ラケンハイルに到着して、ホグレンたちと合流しても、世界の戦慄きは収まらなかった。むしろ少しずつ、大きくなっている。発生源は分かり切っている。『シャガナル山』だ。
「一体何がどうなっているんだい、ローラン君?」
ブレンサムが尋ねる。
「まさか『シャガナル』が目覚めようってのか?」
グレンが言った。
ローランはグレンの言葉を肯定しようとして、それに頭を振る。
「いや、欠伸や寝返りみたいなもの、かな。或いは、煩くて片目を開けて外の様子を確かめている、そんな感じか」
『首輪』が完全に作動しても数日で『シャガナル』は動きを止めると、ハリンドは言っていた。きっと、『シャガナル』はすぐに活動を止めるだろう。長くても一日か、二日。早ければ数時間ほどで。
しかし。
「それでも、ラケンハイルは滅茶苦茶になるだろうな」
ブレンサムが低い声で言った。
伝承によれば、国を覆うほどの巨大な龍だ。
出現しただけでも、甚大な被害が出るだろう。
「仕方、ないか」
ゆっくりと息を吐くように、ローランは唇を動かした。
決心を固めた。周りにいた人々を見る。
まずはブレンサム。
「ブレンサムさん、ホワイトの事よろしくお願いします」
「ローラン君、まさか君は…。いや、君には本当に世話になった。ありがとう」
「こちらの台詞です。これからも頑張ってください」
次いでローラン。
「またね、親友」
「……っ!あぁ、またな親友。お前と俺が運ばれるところは多分違うと思うけどな…!」
「きっと、同じだよ。地獄であれ、天国であれ。きっと人は同じところに辿り着く」
そして、最後にホワイトを見た。
「ホワイト。…何て言えばいいのかな。上手く、纏めきれないな…」
「ああ……。ローラン、駄目だ…」
「これから君は世界の様々な側面を見る」
「お願いだから……」
「その中にはきっと奇麗なものもあるし、汚いものもある。君は人とはちょっと違うから…うん、結構目立つから……、色々と嫌な思いをすることもあるかもしれない」
「止めてくれ……!」
「だけど、人生まで捨てないでくれ。人生って奴はさ。何処で何が報われるか、分からないんだよ。僕もこんなにも素晴らしい景色が見られるなんて、以前死ぬときは露ほども思わなかった。……だから、諦めてしまったものが、探してたものが、思わない形で君の前に現れる事もあるかもしれない。……だから、君は君の人生を全うしてくれ」
「どうしてあなたはそこまで……!」
「これから先の君の世界が、幸多からんことを、
「ロォォラァァンッッ!!」
ホワイトはローランに手を伸ばした。
ローランは魔法を使って再度空へと昇った。
龍が眠る『シャガナル山』を目指して。
彼が通った道には、輝く黒い影が伸びていた。
それだけが、ホワイトが掴むことのできたものだった。
◆
『シャガナル』にはきっと誰も勝てない。なにせ神がつくったシステムだ。矮小なる人の身でどうこうできるわけがない。
そもそも龍に戦おうとすること自体が間違っているのだ。
竜は挑み倒すもの。
龍は崇め鎮めるもの。
そう、人の手によって不本意に目覚めさせられた不機嫌な龍は、人が責任をもって鎮めてやればいい。
つまり、魔力を捧げる。
正確には『世界の活力』、だったか。
ローランにはあまり違いが分からないが、クラウディアは魔力が多い者や『祝福』を持っている者は、そのまま『世界の活力』も多く保有していると説明していた。
ならば、魔力=世界の活力と考えて、たいして問題は無いだろう。
元々、『シャガナル』はそういった存在だ。
人の命を吸い取り、世界に還元する。
だが、それには誰でもいいわけではないだろう。
一般人の魔力を捧げたところで、何千何万あっても足りない。グレンやブレンサムもそれなりに多くの魔力を持っているが、それでも全く足りていない。ハリンドは良い線をいっていたかもしれないが、生憎今は魔力が枯渇中だ。
とどのつまり。
ローランが『シャガナル』に命を捧げるしかない。
自慢ではないが、今のローランは世界で最も魔力を保有していると断言できる。それもダントツで、だ。恐らく辺境の小国くらいなら、国民全員の魔力をローラン個人の魔力で上回れるのではないだろうか。
(そもそも、この『魔力袋』は『シャガナル』に捧げるためにラケンハイルの地下に安置されていたのかもしれないな……)
クラウディアがあそこまでローランを引き留めようとしたのも納得ができる。あの勇者には、一体どこまでこの事件の結末が読めていたのか。
そんな事を考えていると、遂に『シャガナル山』の上空に到着した。
ローランは山の頂上を監察する。
山の頂上に
そうとしか表現できない光景だった。
次元が断裂されたかのような黒々とした亀裂。
その奥に微睡みから目覚めようとする存在がいるのをローランは感じていた。
ローランは回想する。
ここまでの道のりを。己の人生の足跡を。
ーー最初の人生では、今とは別の世界に住んでいた。
鉄の箱が地面を走り、鋼の鳥が空を飛び交う石の街。
そこで自分は最初の生を受けた。
物心ついた時には両親はいなかった。
沢山の優しい人たちの善意のお陰で、自分は生きてこられた。幼いながらにも、それを自覚した。
だから、自分は同じことをしたいと考えた。
だけど、気持ちはあっても方法は分からなかった。
時だけが空しく過ぎていった。
ーー次の人生は荒廃した異世界だった。
