非科学的な世界で(略)追い詰められるが良い! 作:たたっきり測
X-1.生まれ変わった女の子
世の中や人間は、大体二種類のタイプに分けられる、というのは、よく聞く話だ。極端な感覚では、大体の事象は、『ある』か『ない』のどちらかという捉え方もできるのだから、無理もない。
能力があるかないか。『優秀』か『劣等』か。豊かであるかないか。『裕福』か『貧困』か。個人に力があるかないか。『強者』か『弱者』か。
今、わたしはそれを目撃していると言ってもいいだろう。
午前終わりの放課後の、昼特有の静けさが包む住宅街。その道のはじっこで、何人かの男子にかこまれて、バラバラと髪を切り落とされている男子がいる。眼鏡をかけた彼は、なんとか抗おうとするが、相手(特にリーダー格)は体格が良いのに対し、彼は貧相な、ひょろひょろの体だった。
……いや、彼も、わたしにひょろひょろなどと言われたくないかもしれないが。
特定の人物を、多数がよってたかって苛めるというのは、よくあることだ。
わたしも、それに関わることはしなかったが、実際そういうものを目にしてきた。そしてそれを無視してきた。自分に火の粉がかかるようなら別だが、わたしに不利益をもたらさないのならどうでもいいし、そんなことにわたしの大切な
所詮は馬鹿が騒いでいるだけ。注意するのは根っからの聖人か変人だ。わたしはどちらでもない。故に、関係ない。
いや、関係なかった、というのが正しいか?
いいやちがう。『関係なかったけど関係あるようになって再び関係なくなった』のだ。
そうだそうだ、忘れていた。危うく変なところに首を突っ込むところだった―――
「何をやっているんだ、ダーズリー?」
あ。
「…なんだよ、デグレチャフ
首謀者のダドリー・ダーズリーはこちらに視線を寄越すと、不機嫌そうに言いはなつ。
全くもって彼の言うとおりだ。もうわたしは委員長でもなんでもない。彼らとはもう赤の他人といっても過言ではないのだ。
「でしゃばるなよ委員長」
断じて、断じてやりたくてやっているわけではない!
わたしはそんな思いを込めてダーズリーを見た。
すると、どういうわけか、とたんにダーズリーとその仲間は青くなって、そそくさとどこかへ行ってしまった。
彼らは何か誤解をしている。それは今に始まったことではない。わたしは般若の形相でもしているのだろうか?
わたしは出そうになるため息を我慢しながら振り返る。
そこには、髪を切られて妙な髪型になった――といっても、前の髪型ももさもさとしていてあか抜けたものではなかったが――眼鏡の少年、ハリー・ポッターがいた。
「や、やあ、デグレチャフ」
「……大丈夫か、ポッター」
「ああ、うん。……ごめん」
ポッターはもどもどしゃべる。そういうところがますますダーズリーたちに苛められる原因のうちのひとつになっているのかもしれないが、わたしが口を出すことではない。
なにせ、もう卒業だ。彼はストーンウォールへ。わたしは違う学校へ。つまり、もう
というのも、ポッターはいとこのダーズリーたちに苛められているせいで一人も友達がいなかった、いや、友達どころか人が寄り付かなかった。そこで、『対応は面倒くさいが放っておくのは後味が悪い』という中途半端な教師は、優等生であるわたしをつかまえて、もろもろの問題を押し付けたのだった。
もちろんめんどうだが、その期待を裏切って、せっかくの立場を崩すようなことはしない。わたしは優等生だから。母校では随一だが、才能では他の天才には及ばず、努力では他の秀才には及ばない。しかし、凡人は凡人なりに、ある程度優秀な評価をもらわなくてはならない。そこで、当時のわたしは、期間限定でできる限りの人情を持つのもいいかと思ってしまったのだ。それがまさか、こんなに骨の折れることだとは思いもよらずに。
「別に貴方が謝る必要はない」
ああ、なんたって、これで最後なのだからな!!
