非科学的な世界で(略)追い詰められるが良い! 作:たたっきり測
孤児院の食堂からごきげんよう。ターニャ・デグレチャフであります。
さあ、待ちに待った夏休みもそろそろ中盤。皆様いかがお過ごしでしょうか。同郷のちびっこのみなさん、夏休みの宿題は計画的に。え?わたしは宿題をやらなくていいのか、って?幸か不幸かこちらはイギリス。こっちの夏休みは日本の春休みのようなものです。おまけに、わたしは中等学校入学を控えておりますので、宿題とは無縁。わたしは今日、中等学校で使う学用品を買いにいく予定であります。
まて。
現実逃避などすべきではない。なぜわたしは日本のこどもに謎電波を送っているのだ。
いまは、目の前の問題と目を合わせるべきだ。
わたしは、おそらく、顔をしかめている。
シスターたちが、不安そうな顔でそのわたしを取り囲んでいる。
兄弟たちが、わあわあと騒ぎながら、そのシスターたちを取り囲んでいる。
わたしの前には、大量の手紙と、先程やって来た、もふもふの茶色いふくろうがいる。
ふくろうは、時々きゅるりと首をかしげ、手紙にはこう書いてある。
『ホグワーツ魔法学校入学のお知らせ』。
わたしは頭を抱えた。それから、ふくろうを一撫でして、パンを一欠片やった。それを食べて、ふくろうはひとつ鳴くと、羽ばたいて、開け放たれた窓から外へと行ってしまった。
さて、どうしたものか。
「魔法学校ですって…」
「あの手紙は、本物だったのね…」
「ターニャすっげー!ホグ、ホグワーグ?魔法学校だってさ!」
「ホグワーグじゃなくてホグワーツよ!」
「ターニャお姉ちゃん魔法使いになるの?いいなあー!」
なにもよくはない。むしろかわってやりたい。
わたしは安堵していたのだ。『非科学的な世界で女に生まれ戦争を知り追い詰められるがよい』……存在Xは確かにそう言った。しかし、それはほとんどかなえられていなかったのだ、今の今までは。わたしが生まれたのは、大戦が終わったあとで、魔法なんて無い、そういう、わたしがよく知った世界ではなかったのか?
シスターによれば、この手紙は夏休みが始まってからすぐに送られてきたという。わたしが見たふくろうは見間違いではなかったというわけだ。
それから、毎日毎日送られてくるものだから、シスターたちは、これをたちの悪いいたずらと認識してしまった。シスターたちは、わたしが学校でいじめっこと時々対立しているのを知っていたらしく、このいたずらは彼らによる中等学校に通うまでの少しの間のものだとして、この手紙をわたしに見せることはしなかった。
「それで、どうなさいますか、ミス・デグレチャフ?」
「はあ、いや、いきなりそう言われましても…」
わたしのとなりに座っている女性。ミネルバ・マクゴナガル。聞けば、ホグワーツ魔法学校の副校長先生らしい。わたし宛の手紙がなかなか本人に読まれないので、こうしてわざわざやって来てくださったというわけだ。わたしにホグワーツについての説明をしに。
その間にも、ふくろうがわたしの前に手紙をもりもり運んでくるので、その度にパンを一羽に一欠片ずつやっていた。
正直、わざわざ副校長まで寄越すか、と思う。一人や二人、入らなくてもいいのでは?と。
そう願うのもそのはず、わたしは、今の世界を手放したくない。まず女に生まれた、それはもう仕方ない、受け入れよう。しかし、ここで魔法まで受け入れてみろ、次はさあ俺たちの出番だぜ、と言わんばかりに戦争と絶望がわたしを飲み込みにやって来るに違いない。
「ですが先生、わたしに魔法の才があるとは思えないのですが」
「そんなはずはありません、ミス・デグレチャフ。あなたは魔法を学ぶべくして生まれた子なのです。今まで、貴方のまわりで不思議なことはありませんでしたか?」
「はあ、そう言われましても……」
わたしは考えた。今までにあった、一番不思議なこと。ああ、一度死んだ記憶があるとか、それこそ、神に会ったとか?
