放課後である。
陽は落ちかけ、『ラケンハイル』の街並みは夕焼けに染まろうとしていた。
「ありがとうこざいましたー」
ローランは買い物を終え、店を出て散った客に頭を下げた。
ちりんちりんと、扉につけられた鈴が鳴る。
ローランは親からの仕送りを断っているため、どうしても金欠だ。幾つものアルバイトを掛け持ちして、自分でお金を稼いで生活している。
昨日は学園近くの雑貨店で品出しを行った。
明日は郊外の橋の修理の手伝う予定だ。
街を西から東に駆け抜けて、お金を稼ぎ続ける毎日を、黒髪の少年は送っていた。
そんな彼は、今日はパン屋で働いていた。
元々は冒険者として世界を周っていた店主が、年齢を理由に引退したのを期に、開いた店らしい。給料はそこまで良いわけではないが、店主の人柄も温厚で、基本的に接客が主の楽な仕事ばかりの為、ローランはこのバイト先を気にいっていた。半ば店主の老後の趣味のような店の為、シフトも融通が利く。何より仕事終わりに、余ったパンを幾つか貰えるのが最高だ。
「ローラン君。ちょっとアレ、いつもの酒場に運んできてくれる?」
低く間延びした声がローランにかけられた。
声の方向にローランは振り返る。
真っ白な顎髭を蓄えた店主が、布きんで手を拭いながら、店の奥に並べられた木箱を目で指す。
木箱は何層にも分かれていて、中には焼き立てのパンが所狭しと詰められている。
ローランがバイトするパン屋は、近くの酒場にパンを降ろしていた。
「はい。分かりました」
それを抱えてバイト少年、ローランは店を出る。
酒場はそう遠くない。何度もパンを運んだことがあるので、店への道を迷う事もない。
特に問題もなくローランは酒場にパンを運び終えた。
その帰り道。
「ん?」
民家の壁にもたれ掛かるように、一人の少女が倒れていた。
白。
まずその感想が最初に来る。
髪は肩のあたりまで伸ばしており、汚れを知らないような純白だった。
肩を露出したシンプルなデザインのワンピースは真っ白で、そこから伸びる細い腕は、色素が抜けたような白。
白、白、白。
ここまで、白いと、美しさを通り越して、逆に病的な印象さえあった。
外見の年齢は17、18歳くらいで、身長は女性にしてはかなり高い方だろう。
多分、ローランとそう変わらないはず。
色を失った容姿と長い手足は、まるで人形のようだった。
首を彩る宝石が散りばめられたチョーカーが妖しく光る。
「………こんなとこで寝てると、風邪ひきますよ。春とはいえ、日が落ちるとまだまだ寒い」
酔っ払いだろうか、こんな美人が珍しい、そんな事を考えながら、ローランは少女に近づき、小声で呼びかける。
だけど、少女のローランの声に答えなかった。
「う、うぐ………」
少女は痛みに耐えるかのように、唇を噛んで苦悶の表情を作った。
「っ!?だい、じょうぶかッ!?」
ローランは腰を落とし、少女の顔を覗き込む。
さっきこの道を通りかかった時は、この少女はここにいなかった筈だ。ならば、自分が酒場に行って往復するまでの僅かな時間で、少女はここ倒れたのだろう。適切に処置すれば、手遅れにはならない筈。そう自分に言い聞かせながら、ローランは少女の身体に目を移す。目に見える範囲では、少女に外傷は見当たらない。
(だったら、病気か?糞!こんな時、魔法が使えれば!)
