「っ、は!!」
飛び上がるようにして目覚めてみれば、そこは、薄暗いながらも自身の私室であった。
「あれ?」
壁にかけられた時計、ベッド脇のベッドサイドチェストに置かれたタブレットと愛銃のカスタムガバメント。
そして、窓からうっすらと差し込む月明かり。
間違いなく、そこは自分自身の私室で間違いなかった。
「つまり……、さっきまでのは、夢」
現在時刻を確認すると、就寝前に確認した時刻から、まだ二時間程度しか経過していない。
「にしても、なんて夢だよ」
今し方まで見ていたものが全て夢の中の出来事であった、その事実を確信すると、安堵感と共にため息が漏れる。
例え夢であったとしても、その内容は
故に、目覚めは最悪。
「うわぁ……」
加えて、相当うなされたのか。
着ていた寝間着やインナーシャツは汗でぐっしょり、不快なことこの上ない。
「着替えよう……」
なので、早速ベッドから起き上がり部屋の電気をつけると、新しい寝間着やインナーシャツに着替え、不快感も払拭できたので再び眠りにつこうかとベッドに腰を下ろした。
だが、ふと思う。
今寝るとまた悪夢を見てしまうのではないか、仮に悪夢は見なくとも、寝つきは悪くなりそうだ。
となると、少し気分をリフレッシュして寝つきをよくした方がいいだろう。
「よし」
部屋の電気を再び消す事を止め、三度着替えを始める。
着替えるのは、いつもの着慣れた軍服だ。
そして軍服への着替えを終えると、私室を後に、忍び足で官舎を出ていく。
「すー、はー」
昼間の喧騒が嘘のように、夜の基地内は静かであった。
深く深呼吸すると、南国の潮風が肺一杯に充填される。
「綺麗、だな」
そして、空を見上げれば、ここが軍事基地である事など忘れさせてくれる程の、美しい星々が夜空に散りばめられている。
空気が澄んでいる為か、その輝きは、都市部で見るよりも一際鮮明で美しい。
あぁ、これがプライベートの旅行で訪れているのならば、更に気分は高揚していただろうな。
例えばそう、レーニャと二人きりの旅行、とか。
なんて、ちょっぴり妄想に浸りながら何気なく基地内を歩いていると、気づけば、艦娘達の艤装等が係留されているバースへと足を運んでいた。
昼間と異なり基地内に響く雑音が少ない為か、心地の良い波の音が耳に届いてくる。
「ん?」
と、外灯に照らされたバースの一角に、座っている人影を見つける。
服装からして艦娘ではないが、一体誰だろうか。
「……あ」
「ん? あぁ、誰かと思えば、ハジメか」
近づく自分に対して、腰のホルスターに手をかけんとしていたのは、誰であろうレーニャであった。
「こんな時間に、奇遇ですね、フロイト少佐」
「……む、今は、レーニャと呼んでほしい」
場所がてらフロイト少佐と呼んだのだが、どうやら今はレーニャと呼んでほしいようだ。
頬を膨らませ不機嫌ながらそう主張する彼女の顔は、とても可愛かった。
「あぁ、分かったよ、レーニャ」
「ふ、それでいいぞ。さ、隣に座るといい」
呼び方を改めると、レーニャは満足した様子で自身の隣に座るように誘ってくる。
彼女の誘いに乗り、自分はレーニャの隣へと腰を下ろす。
「ハジメは、こんな時間にどうしてここに?」
「寝つきが悪くて、それで気分転換に」
「そうか」
「レーニャは、どうしてここに?」
「私か? 私は、……その、笑わないでくれよ。……星を、眺めていたんだ」
あぁ、少し恥じらいながら理由を述べるレーニャの顔は、とっても可愛い。
「笑わないさ。とっても素敵な理由じゃないか」
「そ、そうか! うん、ありがとう」
あぁ、若干俯きながら照れを隠すレーニャは、とっても可愛い。
「それにしても、綺麗だな」
「え!? そ、そんな、急に言われると、は、恥ずか……」
「星」
「……うぅ」
早とちりして更に顔を赤らめるレーニャは、とってもとっても可愛い。
と、あまりからかい過ぎると何処からか保護者の方々の鋭すぎる視線と鉛玉が飛んできそうな気がするので、この位で止めておこう。