そう思ったとたん、耳鳴りがしだした。
「ミス・デグレチャフ、それは……」
耳鳴りは胸元からだった。それを引っ張り出すと、今までにないくらい、熱く、煌々と輝いていた。
マクゴナガル先生はごくりと唾を飲む。わたしはまたこれかと思っていたので、マクゴナガル先生のその反応は意外だった。
今までにもこういうことはあった。こいつは時々耳鳴りのような音を出し、ぶいぶいと光るのだ。最初は警戒こそすれど、ただ耳鳴りを起こして光る、それだけ。もう慣れてしまって、最近は特に気にしていなかった。
「それは、エレニウム……見たことの無い型ですね」
「エレニウム?」
「…言うなれば、魔力機構です。入手の難度から、少数しか出回らなかった超一級の魔道具。それを、なぜあなたが?」
わたしにもわからない。シスターからは、生まれたときから持っていたものだと聞いている。
エレニウムをひっくり返して裏を見ると、九五、と記されている。
「エレニウム九五式?聞いたことがありませんね…」
「あの、先生、それは、ターニャちゃんがここに来たときに、一緒に持っていたものです」
「ええ。ターニャちゃんは、確かにそれをもってここへ来ました」
「もしかしたら、遺品かも…ターニャちゃんの、お父様か、お母様の」
シスターたちがマクゴナガル先生にそう言う間にも、九五式の輝きは増していく。そのうち、九五式はわたしの手を離れ、ひとりでにわたしの胸元に浮かび上がる。こんなことははじめてだ。
わたしが手をかざすと、九五式は何かの紋章を描き始めた。
「すごい……まるで」
ああ、わたしはこの感覚を知っている。
胸元の
『まるで、神の遣わしたもうた使徒のようだ』
そうだ、わたしはあの感覚を覚えている。
泥と血で彩られた、剣林弾雨の暗い日々。
そこで、わたしは……
「ミス・デグレチャフ!おやめなさい!」
その声で、わたしは我に帰った。
思わず手を引っ込めると、九五式は急速に光と熱を失って、やがて元の冷たい金属の固まりに戻り、重力に従ってわたしの首にぶら下がった。
…今、何が起こっていた?わたしは何を見ていた?
わたしは思い出そうとしたが、そこの記憶は抜け落ちてしまっていて、なにもわからなかった。
「全く……あなたは、家を吹き飛ばすつもりですか?」
「へ?」
わたしはマクゴナガル先生の言葉に首をかしげた。家を吹き飛ばす?
「エレニウムは魔力を込めることによって術式を発動させるタイプの魔道具です。先程の魔力量で…暴発すれば、ここら一帯はクレーターになってしまいますよ」
…驚いた。わたしは、そんな爆弾じみたものを首から下げていたのか。そう思うと、とたんにあの間抜けな耳鳴りが恐ろしいものに変わる。
とりあえず、こんなものを見てしまった以上認めざるを得ないのは、魔法は確実に存在するということだ。
そして、
ということは、わたしは近々戦争に巻き込まれる可能性がある、ということだ。魔法なんてものがあるくらいだ。存在Xがわたしを戦争に引きずり込むとしたら、おそらく、科学より魔法を用いたものだ。
謀ったな、悪魔め!
「マクゴナガル先生、質問いいでしょうか」
「もちろんです」
「貴校で学ぶことができる魔法は……いや、魔法というものは、争いに用いることができるものですか?」
一瞬、マクゴナガル先生は、わたしの瞳を鋭く見つめた。なんだか嫌な感じがして、思わず視線を落としてしまった。
「…可能です。実際、魔法界では戦争も何度か起こっています」
「では、そのような魔法から身を守る術は…」
「ホグワーツで学べますとも」
「そうですか…」
なるほど。わたしの道は決まった。
天気予報で、午後からの降水率百パーセントと言っているのに、傘を持たないというのは、ただの間抜けだ。
「これからどうかよろしくお願いします、マクゴナガル先生」
「もちろんです、ミス・デグレチャフ。歓迎しましょう」
『それでは、九月一日、キングス・クロス駅に。必要なことは全て切符にあります』
玄関先で、マクゴナガル先生はそう言って、くるりと踵を返すと、バチンと消えてしまった。
「おかえりなさい、ターニャちゃん」
「ただいま帰りました。シスター・セレネ」
「すごい荷物ね。運ぶの、手伝うわ」
「ありがとうございます」
シスター・セレネに手伝ってもらい、ひとまず、寝室の自分のスペースに、先程買った学用品を置いておくことにする。
それにしても、疲れた。外はとうに暗くなり、兄弟らは既に眠っている時間だ。わたしも眠い、幼いこの身体に夜更かしはよくない。シャワーを浴びて寝ることにする。
脱衣所で服を脱ぎ、風呂場に入る。
シャワーの栓を捻り、手早く髪を濡らす。
髪を洗いながら、先程までのことを思い出す。
あの後、わたしはマクゴナガル先生に連れられ、ホグワーツで使う学用品を買いに行った。
『ミス・デグレチャフ、わたしの腕に掴まりなさい』
魔法学校で使うものなんて、ロンドンのどこで売ってるんだろうというわたしの疑問をよそに、マクゴナガル先生はそう言った。
わたしが先生の腕に掴まると、とたんに、足から引っ張られて歪み、地面に吸い込まれていくような感覚に襲われた。
次の瞬間には、わたしは孤児院の玄関先ではなく、見知らぬ通りに出ていた。
