艦娘たちの「形見分け」を巡る小話です。

※Pixivにも投稿しています。

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道を刻みて名を惜しむ

 どやどやと隊舎の一室に艦娘たちが集まり、手際よく役割を決めてバケツリレーのように部屋の中のものを運び出している。

 文房具、本、日記、CD、制服、ジャージ、下着、煙草、カレンダー、ポスター、ウォークマン、枕、目覚まし時計――ありとあらゆる物が見る見るうちに外に出され、談話スペースに整理されてゆく。青いビニールシートの上に置いているからだろうか、その光景はまるで押収物の公開を準備しているかのようだ。

 私は渡されたものをせっせと右から左へと受け渡しながら、呆然とそれを見つめていた。みんな黙々と、一部は少し雑談混じりにテキパキと執り行っている。それはあまりにシステマチックで、私の想像していたものとはどこまでも乖離していた。

 そうして数十分後、談話スペースには綺麗に分類された品々が整然と並べられていた。

 

「さあ、何を持っていく?」

 

 パンパンと手を叩き、競りの開始を宣言するかのようにビニールシートの前に立った軽巡艦娘が高らかに言う。一見すれば、その艦娘が――退役するだとか、他の鎮守府に転属になったとかの事情で――自分の部屋にあった物を他の艦娘たちへ譲り渡すささやかなイベントにも見える。

 でも、本当は違う。

 これは形見分けだ。一昨日に戦闘で沈んだ艦娘の持ち物を形見分けするために、みんな集まっているのだ。

 目の前にいる軽巡艦娘は轟沈した彼女が――私より五つ上の駆逐艦娘だった――所属していた部隊の部隊長だ。彼女の死を間近で見届け、制服の欠片とドッグタグの二つしか持って帰れなかったことに対する悔しさを包み隠すことなく露わにし、激しく慟哭していたその張本人。それが今は“遺品”を前にこの場を取り仕切り、あたかもオークショニアのようだ。

 

「まあ、適当に指名していくよ。はい、じゃあまずは――」

 

 最初に指名された艦娘は確か沈んだ艦娘の僚艦だった。迷いなく真ん中に置かれていたヘアピンを手に取ると、すぐに元いたところへ戻ってゆく。最初から決めていたのかもしれない。

 それからも順々に――同室や僚艦にかつての同じ部隊の仲間など何らかの繋がりがあった艦娘から、特段何も関わり合いのない、ただ同じ鎮守府にいるというだけで下手すれば沈んだ艦娘の顔どころか名前すら知っていない艦娘(私はこっちだ)へと――番が回っていき、遺品を取っていく。葬式の焼香よりもかかる時間は短いかもしれない。誰もが何ら迷いを見せずに呼ばれてはすぐに何かを持って戻り、そして次の艦娘も同じことを繰り返してゆく。

 そして最後に私の番になった。……しまった! ぼんやりと見つめているだけで、どれにするだとかまだ一つとして考えていなかった。

 慌てて私は目の前にあった本の並びから適当に文庫本を一冊を抜き取る。背表紙すら見ずに取ったその本はどうやらSF小説のようだった。沈んだ艦娘はそういう趣味だったのかもしれないが、正直なところあまり興味のないジャンルだった。たぶん、この先も読むことはないだろう。予感でなく確信だった。

 果たして、この本はどうすればいいのだろう?

 遺品に目を戻すと、ちらほらとまだ残っているものがあった。

 

「じゃあここに来れてない子の分をやろっか、代理で来てる子はいるー?」

 

 私を含めて四分の一程度の艦娘が手を挙げる。この鎮守府に着任して間もない私は、同室であり部隊の先任でもある駆逐艦娘から「形見分け」の手伝いに行くように命令を受けていた。そのついでに彼女の分の形見分けも貰ってくるように仰せつかっていたのだ。

 

「オッケー。見た感じだと数は足りそうだね、余ったら二巡目行くからまだ帰らないでね」

 

 先任の分は特に指定がなく「何でもいい」と言っていた。なので私はなんとなしに目を惹かれた万年筆を手に取った。持った感触からすると、意外にモノは悪くない万年筆だ。

 二巡目は私に回ってくる前に終わり、そして解散になった。

 後には折り畳まれたブルーシートと、最初からそこには一人の艦娘しかいなかったかのように半分ががらんどうになった部屋だけが残った。

 

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

「どうだった?」

 

 夕方、うっすらと部屋に西日が入る。隊舎の部屋に戻ってきた先任は私を見ると、一言そう尋ねてきた。

 先任はいたずらっ子のような目をしている。私に行かせたのは抜けられない用事が先任に入っていたのもあるだろうけれども、半分くらいは好奇心に違いない。

 

