この小説は『禁忌降臨庭園セイレム』の登場キャラクターである、ミドラーシュのキャスターのネタバレを含んでいます。まだそちらをプレイしていない方は、このことに十分留意してから閲覧してください。
また、この独自設定として『サーヴァントが特異点の記憶を持っています』。公式でもややあやふやなこの設定ですが、明言されてはいない以上独自設定としてこの小説では採用しております。
シバの女王。聖書にて語られるその存在は、ソロモン王と知恵比べを行ったという伝説の女王である。聡明であり、しかも絶世の美女であったとすら語り継がれているほど、その神秘性は高い。しかしその存在を裏付ける証拠は何一つ発見されておらず、それ故に実在したかも怪しいとされる幽玄の女王ともされているのだ。
つい先日に藤丸立香が招き寄せた英霊とは、そういう存在であった。
「はいはいーい、マスターさん、どうです? いい感じに面白そうな株取引の話とかあるんですけどぉ、聞いていきませんかぁ?」
──いえ、よく分からないので遠慮しておきます。
場所はカルデアでも最も人の出入りが激しい食堂──
苦笑気味に立香が返すと、「そうですかぁ、それはもったいないですねぇ」とどこか間延びした口調を返された。褐色の肌と美貌に、獣の耳が特徴的な彼女は、目を輝かせながらタブレットに見入っている。ともすれば瞳の奥に星が輝いていそうなほど。
誰が想像できようか。彼女こそはあのシバの女王、確かなことは何一つ分からず、それ故の神秘性で多くの者を魅了している幻想の住人その人なのだという事を。絶世の美女と謳われた容貌も、南の国の女王らしい出で立ちも、その全てがシバの女王を名乗るに相応しかった。
──ほどほどにしておかないと、後でダ・ヴィンチちゃんが怖いよ? 今はいっぱい稼いでるみたいだからいいけど、もし失敗でもしたら……
「そこは大丈夫ですよぉ。だって私、下手な博打を打って大損なんてしませんからね。このシバの女王が手掛けるからには、きっちり利益をもたらしてみせますとも! 彼女……いえ、カレですかねぇ? ちゃんと
ただし惜しむらくは、その興味はほとんどが金稼ぎに向けられていることであるか。その豊満な胸を張って堂々と宣言しているのは、まさしく守銭奴の理屈に他ならない。
せっかくの美貌を持つのに、どこか残念な雰囲気が漂うのはつまりそういう事だろう。何よりもまずはお金儲け、あらゆる事は取引として考えて、利益を取ることを躊躇わず逃さない。良く言えば商人気質で、悪く言えば金にがめついのだろう。あのシバの女王がまさかこのような存在だったとは、多くの英霊を見てきた立香でも驚くばかりである。
──でも、新入りなのにけっこう馴染んでるようで安心したよ。これもセイレムで助けてくれたからこそなのかな?
「えぇ、えぇ、それは私も同感ですよ。まだここに呼ばれてから数日なのに、皆さん非常に良くしてくださいますから、私も驚いちゃいましたぁ。特に金星の女神様、あの方は素晴らしいです。お金が好きで、しっかり稼ぎ方も運用方法も考えているのに、最後の最後に詰めを見誤るなんて! とおっても協力のし甲斐がありますよぉ」
──そ、それは良かったね……
立香にしてみれば、例の金星の女神さまにはほとほと困らされるばかりなのだが、シバの女王が楽しそうならば良いのだろうか。願わくば女神さまのうっかり癖がこれで改善されてくれれば良いのだが。たぶんならないんだろうなぁと立香は思う。あれはもうなんていうか、生まれ持っての才能だから。
ともあれ、シバの女王がカルデアに馴染んでいるようで立香としてもありがたい限りである。既に人理修復を終えて、四つの亜種特異点──そのうちの一つは例外的だが──を乗り越えたカルデアのマスターとそのサーヴァント達は、色んな所で新たな人間関係が生まれているのだ。だから新参が孤立しないかといつも不安になる立香だが、今回も杞憂で終わってくれたらしい。
その証拠にシバの女王は非常に楽しそうにカルデアで過ごしている。これから先のカルデアがどのようになっていくのか、てんで分からない立香であるが、抜け目のない彼女が手を貸してくれるならきっとどうにかなるだろう。ここにきて、またも頼もしい仲間が増えたのは喜ばしい限りだ。
だけど、そうなれば気になることが出来るのも当然の事であった。
──そういえばさ。
「おや、なんでしょうかマスター?」
──シバの本当の名前って、やっぱり教えてはくれないの?