それでもポッターは申し訳なさそうにうつむいた。
「おい、そんなに暗い顔をするな。夏休みが終われば貴方もわたしも新生活だろう。
「うん…そうだね。そのために、早く夏休みが終わって欲しいんだけど……」
そうか。寮制であるストーンウォールに入学するまでの夏休みは、彼はダーズリーの家にいなくてはならないのか。かくいうわたしも、寮制の中等学校に通うことになっているので、ポッターと境遇はほぼ同じだ。要するに、夏休みが終わるまでは、孤児院で
「まあ、もう一辛抱だ。そうだ、新設された図書館には行ったか?午前九時から午後九時まで、このあたりでは一番長く開館している。なかなか広くて空いているし、時間を潰すにはぴったりだぞ」
「ああ、駅の方の?デグレチャフは行ったことあるの?」
「兄弟たちがうるさいときはよく行くな。自習スペースもあるし、蔵書が多くて退屈しないし……そういえば、コミックも置いてあるぞ」
わたしの言葉を聞いて、ポッターは目をきらめかせた。
わたしはコミックをあまり読まない。ジャパニーズマンガと共に育ったわたしに、外国のものはあまり慣れない。それに、わたしはもう子どもではないのだから、それよりも読むべき本があるのだ。
「へえ、今度、行ってみようかな」
「まあ、娯楽はほどほどにな。…それじゃあ」
「うん。……今までありがとう、デグレチャフ」
「…こちらこそ。お互い頑張ろう」
「じゃあ」
「ああ」
最後に皮肉たっぷりの社交辞令を言って、ポッターと別れる。
この二年間、得られなかったものがないわけではない。境遇が変わったからと言って、そう人助けを簡単にするものではないということを学んだ。中等学校では存分に気を付けなければ。
わたしは軽い足取りで、そろそろ午後に差し掛かった住宅街を歩いた。少し喋りすぎたかな、と一瞬思ったが、まあいいだろう。きっと、もう会うことはないのだから。
ハリー・ポッターは、ターニャ・デグレチャフと別れたあとで、盛大にため息をついた。
これから夏休みが終わるまで、親戚のダーズリーの家で過ごさなくてはならないこと、しかし、それを耐えればストーンウォールに行けること。絶望が希望に照らされているおかげで、ハリーには絶望がより暗く、深いものに思えた。
ターニャも似たような境遇だが、彼女は親戚の家ではなく、孤児院にいる。孤児院は裕福ではないようだが、それはハリーもそうだ。叔父が穴あけドリルで有名なグラニングズ社の社長であるため、ダーズリー家は裕福だが、ハリーにはほとんどお金を割いてくれない。かわりに、一人息子のダドリーに、となりの家の犬を轢いてしまう戦車のおもちゃや、本物のエアガンと交換される運命にあるオウム、蹴飛ばされて穴を開くことになるテレビとか、そういう、いつかはゴミになるプレゼントがたくさん贈られる。ハリーのめがねの修理費すら出してくれないのに、だ。
どうせ親がいなくて過ごすなら、ターニャのように孤児院で過ごしたかったとハリーは思う。ターニャに言えば、いい顔はしないだろう。もしかしたら、孤児院より親戚の家の方が良いと言うかも。『隣の芝生は青い』というやつだ。
芝生で叔父の顔を思い出して、ハリーは思わずしかめ面をした。
叔父の話では、両親は、ハリーがまだ赤ん坊の頃、交通事故で死んだらしい。ハリーは奇跡的に助かり、その証拠に、額に稲妻のような傷があった。いつも前髪で隠していたが、ダドリーに髪を切られてしまったので今はそれもできない。
再び、ハリーの口からため息がこぼれた。
自分は変なのだとハリーは思う。この傷もそうだし、どうせこの髪も明日の朝には
しかし、二年ほど前から状況は変わった。ターニャがハリーの前に現れたのだ。
いや、それより以前から彼女のことは知っていたし、たびたび学校で見かけていた。色白で金髪碧眼、容姿が整ったターニャは、小さくて華奢な体躯も相まって、まるで人形みたいと有名だった。有名だったが、ターニャには特定の友達がいなかった。必要ならば誰とでも話すが、それ以上はしませんといった感じで、友達が
ハリーは一方的にターニャを知っていた。おそらく、ターニャもハリーのことを一方的に知っていただろう……派手に苛められている生徒として。しかしただそれだけで、それまでは交流はなかった。
だから、ハリーは、ターニャがまるで季節外れの嵐のように、風をはらう稲妻のように、突然自分の目の前に現れた気がしたのだ。あの時彼女は、ハリーとダドリーの間に立ちはだかり、ただ一言、『やめろ』と言った。その一言で、ダドリーは確かにおののいたのだ、自分よりはるかにチビで、ひょろひょろのターニャに、あのダドリーが!