「正直なところ、よくわからなかったです」

 

 包み隠すことなく私は答える。実際、まだよくわかっていない。目の前の机に置いた二つの品――本と万年筆。ページを開く気にもキャップを開けて試し書きする気にもなれず、私は先任が戻ってくるまで手持ち無沙汰ににらめっこしていた。

 先任は「そうよねぇ」と軽く笑った。「あたしも最初は面食らったもの」

 

「あれは……何なんですか?」

「何か、かぁ。そうね……強いて言うなら儀式、かしら」

「儀式?」

 

 首をかしげる私に先任は「あたしもまだよくわかってないけど」と前置きして、

 

「あれは命を受け継ぐ儀式なの。沈んじゃった子の、そしてその子が持っていた物をかつて持っていた誰かの、みんなの命を。そうやって命を伝えていく。生きていく」

 

 先任は自分の机の前に作った本棚から一冊の文庫本を取り出した。私も題名だけは耳にしたことがある有名な海外の文学作品だ。表紙のカバーは擦り切れてボロボロで、紙も焼けて黄土色に変色している。

 

「たとえばこの本はね、まあ内容は特に面白くもない小説。あたしにとっては難しすぎてよくわからないしすぐ眠くなってくる。前にこれを持ってた子、もう沈んじゃった子も読んだことすらないって言ってた。でも、この鎮守府にはこの本を面白かったと思ってる子が確かにいた。生きてた。戦っていた。あたしたちはそれを伝えるために、ずっとこの本を持ってるの。もう何人もの艦娘が、この本を受け継いできた」

 

 ぺらり、とカバーを取って表紙を捲る。表紙の裏には幾人もの艦娘の名前が記さていた。書道でもやっていたのだろう達筆な筆跡があると思えば、学生らしさの残る丸文字もあるし、お世辞にも綺麗とはいい難い個性的な字もある。一つとして同じ文字はない。

 

「これ、全部ですか……?」

「全部じゃない。ここに名前を書いてない子もいる。あたしの前に持ってた子もその一人。あたしも名前は書かないつもりよ」

 

 どうして、と聞こうとして私は口をつぐんだ。それはあまりにも無粋な質問だった。でも表情に出てしまっていたのだろう、先任はくすりと笑って、

 

「今、どうしてって思ったでしょう?」

「……はい」見破られてしまってはどうしようもない。

「あたしはね、書く必要はないと思ってる。この本が存在することそれ自体に意味があるから、そこに名前はいらない」

 

 先任はいつになく哀愁を帯びた口調で私に語りかける。私はただ曖昧に頷いて疑問符を頭に浮かべることしかできなかった。

 

「ねえ、死ぬことは怖い?」

「へ? い、いえ。怖くはありません! 艦娘は海の防人。もとより海に斃れ骨を沈める覚悟です」

 

 唐突な問いに、咄嗟に口をついて出てきたのは口頭試問に備えて覚え込んだ言葉だった。つい試験官を前にしたかのように背筋がピンと張る。それがあまりにおかしかったのか、先任は破顔した。口元に手を当てて声にならない笑いを出している。

 

「ふふ、いい模範解答ね。優秀優秀。……でもね、あたしは怖い」

「え、こわい?」

 

 私が鸚鵡返しにそう言ったとき、まだ私はその三つの音の集まりの意味をはっきりと認識できていなかった。

 こわい。怖い。

 怖い? 今、先任は怖いと言った?

 ええ、と先任は肯き、

 

「どれだけ出撃を重ねようと、どれだけ戦果を上げようと、死の恐怖は決して薄れない。足がガタガタ震える。心臓は暴れ馬みたいに言うことを聞かない。汗が止まらない。逆流してきた胃液が乾ききった口に染みてとても苦い。今すぐにでも全てを放り投げて逃げ出したくなる。……どれもこれも、あたしの恐怖がもたらすもの」

「せ、先任……?」

 

 陸での物腰は柔らかくとも、ひとたび海に出れば気弱な言葉は一切こぼさず勇猛果敢を体現するかのような苛烈な戦いぶりをいつも見せていた先任。

 今聞いた言葉は本当にそんな先任の口から出てきたものなのだろうか? 西日に包まれていつの間にか船を漕いでしまった私の夢ではないのか?

