思いつきアンソロジー   作:小森朔

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 双角王に憧れた皇帝の雛に付き従った奴隷の話。
 (※軽度の玉ヒュン描写があります。)


 エイプリルフールネタを書こうとしてほぼ一文すら書けなくなり、気づけば6月になりました。
 今月はもう二回くらいは更新したいな……。


王の杯はあまりに甘い

「ラサース! 早く来い、先生に見つかるだろ!」

「殿下、また叱られますよ」

 

 眩むような日差し。今日も今日とて、炙られる串刺しの肉にでもなったような夏の日向だ。できれば日陰でじっとしていたいが、そうもいかない。

 

 殿下は今日も、宮廷内を逃げるように移動している。それに付き従っているわたしも、大人たちの目につかないように走り回っていた。犬の二匹にでもなったように大人に見つからないよう駆けずり回るのだから、全身汚れもする。これで大人から叱られるのも何度目だろうか。でも、汚れで叱られるくらいならなんともないから別に良かった。

 

 

 今日も変わらず、窮屈だが穏やかだ。

 

 

▲▽▲▽

 

 

 

「ラサース!」

 

 豊かな黒髪と豪奢な衣を揺らして駆けてきた少年が、私の腕を引っ付かんだ。瞬時にだいたいどっちに向かうか確認して、衝撃に備える。何回か引きずられて大きな擦り傷ができたから、まあ慣れたもんだ。

 

「殿下、今日は先生の講義の日ですよ」

「間に合えば叱られないだろ。そんなことよりお前も来い!」

 

 いやに興奮して目を輝かせている殿下に、回れ右していなくなりたい衝動に駆られる。ここは中庭だ。ここからなら講義に間に合うし、おとなしく諦めていただけたら何の滞りもなく今日を終えられるだろう。逃げられたらどんなに良かったか、と。

 

 少年──私の主人であるメフメト2世殿下は、紅顔の美少年とも言える面立ちの良い印象を完全に砕くような、手のつけられないじゃじゃ馬殿下だ。

 彼に振り回されたら生傷は何度もできるし、痛い思いをしたのはなにも引きずられたときだけじゃない。癇癪でものを思い切り投げつけられて、額から出血したこともあった。あれはたんこぶも出来てしまってかなり苦痛だった覚えがある。大人の言うことを聞けば何度も八つ当たりをされたし、殿下に従えば体罰込みで叱られた。

 

 どっちに転んでもあんまり変わらないものだから、死なないなら私はどっちでもいいのだが。だが、憧憬を滲ませる顔を崩すのは、どことなく憚られた。

 

 

「まーたバックレですか」

「うるさいな、ちょっと見に行くだけだろ。それよりも絵だ、あの絵があるらしい! 見に行くからお前も着いてこい」

「聞いてらっしゃらねぇなぁ……」

 

 

 結局、ずるりずるりと引きずられるよりは、と彼の後をついていくことになった。先生、杖で殴り殺しに来なきゃいいんだけどな。

 

 

 こうやってついていくのも、私が圧倒的に下の立場だからという以上の理由はない。バルカン半島から引っ立てられた、他の少年たちと同じく徴用された奴隷だから逆らうのが得策じゃないというだけだ。

 

 私は、逃がそうとした両親の苦悩をよそに、逃げきれずに引き立てられてバルカン半島からやってきた。一応、なんとなくは覚えていたけれどまさか自分が対象になるとは思っていなかったのだ。他の子供たちとは違って思考は大人になっていたが、体格が歳の割に立派であるように見えた以外に特筆すべきこともなく、むしろ訓練で体を鍛えることがひどく苦手な、ただのどうしようもない子供である。

 

 頭脳方面でも他に優秀な子供もたくさんいるのでイェニチェリにも侍従や従僕になることもないであろう私であるのだが、何の因果か王子付きの奴隷になった。少年愛の対象にならないように気配を殺したり適当抜かしたり泥塗りまくったりしてたら、いつの間にかお付きになっていたのだ。わからん。

 

 私をお付きにしたのは、まだ少年だった王子ご本人だった。賢そうな目をした、とても元気な我らの王子(あるじ)。そんな私の主人は、言い負かすだけの利発さと有り余る体力で家臣群を困らせているような、そんな御方であった。

 あと、たまに私たち少年奴隷から適当なのを見繕って連れ回していたりもする。そっちは相手から慕われていることに満更でもなさそうなので、余計に謎だ。

 元は女だったような記憶があるのでそれらしい仕草をして見せたが、露骨にいやがられたし、泥まみれにされて「そっちの方が落ち着くからお前しばらく泥被ってろ」とまで言われた。女的なものはあんまり好かないらしい。だったら私はいったい何を気に入られて引きずり回されているのだろうか。