「あー、その話ですか……」
立香の問いに、シバの女王は困ったように語尾を下げた。大きな耳も忙しなくピコピコ動いて、どう答えようかと悩んでいるかのよう。なんとも可愛らしい限りではあるが、立香は問いを下げたりはしなかった。
そうだ、立香にとってもこれは重要な命題である。だってシバの女王は、セイレムで出会った時からその本当の名前を一度だって教えてくれていないのだから。あくまでも自分のことはシバの女王、ないしシバとだけ呼ばせていて、現状周囲がそれに合わせている有様だ。
もちろん、立香もこれが取り立てて不満という訳ではない。ただ、いつもならサーヴァント達は真名を教えてくれているだけあって、実際の名前を知らないのは非常にモヤモヤしてしまうのである。
シバの女王も立香の疑問事態には理解を示してくれているのだろう。しばらく「う~ん」と言葉に困ってから、先ほどまでの態度とは一転した口調で語りだした。
「マスター。かつても言った通りに、真実の名とは時に乳香の山よりも貴重なものとなります。そうとなれば、例え従うべき主であろうとおいそれとお教えするわけには参りませぬ。特に私のような契約を重んじる存在にとって、真名とは命よりも重い情報となりましょう」
──なら、仕方ないのかな……
「申し訳ありません。誓って、貴方が信用できないというわけではございませんよ。ただ、これが私のスタンスですので」
誤魔化すように微笑んだ彼女の表情は、やはり伝承に相応しい美しさであった。
色んなサーヴァント達と交友を持ってきた立香も、これ以上は踏み込もうとは思えない。これより先は、英霊たちの踏み入ってはいけない領域になってしまうからだ。
少々互いに固くなってしまい、ちょっとだけ真面目で重苦しい雰囲気が両者の間に流れる。なんとも言えないこの状況を打破するかのように、シバの女王は普段通りに明るく笑う。
「それにぃ、私って色々と謎になっているみたいですし。なら、いっそ名前も不明な方が面白いと思いませんかぁ? 色んな説があるのも案外と面白いものですよぉ」
──それは確かに。
納得した。
立香もしばらく前に、マシュの口からシバの女王については聞いている。彼女の語ったところによれば、どうもこういう事らしい。
『シバの女王には主に二つの説があります。それはイエメン説と、エチオピア説です。前者においてはベルキス、ビルキスなどと呼ばれており、その土地からもシバの女王と関連があると思しき遺跡が見つかっているとか』
ちょっと調べた限り、シバの女王をモチーフとした音楽の題名となっているのはこちららしい。他にも太陽の神殿や古くから伝わる伝承など、意外にも彼女の存在を裏付ける状況証拠には事欠かない。
『後者のエチオピア説ですが、こちらではマケダ、ないしマーキダと呼ばれているようです。特にエチオピア帝国の残した建国書”ケブラ・ネガスト”、先輩の国で言う古事記にあたる書物では、なんとソロモン王と子供を成したようなのです。その子供はエチオピア帝国の初代皇帝であるメネリク一世とも、バビロンの空中庭園で知られるネブカドネザル二世ともされています』
こちらはもっと驚いたものだ。あのソロモン王──つまりはかつてのロマンと、まさかそのような関係にまでなっていたなんて。事実かどうかはともかくとして、あの時は開いた口が塞がらなかったものである。マシュもそれは同様だったらしくて、語りながら恥ずかしそうに顔を俯かせていたのを覚えている。
もちろん、だからといって「シバの女王はソロモン王と子供を成したというのは本当ですか?」とはとても聞けないが。そんなことをすれば立派なセクハラだ。こういうのはダビデ辺りにさらりと任せておけば良い。
──そうだ、ダビデといえば、シバはダビデと会ったことはあるの?
