意識の覚醒はゆっくりとしたものだった。
闇の底のから抜け出すように、ローランは目を覚ます。
どうやら自分はソファで眠っていたようだった。
煤けた天井をローランはぼうっと見つめる。
瞼の裏には、先ほど見た夢の光景が焼き付いていた。
(久しぶりに夢で見たな………)
1000年前、自身がローラン・レインダースという横並びの文字を名前を授かる以前。漢字4文字のありふれた名前を名乗っていた頃。
ローランは突然この世界に連れてこられた。理由も因果も明らかではないままに、彼は終わりかけた異世界に召喚されていた。その時彼はまだ14歳だった。
少年はその世界で魔王となって、魔族を率いて戦った。
やがて出会ったのは一人の少女。
クラウディアと名乗るその勇者とローランは幾度も戦い、そして最後には手を組んだ。
荒廃していく灰色の世界を2人で守ろうと。
世界の端で消えていく、不変なる価値持つ命を必ず救おうと。
だけど、そんな誓いは裏切られた。
魔王は背後から勇者に討たれた。
裏切りの原因は、今なおローランにも分からない。
相変わらず理由も因果も分からないまま、魔王の人生は終わりを迎えたのだった。
その先で待っていたのは、無能者としての第二の生。
おまけにかつての宿敵は学園に住み着くレイスと化していた。
「………はっ」
振り返ると思わず笑いが零れる。
中々に波乱万丈な人生だと、ローランは我ながら思う。
「……起きるか」
そんな思考を振り払いながらローランは上体を起こした。いい加減現実を見る時だ。身体を動かすと内側から軋むような音が響く。その痛みと不快感でローランは顔を顰めた。しかし、予想していた痛みよりも大幅に小さかった。
(傷が治っている……?)
自身の直前の記憶を掘り起こす。
自分は確かグレンとの戦いで、目も当てられない程のひどい傷を全身に負っていた筈だ。だというのに、ローランの身体には包帯が巻かれてはいるものの、それらは全て軽傷と呼んでもいいものだった。
ローランは周りを見渡した。何処の民家のリビングのようだった。しかし、日頃人は住んでいないのだろう。床には埃がごっそりと溜まり、クリーム色の壁紙は半分ほど剥げていた。どことなく埃っぽく、息が苦しかった。
「ああ……!良かった。ローラン。本当に良かった」
ローランが声の方へ視線を向けると、そこにはホワイトがいた。純白の少女はソファに横たわるローランに駆け寄り、その顔を見下ろす。彼女はそっと安堵の息を吐きながら、唇の端を微かに上げた。替えの包帯を握りしめるその手は、微かに震えていた。
「ホワイト……。ここは?」
「私の隠れ家の一つだよ。もしものときに備えて用意していた。……目が覚めて安心した」
男性のそうな低い声がローランの疑問に答えた。
リビングの扉が開かれ、そこから何処と無く枯れた印象のある眼鏡をかけた男の子、ブレンサムが顔を出していた。今起きたばかりなのだろう、ブレンサムは小さく欠伸をしながらこちらに歩いてくる。
「ブレンサムさん。傷は貴方が?」
「ああ。だけど、完全には治せなかった。まだ痛むだろう?」
「十分です」
本来なら死んでもおかしくはない傷だ。感謝こそすれど、文句を言う筋合いなどないだろう。そもそも、あれほどの傷をここまで奇麗に治せる人間はそうはいない。
「私は昔から治癒魔法が得意でなくてな。現役時代は遠くからモンスターを一方的に爆殺するしか能がない男だったよ……。だが、後遺症は残らない……筈だ。当たりどころがよかったのか、それともあの男が美味い具合に調整してくれたのか。どちらが正しいかは私には分からないがね」
「……僕はどれほど寝ていたのですか?」
「まだ夜が明けただけだよ。今日一日は眠り続けると思っていたが、君はタフだな」
「そう、ですか……」
ローランは窓の方に視線を移した。カーテンのせいで外の景色は望めないが、朝の控えめな光が布の隙間から零れていた。それを確認したローランは一度息を吐いた。
「今日のバイトは無理……か」
