『リンドバード王国』の地方都市、『ラケンハイル』は、大陸の最東部の沿岸地帯にある。
東には広大な海、西には巨大な霊峰に挟まれており、海路での便は悪くはないが、陸から都市に入るルートは限られ、霊峰を迂回するように回り道をしければならない。王国の中枢からも離れおり、地図上では国の端にぽつんと寂しく示されているが、実際は、王国屈指の発展を遂げた都市としてその名を馳せていた。
古き伝統と、新時代の革命が共存する魔法都市『ラケンハイル』といえば、魔法使いならば、一度は訪れたいと考える都だった。
『ラケンハイル』は、元々、優秀な魔法使いが集まり、研鑽を重ねる研究所だったらしい。そこに人々が次々と移り住み、やがて巨大な都市を形成したのだとか。
都市内には、魔法使いを育成する『魔法学校』が幾つも存在し、王国はもとより他国からも生徒が集まっている。優秀な魔法使いの戦士と研究者を、常に排出し続けていると言う実績は、都市の誇りだ。ローランが通う『オールズホール学園』も、そんな魔法学園の一つである。
学園の敷地内に建てられた寮の一室でローランは生活していた。
朝の陽光で目覚めたローランは、壁にかけられた時計を見る。起きるにはやや早いが、二度寝すると起きれない未来は予想できた。仕方がなく、欠伸をしながら洗面台に向かう。
鏡には、黒髪黒目の平凡な顔が映っていた。
もう16年の付き合いになる顔だ。
蛇口を捻り、水を出す。
顔を洗い、簡単に寝癖を直して、机の上に置かれてる塩パンを手にとった。
それを齧りながら、パジャマを脱ぎ、白の上着と黒のズボンに着替える。『オールズホール学園』の制服だった。着替え終わると同時に朝食を食べ終えたローランは、部屋を後にする。特にやることもない。朝の教室で予習でもしながら時間を潰すとしよう。
真っ赤な煉瓦を使って作られた学園の校舎は、大きく、そして荘厳だった。
始めて登校した時、その建築の巨大さと美しさに胸が高鳴ったのを、ローランは覚えている。
しかし、ローランはその校舎を見ながらため息をついた。
校門前に着くと、例の3人組が待ち構えていたからだ。
「……よお、無能者。久しぶりだな」
ローランと3人は昨晩会ったはずだが、それは彼らの中では、無かった事になったようだ。レイスを見て、泣きながら旧校舎から逃げ出したなんて醜態は、誰だって思い出したくないだろう。外聞も悪い。或いは、彼らはローランに、その事を口外しないように頼むため、待ち構えていたのかもしれない。ただ、払われるのは、口止め料ではなく、固く握った拳骨だろうが。
「……やあ。おはよう」
言いながらローランは、ちらりと左右を見回した。
登校時間にはやや早いとはいえ、他の学生たちはちらほらいる。
だが、彼らは皆一様にローラン達から顔を背け、その脇をすり抜ける様に、校舎へ向かうのだった。誰かの助けは期待できそうにない。
わざわざ面倒ごとに首を突っ込むほど人間は暇でもないし、優しくもない。なにより、今を口を挟めば、3人組の標的がローランからその者に移るかもしれない。ローランは、世間の無常さを感じながらも、現状を見て見ぬ振りをする生徒たちに対して、怒る気にはなれなかった。
「おい。あっちいくぞ」
3人組のリーダー格、レイトンが、目で校舎の裏を示す。
前に1人、後ろに2人。少年を挟む形にして、彼らはローランを人気のない所に連れていく。
ローランは大人しく、彼らに付き従いながら、そのまま逃げだすタイミングを見計らったが、中々その機会は訪れない。結局、ローランは校舎裏に追い詰められる格好になってしまった。
「……一応、言っておくけど。昨晩、君らが泣きながら旧校舎から逃げ出したことを、誰かに言いふらすつもりはないから」
「うるせえよ!何のことだよ!知るかそんなの!俺たちは、自殺した女子生徒の幽霊なんて、知らないし、見てねえよ!俺はっ、何もっ、覚えてない!」
「ええ……。だったら、僕は何でこんなとこに連れ込まれてるんだよ……」
「そりゃ、あれだよ。昨晩の事を誰かに言い振らないか、釘を刺しに……」
「やっぱり覚えてるんじゃないか」
「黙れ!思い出させるな!夢に出てくる!……それにな、いい加減、お前はむかつくんだよ……!『無能者』の分際で、平気な顔して生きやがって。才能のない奴には、才能のない分相応の生き方があるんだ!それを、ここらでで分からせてやる!……安心しろ。一限の授業には間に合うさ。出れる身体だったらなあ!!」
3人は手を掲げる。魔法を使うつもりなのだろう。
狭い校舎裏だ。前回と違って、逃げ場はない。
だが、そこで。
「つまんねえなあ。そういうのは」
ハスキーボイスが響いた。
3人組の後ろから、朝の陽光を背にする形で、一人の生徒が立っていた。
腰まで伸ばした灰色の髪が、さらさらと風でなびく。
瞳の色は鈍い銀色。