 

 閑話休題。

 

 

 まあ端的に言ってクソガキである。何度も怪我しそうになったし、実際に怪我もたくさんした。さっきみたいに。

 とはいえ、嫌いではないのだ。だから、今日も彼の背を追っている。

 

 

 

 忍び込んだ先は倉庫の一角、まだ運び込まれて間もない荷物の集まる山のうちのひとつだった。

 殿下は、一見乱雑にも見える慣れた手付きで、目当ての絵とやらを探していく。当たりはつけていたのだろう、そう時間をおかずに額縁もどきに入れられたそれを引き出した。

 

「これだ。これだよ」

「これは、」

「きれいだろ。絵が本当なら、コスタンティニイェは、きっと宝石みたいな場所なんだ」

 

 たしかに、美しい絵だった。

 写実であって写実ではない、都市の魅せ方をよく見知った画家が描いたらしい。城壁も、街の作りも、人々の活気も、すべてが輝いている。

 

 

「オレはあの国を征服する。他のどれでもない、この宝石こそが欲しい」

 

 

 その言葉は、あまりにも真摯で攻撃的な響きでもって、私の胸を刺した。

 この殿下はまごうことなきクソガキである。まだ12にもならない、私よりいくつか年下の、プライドが高くて癇癪持ちで、手遅れなほどに異国に心奪われた王太子だ。

 目を輝かせ、己の野心を隠しもせず、そして夢を語る。それができるのが、殿下の美点だ。恥ずべきことと考えないでいられる素直さは、決して悪いものじゃない。

 

「じゃ、人材が必要ですね。メフメト2世陛下がブチ切れても止められるような屈強なのが」

 

 

 真摯な言葉には、誠意で返す必要があった。だったら、確実に私では足りない。もっと屈強で、強い忠誠心を持った軍隊のような家臣団が必要だ。まだまだお父君であるムラト2世陛下の家臣たちの締め付けの方が強い現状、足場は早く固めるべきだった。

 

 至極真面目に考えて答えたというのに、殿下は妙なものでも見るような目で私の頭から爪先までをじろじろ見る。悪魔付きのようなものかもしれないが、これでもちゃんと人間であるし、まあ、多少は敬虔な信徒ではないだろうか。

 

 

「……お前、笑わないのか」

「そりゃ、まあ。わたし、貴方の配下で、奴隷ですからね」

 

 

 訝しげな殿下に、そんなに変なことかと思うが仕方ない。真面目な話をしたのにこっちがいつも通りだからだろう。もし奴隷が王族を嘲笑ったら、そんなの首を刎ねればいいのだ。変に気構えが必要な立場でもないだろうに。

 

 私は見た目がいいわけでもなく、パッとしないのによく見いだしてもらえたものだとは思うが、殿下いわく、『こいつなんか変なやつだな』で選んだらしい。何があったときだ、と思ったが、たぶんはじめの訓練でヘロッヘロのところで何かとち狂ったことでもしていたんだろう。疲れすぎてさっぱり覚えていない。ので、本当に運が良かったとしか言えないのだ。

 お陰さまで飯を満足に食わせてもらえているし、家族もたぶんいい目にあわせてもらっているだろう。長いこと離れてるだけに、実際どんな風に暮らし向きが変わったかはわからないけども。

 

 だが、当の王子はいたずら小僧、とんだ悪ガキであったわけで。はじめこそ彼と共に学ぶために引き立てられたただの端役であるのだが、いつの間にやら役に立たないなりの止め役にされてしまっている。

 ……でも、それでも良かった。

 

 殿下の主張が都合のよいものだったために仲間内から外れて連れてこられた。それと同時に殿下と共に学んでよいが、彼が不適格であると判断されたときには同じように殴って良いとされた私だ。扱いは人というより、幼児をなだめるためのぬいぐるみと変わらない。

 それでも、今まではよく回る口で逃げる口実を用意していたが、本気で撲殺を視野に入れられていると察した王子は授業だけは真面目に受けている。下手したらそのうち私も一緒に頭がかち割られるだろうと思うとゾッとするが、ダメならダメで一緒に逃げるし、なんとかなるならなんとかなるで、学べることへの喜びは比較にならない。よりよい教育を、快い波を浴びることができるなら、何だって。

 

 だったら、彼につく。そうすればどっちに転んでも得だ。

 