回復魔法は、基本的に外傷以外には効果が薄いが、それでもやりようはある。《サーチ』で対象の異常を見つけ、患部を魔法で物理的に破壊するのだ。神がかり的な魔法の正確さが必要ではあるが、嘗ての自分ならば可能だった。
しかし、魔力を持たない今のローランにはどうすることもできない。
昨晩自分は、クラウディアに魔法を使えない事を何とも思ってない風に装ったが、今はきっと同じ事は言えないだろう。無力な己が憎かった。
ローランは周りを見渡す。
運悪く、人影はどこにもなかった。
「おい!意識はあるか!?」
少女の呼びかける。
肩を揺らす。もしかしたら、駄目な行為なのかもしれないが、ローランには他にとるべき行動が思いつかなかった。
「う………ん」
少女のふっくらとした唇から吐息が漏れた。
びくん、と少女の身体が跳ねて、豊かな胸が揺れる。
少女の瞼がゆっくりと開かれた。
琥珀のように輝く黄金の瞳だった。見ない色だ。
「っ!?何があった!?誰かに襲われたのかい!?それとも、何かの病気かい!?」
死人のような、ぞっとするほど白い顔で少女は呟く。
「お腹が減った…。死にそう……」
「…………はい?」
「死ぬ……。さようなら、また会おう」
「いや、来世に期待されても」
「大丈夫……。死ぬだけだから」
「え、いや。嘘だろ!?おい!死ぬなっ!生きろおおお!」
街角に少年の慟哭が響いた。
◆
「信じて送り出してきたアルバイトが、まさか仕事中にナンパをして女の子をひっかけて帰ってくるとは、流石に読めなかったよ」
「違いますよ」
神妙な声で首をふる店主の言葉を、ローランは否定する。
「でも、かわいい子だね」
店主は店の奥の一角を見て、微笑んだ。別に卑しい意味は無いだろう。
単純にこの人は自分のパンが人に美味しそうに食べて貰えるのを見るのが、大好きなのだ。
ローランもちらりと店の奥へ顔を向ける。
店には買ったパンをその場で食べれるように、小さなテーブルとイスが設置されている。そこでパンを一心腐乱に食べる少女がいた。先ほど、道端に倒れていた真っ白な少女だ。何のことはない。少女は怪我をしたわけでも、病気にかかったわけでもなかった。
「只の空腹か……」
そして、ローランは腹ペコ少女をバイト先まで背負って帰ったのだった。
「お嬢さん。うちのパンは気に入ったかい?」
店主が少女に近づいて、声をかけた。
「うん。美味しい。とても美味しい。死ぬほど助かった」
元々、あまり表情豊ではないのだろう。
そう言う少女の顔に筋はぴくりとも動かず、本当に美味しいと思っているのかは、疑問ではあった。
「はは。それは良かった!」
だが、にこやかに店主は笑った。
雰囲気でなんとなく少女が本気で感謝していることが分かったからだ。
「これは初めての体験。……これがパン…。本で読んで理解した気になっていた自分が恥ずかしい。……ああ、これが恥ずべき感情か。私は今、理解した」
手に持ったパンを様々な角度で見つめながら、少女は一人で呟く。
そして、ぐるり、と黄金の瞳が店内を見回した。
「ここには、たくさんのパンがある。ここまで多くのパンに囲まれたのは、初めての記憶だ。何故ここには、こんなに多くのパンが……?」
「うん。ここはパン屋だからね」
ローランは神妙な顔で頷く。
店主は困った様に顎髭を触っていた。
ローランはどうやら不思議ちゃんを拾ってきてしまったようだ。
「なんと。ここがパン屋……?ここが、あの。なるほど、理解した。私は今、パン屋にいるのか……!」
「うん。パン屋っす」
もう一度、ローランは神妙な顔で頷く。とりあえず頷いておいた。とるべき最善の受け答えが、かつて魔王と言われた彼にも分からなかった。この子の中では、パン屋が国に保護された記念物か何かにでも、なっているのだろうか。
「えーっと、君。名前は?」
とりあえずパンから離れようとローランは少女に尋ねる。
「わたし?わたしはホワイト」
少女は自分の名前を告げる。
随分と変わった名前だが、彼女の見た目には相応しいと思った。
「ええ、と。ホワイト。なぜ、君はあんなところに?誰か知り合いは」
「……しまった」
「ん?」
ホワイトは瞳を僅かに大きく開ける。
頭を小さく左右に振った。
「私は、お金を持っていない。私は理解している。人間の売買においては硬貨による金銭取引が必要だと。本で読んだ。すっかり失念していた」
「あらら、それは困った」
暢気そうに老齢の店主が言う。
何故だか他人事だった。
「ああ、僕が払いますよ」
ローランはポケットから巾着を取り出して、ホワイトが食べたパンの代金ををレジに放り込む。
「いいの?普通に彼女に奢ろうかと思ってたんだけど」
「元々原価率が低いせいで売り上げ低いんだから、無理はしないで下さいよ。それに、元は言えば、僕が店まで連れてきましたし。というか最初からこうするつもりでした」
「利益のことを言われると辛いなあ。じゃあお言葉に甘えて」
店主は真っ白な顎髭を撫でながら苦笑する。
「君、結構モテるでしょ?」
「モテませんよ。びっくりするくらい」
ローランが渇いた笑いを零した。
魔力のない『無能者』を恋人にしようと考える酔狂な人間は、そうはいないだろう。地元に居れば、幾つかの村々を納める貴族という事で、ローランに近づく女性もいただろうが、このラケンハイルにはローラン以上の優良物件が沢山住んでいる。国中から魔法の才を持つ貴族連中が集まっているのだ。わざわざ、ローランを選ぶ理由はない。貴族の息子という地位も、ここではそこまで珍しいものではない。
「ありがとう。黒い髪の人」
ホワイトがローランに向かって頭を下げる。
「ローランだよ。ローラン・レインダース」
名乗るローランの目線は、ふとホワイトの首元に吸い込まれていた。真っ白なワンピースに簡素なサンダルというシンプルな服装の彼女が、唯一身に着けたアクセサリーが首のチョーカーだった。
(チョーカー、なのか?)