身体は全体的に華奢で、触れれば折れてしまいそうな印象さえ与える。見ようよっては少女にも見える風貌。だが、制服はスカートではなく黒のズボンであり、それは彼の性別が男であることの証明だった。
「つまんねぇな。つまんねぇよ、お前たち。よってたかって、3人を1人で………か?フェアじゃねえなあ、それは」
「グレン」
ローランは、少年の名を呼ぶ。
グレン・ディスライト。
魔法科第三学年、学費を免除された主席。
ローランとは科こそ違うが、同級であり、友人だった。
にやり、とそのグレンの端正な顔に、悪童めいた勝気な笑みが浮かぶ。
「よーお、ローラン。加勢は必要か?」
「あぁ、是非ともお願いしたいな」
「任せとけ」
手首をプラプラと振りながら、グレンはローラン達に近づいていく。
「グレンッ!!」
レイトンが吠えた。怒りを露にして。
それは、彼がローランに向ける感情とはまた別だ。レイトンのローランに向けるそれは、上から目線の見下しと、相手が自分の思い通りにならない事から生じる苛立ちだ。
「俺はお前にもムカついてんだ!どこの家の出かも分からない奴が、特待生枠をとるなんて、あっていい筈がねえ!」
しかし、レイトンのグレンに対する感情は、そんな苛立ちとは程遠いものだった。
明確な敵意、憎悪、そして嫉妬。
それらが、積み重なり、折り重なって、怒号として飛び出ていた。
それはかつて地元では神童としてもてはやされていた男の、肥大化した自尊心の残骸だった。折られ、潰され、それでも残った、黒々とした激情だった。
「はは、なんだ?レイトン。昨日の授業で何度も転ばされたのを根に持ってんのか?アレはお前の鍛え方が足りねえだけだよ。体幹が弱いこと弱いこと!」
それに、とグレンは続ける。
「お前も言ったろ?人には相応の生き方があるって。なら、そっくりそのまま、その言葉を返すぜ?簡単だ。お前より、俺の方が才能がある。俺は、なるべくして主席をとったし、お前はなるべくして俺に負けたのさ」
「お前さえこなければ、俺は一番だったんだよッ!!」
対するグレンはどこ吹く風だった。
飄々とした調子で告げる。
「そうかい?だったら来いよ。一番をもぎ取ってみせろ」
「お前…!ッ!上等だァ!!」
光り輝く『魔法式』が空中に浮かびあがる。
レイトンが岩の弾丸を、グレンに向かって発射する。
残りの2人もそれに続く。
グレンはそれを、全く同じ魔法で迎撃した。
岩石同士が空中に鏡合わせのようにぶつかり合い、鈍い音が校舎裏に響く。
パラパラと砕けた破片が風に舞った。3
人の方が先に魔法を発動したのに、両者の弾丸がぶつかったのは、丁度中央。それこそが、彼らとグレンの実力の差だった。魔法の発生速度・弾丸の加速が3人に比べて、ずっと早いのだ。
魔法は岩の砲弾から、氷の槍、炎の球へと変化し、それら全てをグレンは涼しい顔で打ち消していく。
その光景を見ながら。
(僕、ここにいる意味があるのだろうか?)
気づけば蚊帳の外に置かれていたローランは心の中で呟く。
今なら、ここから一人立ち去っても誰も気づかないかもしれない。
ローランは首をぶんぶん振って、そんな考えを頭から追い出した。
友人であるグレンを一人残して、置いていくことはできない。
自分が必要かどうかはひとまず置いておく。
「うりゃあああ!!」
今一釈然としない思いを胸に抱えながら、ローランは吠えた。
3人組の一人がこちらを振り返る。
『魔法式』が瞬いた。
次の瞬間に飛来してきた岩の弾丸を躱しながら、ローランは拳を握って殴りかかる。
◆
ローランとグレンは、校舎裏の壁に並んでもたれかかっていた。
ゆっくりと息を吐く。喧嘩で熱く滾った身体が、冷めていくのをローランは感じた。
「以外にやるな、こいつら」
グレンの顔には汗が滲んでいた。
いい運動をしたといった感じだ。
「悪いね。こっちの相方は魔法が使えないから、実質一対三だった」
切れた唇を触りながらローランは言う。
指を見ると血は付着していない。出血はしていないようだ。
グレンと違い、ローランは無傷とはいかなかった。
「はっ。気にすんな。それに、勝ったのは俺たちだ」
ローランの視線の先には、気絶して伸びた3人組が地面に横たわっていた。
最終的に彼らは、グレンの魔法を脳天に食らってそのまま意識を失った。
「……ローランって、なんか武術でも習ってたんだっけ?」
「この顔を見て、そう思うかい?」
「だけど、良い身のこなしだった。騎士や冒険者を目指してる連中のトレーニングに混じってても、違和感はないだろうぜ。惜しいな。魔法が使えたら、良い戦士になった筈なのに」
「君にそう言われると自信がつくよ。だけど、争い事は好きじゃないんだ」
「そうかい。俺と同じだな」
グレンは、喉を鳴らして笑った。
そこで、グレンは僅かに声のトーンを落とす。
「そいや、お前どうして『ラケンハイル』に来たんだ?……ああ、言いたくねえんなら、別に無理に聞こうとは思わねえよ」