 

「預言者はおっしゃった、『コンスタンチノープルは必ずや征服されよう。何ぞ美しき哉、征服せし指揮官や。何ぞ偉大である哉、征服せし千軍万馬や』

殿下がそうなりたいならそうなるでしょう。欲したなら、諦めたくないじゃないですか?」

 

 

 我が主は、遠からずこの国を率い、広大な国土の王になるお方だ。

 そうならなかったとしても、私にとっての主はこの人だけだ。なんだかんだ言いつつ、大事に扱ってもらってることに変わりはない。容赦もないし遠慮もないけど、だからこそ、決して口で言えはしなくても、本当の友人のようで嬉しい。なればこそ、だ。

 

 

 友の夢を、我が主の夢を、どうして笑えるだろう。

 人間の人生なんて何があるかわかりはしない。既定の道ではないのだ。だからこそ価値がある夢なのだ。いつか歴史に埋もれるかもしれなくとも、本気で恋い焦がれる偉業を、どうして馬鹿にできるだろうか。

 

 その偉大な夢を真っ正面からぶつけられたら、想像させられたならば、渇望しないわけがない。

 いつも引きずられていたのだ。なら、この先も、戦場でもまた、私は戦士の一人として嫌でも敵地に立つことになる。だったらいっそ、身に余る夢を見たい。

 

 

「奴隷の身にも叶うのであればわたしは、貴方の夢の、その礎になりたい」

「……そうか!」

 

 

 主は、屈託なく笑う。苛烈な人だが、そうであるから誰よりもまっすぐに、真摯に、己の欲を追いかけているのだ。

 

 

「じゃあ、お前宦官になれ」

「はああああ!?」

 

 

 

 後日、引っ張り出されて本当に逸物切られてしまったのだから笑えない。

 

 

 痛いとか死にそうとか、そんなぬるい騒ぎではない。本当に死にかねないのにあの殿下、本当に覚えてろよ。あんまり意味が有ったか無かったかわからない転生で女をやめたというのに、今度は男をやめさせられるとは。

 

 手術はどうにかこうにかうまく行ったが、それはそれとしてかなり苦しむ羽目になったのだから笑えない。殿下には死んでほしくないが、それはそれとして一度くらい同じぐらい苦しめばいいと思う。

 

 やっぱり人生なんてもん、なにがあるかわかりゃしない。

 

 

 

 

 だからこそ。

 

 

「だれか! 誰か私の首を切る正教徒は居ないのか!」

 

 

 落日の男の余裕もなにもかもかなぐり捨てた姿に、いかんとも言いがたい親近感というか、魅力というか、そういうものを抱いてしまったのだ。

 だからといって、止めるでもないが。

 

 

 叫んでいた皇帝らしき男は、陥落など想像だにしていなかったであろう。その背中はまだ覇気を失いきってはいないものの、そりゃあひどい顔をしていた。

 

 朦朧としているのだろう。五十に差し掛かった面立ちは、随分と草臥れている。今にも沈み込みそうな足取りで、略奪が行われている市街地を、剣を振るい続け駆けてきていたのだ。帝位を表すもののほとんどすべてを捨てた己が身に、使い慣れた剣ひとつで。

 眺めていた私も、それはひどい顔をしていたかもしれない。私だって、かつてはキリスト教徒だったのだ。かの神をおいて他に神は無し、と認めたとはいえ。

 王は、我が主はそれほどひどい提案をしたわけではない。国盗りなんてものが穏やかに行われるはずがないと知っていても、つい先程まで血と糞尿と煙のなかを走っていたとしても、それでも降伏する道は無いでもないのだ。

 

 そもそも彼らもまた同じく経典の民。ただ、我らは最後であった。それだけの、ただそれだけだというのに。

 

 

 彼の誇りは、まだこうして生きている。

 紫の沓は血と泥にまみれて薄汚れていた。髪にもいくらか汚れがこびりついている。私もだ。

 血と泥は乾くとなかなか落ちないから困る。この御仁も大変だろう……仮に、逃げきれたならばの想像に過ぎないが。

 

 

 ふと、これでいいのだろうか、と思った。

 私に夢はない。ここで私が掲げた夢は完成したも同然だった。この先に希望も、展望もない。ただ、我が主が死ぬまで、彼の宮廷で仕えるだけである。そこにこの王のように豊かな激情は持てるだろうか。紛れもなく国のために殉じるという、高潔で傲慢で、どうしようもなく人間的な欲は。