 呆気にとられて二の句が継げない私を気遣うように先任は微笑む。私のような日の浅い駆逐艦娘の間で“仏”の異名を得ている笑顔。確かに目の前にいるのは私の知る先任に相違ない。

 信じられなかった。

 

「口では慣れたとか、怖くないとか強がっていても、本当はとても怖い。いつだってそう。私は誰よりも臆病なの。でも――」

 

 先任はそっと本を、綿毛に触れるかのようなふわりとした手つきで優しく撫でる。

 

「でも、形見分けされたこれを見ているとほんの少しだけその恐怖も薄れる。声も顔も名前すらも知らない誰かが生きていた事実をあたしが受け継いだように、あたしが生きていた事実をあたしの知らない誰かがきっと受け継いでくれる。数多の死を乗り越えて、最後の一人になるまで。それは希望よ。その希望が死の恐怖へ立ち向かう勇気をあたしに与えてくれる。震える口を抑えてみんなを鼓舞する格好いい台詞だって言えるようになるし、当たったら一発でオダブツな砲弾をぶっ放してくる敵戦艦に吶喊できるようにもなる。だから名前は必要ないの。受け継がれるのは名前じゃないから」

「先任は、その……それで、いいんですか?」

 

 あやふやな質問だった。自分でも何を聞いているのかよくわからない。

 何が“いい”のだろうか? 考えても答えは見つからなかった。

 

「そうしてあたしたちは怪物たちに、深海棲艦に立ち向かってきた。今までも、これからも。そして今日からは――貴女も。貴女のは、その本?」

「あ、はい。そうです。先任には万年筆を貰ってきました」私は万年筆を先任に渡した。先任は受け取りながら、ありがとう、と返す。

 先任は万年筆を手に持ったままくるくると回しては興味深そうに眺めて、

 

「へぇ、いい万年筆じゃない。あの子ってばこんなのも持ってたんだ……あれ?」

「あ」思わず口から声が漏れた。

 

 キャップを開けてしばし固まる先任。そして私。二人の視線の先にあるのは見事に割れてしまっているペン先――これでは到底書き物はできそうにない。

 血の気が引いた。明らかに私の不注意だった。弾かれるように椅子から飛び上がり頭を下げる。

 

「えっと、あっ、すいません! えっと、その、本の方にされますか?」

「いや、このままでいいわ」

 

 先任の声は一つとして気にもしていないかのような至極穏やかなものだった。それでも私は食い下がる。あまりにも自分が不甲斐なかった。

 

「でも壊れていますし――」

「別に壊れたままでも問題はないの。言ったわよね、存在することそれ自体に意味がある、って。ま、気が向いたら直して使うから。それでいいでしょ?」

 

 “仏”の顔で言われてしまっては私には言い返しようがなかった。もごもごと口ごもっているうちに、合図のように夕食を知らせるラッパが鎮守府に響く。

 

「はい、この話は終わり! ……まあ、私の話はまだよくわからないと思うけど、その本は大切にしなさい。いつか必ず勇気を貰う時が来るから、ね」

 

 やっぱり私は顔に出やすい。

 心の裡をものの見事に言い当てられて赤面する私をそよに、先任はさっさと部屋を出てしまった。

 

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

 どやどやと隊舎の一室に艦娘たちが集まり、手際よく役割を決めてバケツリレーのように部屋の中のものを運び出している。

 ボールペン、万年筆、ノート、本、ラジオ、戦闘服、靴、マグライト、コーヒーメーカー、タンブラー、腕時計――ありとあらゆる物が見る見るうちに外に出され、談話スペースに整理されてゆく。どこからか誰かが持ってきた七色のレジャーシートの上に置いているからだろうか、その光景はまるで日曜日にフリーマーケットを準備しているかのようだ。

 でも、フリーマーケットでもなければ教会のバザーでもない。

 これは儀式だ。

 艦娘たちの命を、希望を、そして勇気を受け継ぐための形見分けだ。

 結局、私は未だに先任が言っていたことを理解できていない。あれから数え切れない数の戦闘を行ったし、幾度となく形見分けも経験した。でも、“勇気を貰う時”の到来を感じたことは一度もない。それはもしかすると、まだ私が真に死の恐怖というものに直面していないからなのかもしれない。

 けれども私は思う、たぶん私はもう既に勇気を貰っているのだと。形見分けを受けた時からそれは始まっていて、私が知っている誰かの、知らない誰かの勇気はいつも私を静かに後押ししてくれている。そんな気がする。

 だから私はとびきりの笑顔で先任の命を、希望を、勇気を送り出す。

 整然とすべての物が置かれたことを確認すると、まばらに集まっている艦娘たちへ向かって私は口を開く。

 

「みんな、持っていくものは決めた?」

 

 先任の勇気がみんなを助けてくれると、私は信じている。


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