今日は早朝からラケンハイル郊外の橋の修理を手伝う予定だった。肉体労働の為、疲労は溜まるがその分稼ぎは良い。ローランの胸に逐次足る思いが満ちた。
しかし、今のローランにはバイトよりも優先すべきことがあった。ローランはブレンサムのガラスの奥に潜む薄いブルーの眼を真っすぐと見据える。
「……色々と教えて頂けますよね?」
「勿論だ。君を巻き込んでしまったのは、私の完全な落ち度だ。……君には知る権利がある」
ブレンサムもローランの黒色の瞳を正面から見つめ返しながら頷いた。そしてブレンサムはホワイトの方を見やる。
「ホワイト。君は一度仮眠をとりなさい。ずっと寝ていないだろう?」
「大丈夫。わたしもここにいる」
「君は別に疲労を感じないという訳じゃない。ただ『死なない』だけだ。疲れは抜けるうちに抜いておくんだ」
「…………理解した」
ホワイトの瞳は僅かに左右に揺れ、何か言いたそうだったが結局最後には頷いて、彼女はリビングを後にした。それを見送ってブレンサムは、ぽつりと言う。
「すまないね」
「?」
「彼女に席を外させたのは私の我儘だ。なにせ今から話すことは私の罪の告白にも等しい。できればあの子には聞いてほしくない」
「…………」
沈黙するローランを見てブレンサムは自嘲するように笑った。ローランはなんと答えればいいか分からなかったが、ブレンサムとホワイトの間に、ただならぬ事情があることは察せた。
「いきなりこんなことを言われても困るだけか。すまない。とりあえず、お茶でも飲むかい?」
そうブレンサムはローランに薄く笑いかけた。
とうの昔に擦り切れ、しかしそれでもまだ戦い続ける男の、鈍い色をした笑顔だった。
◆
ブレンサムは両手に茶の入ったコップを持って台所から帰ってきた。ソファの前に古びた椅子を持ってきて、ローランの傍に座る。片方のコップをローランに渡す。そして一口茶を飲み、自身の唇を湿らし息を小さく吐くとややあって彼は切り出した。
「まず、謝罪と礼を言いたい」
ブレンサムは大きく頭を下げた。
「ローラン君。巻き込んでしまって本当にすまない。……そして、ホワイトを守ってくれてありがとう」
「頭を上げて下さい。多分僕はいても居なくても意味がなかったと思いますよ。結局僕はグレンには勝てなかった」
「それでも、だよ。グレン・ディスライトは強い。その事は私はよく知っている。彼を前にして、逃げ出さなかったことだけでも、誇っていい」
「グレンが手加減をしてくれたお陰ですよ」
灰色の少年は最後までローランに本気を出すことはなかった。
魔法は命を奪うような大規模なものは繰り出さなかったし、『祝福』を使い始めても彼はローランの戦闘力と意欲を奪う事に注視していた。口では何と言おうと、最後の最後までグレンはローランの事を殺そうとはしなかったのだ。
それが彼の言う『なるべく一般人は殺したくない』という信条によるものなのか、或いはローランとの友情の結果なのか、それはローランにも分からない。
だが、確かな事が一つある。
それは、ローラン・レンダースが今こうしてソファの上で茶をすすることができるのは、グレンの手心のお陰だという事だ。
「……君は自己評価が低いな。例えそれがグレン・ディスライトの手加減の結果だとしても、君がいなかったら、ホワイトはグレン・ディスライトに捕まっていただろう。それは確かな事実だよ」
そこでブレンサムは自身が持ったコップに目を移した。
「私一人では勝てなかった」
それをぎゅっと両手で包み込む。
「私たちがあの場から逃げきることができたのは、君が彼の注意を惹きつけてくれたからだ。おかげで私は彼に不意打ちを仕掛けることができた。そうでもしなければ、倒すことはできなかっただろう」
ローランはブレンサムが路地裏で一人倒れていた事を思い出す。
ブレンサムの『
「まず自己紹介から始めよう。私はブレンサム・ハーウェイ。生まれは王国中央部の農村で、元々は王国に仕える騎士だった」