 視界の中心で、王が兵士を一人切り殺そうとしていた。何人か死んでいる。たぶん、考え事をしているうちにさっさと止めを刺してしまったのだろう。手際のいいことで。

 

 

 足音と気配を殺し、背後を取る。

 彼の手から、剣を奪った。

 

 

「残念でしたね」

「な、」

 

 

 ──かろうじて結わえられた黒髪が切っ先に触れて、ぱさりと落ちた。

 

▲▽▲▽

 

 

 布に包まれた首は、我が主が占拠した城へ持ち込まれ、我が主の前に置かれている。豪奢な耳飾り。長く、しかし薄汚れた豊かな黒髪。閉じられた目、まだ血の滴る首の断面。

 誰によってこの王宮にコンスタンティノス11世がお戻りになったか、と言えば私の手だけではない。そんなことをしたならば、私が偉大な統治者を殺害せしめたと疑われるからだ。これでも腹心の部下、もとい忠実な奴隷であるというのに。まったく、面倒なことで。

 

 

「ラサース」

「なんでしょう、我が主よ」

「お前か」

「何がです?」

 

 首を前にとぼけて見せれば、己の喉目掛けて陛下の手が延びた。あまりにも勢いが良く捕まれたせいで、喉が潰れそうになって吸いかけた息を吐き出してしまう。

 

「ぁ、がっ……」

「我が僕よ、お前、何を考えている?」

「は、は……」

 

 今にも縊り殺さんと喉を掴んだ陛下は、そのくせ困惑したような顔をしている。私と私の主人は、昔からどこかずれているのだ。それを正す気の無かったことのツケが今回ってきている。

 

 本当のところ、なにも考えちゃいないんだよ。ただ、今後に不安があっただけだ。己がしたいように、殿下にも不利益はなかったと自負しているが、信用など地に落ちている。

 こんな状態の陛下に言い訳なんぞ聞き入れられないのは、付き合いの長さからよくよく知っていた。

 

 

「なぁ、ラサース。私は私に与えられたお前に、名を与えた。立場を与えた。お前の身には余る栄光もだ」

 

 

 かつて、絵を見たときにはあった別の名は、陛下から賜った名に置き換わった。主君の栄光の礎となるために、私の身は与えられたものばかりで出来ている。

 

 

「そ、うで……す」

「ならば、わかっているだろう」

 

 

 ほとんど力の入らない体をどうにか動かして、首を縦に振る。ええ、わかってますとも。

 

 

 

 

 数日の後。結局、私は陛下から直々に杯を賜ることに決まった。普通なら首を刎ねられるのだから、陛下は甘い。まったく、情など無いだろうにこんなことをするのだから手に負えないものだ。

 

 牢は暑くも寒くもない。感覚が麻痺しているのかもしれないが、むしろ都合は良かった。

 目の前で立会人が杯を満たしている。私の体には、手にも足にも枷はつけられていない。これまた不用心だ。信頼や同情、といわれればそうなのかもしれないが、屈強な牢屋番を出し抜けないだろうという嘲りでもある。

 はて、何をどこで間違えたのやら。

 

 

「何か、言い残すことはあるか」

 

 

 ──あの高潔な王は、大理石になったと噂されている。獄にいてもその噂が伝わるほど、彼は慕われていたのだ。

 

 満たされた杯を見ると、あの薄汚れた紫を思い出す。あの汚れの美しさは、彼の誇り高さであったのだと、私は知っている。この国の新たな統治者ならぬ私こそが、あの泥の価値を知っている。これは、まあ、言い残すことでもあるまいな。

 

 

「無い」

「……そうですか」

 

 

 立会人の答えを聞くのも待たず、鉛の杯を呷る。

 飲み干した液は苦くて、甘い。なんとまあ、豪勢な処刑なんだろうか。今後はもう少し体面を考えた振る舞いをしてくれればいいのだが。でなくては、仕えてきた甲斐がない。礎になどなれなかったのだから、そう願うぐらいは許されるんじゃないだろうか。

 

 彼は確かに大理石になったのだろう。その名声と、人々の望みによって。ゆえに、この都市へ運び込まれる一塊の大理石は全て、かの王となる。そうして、その身を削って雨風を凌ぎ、人々の足に踏まれ、寄り掛かられる。文字通りの、国の礎となるのだ。

 

 

 

 ああ、嗚呼。なんと、──羨ましい。

 




鉛:古くは水道管やワインの杯にも使われた。青灰色の皮膜を形成する金属であり、使用途は多岐にわたるが、摂取量が一定量を超えると中毒症状をもたらす。
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