ここはどこだろうかときょろきょろしている間に、マクゴナガル先生は、小さなパブ――『漏れ鍋』に入っていく。
ついていくと、中庭に出た。マクゴナガル先生が壁の煉瓦を魔法の杖で叩くと、煉瓦の集まりはふるふると揺れ、中央に小さな穴を作り、やがて大きなアーチへと変化した。その先には石畳の道が曲がりくねって見えなくなるまで続いている。
聞けば、ここはダイアゴン横丁というところで、マグル――魔法を扱えない非魔法族が住むところとは別の場所、魔法界にあるという。そんなこと、どうにも考えられないが、わたしはなんとかマクゴナガル先生についていった。
それからは、もう、店と店をぐるぐるはしごだった。
まず最初にシスターからもらったお金と、今まで新聞配達などの簡単で安い仕事をして貯めたお金を、『グリンゴッツ』というたくさんの小鬼が働いている銀行で魔法界のものに換金し(金貨がガリオン、銀貨がシックル、銅貨がクヌート。ポンドのポの字もない)、次に『マダム・マルキンの洋装店』で採寸。制服の出来上がりを待つ間に『フロリーシュ・アンド・ブロッツ書店』で教科書を買って、それから、錫の鍋にクリスタル製の薬瓶、望遠鏡、真鍮でできたはかり、羊皮紙に羽ペン………
ほとんど全て買い終える頃には、わたしのリュックサックはパンパンになっていた。なるほど、マクゴナガル先生がトランクの方が良いと行ったのもうなずける。しかし、孤児院にはトランクどころかリュックサックだって人数分ありはしない。
そんなわたしを見かねたのか、マクゴナガル先生はトランクを買おうと言い出した。お金もないですからともちろん断ったのだが、どうせいつかは必要になる、入学祝とでも思っておきなさいと言われて、買い与えられてしまった。まあ、良いと言ってくれているのに過剰に断るのは失礼に当たるし。もしかしたら、かつかつの孤児院暮らしで入学祝がないわたしを気の毒に思ったのかもしれない。どちらにせよ、ただでトランクが手に入ったのは嬉しかった。
リュックサックの荷物をトランクに詰め直して、制服を取りに行き、最後に、『オリバンダーの店』へ向かった。
紀元前三八二年創業というわりにみすぼらしく、埃っぽいその店は、どうやら杖を専門に扱う店らしかった。店内には、ところ狭しと、しかし几帳面に、杖が入れられた箱が天井まで積み重なっている。
店に入ると、奥からチリンチリンとベルの音がして、間もなく静かに店主である老人が現れた。
『いらっしゃいませ……おや、これはマクゴナガル副校長先生、あなたが生徒の引率とは珍しい』
『ええ、久しぶりですね、オリバンダー。早速ですが、彼女に合う杖を見立ててくれませんか』
その会話を皮切りに、わたしは利き腕を伸ばした状態で様々な箇所を巻き尺で図られて、それから、杖を握らされ、時には振らされた。
イチイの木にユニコーンの尾、柔らかく温和、十八センチ。握って振ったら蛙がぼとぼと落ちてきて、すぐさま店主に取り上げられた。
樫の木に不死鳥の冠羽、よくしなって握りやすい、二十五センチ。今度は握ったとたんに店主に取り上げられた。
オリーブの木にドラゴンの心臓の琴線、堅く軟らかい、二十八センチ。握って振ったら一番上の箱がぐらついて店主の頭に直撃した。
アカシアの木にヒッポグリフの爪、頑固だが良質、十四センチ。今までのこともあり、おそるおそる振ったら外で悲鳴が聞こえて、マクゴナガル先生がすっ飛んでいった。
それからも何本かの杖を試したが、店主の反応を見るに、どれもだめらしい。
わたしは疲れていた。とはいえ、わたしは立って杖を振るだけ。わたしがそうする度に、コレは違う、ならばアレはどうかと頭で考え、杖を振って店じゅうに箱を行ったり来たりさせる店主のほうが大変だ。
店主は、店のひときわ奥の、一番下の箱を引き出し、それをわたしに手渡した。
『これはどうかな?セフィロトの木にジズの羽根。丈夫で握りやすい。なかなかに気むずかしいやつだが、主と認めたものには忠実。十六.六センチ』
その杖を握ると、胸元のエレニウムがぼんやりと光り出した。
『おや、これは…エレニウムですか。今時珍しいですな』
さあ、続けて。わたしは店主に促されるまま、杖を振った。
とたんに、エレニウムの輝きが増して浮かび上がる。それから、小さな兵隊たちがどこからともなく現れ、くるくると宙を舞った。
『どうやら、それのようですな。いやはや、わたしの代でその杖を売れるとは…』
『そんなに古い杖なのですか?』
『そりゃあもう。初代さまの時代からある杖だと、わたしの祖父は言っていました』
ということは、紀元前三百年前からある杖か。大先輩だな、と杖を撫でると、兵隊たちがくるくると上に昇っていった。
杖の代金に七ガリオン支払い、店の外を出ると、もうすっかり夜だった。わたしとマクゴナガル先生は、早急に孤児院へ戻ることにしたのだった。
髪を乾かし終わって、ベッドにつく。ああ、足が痛い。疲れた。明日は少し寝坊しても構わないよな。
そんなことを思いながらわたしは眠りについた。
なまえ:ターニャ・デグレチャフ
しょくぎょう:まほう学校一年生
しょじひん:エレニウム九五式、まほうの杖
とくぎ:サラリーマンのこころえ