「ダビデ王ですか? いえ、会ったことはないですねぇ。そもそも、私がイスラエル王国を訪ねた時はダビデ王もかなりのお年頃だったらしいですし、もし出会っていても分からないんじゃないでしょうかね?」
かなりのお年頃。つまりダビデがアビジャグなる女性を湯たんぽ代わりにしだした時だろうか。その時にはかなりの老齢だったと聞いているし、確かに見ても分からないかもしれない。
「それにあの人、自分のことを『お義父さんと呼んでもいい』なんて言ってくるんですよ。これじゃ、まるで私がソロモン王と婚姻したみたいじゃないですかぁ」
──え。違うの?
「さぁて、それはどうでしょうねぇ? ここから先は別料金、またいつかお話するといたしましょう」
簡単にはぐらかされてしまった。にこにこ微笑むシバの女王はしかし、これ以上の追及は許さないと言外に物語っている。ちょっとマズそうなので、口を噤むしかない立香であった。
「そもそも私、両親やよほど親しい人物を除けば誰一人名前は教えていないんです。だからもちろん、あの偉大なるソロモン王にだって──あ!」
──ど、どうしたの!?
タブレットと睨めっこしていたシバの女王が、不意に声をあげた。驚いて勢いよく確認すれば、シバの女王がこれまた勢いよく立ち上がったのだ。
「か、株価が一気に変動しました! これは大変です、イシュタルさんにも教えてあげなければ! ちょっと失礼しますね!」
──が、頑張ってねー……
疾風怒濤のごとく去って行ったシバの女王を前に、言葉が見つからない立香であった。その背中にかろうじて応援の言葉だけ投げかけて、ゆっくりと椅子にもたれかかる。なんだかどっと疲れた。彼女と話しているのは楽しいが、妙な気苦労も感じてしまう。きっとお金が絡んでくるからだ、そうに違いない。
──今度はソロモン王との思い出話でも聞いてみようかなー……
共通の知人であるソロモン王の話なら、たぶん話も合う事だろう。立香としても、かつてのソロモン王がどのような人物だったのか、直に知る者の口から聞いてみたいと切に思う。そして願わくば、共に人理修復に抗った仲間への理解をより深めてみたいのだ。
なんて事を考えていたのがいけなかったのか。
「随分とお疲れの様だね、マスター」
──うわっ、ダビデ!?
「うわって言うのは酷いんじゃないのかい? そんなに変な登場はしていないだろう、僕は」
考えに耽っていた立香の前に現れたのは、これまた生前の
「随分と興味深い話をしていたようだね。僕としても、新たなビジネスパートナーたる彼女の存在は喜ばしいばかりさ」
──その割には、けっこう避けられていたみたいだけど?
「そこはそれさ。何よりもまず利益を追い求める彼女なら、有能さを示した存在を邪険にはしない。例えそれが僕であろうともね」
言外に自分は有能だと仄めかしているが、これが大言壮語でないだけの実力を備えているのがダビデの厄介な所だ。普段は飄々としてふざけているのに、いざとなれば有能なのだから頼もしいやら憎めないやら。
──というか、さっきのオレたちの会話聞いてたの?