加えて言うならばブレンサムは、かつて王都の騎士団内でも屈指の実力と名声を誇った騎士だった。攻撃の届かない離れた場所から、一方的に『
ブレンサムの『
過去に幾人も類似した『祝福』を持つ神子が確認されている。
しかし、彼の『祝福』の威力と範囲はその範疇を遥かに超えるため、特別に『
今でも王都の酒場にでも繰り出せば、そこにたむろったら騎士たちの口からブレンサムの名声を聞くことができるだろう。飛竜を単身で討伐した実績もある者は国内でも数えるほどしかいない。
「僕はローラン・レイヤダースです。オールズオール学園に通っています」
「オールズホール。あの名門か。私はあそこを出た知人を何人も知っているよ」
「……僕が通っているのは、普通科ですけどね。おまけに魔法は使えない劣等生ですよ」
「魔法が使えない?そんな事が?……いや、研究所でそんな『無能者』の話を聞いた事が…。本当に実在していたとは…」
呟くようにブレンサムは早口で喋ると、ローランの視線を気にしたように「失礼」と瞳を伏せた。本当に申し訳なさそうにその唇は一の文字に引き締めらていた。
「謝らなくて大丈夫ですよ」
「そうか……。君は強いな。……話を戻そう。私は騎士の職を辞した後は、ラケンハイル郊外の『レイドモンド研究所』の職員をしていた。昨日まではね」
「『レイドモンド研究所』……。知らない名前ですね」
「当然だろう」
魔法の最先端を開拓しようとする者が集うラケンハイルには、多くの研究所が設立されている。その規模は、アパートの一室を間借りしたような貧相なものから、国が設立した豪邸のような大きさを誇るものまで千差万別だ。ローランだって、幾つか有名な研究所の名前は知っているものの、当然それら全てを把握している訳ではない。だが、ブレンサムが『当然だと』断言したのはそういう理由からではないだ。
「公には存在しない研究所だからね。主なスポンサーは王国内の貴族だが、彼らは研究所との繋がりを決して認めはしないだろうし」
ローランはやや声を落として言う。
「……グレンは言っていました。彼女は……、ホワイトは研究所から逃げてきたモンスターだと」
ブレンサムは小さく頷いた。
「………ああ。彼女は確かにモンスターだよ。少なくとも、そう分類されている」
それは絞り出すような声だった。
ブレンサムの鋭い瞳が一層細められる。
「だけど、彼女にはちゃんと人の心がある。物は知らないかもしれないが、命の価値をきちんと理解している。そもそもモンスターとは、人のつくりだした括りだよ。かつては獣族はモンスターに近しい存在だとみなされている時代があったくらいだ」
ブレンサムの言うように、獣の特徴を備えた獣族は邪神に魂を売った存在だとレッテルを張られ、かつて迫害を受けていた。ローランはその事をよく知っている。その時代に前世の彼は生きていたのだから。
ブレンサムは一度コップを唇に運んだ。
そして短く呟く。
「----不老不死」
そこには複雑な感情が、折り重ねてられていた。
その重さを感じとり、思わずローランは生唾を飲み込んだ。
「陳腐な言葉だと思うかい?」
「……いえ。自分が死ぬのは怖いし、誰かが死ぬのも恐ろしい。……だから、それを遠ざけたいというのは当然の感情だと思います」
「ああ、そうだな。だけど、人は皆、それを仕方のないものだと理解して生きている。………なのに、あの研究所では不老不死を真面目に実現させようとしていた。……ホワイトの身体をサンプルにしてだ。彼女の身体を何度も何度も切り裂いて、幾多もの内臓を取り出しそれを保管した。何度も心臓を止め、首を落とし、そこから復活する様子を記録した」
それは罪の告白だった。
ブレンサムは顔を片手で覆われていた。
「私は何年も何年もそれを見ていたんだ。見ていて何もしなかった………!」
指の隙間から覗く、ブレンサムの薄い青色の瞳は、己への極大の憎悪に濡れていた。そして、深い後悔が見て取れた。
「どうして、と聞いても」
少なくとも、今のブレンサムはそんな実験に加担するような人間に見えなかった。