空は曇り、海は濁り、大地は荒れ果てていた。
そんな世界の最底辺、スラムに気づけば自分は放り込まれていた。
今になっても、理由は分からない。或いは大した理由なんてなくて、神的な超常存在がちょっとミスでもしてしまったのかもしれない。
そこでも自分は人の善意に助けられた。
他人と違う見た目を持つゆえに排斥された、魔族と呼ばれる人々。
これだと思った。
彼らのために戦う事こそが、自分の生きる目的で、その為に自分はここに連れてこられたのだと、当時は思った。
スラムに住む魔族の子供たちを率いて、自分は戦った。
最初は暴漢、次は衛兵、次は領主、次は国家。
自分たちを不当に害する者には、誰であっても立ち向かった。
その過程で自分は知った。
人には多様な価値観があり、きっと明確な答えなんてないのだと。それでも、各々が罪を自覚し前に己の生きざまを突き進む事こそが、生きるということなのだと。
それを体現した女性に自分はやがて戦場で出会う。
魔族を害する王国の御旗とも言うべき存在。
自分より何歳か年上の、とっくに擦り切れ、誰よりも美しい彼女は、自分の対極であり同類項だった。
視野の狭い、個人の命しか見えない自分とは真逆、彼女は個の命のことなんか全く考えてやしなかった。
それに憤りながらも、自分は憧れた。
彼女は確かに誰かを救っていたのだから。
幾度かの戦いの後、自分と彼女は手を組んだ。
その後に、彼女に刺されて自分は死んだ。
……意味が分からなかった。
しかし、無念ではあったが、悔しくはなかった。
騙されたとは微塵も思わなかった。
自分の死はきっと大勢の人を救う結果になるのだろうと、確信していたから。
彼女ならば、そうなるのだろうと信頼していた。
ーーその先にあったのは第三の人生。
顔つきこそ前世と似てはいるものの、文字通り自分はそこで生まれ変わった。1000後の世界にて。『祝福』も魔力も、何一つ残っていなかった。
……本当に、意味が分からなかった。
だけど両親は優しい人たちだし、故郷の皆は自分に魔力がなくても馬鹿にしたりはしなかった。
あの故郷は穏やかな場所だった。
世界全体が穏やかな場所になっていた。
涙が出た。
やがて自分はラケンハイルにて、己を殺した女性と再会する。
なぜか学園に住み着くレイスの女の子になっていた。
隈もないし、髪はちゃんと整えられているし、ドレスは染み一つない。
幽霊だからって、盛り過ぎだろうと内心で呆れた。
ラケンハイルでは面倒なこともあったが、おおむね楽しみに満ちていた。
友人もできたし、娯楽もたくさんあった。悪い事もした。
----そして、自分はホワイトと出会った。
ブレンサムさんを手助けした。
グレンと戦った。
クラウディアから、自分の死の理由と世界の理について教えられた。
最後には失っていた力を取り戻し、魔王として復活した。
ハリンドは碌でもない奴だけど、同じくらい悲しい奴だった。
そしてーー今。
すべてはーーーー今へと繋がる。
己の足跡。
いい事ばかりがあった訳ではない。
むしろ、得る物よりも失なう物の方が多かったかもしれない。助けられなかった人たちは、数えきれないほどいた。
だけど。
失敗も成功も。
その全てが愛おしく感じられた。
全てを宝物のようにそっと抱きしめて、自分は行くのだ。
眼下の『シャガナル山』にできた亀裂の隙間から、真っ赤な目が覗いていた。
龍の全貌までは分からない。
しかし、その眼のサイズからしてスケールが違った。
恐らくシャガナル山に埋まっていたのは顔とその付近だけなのだろう。
残りの胴体と尾の部分は、地の中へと延びて『世界の活力』を大地に行き渡らせているのだ。
その世界を食む大口が開く音がした。
自分という人身御供が捧げられるのを待ってるのだ。
----少年は瞼を閉じた。
一直線に山頂部分に向かって降下する。
「ああ、いい人生だった」
もう一度呟く。
「本当に、いい人生だった」
そして、少年は龍に飲まれた。
その日、夜明けとともに、シャガナル山に真っ黒な星が落ちた。
◆
ーーその流れ星を見てハリンドは涙を流した。
王国の兵士にその身柄を捕縛されながらも、その流れ星の煌きを最後まで目に納めようとした。
自分の初めての対等な相手、初めてできた友達が逝った事を理解した。
「……ありがとう、ローラン。僕と、『最後まで』遊んでくれて」
産まれて初めて全力を出し切った。
らしくもない悪あがきもやった。
これまでの人生すべてが、漸く報われた気がした。
ーーその流れ星を見てクラウディアは涙した。
自分が予想したとおりに、事が進んだ事を涙した。
今回の件で『シャガナル』には多量の世界の活力が補充された。
たった一人の犠牲の結果、この世界の寿命は大いに延びただろう。
少数を切り捨てて、多数を救う。
彼女の在り方はいつだって曇りない。
それでも、それでも、彼に幸せになって欲しかった。
その気持ちもまた、曇りなき本心だった。
そのために、『魔力袋』を彼の身体から切り離したというのに、結局はこうなってしまった。
「さよなら、XXXXXX。……私の愛した優しい魔王」
ーーその流れ星を見てホワイトは涙した。
彼が何をしたかが、分かったからだ。
「う、ああ、あああああああああ!!」
空を見上げて絶叫する。
とめどないほど涙が溢れてきた。産まれて初めての涙だった。
この日、彼女はまた一つ新たな
ーーーーその日、魔王は死んだ。