。否、オージー・ビーフマンの姿があった。
「鉄分不足にはこれ! そう、オージー・ビーフ!!」
「「ビーフッ!!」」
ご丁寧に、同じ格好のホバートとアルタンもいる。
あぁ、これは一体、本当に一体何なんだ。
このカオスな空間は、一体全体どうなってるんだ。
「ぱんぱかぱーん!!」
「っ!?」
刹那、背後から、即ち自分の最後の退路である方向から聞こえてきたのは、聞き慣れない声であった。
ただし、その声の主の見当ならついている。前世でもゲームで、そして現世でも呉鎮時代に他の提督方が連れていて聞き覚えがある。
そう、この声の主は、重巡愛宕のものだ。
「誰、だ?」
振り返ると、そこにはスポットライトの光に照らされた提督と思しき男性と愛宕が仲良く並んで立っていた。
ただ、何故か提督と思しき男性の顔はぼやけていて確認ができない。
しかし、その軍服から同じ極東州海軍の者であることは判断できる。しかも相手の階級は大佐だ。
「駄目だよ、逃げてちゃ」
「何を、言ってるんですか、貴方は?」
「掴まないと……。強請らず、待たず、自ら動かないと。じゃないと、掴み取れないよ、勝利ってやつは」
「しょう、り?」
「あっと、そろそろ時間だ。じゃ、お別れだね」
「はーい、せーの、足元がぱんぱかぱーん!!」
愛宕の意味不明な言葉が響いた刹那、足元から伝わったのは、浮遊感であった。
しかし、それも一瞬の出来事。
次に伝わってきたのは、否、体感したのは自分の体が重力に逆らわず落下していく感覚。
そう、暗くて見えなかったのだが、どうやら自分の足元の地面が消え、底の知れない何処かへと落下しているようだ。
「ぬぁぁぁぁっ!! うぶっ!!」
暫しの落下の後、叩きつけられる様に落ちたのは、水面であった。
早く泳がないと、頭ではそう思っている筈なのに、何故か身体は動かない。
その間にも、自分の身体はどんどん水底へと沈んでいく。
──誰か、誰か。
声も出ず、身体も動かず、ただ水底へと沈みゆく。ゆっくりと、絶望感に蝕まれていく。
しかし、その時。
水面に光が反射し、誰かの影が浮かび上がる。
──あれは、一体、誰だ。
誰とも分からぬ影、その影から、自分目掛けて腕が伸ばされる。
まるで、絶望から自分を救い出してくれんとする希望のように。
刹那、それまで動かなかった身体が不思議と動くようになり。
精一杯、伸ばされた腕を掴まんと、自身の腕を伸ばす。
あと少し、もう少し。
掴み取る、自分は、掴み取ってやる。
──未来という名の勝利を。