あの夏。
 あの狂気で狂喜で驚喜だったあの夏、それまで頑に一人だった俺に大切な存在ができた。

 そして、皆が離れ離れになって俺があいつと一緒に暮らし始めて。

 ある日、あいつが言い出したんだ。

 新しい家族ができました、と。

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ぷかりぷかり

 あの夏──

 あの狂気で狂喜で驚喜だったあの夏。

 それまで頑に一人だった俺に、大切な存在ができたあの夏。

 あの夏より、もう数年が経過した。

 ある日、俺が仕事から帰ると、俺の大切な人が唐突に言い放った。

 新しく家族が増えました、と。

 

  ◇   ◇   ◇

 

「これが新しい家族です」

 

 そう彼女が指差した先。居間に置かれたテーブルの上。

 そこに奴はいた。

 

「何? これ?」

「家族です」

 

 俺と彼女の視線の先には、ぷかりぷかりと緩やかにたゆたう存在が一つ。

 

「……なあ末莉。これって金魚だよな?」

「はい、金魚です」

 

 テーブルの上に置かれた古風な金魚鉢の中では、赤い金魚が涼しげに泳いでいた。

 そう金魚だ。金魚には間違いないだろう。だがその金魚は、俺がよく知っている金魚とはちょっとばかり──、いや、かなりかけ離れた外見をしていた。

 本来、魚とは流線型の体型をしているものだ。だが、金魚は観賞用として、古来より品種改良を重ねられて、様々な姿形のものが存在する。

 出目金、土佐金、琉金、ランチュウなど、流線型からかけ離れた体型をしているものも数多い。

 だが、目の前の金魚鉢の中でゆらゆらと漂っているこいつは、そんな金魚の中でもかなり異質な存在なのではないだろうか?

 

「……丸いな……」

「ええ、丸いでしょう? えへへ、丸いです……何て丸いのでしょう……」

 

 末莉の視線が、何やら妖しげな光を帯びている。そしてその妖しげな光は、その丸い奴に注がれていた。

 そう、丸いのだ。もうまん丸って感じに丸い。

 

「これ、何て種類の金魚なんだ?」

「ピンポンパールですよ」

「ピンポンパール?」

 

 なるほど。名は体を表すとはよく言ったものだ。確かにこいつはピンポン球に頭と鰭がついているような感じだ。

 

「もしかして、もう名前も決めてある?」

「はい」

 

 末莉はそう言うと、誇らしげに言葉を続けた。

 

「マツコと命名しました」

「なぜにデラックスっ!?」

「丸くてふてぶてしい様子が、デラックスだったので……」

「おまえのデラックスに対する認識を一度確認する必要があるな……ん?」

 

 しげしげと金魚を眺めていると、ちょっと気になる事があった。

 何というか、この金魚の鱗がささくれ立っているようなのだ。

 

「この金魚の鱗、変じゃないか? もしかして何かの病気か?」

 

 金魚には様々な病気があると聞く。俺も詳しくはないが鱗が剥がれる病気があったような気がしたのだ。

 だが俺のこの問いに、末莉は落ち着き払ったまま答えた。

 

「これはパール鱗といって、立体的な鱗なんですよ。別に病気じゃないです」

「随分詳しいな。末莉って金魚に興味があったのか?」

 

 今まで聞いた事もなかったが、もしかして末莉は金魚マニア?

 

「別に興味があった訳ではないですよ。ある日偶然見かけて気に入って、色々と下調べをしたんです」

「見かけたって、何処で?」

 

 俺と末莉が住んでいるアパートの確かこの近所には、ペットショップや熱帯魚屋など、一軒も存在しないはずだ。それなのに、こんな珍妙な金魚を一体何処で見かけたというのだろうか。

 

「はい、インターネットで」

「インターネットかよっ!?」

 

 俺も最近それなりに稼いでいて、多少の金銭的余裕も出て来た。よって狭い部屋ながらもパソコンとインターネットはしっかりと完備している。まあ、さほど自慢するような事でもないのだが。

 

「先日、偶然この金魚をネットで見かけて。その外見の余りの愛らしさに思わずネット通販してしまいました」

 

 そう告げる末莉。まるで難しいミッションを完璧にやり遂げたかのような、誇らしげな笑顔も一緒だった。

 

「ひょっとして高いんじゃないのか、この金魚?」

 

 これまで見かけた事もない、このピンポンパールという金魚。もし希少種だとしたら、値段の方もそれなりにするのではなかろうか。

 

「底石の麦飯石の砂利と一緒に購入して、二千円ぐらいでしたよ。金魚単体なら千円もしないです……ああ、金魚鉢は近所のホームセンターで買いました」

 