「途中からだけどね。いやすまない、盗み聞きするつもりはなかったんだよ。だけどそう、中途半端に僕が出張ると話がややこしくなると思ってね。敢えて壁の一部になっていたのさ」
随分と珍しい気遣いである。いつもの彼ならもっと気儘に振舞いそうなものなのに、シバの女王が相手になると微妙に控えめになるようだ。そのなんとも言えない変わりようは、やはり彼女が特別だからなのか。ダビデの表情からは、何一つとして読み取れはしなかった。
立香の困惑を知ってか知らずか、ダビデはクスリと笑う。
「いやはや、いじらしいじゃないか。ささやかな嘘だけど、なんとも可愛らしいと言うべきだろうかね」
──なんのこと?
「さっきの話だけどね、彼女は一つだけ嘘を吐いた。照れ隠しなのか、それとも別の思惑があるのか、はっきりとは言えないけど僕には分かる。だって彼女が直接、嬉しそうに語ってくれたことだから──」
意味深な言葉を重ねるダビデに、いよいよ立香の困惑は深まるばかりだ。そんな様子を見たダビデは、やはり底の知れない笑みを浮かべているのだった。
◇
カルデアの清潔な廊下をシバの女王が歩んでいた。飾り気のない単調な廊下も、彼女がいるだけでどこか華やいで見えるほど。そんな女王の向かう先は、サーヴァントに宛がわれた個人用の部屋であった。
「いやぁ、とっても儲けられましたねぇ。女神さまも大喜びでしたし、これならしばらくは資金運用も安泰ですね」
随分と上機嫌だからだろうか。ついシバの女王の口から独り言が漏れ出てしまう。思い出すのはつい先ほどの話だ。
取るものも取り敢えずにマスターの下を辞した後、すぐに稼ぎ仲間のイシュタルと共に利益の確認。結果、大成果を叩きだしたのを確認した。二人の株価の変動を見極め予測する手腕が、卓越したものであったからこその戦果だろう。
そこでいったん二人は別れて、今に至る。イシュタルは「これを元手に更にドーンと儲けるわ!」などと言っていたが、シバの女王はその言葉には乗らなかった。ようやく目標とするだけの金が手に入ったから、早速カレの下に赴いて還元してきたのである。
と、シバの女王の足が止まった。自室へと着いたのだ。すっかり見慣れた室内へと入ると、ちょこんとベッドに腰かける。そして、今回の戦利品へと目をやった。
「……こうして見ると、私の知っている姿とはまるで別人ですね。でもどこか面影もあるような……人とは不思議なものです」
手元にあるのは一枚の写真だ。日々の何気ない合間を写した素朴な一枚。そこには苦笑を浮かべた青年が一人、しっかりと写っていた。
これこそがシバの女王にとっての戦利品だ。利益を生み出す事を何より好む彼女だが、一方でその身に流れる血の影響か取引を裏切れない。対価を受け取るなら、対価を払う。この基本的な等価交換の法則に、誰よりも忠実なのがシバの女王なのだから。
生真面目と言えばその通りだし、実際
「本当に、本当に懐かしいですぅ。えぇ、あの日の想い出は、例えどれだけの時が経とうと決して色褪せる事なんてないでしょうから」
写真の青年を見つめてから、女王は感慨深く呟いた。表面上はいつも通りだが、自由に動く耳が彼女の内心を雄弁に物語っている。
既にしてその相手は存在しないけど、寂しいとは思わない。何故なら、約束をしたからだ。あの時、あの瞬間、絶対に忘れる事のない誓いをした。その想いが胸に生き続ける限り、永遠の別れなど訪れない。例え誰がその偉業を忘れようとも、彼女だけはささやかな約束をいつまでだって覚えているのだから。
だけど、そう。もし許されるのならば、これくらいは呟かせて欲しいのだ──
「もしあの人がまだ居たら、私の名前を呼んでくれたのでしょうかねぇ……」
ただ一人だけ、自分の本当の名前を知る相手に想いを馳せて、シバの女王は泣き笑いながら零したのであった。
ミドラーシュさん可愛い。
あまりここで長々と話すのも良くないので、活動報告の方に色々と書きたいことは書いておきました。