ローランの質問にブレンサムは淡々と唇を動かして答えた。
「……妹がいたんだ。病気がちな子でね。私はあの子の治療費の為にしゃにむに働いた。どんなモンスターとも戦ったよ」
ブレンサムの両親は妹が物心つく前に事故で亡くなってしまった。その為、妹はブレンサムにとって兄弟というよりは、娘のような存在だった。何としても幸せになって欲しかった。その為だけに戦った。妹の幸せだけが、ブレンサムの生きる糧だった。
妹との数少ない幾つかの思い出がブレンサムの脳裏に浮かび、そして彼は自嘲すように唇の端を釣り上げた。
「……まぁ、その妹は私がはぐれ飛竜の討伐で遠方に出かけているときに、亡くなってしまったわけだが」
『炎獄のブレンサム』なんて大層な呼び名には何の価値もない。
ブレンサムが本当に欲しかったものは、もう二度とその手には入らないのだ。
結局、今の彼がその手のひらに載せているのは、ガラクタのような名声と、鉛のように重くのしかかる後悔、そして決して消え去ることのない罪だった。
「暫くは抜け殻となっていたが、やがて私の中に決意が生まれた。妹のような子を生み出さない。そして私はある研究に誘われた」
「それが不老不死、ですか」
「別に不老老死なんて実現しなくても良いんだ。それよりも遥かに劣る成果でいい。それでも、救われる人は大勢いる。そう思っていた」
「……ホワイト。あの子は一体何者なんですか?……、モンスター、グレンや貴方は言いますが実際は不老不死の『祝福』でも持った人間だというオチでは?」
そんな『
そんな当然の疑問に、ブレンサムは首を振った。
「他人の『祝福』を閲覧する魔法や、人の存在を魔力で感知する『祝福』を使って散々調べたさ。その結果、彼女はモンスターと判断された。実際、首輪をするまでの彼女はモンスターにふさわしい存在だったらしい」
なんでも、とブレンサムは言葉を続ける。
「『
不死故に殺すことができないからね、とブレンサムは付け加えた。
「そうして人の姿をしたモンスターの存在は様々な事情を考慮した末、隠蔽された」
「……まあ、分かります。人の姿をしたモンスターなんて、人々の不安をあおるだけでしょうし」
ローランの言葉にブレンサムは深く頷いた。
「そして5年ほど前に『不死女王』の不死性に目をつけた貴族や研究者たちによって、『レイドモンド研究所』が設立された。……1年後、『首輪』で彼女の不死性のみを確保したまま、攻撃性と能力を抑制することに成功。私はそのあたりから実験に加わったよ」
ブレンサムはそこで一度言葉を区切った。
目を細めてブレンサムは唇を動かす。
「----、そして、ホワイトが産まれた」
ブレンサムはゆっくりと目を閉じた。
純白の少女の人生は4年前に始まった。ホワイトにはそれ以前の記憶がない。モンスターとしての記憶や能力は全て首輪で抑え込まれている。
「………私は彼女が繋がれた部屋の扉を守る番人だった。彼女が万が一でも外に出ないように、或いは暴れた場合制圧できるように。『炎獄』の『
目を瞑ったまま、囁くようにブレンサムは唇を動かす。
純白の部屋に彼女は繋がれていた。
その部屋で少女は産まれ、永遠と死に続けていた。
死にながら生きていた。
その光景がブレンサムの瞼の裏側に反芻された。
かつての彼をそれを眺めるだけだった。
分厚い扉の向こう側には、囚われたホワイトがいる。
理不尽に何度も殺され生き返る、永遠の少女。だけど、ブレンサムがそれを気を留める事はない。何故ならば、相手は人間ではないのだから。
人の敵である、モンスター。
たまたま人間らしい姿形をしているだけの化け物だ。
実験の際には悲鳴らしき叫び声をあげるが、それに騙されてはいけない。
そう思っていた。
そう信じていた。
そんな風に、己に言い聞かさなければ、とてもやっていけなかった。
それがブレンサムの幻想だと知る日がくるのは、そう遠くはなかった。
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