「でも本当に、ここから見る夜空の星は綺麗だよな」
「そう、だな」
「こんなに綺麗だと、ずっと眺めていたくなるのも分かるな」
「ふふ、そうだろう。……でも、私はただ綺麗だから眺めていた訳じゃないぞ」
「え?」
「この満遍なく見渡せる夜空の星を眺めていると、思い出すんだ。北海に残してきた部下達の事を」
そう言いながら星を眺めるレーニャの瞳は、何処か物悲しさを宿らせていた。
「だが、同時に。この星空の下、北海に残してきた部下達と私は今でもつながっている、そう思える。いや、そうとしか思えん! だからこそ、私はこの地で武勲を立て、再び部下達の待つ北海に戻ってみせる! そんな意欲が湧いてくるんだ」
刹那、その瞳が宿すのは、溢れんばかりのやる気であった。
「……で、でも、最近は、少しその考えも変えなくてはと感じ始めているんだ」
「え? どうして?」
「は、ハジメを残して、北海に戻るのは……。さ、寂しいから」
あぁ、再び恥じらいながら、最後は聞こえるか聞こえないか程の小声になりながら理由を語る乙女なレーニャは、今すぐにでも抱きしめたくなる程可愛い。
だが、耐えるんだ自分。ここで欲望のままに抱きしめようものなら、保護者の方々が黒いナニを手にもって押しかけてくることは容易に想像できる。
まだだ、まだ強引にステップアップするような時じゃない。
「じゃぁ、レーニャが武勲を立てて北海に戻る前に、自分が昇進して将官になって、将官権限で北海に残っているレーニャの部下をラバウルに異動させよう。そうすれば、離れ離れにならずに済む」
「ふふ、ハジメ、それは随分と都合がよすぎるんじゃないか」
「そうかな?」
「……でも、ありがとう」
欲求を抑え込むついでに変な事を口走ってしまったが、自分としては少しばかり本気で考えていたのだ。
レーニャは冗談と思っているようだが、確かに仮に将官に昇進しても、新米将官に他の州海軍の人事にまで口を出せる影響力があるとは思えない。
しかし、雲呉鎮守府司令長官辺りならば、もしかしたら可能性があるかもしれない。
一度、ダメもとで上申してみるか。
心の中で、レーニャの笑顔の為に頑張ろうと心に誓うのであった。
「さてと、それじゃ、そろそろ戻るよ」
レーニャと話をした事で、随分と気分はよくなった。
これなら、寝つきもよくなりそうだ。
「あ、ならその前に、いいか」
「ん?」
「とっておきの、寝つきがよくなる"おまじない"があるんだ。だから、試してもいいか?」
官舎に戻ろうと立ち上がる直前、レーニャからおまじないという単語が飛び出し、立ち上がるのを止める。
レーニャはあまり迷信じみたものは信じないと勝手に思っていたが、少しばかり異なるようだ。
「じゃ、折角だし、試してもらおうかな」
「よし、では、目を閉じて、そのまま動かずにじっとしているんだぞ」
言われた通りに目を閉じたが、一体どんなおまじないなのだろうか。
──ん。
今、今確実に、自分の頬に温かくやわらかな触感を感じたのだが。
これって、もしかして。
「も、もう目を開けてもいいぞ」
目を開けて、直ぐにレーニャの方を見てみると。
そこには、今まで見た事もない程顔を真っ赤にして若干うつむき加減のレーニャの姿があった。
「レーニャ、あの、今のおまじな……」
「そ、それじゃぁな、ハジメ!! 私は先にお暇させてもらう!!」
おまじないの正体を確かめるよりも前に、レーニャは素早く立ち上がると、急ぎ足に自身の官舎へと帰っていった。
「やっぱり……、だよな」
残された自分も、とりあえず立ち上がると、自身の官舎を目指して歩き始める。
そしてその道中、未だ感触の残る辺りを手で触りながら、おまじないの絶大な効果を噛みしめるのであった。
同時に、自然と口角を上げながら。
翌朝。
目覚めバッチリ、やる気百二十パーセントで支度を済ませ私室を後にすると、廊下で遭遇した朝風と朝凪に声をかける。
「やぁ朝風、朝凪。二人とも、おはよう! いやー、今日も晴天! 全くもっていい朝だな!」
