比喩ではなく、ローランは今にも死にそうだった。
グレンには分かる。今まで同じように何人もの敵を銀の刃で葬ってきたのだ。肩から胸にかけて刻まれた傷は深い。
この男はもう助からない。
少なくとも、急いで適切な治療を行わなければ、出血でじきに死ぬだろう。
なのに。
だというのに。
ローランの瞳は死んでいなかった。
ただ、爛爛と燃えて目の前の敵、グレンを見ていた。
「どうして……?」
銀の鎧の内側から漏れたグレン声は、微かに震えていた。
グレンは、理解ができなかった。
ローランがまだ動いたこと、ではない。
「何故、お前は立ち上がる!?」
彼がまだ戦おうとする、その理由。それが彼には分からなかった。
「なあ、どうしてだ?……そこまでする理由がお前にあるのか?見た目が女の姿をとっているからか?それともブレンサムに金でも渡されたか!?………、何のためにお前は戦っているんだッッ!?ローランッ!?」
「どうして、かって?」
そんなことは決まっている。
ローランの行動原理は今も昔も変わらない。
「見捨てる理由がないからだろう……!?」
「………ッ!?」
「大層な理由がなくちゃ、戦ってはいけないのかい?力がなければ拳を握ってはいけないのかい?……違うだろう?なあ、グレン。………女の子で、容姿が良くて、悲劇的な運命で、助ける側には力があって、あとは何だ?どうすれば、助ける対象にカテゴライズできる?助けるためにあとはどんな理由が必要だ?」
この子はそんなに不幸じゃないから助けなくてもいいだろう。
この子は別の誰かが救ってくれる筈だから助けなくてもいいだろう。
世界にはもっと不幸な人がいて、自分には力がなくて、助けるにはもっとふさわしい人がいてーーー。
そんな事を一々考えた果てには、きっと誰も救えなくなるだろう。
そんな人間にはローランはなりたくない。決して、決してなりたくない。
「なあ。そんなことを考えてたら、戦う理由なんてなくなるじゃないか。誰も助けてはいけなくなるじゃないか。それは、間違ってるよ。だから、僕は………僕は……ッ!!」
黒色の瞳にグレンは圧倒された。
思わず一歩後ずさった。
実際の所、最早ローランが戦う意味はないのだ。。彼はローランに勝つことはできないし、よしんばそれができたとしても、傷だらけの彼ではホワイトを連れて逃げる事なんてできない。後続の部隊に彼は敗北し、何も為せずに死ぬだろう。
もはや、ローラン・レインダースは詰んでいるのだ。
ただ、彼は子供のように現実を見ずに、ただをこねている子供に等しい。いや、ローランは全ての状況を理解しながら、駄々を捏ねている。自分の戦いに意味が無い事も、初めから理解している。それでも彼は戦っているのだ。子供のように、世界と戦っているのだ。
「ローラン、お前、気持ち悪いよ」
それはグレンの素直な感想だった。
何をどうすれば、こんな人間が産まれるのか、神に問いたい気分だった。
そして、同時に。
「だけど凄いよ、お前。ああ、俺もそんな風に生きれたら、色々と変わってたのかもな」
その歪な姿をグレンは眩しいと思った。
そんな選択肢もあったのかと、己の過去に思いを馳せれた。
「………今からでも遅くないんじゃないか?」
「ははっ。……いや、もう駄目だ。俺はこの道を選んだからな」
「………そうか。なら仕方ないな」
一瞬、ローランとグレンの間に和やかな空気が流れた。別に彼らは互いが憎くて戦っているわけではない。だからこそ、彼らは憎しみとは別の理由の元に、相手と戦える。命を奪える。
◆
痛みだけが、彼女の世界だった。
それが痛みと呼ぶ事すら、最初は知らなかった。
延々と身体を切り刻まれる日々。
代り映えしない狂った日常。
やがて、その中に異物が紛れる。
眼鏡をかけた痩せぎすの男、ブレンサムと名乗った彼は自分に言葉を教え、本を与えた。
そして。
少女の世界は広がった。
真っ白な部屋の外にも世界はあって、そこには空と海と大地が存在していることを、漸く少女は知った。
好奇心は何処までも膨らむばかりだった。
だけど、自分は囚われの身だ。
己が人ではない認識はあった。ブレンサム以外の研究所の人間は皆、自分を化け物のような目で見てくる。そして、それは正しい事だとも思った。首を落としても、頭の断面から身体が生えてくるような生物を、人は人間とは言わないだろう。
なんでも、自分は人類の繁栄の一助となるべく、ここにいるらしい。不老不死。詳しくは分からないが、それはとても尊いもの事のようだ。モノが壊れるのは悲しい。生き物が死ぬのは苦しい。それくらいの感情は分かったから。決して壊れる事のない己には価値はないのだろう。そう少女は結論づけた。
ならば、それを受け入れよう。
人外の自分は、せめて人の役に立とう。
そう思っていたけれど。
『君は外が見たいと思うかい?』
ある日。男はそう、少女に問いかけた。
選択肢なんてないものだと、思っていた。
しかし、それが間違いだとしたら。
実は自由になる選択肢は、少女の前に用意されたいるとしたら。
そして。
彼女はその手をとった。
初めて空を見た。
初めて街を見た。
初めて世界を歩いた。
その代償として、大切な人々は傷ついていく。
ブレンサム、ローラン。
(それを私は見ているだけなのか?)