頬を掻きながらグレンは言う。
その視線は転がるレイトンたちに向かっていた。
「だけど、ここは『魔法都市』だ。どうしても、魔法至上主義の連中が多くなるし、お前の肩身も狭くなるだろう。こういうのは、今回だけじゃないだろ?そして、こいつらだけでもない筈だ。全体から見れば少数派なのは、分かってる。だけど、な……。お前、地元に帰れば、貴族サマなんだろ?なら、そこで暮らした方が良いじゃないかって、思ってな」
ローランは前髪を弄った。
何処から話そうかと、思案した。
「気を悪くしたなら言わなくても……」
「いや、良いんだ。そうだ、ね。元々は……、治療の為に来たんだよ。ここなら僕の魔力がない体質も治せるんじゃないかって親が期待して」
ローランは両親が40を超えてようやくできた子供だ。
この世界の常識から考えると、かなり遅い授かりものと言わざるを得ない。もう半ば子供を諦めていた彼の両親は、ローランを目に入れて痛くないほどに可愛がった。
「両親には……、色々と申しわけ無いと思ってるよ 」
だが、ローランは普通ではなかった。
身体的には魔力を有さないという欠陥があったし、その内面も魔王の前世を持つという出自ゆえ、普通の子供と違う精神構造をしていた。両親の苦労は計り知れない。
「結局。僕の体質は治らなかった。なんでも、人は生まれつき魔力を貯蔵する目に見えない臓器を持ってるらしいんだけど、僕にはそれがないらしい。後天的に付け足すことは、不可能なんだってさ。魔石を飲み込んでも、魔法を覚えるどころか、腹を壊すだけだったよ」
魔法を使える者の血液をしみこませ石を、魔石と呼ぶ。魔法を使う直前の、『魔法式』が浮かび上がった状態で、己の血を胃で溶ける特殊な石に漬すのだ。そうして完成した魔石には、直前に使おうとした魔法の『魔法式』が宿る。
魔石は飲み込んだ者の体内で溶け、その血に『魔法式』を書き加えることができる。魔法を覚えるためには、魔石は欠かせず、それ以外の方法で人は魔法を覚える事はできない。新たに魔法を生み出せたのは、魔法の始祖たる魔王だけだったと言われる。
魔法で身を立てようと考えていない者も、『ファイア』や『ウォーター』などの日常生活に役立ち、かつ魔力が少なくとも使える魔法は、魔石を飲み込んで覚える。魔石が買えない貧困層や文化が浸透していない僻地を覗いて、この世界の殆どの人間は魔法を使えると言っていい。
「それが分かった後も、ここにいるのは……、まあ成り行きかな」
そう唇を動かすローランの瞼の裏には、旧校舎に住み着くレイスの少女の後姿が、映っていた。かつて、己を背後からナイフで突き刺した女は、こちらを振り返ると意地の悪い笑みを浮かべる。
それをローランは、瞬きすることで消し去った。
レイスの姿は黒色に塗り潰された。
「…………」
ローランは空を見上げてため息を吐いた。
未だに『ラケンハイル』にいるのは、彼の我儘だ。
それも、彼自身にも不明瞭なあやふやな感傷の結果だ。
馬鹿な人間だと自分でも思う。
両親は、彼に魔法都市に留まることを望んではおらず、今でも月に一度は学園を辞めて地元に帰ることを、手紙で提案してくる。『オールズホール』に入学する時も、父は泣き叫んで嫌がり、大変だったのだ。その時の騒ぎを思い出し、ローランは笑った。寂しい笑みだった。
「君は?確か去年、転入してきたよね」
ローランは今度は逆に、グレンに尋ねた。
「俺かい?そうだなあ。一度、学生生活ってのを経験しておきたかったからかなあ。それまではかなり、殺伐として青春を送ってきたし」
「………何をやってたの?冒険者として活躍してたとか?グレン、ここに来た時からもう大人顔負けの魔法を使ってたよね?」
「うーん。近いけど、違うな。いつか話してやるよ。きっと驚くぜ」
グレンは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「まあ青春っヤツを送りたかったのは本当さ。でもそれが一番の理由ってわけじゃない」
グレンはそこで一度息を吐く。
顔には変わらず笑みが浮かんでいたが、その種類は先ほどとは微妙に異なっていた。
「……強くなりたかったんだよ。今までは我流だったからな。一度、理論立てて魔法を習いたかったんだ。地道にコツコツ学ぶことが結局、強くなるに一番の近道なのさ」
「強く、なる」
「ああ、誰にも負けない強さ。それが俺は欲しいのさ」
「……僕には縁の無いものだね」
「そうかい?俺はそうとは思わねえが」
そこで鐘の音が学園に響いた。
一限の授業の開始を告げる音色だった。
「ああ、しまった」
グレンが顔に手を当てる。
「話し込んじゃったね。……さて、僕は行くよ」
「おう、俺も行く!じゃあな!」
魔法科と普通科は授業内容が異なる。
当然教室も違っていた。2人は別々の方向に歩き出した。