「あら? 司令官も朝の素晴らしさを遂に理解したのね!」
「えー、朝風姉ぇ。朝はつらいよー」
「もう、朝凪は本当に朝が弱いんだから!」
「ははは、それじゃ二人とも、また後でな」
姉妹の仲の良さをほほえましく眺め終えると、自分はスキップしたくなるような軽々しい足取りで朝食を食べるべく食堂へと向かう。
「ねー、朝風姉ぇ」
「ん? 何よ?」
「司令官、何だかいつもより嬉しそうだったね」
「? そうだったかしら?」
角を曲がる寸前まで二人の会話に耳を立てながらも、結局、それ以上は角を曲がった為、聞くことはできなかった。
こうして官舎を出ると、その直後、任務を終えて帰港した第六戦隊の面々と遭遇する。
「提督、第六戦隊、只今任務を終え無事に帰港いたしました!」
代表でユキが帰港を宣言すると、自分は無事に帰ってきてくれた事を喜び、そして彼女たちの労をねぎらう。
「ねー司令? もしかして、何か嬉しい事でもあったの?」
労をねぎらい終えると、不意にニコからそんな言葉が飛び出した。
「ん? 急にどうしたんだ、ニコ?」
「だってさ、何だか司令、凄く嬉しそうなんだもん」
「ニコ達が無事に帰ってきてくれたから、じゃないからか」
「いや、提督が嬉しいのは
「あ、分かりました! きっと、楽しみにしていた高級牛タンの缶詰を食べたから嬉しいんですね!」
「お姉ちゃん……。多分それで喜ぶのはお姉ちゃんだけだと思うよ」
「そうかな」
「はいはーい! もしかして、いい夢見れたとか!?」
「その可能性は無きにしも非ず、とは思うが。案外、理由はもっと単純なものかも知れぬ。例えば、今日の星座占いが一位であった、とか」
そして、いつの間にやら自分が嬉しそうな理由を勝手に推理し始める第六戦隊の面々。
「あー皆、盛り上がるのは構わないが、出来れば報告書の作成など、やる事を終えてから盛り上がってくれると助かるんだけど」
「あ、そうでした! では提督、失礼いたします!」
自分の言葉で我に返ったのか、第六戦隊の面々は敬礼した後、報告書作成の為に官舎内へと消えていった。
そして自分は、彼女たちの姿を見届けた後、再び食堂に向けて歩き始めるのであった。
「よぉ、飯塚中佐」
「おはようございます、飯塚中佐」
「飯塚中佐、おはようございます」
こうして足を運んだ食堂で、朝食中のチェザリス中佐とローマ、そしてマッケイ少佐と出会う。
「ん? なぁ、飯塚中佐。何か嬉しい事でもあったのか?」
「え? いきなりどうしたんだよ?」
「いや~、なんて言うか、な、ローマちゃん」
「そうですね。今の飯塚中佐は、全身から幸せのオーラが放たれています」
体面に座ったチェザリス中佐とローマから、そのように指摘され。
「よほどいい事があったんですね、飯塚中佐」
隣に座っているマッケイ少佐からも、幸せさが隠しきれていないと言われてしまった。
こうしていじられながらも朝食を終えた自分は、本日の業務を始めるべく官舎へと舞い戻る。
その道中、今日も今日とて騒がし羨ましい紀伊ハーレムと遭遇したのだが。
「ははは、今日も楽しそうだな。うんうん」
特に負の感情など湧くことなく、清々しい笑顔さえ浮かべられた。
「Oh my God! 遂にテートクがぶっ壊れたデース!」
「金剛、それは飯塚中佐に失礼だと思うが?」
「でも僕は、昨日の飯塚中佐よりも今の飯塚中佐の方が好きかな」
「提督、今日は随分と調子がいいみたいだな」
「あぁ、"おまじない"のお陰でな!」
「おまじない?」
「ふ、紀伊も何れ分かるさ」
「お、おう……」
昨日の自分にさようなら。
そう、自分は生まれ変わった、いや、一皮むけたんだ。
そう、自分にはレーニャいる。だから周りの幸せに過剰に反応する事なんてないんだ。
時間はかかるだろう、だが、必ず掴み取ってみせる。
強請らず待たず、掴み取ってやる。彼女との、幸せな未来ってやつを。
「さぁ! 今日も張り切っていくぞーっ!!」
その為にも、先ずは喫緊に迫った視察代行を無事に乗り越えなければ。