否。
それは否だ。
(守られるだけじゃ、駄目だ。私は守りたい。大切な人を、私を守ってくれた人を。私の『世界』を)
常に受動的で、与えられるだけだった純白の少女は、そうして戦う意志を手に入れる。
そのための力は。
手を伸ばせば届くところにあった。己の内側、連綿と続いてきた失われた自分の歩みにこそ、力はあった。
具体的にそれが何なのかは分からない。
何となくだが、引き返せない予感はあった。
だが、そんなことは関係なかった。どうでもいい事だった。
「ローランッッッ!!!!」
叫びと共に、バキリ、とホワイトの首元から何かが壊れる音が響いた。
◆
重なった薄いガラスが割れるような、甲高い音を響いた。
グレンはその方向をとっさに見て、次いで目を見開いた。
「なん、だ」
異形の怪物がそこにいた。
大の成人男性を優に一飲みできるであろう、大口の顎。細かい牙がずらりと並んでいて、硬質な光を返す。その色彩は、あらゆる色を忘れたかのような無機質な純白。過剰なまでに漂白されたその怪物の姿は、蜥蜴のようにも見えたが、それよりずっと禍々しい。
それは正しく。
「-----龍?」
龍の頭部がそこにあった。
それはホワイトの右肩から、生えている。ぎょろりと、ホワイトの黄金の瞳は虚空を彷徨い、それはグレンの顔で止まる。そして、呆けたような瞳に意識が宿った。そこにあるのは明確な敵意。ローランを害するものを倒すという、強固な意志。
直後、龍の顎門が戦慄いた。
大気を震わす、絶対者の咆哮がグレンの身体を叩く。
「……!こんなの聞いてねぇぞ……!」
「----ローランから、離れろ」
氷点下よりも尚冷たい言葉がグレンに向けられる。
「お前は一体何なんだッ!?」
『
「間違っても、手から龍の顔面を生やすびっくり生物なんて聞いちゃねえぞッッ!?」
アレは、不味い。人が相対してはいけないものだ。戦うなんて考えてはいけないものだ。
数多の修羅場を乗り越えたグレンの直感がそう警鐘を鳴らす。
「----分からない。私にも自身が何なのか。首輪で私は過去の記憶を制限されているから。…….だけど、一つ理解している。お前は敵だ。ローランとブレンサムを傷つける敵だ……!」
「………は!上等だァ!!ドラゴンスレイヤーとしゃれこんでやらあッッ!!」
龍の顎が鎌首をもたげる。
銀の騎士が大剣を構える。
龍と騎士の激突。
英雄譚の一ページのような光景を前にして。
「-----ホワイト、その少年を助けたいですか?」
第三者の声が響いた。
プラチナブランドの癖毛を頭の後ろで纏め、白衣を纏った若い男。にこやかな人好きする笑みを浮かべたその青年の名前はハリンド・レイドモンド。子供のように目を輝かせる研究者は、グレンの後ろから悠々とやってきながら告げる。
「ならば、帰ってきなさい。私の元に」
ホワイトはハリンドの言葉に答えず、彼を睨みつける。
その視線をうけて、ハリンドは顔に更なる喜びが満ちた。今にも小躍りしそうだった。
「貴女はまた人らしくなったのですね。素晴らしい。今度は怒りを知ったのですか?」
「…………」
「私とは口も聞きたくないと?別に好き好んで、貴女の身体で実験していた訳ではないんですが。……まあ、いいでしょう。……こちらはブレンサム・ハーウェイの身柄を拘束しています」
「………ッッ!」
「貴女が素直に帰ってくるなら、彼の身の安全は保障しましょう。ええ、そこにいる少年も無事に帰宅させますよ」
ホワイトに残された選択肢など、最早なかった。
「……さよなら、ローラン」
純白の少女はローランの方を見つめた。黄金の瞳が悲し気に、だけどそこに確かな感謝の気持ちを込めてローランを見る。そして、ホワイトは小さく笑った。
「私なんかのために戦ってくれて、ありがとう」
ハリンドが指を鳴らす。
「----貴方は生きて」
「ホワイトォォォオオオ!!!!」
グレンがローランの背後に忍び寄り、剣を振るった。その刃は鈍器のように形状を変化させており、ローランの命を奪わないように配慮されている。鈍い音がローランの後頭部から響き、その意識は闇に落ちた。