宝石に彩られていた事から、今まで気にならなかったが、ホワイトの首にあるそれはチョーカーというにはやや大きすぎる気がした。
(むしろ、首輪…?)
とはいえ、ローランにファッションの何たるかなど分からない。
彼は、例え学校にない休日であっても、学生服で過ごす系の男子だった。箪笥の中には学生服の替え意外には、下着と寝巻しか入っていない。まだ彼の年齢が一桁の頃、実家で暮らしていた時代は、両親が着せ替え人形の如く様々な服を買え与えてくれたが、彼自身が望んで買ったものは殆どない。
首輪っぽいのも、そういうデザインなんだろうな、とローランは一人納得する。
「エロきローラン、あなたに感謝を」
そんな事を考えていると、酷く不名誉なあだ名をつけられた。
「んん!?今僕の名前の前に変な称号がついていたような気が」
「あなたの視線は、さっきから私の胸元をちらちらとさ迷っている。私は理解している。それをエロい人と呼ぶことを。本で読んだ。……本によれば確か、私は蔑む視線をしなければならないはずだが、蔑む視線とはどうするのだろうか?」
ホワイトは小首を傾げる。
そして、少年は『エロきローラン』などという、子供が考えた悪口のような称号を何としても撤回したいところだった。
「違う、間違っているよ!」
「大丈夫。私は、理解している。私の身体が人間の営みにおいては、ひどく魅力的であることは、本で読んだ」
うんうんとホワイトは頷く。
その理解ある風な反応が、ローランにとっては不本意だった。
「見ていたのは、胸ではなく首だ」
「……首?それは本になかった。人間の男は、女性の首元にも性的興奮を覚えるのか?」
「ああ糞。しまった……!墓穴を掘った……!」
「驚きだ。だが、もう理解した。ふふ、やはり実際に世界を自分の足で見て回るのは違う。様々な発見がある……!」
ホワイトは唇の端を微かに上げる。それは笑みだった。初めて見る彼女の笑顔がこんな形になるなんてローランには予想外だった。疑惑をどう晴らそうか、ローランが思案しているとき。
ちりんちりんと、甲高い音が店内に響いた。
客の来訪を告げる為にドアに取り付けた鈴が鳴ったのだ。
入ってきたのは、陰鬱な雰囲気を纏う30歳くらいの男だった。
どことなく神経質そうな顔つきで、栗色の髪を眉の上で切り揃えている。
身体つきはまるで柳のように細長い。
高い鼻梁には眼鏡がかけられ、その奥に潜む鋭い瞳はホワイトを捉えると、穏やかな色を灯した。男の顰められた眉が緩み、薄い唇に柔らかい笑みが浮かんだ。
「ふう。……ここにいたのか、ホワイト。探しただろう?」
男は安心したようにため息を吐く。
「……ブレンサム。ごめんなさい」
ホワイトはそう言いながら、椅子から立ち上がる。
「ああ、いや、私も悪かった。君には全部が新鮮に見えるのにな。目移りするのは仕方のない事だ」
ブレンサムと呼ばれた眼鏡の男は、手を振りながら言う。
「ああ。ホワイトの兄の、ブレンサムです。妹がお世話になったみたいで」
ブレンサムはローランと店主に向かって頭を下げる。
似てない兄弟だな、とローランは思った。年も離れすぎている。
「何か、食事をしたのか?」
「パンを食べた。美味しかった」
「それは良かった。ええと、お代いくらです?」
ブレンサムはジャケットから財布を取り出そうとする。
ローランはそれを手で制した。
「いいですよ。美味しそうに食べてくれて、店主も喜んだみたいなので、サービスしておきます」
「そうですか。それは本当にありがとう。良かったな、ホワイト」
そう言いながら、店の扉を開ける。
「さあ、行こうか。船の時間が迫ってる」
「うん」
ホワイトは頷く。
「じゃあ、ローラン。さよなら。おじさんも、さようなら」
そして彼らは店を出て行った。