それからは、前よりかはましな状況になった。ターニャは無口で、ハリーにも必要以上に話しかけることはなかった。でも、体育の授業のペアづくりで組む相手がいないとき、ダドリー軍団に押し付けられた当番を一人でやっているとき、隠された教科書探し……ターニャは、ハリーが困っているとき、助けてくれた。先程もだ。
ダドリーは、ターニャはお前がかわいそうだから仕方なく助けているんだといつも言う――ターニャに勝てないくせに!ハリーは、ハリーもそうだろうと思うが……それでも、違うと信じたかった。もしそうなら、ターニャはハリーにとって、唯一友達と呼べる人だった。
だから、期待してしまう。ターニャにとってもそうならば、と。
しかし、それはないなと首を振る。それでも、もしかしたら。そう思うくらいは良いだろう。きっと、もう会うことはないのだから。
「ただいま」
「あら、おかえりなさい」
ターニャが
「お昼まだでしょう?できているわよ」
「ありがとうございます、シスター・エドナ。でも、その前に礼拝堂へ行ってきます」
「わかったわ」
シスター・エドナはこくりと頷いた。礼拝堂へと向かうターニャの背中を見て、感心の声で呟いた。
「ターニャちゃんは、本当に信心深いわねぇ」
「災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ災いあれ……」
わたしの嫌いなもの。
それは神だ。
神。神はいない。神は、死んだのだ。人の文明はやつらを置き去りにしたはずだ。なのに、やつらはわたしに追い付いて、呪いを与えた。許さない、許してなるものか。災いあれ。わたしが積み上げた、人生とキャリアという塔は崩れ落ちた。それは神の仕業ではない。昔は理不尽な死に憤りもあったが、最近では、仕方がなかったと割りきれるようになった。しかし、神は、やつらは、悪魔は、その塔の残骸で、ひどくいびつなものを作ろうとしている。そしてそれを見せしめにするつもりなのだ。神を信じないとこうなると言って。ああ、災いあれ、災いあれ!
そうだ、わたしのかつての栄光は崩れ去った。
わたしには前世の記憶がある。なに、別段特別なものではない。わたしは、学生時代を有効に使い、凡人ながらそこそこの企業に就職し、人事部に勤めていた。仕事で不出来な社員をリストラする毎日。
わたしは仕事をしていただけだ。わたしが決めたわけではないのに、自分がリストラした元社員に、ホームから線路に突き落とされて、それで、
それで、わたしは死んだのだ。
そこからは夢のようだった。いいや、夢だと信じたい。夢ではないと、わかっているけれど。
わたしの目の前に、神が現れたのだ。それは自らを創造主と言った。嘘っぱちだ。あれは、神ではない。神が世の中の不条理を放置するはずもなし。ならば、わたしは目の前の奴を『存在X』と呼称することにした。
わたしは目の前の存在Xに問うた。死んでしまったわたしの魂はどうなるのかと。
存在Xは答えた。解脱できないお前の魂は、輪廻に戻し、転生させると。そして、今さら後悔しても遅いとも。
わたしには涅槃にいたれなかった後悔など微塵もないので、お願いした。ならば、そのようにお願いします、と。
存在Xは憤慨して、言った。解脱どころか、近頃の人間には信仰心が欠片もないと。人間は変わってしまった、と。
わたしは反論した。科学が発展した今、不確定な存在であるあなた方は風化する定めにあると。
そしてついでに、わたしは、科学文明が発達した世に生まれ、世界でも稀な道徳心を備えた平和な国で育ち、生物的にも社会的にも有利な『サラリーマン』なので、神にすがる理由は万にひとつもないということを教えて差し上げた。
それが、どうやら不味かったらしい。
存在Xはとうとう怒り、わたしの不信仰の原因であろう性質をすべて反転させた。
『非科学的な世界で、女に生まれ、戦争を知り、追い詰められるがよい』
そんなの許せるか、いいや許せない。
わたしは
結果、わたしは、前世の記憶をもって、女に生まれ変わった。
うん。それだけ。
名前はターニャ。ターニャ・デグレチャフ。なんだか『死ね』というさりげなくも明確な悪意を感じる名前だ。こう、言葉の組み合わせが。
生まれ落ちた世界は一九八〇年のイギリス。大戦の記憶を持たない人々が増えてきた時代だった。非科学的とかは一切無い。だってほら、今もシスター・エドナが電気ポットで湯を沸かしているではないか。
追い詰められては、いない。時々小さな悩みの種を、あのポッターによってもたらされたが、そんなに大層なことかと問われれば、答えはノーだ。
転生したばかりの、赤子のときは危惧したものだが、この世界は異世界でもなんでもない。国こそ違えど、わたしが生きてきた時代とおなじだ。
存在Xめ、業務上過失だ。やはり奴のビジネスモデルには欠陥がある!
(自称)神への不敬を心に秘めつつ、わたしは台所でシスターから昼食を受け取り、食堂へと運ぶ。
その途中、大きな窓から晴れ渡った青空を見たとき、わたしは驚愕して、トレーを落としそうになった。
鳥の群れだ。それ事態は珍しくない。
ふくろうだ。
ふくろうが、市街を群れで飛んでいる。
いや、まさか、いやいやいや、気のせいかも。そうだ気のせいだ。結構遠くを飛んでいる鳥の群れ。それがふくろうだと、なぜわたしはそう思ってしまったのだろう。ああ、存在Xの差し金かも。地獄耳め……
わたしはふらふらと食卓について、スープをすすった。
幼い兄弟たちが昼寝をしている間の、静かな昼食だった。