 思ったより安価な事にふうとこっそりと息を吐く。品評会に入賞するような金魚は、数百万とかいう話を聞いた事があるので、そこまではしなくともそれなりに高価だったのではと思ったが、想像したより遥かに安かった。

 

「まあ、いいや。でも、飼うからにはちゃんとしないとな」

「もちろんです。マツコは家族なんですから」

 

 そう言って末莉は微笑んだ。

 

  ◇   ◇   ◇

 

 俺と末莉に子供が生まれた。

 生まれて来た子は女の子で、末莉は若葉と名づけた。

 

「若葉ちゃん、若葉ちゃん。これがもう一人の家族、マツコですよー」

 

 末莉は水槽の中を泳ぐ金魚を、その腕の中の我が子に見せていた。

 そんな二人の様子を見ながら、俺は思った事をそのまま口にした。

 

「しかし、そいつもでかくなったよなぁ……」

 

 我が家に来た時のマツコは、それこそピンポン球サイズだったのだが、今では二回りは大きくなっていた。

 それに合わせて小さな金魚鉢では収まりきらず、大きな水槽とエアコンプレッサーなどの付属品も合わせて購入するはめに。

 決して安い買物ではなかったが、まあ、末莉も喜んでいるのでよしとしよう。

 水槽の中をじっと見詰める末莉と、泳ぐ金魚に興味を引かれて手を伸ばす若葉。

 そんな二人に応えるかのように、水槽の中のマツコはぷかぷかと浮かびながらくるりと体を捻らせた。

 

  ◇   ◇   ◇

 

 二人目の子供が生まれた。

 生まれたのはまたもや女の子で、今度は順と名づけられた。

 

「順。よく聞きなさい。私はあなたの姉で、この人とこの人はとうさまとかあさまです。そして……これがマツコです」

 

 若葉が生まれて来た妹に、家族を、そして水槽の中の金魚を指差しながら紹介する。

 もちろん生まれたばかりの赤ん坊に、そんな事理解できるわけもない。しかし、そのお姉さんぶった若葉の態度が可愛くも面白くて、俺と末莉は顔を見合わせてくすりと笑い合った。

 更に大きくなったマツコ。今では小さな野球ボールサイズにまで成長……、いや、肥大している。

 ぷかりぷかり。水の中を漂うマツコが、俺たちを見詰めているような気がした。

 

──おまえも、新しい家族を祝福してくれてるのか?

 

 俺は柄にもなくそんな事を思ってしまった。

 

 ぷかりぷかり。

 

 俺の心の声が届いたのか、届いていないのか。

 マツコはその丸い体をゆっくりと震わせながら、水のなかをたゆたう。

 

 ぷかりぷかり。

 ぷかりぷかり。

 

  ◇   ◇   ◇

 

「食事よ、マツコ」

「……ごはん」

 

 若葉と順がマツコにエサを与えている。

 二人にとっても、この丸い金魚は家族の一員として認識されているようだ。

 

「それにしても、長生きだよな、この金魚も……」

 

 二人の娘の遣り取りを見詰めながら、何気なくぽつりと呟く。

 マツコは、もう何年我が家に居るだろうか。

 金魚の寿命がどれくらいか知らないが、もうそれ程は生きられないだろう。

 それぐらい、長い時間こいつは我が家に居る。

 

「もう暫く居て欲しいですね」

 

 俺にお茶を差し出しながら、まるで俺の心を見透かしたかのようなタイミングで末莉が言う。

 だが、今更驚くような事でもない。俺と末莉も長い間一緒に居たのだから。

 しかし、次の末莉の言葉に、俺は思わず時間を止めた。

 

「次の家族が生まれるまで……生きていて欲しいですね」

「…………………はい?」

 

 あの……、今、何て仰しゃりやがりましたか、末莉さん?

 

「えへへへ……実は昨日、病院へ行って来まして……三人目……だそうです」

 

 含羞みながら、末莉はそう告げた。

 その後、四人揃って大騒ぎになり、偶然我が家にやって来た景や劉さんも巻き込んで更に騒ぎは大きくなった。

 そんな俺たちを、水の中のあいつはどこか優しい眼差しでじっと見ている。

 

 ぷかりぷかり。

 ぷかりぷかり。

 

 時々体をくるりと翻しながら。

 

 ぷかりぷかり。

 ぷかりぷかり。

 

 水の中のあいつがおめでとうと言ったような気がした。

 

 




 またもや、古いデータを発掘。
 しかも、またまた今更「家族計画」。

 「家族計画」なんて、今頃誰が知っているのだろうか?

 でも、好きだったんですよ、「家族計画」。

 季節的にネタもちょうど良かったので、投稿してみました。


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